Global Korea, Creative Leadership
02— 03
李明博 グローバル・コリア、創造的リーダーシップ
李明博(イ・ミョンバク)大統領は、韓国の第17代大統領に なる前、現代建設の卓越した企業人、韓国国会の創意的な 政治家であり、また成功裡にソウル市長を勤め終えた。 彼の派手な経歴は、謙虚に始まり後に大成した一代記と共 に、数多くの韓国の若者達にインスピレーションを与える 源泉となっている。
04— 05
韓国東南部の港町である浦項で、1941年に貧しい家に生まれ た李明博は、高校と大学を苦学しながら通わなければならな かった。彼は授業料を稼ぐために、毎朝早く起き、登校時間 以前にゴミを集め、通りを掃除しなければならなかった。そ のため今日まで彼は朝早く起きる習慣を持ち、明け方5時以前 に仕事を始めるという習慣を続けて維持している。
2 1 3
1. 浦項中学(左)と同志商業高校時代の李明博。貧困の生活の中でも学業を放棄せず、昼間は家計を助けて働き、夜 間に学校に通い勉強した。
2. 若い時の李明博。 3. 高麗大学の校庭で友人たちと(右から二番目) 。
06— 07
1965年に現代建設に新入社員として入った後、彼の挙げ た初の実績の中にはタイのパタニ・ナラシワット(PattaniNarathiwat)高速道路と韓国の京釜高速道路の建設がある が、この二つの高速道路は後に両国経済の中枢となった。 また彼は、イラクのアラビアン・リペア造船所(Arabian Repair Shipyard)とジュベール・インダストリアル・ポート (Jubail Industrial Port)、そして当時の基準で世界で2番目に 長いマレーシア・ペナン橋梁の建設を主導した。彼は近代式 アパート団地の企画と建設を通じて、韓国住宅様式の近代 化計画を推進した。その能力を認められ、彼は入社以来わ ずか12年で現代建設のCEOになった。
1 2
1. 1965年 李明博は現代建設に入社した。20代で理事、30代で社長、40代で会長となり現代を世界有数の企業に発 展させた。1981年 現代建設の新入社員研修会で、現代グループの創業者、故鄭周永会長とともに。
2. 現代建設の工事現場で 。
08— 09
現代建設のCEOとして彼は、自動車事業、重工業及び船舶 建造の各事業パートが、窮極的にそれぞれ現代自動車、現 代重工業、及び現代造船に発展する過程を見守った。彼は 1992年、現代を去る前に、現代エンジニアリングと仁川製 鉄を含む10の現代系列社のCEO職を引き受けていた。
1
2
1. 彼は常に現場で働き、そして考えた。サウジアラビアの米海軍基地の竣工式で。 2. ぺナン大橋の建設現場でマレーシアのマハティール首相と。
10— 11
現代を去った後、彼は2期連続で国会議員に当選し、2002 年にはソウル市長となった。
ソウル市長在任中、彼の最も顕著な業績の一つである清渓 川復元は、40年間コンクリート覆蓋道路の下に隠れていた 長さ6.5kmの渓水の元の姿を修復し、生態系を蘇生させて 都心環境に生気を蘇らせた。
1 2
3
1. 40年間 コンクリートで覆われていた清溪川(チョンゲチョン)地域は典型的な都心のスラム化地域だった。 2002年 ソウル市長に就任した李明博は淸溪川を復元し、ソウルを環境に優しい都市に変身させた。清溪川 の建設現場を視察中の様子。
2. 生まれ変わった清溪川の夜景。 3. 2006年、復元工事完了後の清溪川で
12— 13
現在、毎年3,000万人以上が清渓川を見学しに訪れる。清 渓川復元は、実際大胆な課業だった。彼は、一日27万台の 車が通過する8車線道路と、5.8kmの長さの高架道路を取り 除いた。そしてこのプロジェクトは、清渓川の近隣で生計 を立てていたほとんど全ての利益団体からの強い反発に直 面した。
14— 15
彼は4,000回以上の議論を通じて、成功裡に事業主、住民、 露天商など22万人から合意を引き出し、都市開発において 葛藤解決のために継続可能なモデルとなり注目を集めた。 この努力は、2005年第9回ベニス国際建築ビエンナーレ で、 最優秀施行者賞(The Best Public Administration Award) を受けることによって認められた。またタイムズ紙は、李 明博を2007年の環境英雄に選定した。 李明博市長の下で、 ソウル市は電子政府として非常に優秀な都市となり、2年ご とに発表される世界電子政府評価で、2003年と2005年に 連続して1位を占めた。彼はこのシステムとノーハウを、モ スクワ、ハノイ、ウランバートルに伝授した。
1 2
1. 2005年 独立60周年を迎えて太極旗で覆われたソウル市庁の庁舎前で。 2. 上岩(サンアム)ワールドカップ競技場で大学生たちと。
16— 17
2007年、李明博はハンナラ党大統領選挙候補として選出さ れ、実用主義の時代を開くと約束した。彼の就任の辞で言 及されたように、 偉大な韓国 についての彼のビジョンは、 政府が知性によって国民に仕える国、経済が活気に満ちて 回転し、少数者と弱者を温かく配慮する国...。立派な 人材を育成して世界に送り出し、世界の人材を呼び込む国 である。
1 2
3
1-2. 彼は庶民の息吹が感じられる場所が好きだ。在来市場で市民とともに。 3. 子供の日にサッカーの審判をしている姿。
18— 19
20— 21
彼はまた、全世界の平和と安全に寄与するために、力量に 相応しいグローバル外交を推進すると約束した。韓国人た ちはこれに呼応した。
22— 23
2007年12月19日、彼は大統領として選出され、2008 年2月25日、韓国第17代大統領に就任した。大統領選挙 で李明博大統領は地域、年令層、所得レベルなどのあら ゆる国民範疇において他を大きく引き離し、532万票と いう大変な票差で勝利した。この票差は、総選挙人数の 22.5%に相当する。 偶然の一致だが、12月19日は彼の誕生日であり、また 彼の結婚記念日でもある。
李明博
イ ( ・ミョンバク
24—
) 生年月日
1941年12月19日
本籍
慶尚北道浦項市北区興海邑德城里 537
家族
夫人と1男 3女
宗敎
キリスト教
学歴 1960年
慶尚北道浦項市 同志商業高等学校 卒業
1965年
ソウル市 高麗大学経営学科卒業
2007年12月
第17代 大韓民国大統領に当選
職歴 2002- 2006年 第32代ソウル特別市市長 2001年
ハンナラ党国家革新委員会未来競争力分科会委員長
2000年
カンボジア フン・セン首相の経済顧問
1996-1998年 第15代国会議員 1992-1996年 第14代国会議員 1992年∼ 米 アーカンソー州 名誉大使 1981-1992年
大韓水泳連盟会長
1977-1992年 現代グループ系列会社10社のCEOを歴任 (現代建設、現代エンジニアリング、仁川製鉄など)
1965年
現代建設 入社
2007年
全身でぶつかれ (온 몸으로 부딪쳐라)
著書 母(オモニ 어머니) 李明博の揺るぎなき約束(이명박의 흔들리지 않는 약속)
2005年
清渓川(チョンゲチョン) は未來へ流れる (청계천은 미래로 흐른다)
2002年
絶望と言うが私には希望が見える (절망이라지만 나는 희망이 보인다)
1995年
神話はない (신화는 없다)