酒と遊郭のない国、イラン [中東編] JBpress
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酒と遊郭のない国、イラン [中東編] 2009年08月26日(Wed) 比呂田 弥次郎
イスラム文化圏の人間は、快楽を自己抑制する技術に長けているのだろうか。 ポルノ画像はおろか、水着のイラストや写真集も厳しく規制され、ましてや麗しき女性が殿方を誘惑する置 屋やバーといったものは町中で見かけることは、まずない。 また、イスラム教の規律が厳格な国では往々にして、肌の露出だけでなく、頭髪もベールやスカーフで隠さ なければならない。 イランは知る人ぞ知る、美女の住まう桃源郷だ。特にテヘランはハリウッド女優級がそこかしこにいるくら い、美人偏差値は世界屈指の高さである。だが、それにもかかわらず、残念ながらペルシャ美女はその魅力的 な容貌を布で隠している。「誘惑は罪」という宗教的概念が根底に存在するからだそうだ。 酒を愛し、女を愛する男にとって、イランは実に不便で制約の多い国である。半ばアルコール依存症の私は ヨルダンで購入したウイスキー2本を出国の際、バックパックに忍ばせていた。シリアのダマスカス国際空港 からイランに向かうため、搭乗手続きをしていると、荷物チェックの軍服を着た空港職員の男が呟いた。 「止めはしないが、テヘランの空港の入国審査でこの2つの琥珀色の瓶が見つかったら、少なくともお前 は、死刑執行が最も盛んなテヘラン・エビン刑務所に直行だな。おめでとう」 こう言って薄ら笑いを浮かべたので、あわてた私は封を開けていない「ジョニーウォーカー 赤ラベル」と 「J&B」を断腸の思いで荷物検査台に置き、出国ゲートへと向かった。5時間後、イランのエマーム・ホメイ ニー国際空港に到着すると、イランの公安が到着便の乗客に対して厳重な荷物検査を行っていた。
「ズアパン、グッド」と叫ぶ男 「イスファハーンは世界の半分」という言葉があるほど、イスファハーンはかつて大いに繁栄した街であ る。そのブルーのモスクは、人類が建造した建築物の中で最も美しいものの1つだろう。優雅、崇高、流麗、 精緻、あらゆる要素が見事に調和している。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/1578
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世界で最も美しい建造物と言われるイスファ ハーンのモスク イランにはイスファハーン以外にも、ペルセポリスや、世界最古の宗教ゾロアスター教の聖地チャクチャク や、カスピ海、ペルシャ湾など見所も多い。 しかし、首都であるテヘランは何の変哲もない街である。時間をもて余した私は、テヘラン市街を一望でき る2700メートルの山の麓から、世界最長のロープウエイが出ているというので、そこに向かった。 尾根の入り口であるタシュリーシュ広場行きの停留所でバスを待っていると、アジア人が珍しいのか、道行 く人が視線を投げかけてくる。しばらくすると、隣に並んでいた熟年夫婦がペルシャ訛りの英語で話しかけて きた。男は茶色の背広を着て、女は黒い衣装に黒いベールをまとっている。 「チャイナ? コーレア?」と聞くので「ジャパン」と答えると、「ズアパン、グッード!」と叫んで握手 を求めてきた。イラン人は驚くほど親日的で、バスなどで知り合えばウチに泊まれとか、喫茶店に入ればお金 はいらないとか、くすぐったいくらいの大歓迎を受けることがある。 その歓迎の理由は、日本のかつての強さが現在のイランに似ているから、という話もある。イランという国 は小国だが、1つに団結している。北朝鮮やキューバもそうだが、一致団結していれば小さくても強い。 日本はある意味、小さいが強い国のお手本であった。資源のないアジアの東っぺりの小国が、大国である中 国やロシアを倒し、米国にまで挑んだ。敗れはしたものの、世界を席巻する経済大国にのし上がった。その姿 は、今も西アジアの人々の尊敬と羨望を集めるようだ。 ロープウエイ行きのバスが到着した。私はチケットを持っていないので慌てたが、男は首をゆっくりと横に 振りながら「乗れ!」と手招きをする。車内は前方が男性専用、後方が女性専用と仕切られている。男は前方 の2人掛けシートの窓側の席を私に勧め、自分の持っているチケットを私に1枚差し出し、うなずいた。
「テヘランの女は美人だろう!?」 男の年齢は65歳。中学校の教頭をしていたというが、教育者の厳然とした貫禄はなく、どちらかというと所 帯やつれした、みすぼらしさが漂う老人である。頭髪もほとんど抜け落ち、黄ばんだ前歯は上下2本抜け、皺 だらけのスーツは、かなりくたびれている。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/1578
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だらけのスーツは、かなりくたびれている。 元教頭は珍しそうに「お前のしている時計はいくらか?」「日本のどこに住んでいるのか?」「東京からテ ヘランまで飛行機代はいくらか?」「お前は結婚しているのか?」「仕事は何をしているのか?」「給料はい くらもらっているのか?」「私は教師だったが、日本の教師の給料は月にいくらか?」などと矢継ぎ早に質問 してくる。
残雪が残る山の麓のタシュリーシュ広場 私は次第にこの質問責めにウンザリしてきたので、車窓の外に目をやり、無反応を決め込むことにした。 すると男は、「お前はどこのホテルに宿泊しているんだ?」と今度は腕をさすってくる。「ダウンタウンの 安宿だ」と言うと、「テヘランの女は美人が多いだろう!?」と言って眉根をつり上げた。 元教頭は一呼吸おいて背筋を正したかと思うと、突然「女は20ドルだ」と静かに言った。イランは中東で最 も戒律が厳しく、政府や公安の力が強い国である。置屋などあるはずがない。私は男の言っている意味がよく 飲み込めず、首をかしげた。 すると途端に元教頭は生徒を前に教壇に立ったような威厳に満ちた表情になり、「ホテルにはあるのだ」と 言うとすかさず言い継いだ。「一部のホテルのボーイは小さなアルバムを持っており、客は好みの女性を選べ るのだ」と、補習授業でデキの悪い生徒を相手にするかのごとく、静かに解説するのだ。 そして、「日本人の女は目が細いが、イランの女は目が大きく、しかも美人だ。ところで、日本の女はいく らか? 20ドルか? 50ドルか? それとも100ドルか? それ以上か? カネを払えばイラン人でも受け 入れてくれるのか?」と、ギラついた好奇な目を向けながら言うので、私は何となく自国を辱められたような 気分になり、顔を再び窓の外へ向けた。すると、教頭は真剣な顔をしてこう耳打ちしたのである。 「太古の昔より、性は人間のエネルギーの源泉だ。この性エネルギーより強い力は、人間社会には存在しな いんだよ。美しい女に比べたら、権力や富貴の価値や魅力など、実に軽いものだ。キミ、公安が怖くて美しい 女が抱けますか?」 高原の涼しく心地よい空気が、車窓から流れ込む中、バスは一段と大きなエンジン音を轟かせた後、急に減 速し、街路樹に囲まれた広場にゆっくりと停車した。どうやら終点に到着したようだ。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/1578
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教頭は席を立つと私を見下ろして、「私の名前はアリだ。『崇高な』という意味の誇り高き名前だ。お前の 名前はヒロか!? ヒロという名前はペルシャでは良くないぞ。なぜなら男性器を意味するからだ。うーん、 実によくない名前だな・・・」と、ひとり頷きながら呟くと、日本語で「サ・ヨ・ウ・ナ・ラー」と右手を挙 げた。そして、黒い衣装とベールに包まれた老妻と睦まじく、テヘランの白樺並木をゆっくりと歩き出した。 その後ろ姿を見送りながら、人間の本質を喝破する元教頭の知性と含蓄に、私は感動を覚えたのである。
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