The Cylinder World

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The Cylinder World c 宇埜隆士 ⃝

2

THE CYLINDER WORLD by UNO, Takasi Copyleft 1998–2007 by UNO Takasi First published 1998 in Japan

i



小惑星帯に到達すると破裂した。そ

地球から打ち出されたのは、小さなカプセルだった。気付いた者はいる 筈もない。それは、火星と木星の間 して誰の目にも見えないようになった。 一週間後、小惑星帯で異変が起こっていた。小惑星が、一見無秩序に見 える動きでひとりでに一箇所に集まり始めたのだ。その一点は、採掘済み

万キロメートルを立ち入り禁止とした。

の小惑星や資源に乏しい岩の塊が集中する座標。当局は原因の解明を急ぐ とともに、 当該領域を含む半径

ばれるようになった。

れは、後に天文学者や神秘主義者によって﹁神の糸車﹂ 、 ﹁輪宝﹂などと呼

そして円盤は見えない手によって削り取られ、ある形を取り始めた。そ

した。

積はやみ、直径五〇〇キロメートル、厚さ七〇キロメートルの円盤が出現

人々は去り、残っていた多くの採掘場が廃墟となった。やがて小惑星の集

10

時は二年前に遡る。 太 陽 に 絡 み 付 く よ う に 建 設 さ れ た 超 巨 大 な 発 電 リ ン グ の 複 合 体、

そして︽イカロス︾の新たなシステムの開発に回された。

半年の開発期間を経て、これらは完成した。直ちに二十機が金星の衛

星軌道上で組み立てられ、︽イカロス︾に向かった。無人ならではの急

ロボットの状態をモニターしていた︽イカロス︾管理機構は慄然とし

通 称 ︽イ カ ロ ス︾

た。︽イカロス︾に到着してすぐに、全部のロボットからの連絡が途切

International Cooperation Alternative-energy Recovery Ultimate System

のリングは、産地が限られ長期的環境コストが高い化石燃料の主要な代

れたのである。熱量、放射線量ともに許容範囲内。それどころか何の前

 際協力代替エネルギー回収究極システム  国

替とすべく、地球の各国︵主に非産油国︶ がその総力を結集して造り上げ

兆も観測されなかった。ロボットが一斉に故障したとは考え難い。方法

加速で、十日後に到着した。

た恒星エネルギー変換施設である。太陽の見える場所にそれなりの施設

は分からないが、明らかに何者かが引き起こしたのだ。この調子では人

が何者かに乗っ取られた。メンテナンスロボットを含めて、である。こ

を置けば、太陽系中の誰もがその膨大なエネルギーを受け取ることが出

間を送り込むなど以ての外である。 それでも ︽イカロス︾ に向かう相

来るのだ。 太陽系の全質量の九十九パーセントは太陽自身が保有している。この

当数の船があった。主に海賊的行為を働いて糊口を凌いでいる者達であ

︽イカロス︾は人類の制御下から離れたのである。

こうして人類は手も足も出ず、様子をうかがうしかなくなった。

う訳か犯人は、最低限のエネルギー供給だけは許しているのである。

れだけでなく、エネルギー枯渇の暗黒時代を蘇らせる事になる。どうい

た。一世紀を費やして造り上げた︽イカロス︾を壊すのは忍びない。そ

レーザーで破壊してしまえ、 という乱暴な意見も出たが、 却下され

りで高度すぎる。

が読めない。犯人からの声明や要求などは皆無。愉快犯にしては大掛か

いた犯人の捜索が、遅々として進まないのである。そもそも犯行の動機

捜査当局は困惑していた。︽イカロス︾のハッキング直後から行って

は何もありはしなかった。

キングを受けた船体を徹底的に解体しても、物的証拠となりそうなもの

せられた。付け入る隙のないジャミングを施していたにも拘らず。ハッ

の定、彼等の船も到着直前にハッキングを受け、強制的に航路を変更さ

る。︽イカロス︾乗っ取りを何らかのチャンスと見て取ったらしい。案

以上のような論理を展

余りある膨大な水素を利用しない手は無い。 開し、人類は太陽分解計画に着手した。

リングは百年近くかけて完成した。エネルギーの枯渇は回避された。 そのエネルギーをふんだんに使って人類は、地球の外へ本格的に版図を

誰もがそう感じてい

広げ始める。それにより人口爆発は問題とならなくなり、汚染された環 境も修復され始めた。人類存亡の危機は去った た矢先だった。 エネルギーを湯水のように消費していた人々は恐慌に陥った。 無論 ︽イカロス︾管理機構は即座にシステムの復旧を開始した。 ︽イカロス︾ 内部に人間は存在しない、高温のために存在できない。制御は全て遠隔 操作である。しかし︽イカロス︾は殆どの命令を受け付けなくなってい た。不幸中の幸いというべきか、人類に必要最低限のエネルギーは送り 続けていた。 だが何時本格的に崩壊するかも知れない︽イカロス︾を放っておく事 は出来ない。事態を重く見た各国首脳はロボットを送り込み、システム を直接ハードウェア的に修復することを決定した。



科学界は騒然となった。研究費の流れが大幅に変化したのである。資 金は高温に耐えうる汎用ロボットとそれに搭載する高性能自律型

A I

ii 序

iii

目次

i

9

序 第 章 脱出

13



間奏 ﹁夢﹂

∼ surfacing

個人的世界 其の一

章 ペット

第 章 第 章 浮上∼

章 侵入者

第 章

symmetrical duel



間奏 ﹁夢﹂その二

51

45

43

41

35

31

28

23

7

第 章 状況説明

1

19

∼ memoir

第 章 造反する太陽

章 追憶∼



2

母神狂乱

3

第 章

4

5

6

8

7

9

10

iv 序

第 第 第

63

61

57

53

章 滅びの場

11

章 遥かの流れ

章 悪霊綺譚

章 続序 現 : 在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

12

参考文献



13

73

0

7

第 章 追憶∼

∼ memoir ダウンロード

⋮⋮もう二百年にもなるのか。私が﹁転   送 ﹂ してから。 当時、あの技術はまだ不安定で、成功率は 限りなくゼロに近かった。この時、人類の出 生時の平均余命は百年を上回っていたが、そ れでも私の百五十という年齢は異常であった。 だが、私はまだ死ぬ訳にはいかなかったのだ。 サイボーグ化による延命にも限界が迫ってい た。違法である事は十分に承知していたが、他 に手はなかった。私はわらにもすがる思いで ﹁彼﹂を頼り、﹁転送﹂を決行した。まさに乾 坤一擲だ。成功すれば永遠を手に入れられる が、失敗すれば、私は別人になってしまうの だから。あとで聞いてみれば、私が最初の成 功例だったそうな。まあ成功といっても、一 年経って廃棄処分にされかかった所で自我を 取り戻したのだから、ただ運が良かっただけ び



だろう。昔の私の体は、 ﹁転送﹂直後に、組織 だ

の一部を残して荼  毘 に  付 されていた。 目を覚ました後、私は成り行きで﹁彼﹂の家 に厄介になることになった。私には身寄りが

じ筋 似繊維で動くのだが、その筋力は凄まじ

テテュスといった。私の新しい体は彼等と同

イド達だ。それぞれ名前をレア、アイオロス、

う、人間と見間違えるくらい精巧なアンドロ

の家には三人の先客がいた。﹁彼﹂ を父と慕

なかったので、別にそれで良かったのだ。 ﹁彼﹂

イヤモンドやらが出てくるので、夢の世界に

らジーンズやら集積回路やらベニヤ板やらダ

生き返ってみれば、電子レンジのような箱か

ペルニクスもびっくりの転回だ。一年ぶりに

た。資本主義経済は縮小を余儀なくされた。コ

は無くなり、貨幣は軽んじられるようになっ

だ同然で手に入るようになって、労働の必要



︶の長旅の予定

地球時間で 約三五〇年

だ。別に﹁彼﹂の家族と私だけでも構わなかっ

に一六〇年、計三二〇年︵

達するのに一六〇年近くかかる。さらに減速

な時間の遅れを計算に入れても目標速度に到

二〇〇分の一程度だが。これだと、相対論的

スピードを出す訳ではなく、加速度は

レーザーと反  物質 。もちろん、端からそんな

ミラーマター

推進剤は、太陽付近のレンズから射出される

の 速 さ︵最 高 速︶ で 移 動 さ せ よ う と い う の だ。

コロニーを建造し、それを丸ごと光速の

への移住を計画していた。小惑星帯で巨大な

﹁彼﹂は分子機械と並行して、他の恒星系

でも迷い込んだのかと思ったくらいだ。

く、慣れるのになかなか苦労した。 ナ ノ マ シ ン

﹁彼﹂は、私が正体を失っている間に分  子機械 

を完成させ、自分自身と子供達、それと何故 か私に組み込んだ。 ﹁彼﹂自身は生身なので、 私達のとは違って医療用の分子機械を改造し たものだそうだ。どう違うのかというと、私 達の分子機械が、あらゆる物質を自由に意識 的に操作できるのに対し、﹁彼﹂ の分子機械 は自動操縦で、ひたすら﹁彼﹂を生存させる ことのみをプログラムされている。故に⋮⋮、 一瞬で蒸発させるかしない限り、﹁彼﹂ は死 もっ

ぬことが出来ない。何故そんな設定にしたの か?⋮⋮それは今以   て謎のままである。 分子機械のおかげでありとあらゆる物がた

90 %

1 G



1

8 第 1 章 追憶∼memoir∼

分子機械が出来上

たのだが、行きたい人がいれば連れて行くこ とになった。それと、 ク ラ イ オ ニ ク ス

がる以前から頼まれていたらしいのだが  体冷凍保存術 で脳だけ︵勿論氷漬け︶ 人 になっ た人も。 実は、分子機械が完成した事は非公開になっ ていた。分子機械は、うまく利用すれば世界 を理想郷に変えるが、道を踏み外すと地獄を もたらすのだ。﹁彼﹂ は、 自分が開発した技 術が他人に悪用されるのを極端に恐れていた。 だから移住用コロニーが出発する一箇月前に、 初めて発表された。経済云々はその後のこと である。 コロニーは今、星間ガスの中を進行中だ。目 標の恒星系に到着するにはまだ少し時間がか かる。しかしながら﹁彼﹂にとって、その場 所は最終目的地ではないようだ。 モンゴロイド

﹁彼﹂の名はバール・ヴァルトシュタイン。 恐らく偽名だと思われる。顔立ちは黄  色人種  である。

9

第 章 脱出

に広がる雲の海。気温は氷点下数十度、気圧

冷たい空気。肌を焼き尽くす日差し。眼下

降りるとしよう。俺は、殆どないに等しい空

⋮⋮さて、そろそろ時間だ。翼をたたんで

指程の家族はどうにか引き込んだけど︵パパ

わよ。パパが根回しをしたおかげで、片手の

たしだって、こんな立場でなけりゃ敬遠した

なければついてこなくていいぞ﹂なんて言わ

なのよね︶⋮⋮やっぱり寂しいな。 ﹁行きたく

はいろんな発明をしているから、結構金持ち

気を吸い込むと、ゆっくりと下降し始めた。



⋮⋮俺の名はアイオロス。



れても、造られてまだ一年にも満たないのに、

親離れなんて出来る訳ないでしょうが。

訳ありませんでした﹂

﹁⋮⋮そうですか。どうもお騒がせして申し

物が棲息出来ない程に環境汚染が進行した訳

爆発問題なんてとっくの昔に解決されたし、生

のかよく分からない人だったけど⋮⋮。人口

いついたのかしら。もともと何を考えている

﹁悪いけど、そんな無謀な賭けをするつもり

﹁それにしても、もう会えなくなるなんて、娘

でもないのに、ねぇ。この間しつこく聞いて

時間が無いというのに、親父は俺の我儘を聞

かな世界が好きだ。触覚を全開にして、身体

も寂しがるなぁ﹂

⋮⋮パパったら、どうしてあんな計画を思

中に風を感じる。自由落下するといくら俺が

﹁全く同感です。⋮⋮それでは、失礼します﹂

みたら、 ﹁未知なる世界への冒険は男のロマン

いてくれた。親父には感謝してる。

丈夫でもただでは済まないので、背中に全幅

﹁ああ、さようなら﹂



俺は、成層圏から見られる光景と、この静

一五メートル程の翼を付けている︵勿論、オ

﹁さようなら⋮⋮﹂

﹂って誤魔化されちゃったし⋮⋮︵案外ホ

プションだ︶ 。ここは、殆ど音がなく、時間の

いて思いを巡らす。自分だけの地球、自分だ

想の時間でもある。宇宙や、自分の存在につ

だけど⋮⋮。これで、あたしは多くの友人を

て、壮大なる引っ越しをさせようと試みたん

⋮⋮あたしはテテュス。友達の親を説得し

が亡くなって以来の人間嫌い︵本人談︶がひど

分子工学の学会で爪弾きにあって、﹁ママ﹂

か言って、ちょっと黄昏てたわよね。

けの世界、それを実感出来る。地球が丸いと

無くし、元の一割以下になったって訳だ。あ

﹁太陽系の学界は、わからず屋の集団だな﹂と

ントなのかも︶ 。そう言えば一カ月くらい前、

!

いう事も。

いう言葉が相応しい。ここに居る時間は、瞑

流れがゆっくりとしていて、まさに﹁悠久﹂と

は無いね﹂

戻ってくる事は無いだろう。出発まであまり

⋮⋮これが地球での最後の滑空だ。 もう、

子機械が暴走しなければの話だが。

燦と降り注ぐ宇宙線が心地よい。影響で、分

は地表の数十分の一。⋮⋮ここは成層圏。燦

2

いとも簡単に分子機械を造り上げてしまった

分からないでもないわ。まだ二十代の若造が、

くなったみたい。他の学者さん達の気持ちも

似てて当たり前だろう﹂って言うけれど。奇

ばれると嫌な顔をする︶は、 ﹁親子なんだから

イちゃん︵私の弟アイオロス。本人はこう呼

う、私はお母さんの代わりとして造られた。ア

文字通り完璧な結晶に変わるのを見ても、ま

動き、目の前で黒鉛の破片がダイヤモンドの

男が模型を示し、シミュレーションが円滑に

⋮⋮さる高名な学者が放ったその声は、大

んだもの、妬ましくもなるでしょうよ。とも

妙な事に、お父さんも私をどう扱うか戸惑っ

だ疑いの視線は感じられた。

レートには、B ヴァルトシュタインと記して ・ ア セ ン ブ ラ あった。男が話したのは、唯一言、 ﹁分  子機械 

される様に会場を出ていった。男のネームプ

学者が非難の的となり、やがて彼等は追い出

がら魔女裁判と化した。男を含めた少数の科

そんな雑言も投げ掛けられた。学会はさな

﹁門外漢の若造が⋮⋮﹂

﹁何かのトリックじゃないのかね﹂

﹁こんな手品なら、どうとでも出来る﹂

多数の意見を代表していた。

かく、パパは太陽系に愛想を尽かしたんだと

ている様子。自分でやったことなのにねぇ。



きた。不確定性原理は回避可能だし、熱運動

それは、大分昔から可能だと思われて

は、ない。

それにパラダイムの転換が必要だった訳で



⋮⋮私の名前は⋮⋮レア。

思う。月と火星の開発、オゾン層の再生、サハ ラ砂漠の緑化、大気汚染物質の除去、 ﹁心﹂を 持った人工知能、人間の浅はかさによって絶 滅した生物の復活、クライオニクス、スカイ フックとロータベータの安全性向上⋮⋮、み んなパパが関わってるわ。これだけ人類に貢 献した科学者が、逃げるように出て行くはめ になるなんて、世も末だわ。



が完成しました﹂だけであった⋮⋮。

⋮⋮一か月後。



もそんなに致命的な問題ではない。何よりも、

都市にも匹敵する最高の機械

⋮⋮飛行場にて男は佇んでいた。男は虚空

それが存在できないのならば、複雑さでは大 ⋮⋮よし、できたっと。

存在できるはずも無い。⋮⋮ただ、体系だっ

を見つめながら呟いた。



引っ越しの荷作りも大変だわ。引っ越しと言

た知識だけが不足していた。だから科学者は、 闇雲にあらゆる種類の物質を解析した。解析

﹁レア⋮⋮これでやっと、君との約束が果た

細胞

ゲルマン人の大移動よね。うち

の家族は私がいないと何も出来ないから、私

は、始まって数十年経った今でも終わりそう

うよりも、

もついて行かないと行けないの。そういえば、

せるよ﹂

した。

す ぐ そ ば に 居 た 少 女 が、 そ の 名 前 に 反 応

に無かった。 その場は、奇妙にざわついていた。

この家はどうするのかしら。お父さんは﹁二度 と戻るつもりはない﹂って言ってたから、やっ



﹁⋮⋮お父さん、私のこと、呼んだ?﹂

ざわめきを作ったであろう人物

ぱり人手に渡っちゃうのかな。それとも⋮⋮。

は、ただ黙っていた。何を言われようとも、ま

!

ふと、壁の小さな領域に目が行く。そこに

﹁いや⋮⋮お前じゃなかったな﹂

⋮⋮男はしばらくの間考え込んでいたが、や

﹁じゃあ⋮⋮﹃お母さん﹄のこと?﹂

ともに返答するつもりはなかった。 そんな簡単に出来上がるはずが

は額縁が飾ってあって、その額縁には写真が



﹁バカな ない

あった。私と瓜二つの女性の肖像写真が。お 父さんによると、 ﹁お母さん﹂らしい。⋮⋮そ

!

10 第 2 章 脱出

11

早送りの様に傷がふさがっていく。男が言った。

⋮⋮見れば転がっていった血まみれの男も、

﹁お前には、関係の無いことだ﹂ ﹁テテュス、アイオロス、⋮⋮もう少し穏や

がて悲しそうな眼をして、答えた。

﹁お父さん⋮⋮﹂ かに登場してくれ﹂

﹁刺激が欲しい年頃なのかしら⋮⋮﹂

呟いた。

⋮⋮騒動の間立ち尽くしていたレアが一言

﹁﹃あなたは私の愛する子。私の心に適う者﹄ ﹂ ﹁え?﹂ ⋮⋮男は、娘たるべきその少女の肩に手を 置き、目を見つめて言った。

険は男のロマンですから﹂

﹁むぅ⋮⋮﹂

一カ月前からの自分の口癖を返されて、男

は言葉に詰まった。

⋮⋮彼の子供達はなにやら疲れていたらし

く、三人ともぐっすりと眠りこけていた。

そして、五人はロータベータ用の飛行機に

⋮⋮少しの震動と共に、乗客部分がロータ

その時、地平線の彼方から、もの凄いスピー

乗り込んだ。中はキャンピングカーのように

ちよさそうに眠り続けている。それを横目で

﹁いいか⋮⋮お前は、お前だ﹂

ドで、小さな影が土煙を上げながらこっちに なっている。

見ながら、広野は男に話し掛けた。

振動にも反応せず、三人の機械人形は気持

ベータと連結された。

向かってきた。それとともに、ドップラー効

﹁大丈夫かい、広野君﹂

二、三回は死んでいるはずだ。しかし⋮⋮。

﹁あの子達ですよ。気味が悪い程、人間の行

﹁何がかね?﹂

﹁しかしまぁ、良く出来たものですね、先生﹂

⋮⋮影は減速する事無く男にぶつかり、その

﹁なに、いつもの事です。それに、⋮⋮それ

⋮⋮普通ならそう聞くだろう。少なくとも

果で音程がずれた声が飛んでくる。 ﹁パパぁ∼∼∼ ﹂

ままの勢いで二人して派手に転がっていった。

動を再現しているじゃありませんか﹂

して脚が折れ、腕は吹っ飛んでしまっていた

⋮⋮その通り。生身である男は血が吹き出

だんだが、それはドライバじゃあ余り足しに

り返した。カーネルは自己組織化で殆ど済ん

﹁そのために、気の遠くなるような作業を繰

は無傷で立ち上がり、

のだ⋮⋮が、今は完全に回復している。

はならなかった。プログラムの或る箇所を、無

一二・三歳位の少女

﹁久し振りに、子供達とスキンシップを図る

数の箇所と前後参照して⋮⋮﹂

⋮⋮ところで、そこにはもう一人男がいた。

男は満身創痍ながらも起き上がった。

筋骨隆々、髪は短く刈り上げ、優しげな顔を

事ができたよ。少しきつかったがね﹂

とか﹂

﹁結局、モジュールが十万個位になった⋮⋮ 答えた。

﹁よく知ってるね﹂

頭上に、光輝く物体が落ちてきた。男は気付 いたものの避ける間もなく衝突が起こり、謎

﹁愛って、激しいものなんですねぇ﹂

﹁⋮⋮とにかく、大変だった。まぁ、あの  娘 



﹁うむ。⋮⋮そんな事より、義理でついて来

だけは少し特殊だが﹂

﹁でまかせを言っただけです﹂

から、こげくさい二つの人影が現れた。落ち

る事は無いんだぞ﹂

⋮⋮⋮⋮これは冗談だろう。

てきたのは十五・六歳の少年である。二人と

﹁冷たい事言わないで下さいよ。それに、冒

男は、レアの寝顔を眺めながら言った。 もピンピンしている。

た。やがて、もうもうとたちこめる粉塵の中

の物体もろとも飛行場にクレーターを形成し

⋮⋮男は冗談か本気か分かりかねる口調で

した二十歳前後と思われる青年である。その

しばらくすると、ぶつかってきた人物

は御互い様だと思いますよ﹂

!

12 第 2 章 脱出

﹁どういうふうに?﹂ ﹁⋮⋮済まんが、それは言えない。レアにも、 この事は言わんでくれ、頼む﹂ 男は広野に手を合わせた。この男にしては 珍しく真剣に。 ﹁⋮⋮分かりましたよ。でも、これくらいは 尋ねてもいいでしょう?﹂ ﹁何だね﹂ ﹁先生は初め、生物学の基礎研究をしてたと聞 いた事があります。それが何故、人工知能や ︽転送︾を開発することになったんですか?﹂ ⋮⋮男はしばらく黙っていたが、やがて重 い口を開いた。 ﹁彼女の⋮⋮妻の遺志だ﹂

も︽転送︾も、八割がた彼女が開発し

﹁え?﹂ ﹁

事実だが﹂

たのでな。彼女から重大なヒントを得たのも

た。生物の理論屋としても、大いに興味があっ

﹁いや、あれは私が主体となって研究を行っ

﹁それじゃあ、分子機械も奥さんが?﹂

⋮⋮男は乾いた笑い声を上げた。

﹁ついつい凝ってしまってな⋮⋮﹂

が、護身用ですか﹂

﹁人間が指先一つで破裂してしまう様な代物

用の武器を取り付けたり⋮⋮な﹂

けに過ぎない。最終的な点検をしたり、護身

た。私はその手助けをし、残りを仕上げただ

A I

﹁そうですか⋮⋮﹂ 会話が途絶える。大いなる旅路は、始まっ たばかり⋮⋮。

13

第 章 状況説明

の管理もテテュスになるな。しかしこの分類

﹁ずるーい



﹁ええい問答無用

一回転半したロータベータは、最高点で貨

は厳密なものではなく、固相も液相も気相も

早急に生物が生息出来る環境にするのだ ﹂

と胸を撫で下ろした、が。

仮に︽輪宝︾とでも名付け

を車輪に例えると、タイヤにあたる

から

までの有重力区で

の地殻に埋め

全体に自分の触手を

張り巡らしており、言うなればこの円筒はレ

込んである。 彼女は

同じである。 レアの本体は

ので、骨格とアクチュエーターは後の二人と

それだけでは軟体動物みたいになってしまう

︵笑︶ ロボットである。もっとも、前の二人は

りとあらゆる物騒な兵器を詰め込んだ普通の

の集合体。そしてテテュスと広野龍司は、あ

ゆる︽茂みロボット︾ 、アイオロスは分子機械

レアは無数のセンサーと﹃手﹄を持ついわ

ラ︾と呼ばれる発電施設兼居住区である。

それらの中心にある少しいびつな球体が、 ︽ミ

あり、どちらにも居住区が存在する。そして、

にあたるのが

のが粒子加速器等がある無重力区、スポーク

よう

引っ越し先に着いたら、

物、もとい乗客部分を切り離し、太陽系で最

少しずつ重なり合っている﹂

到着している筈だ。 地球の人口を鑑みると、

﹁そして広野君には、名目上私の代理として三

広野は自分には仕事が無いようなのでほっ

多いんだか少ないんだかよく分からない数で

人の監督を頼む。人の命を預かる仕事だ。厳

﹁どういうこと?﹂

﹁とにかく、私は研究に専念したいのだ ﹂

﹁それが本音ですか﹂

!

!

C 1

る事になっているおおよそ千の家族は、先に

ある。まあ、引っ越し先はとてつもなく広い

しくやってくれたまえ﹂

子供も以下同文。

広野は驚愕し、抗議の声を上げた。三人の

ので、人口密度はオーストラリアとどっこい

という訳で、 ﹂

どっこいになる模様。 ﹁

て出発したその日、男は四人に説明した。無

﹁管理するって、どうやって?﹂

﹁そんなの聞いてませんよ﹂

重力なので四人とも適当にふよふよ漂ってい

﹁パパは何もしないの?﹂

地球の重力を振り切って木星の衛星に向かっ

たのだが、バールのあまりにも突然の発言に、

はテ

男は大袈裟に拳を振り上げて、言った。

﹁言ってなかったかな⋮⋮﹂

液体

の管理はレアに、大気

はアイオロス、海

固体

そちらに向き直った。 ﹁大地 気体

したり、快適な温度になるよう調節したり、均

﹁お父さんたら⋮⋮﹂

男は、学問を生き甲斐としていた⋮⋮。

等に雨が降るようにしたりする。あと、生物な

﹁無責任だなぁ﹂

C 1

テュスに任せる。炭素循環や窒素循環を起こ

んてのは大部分が水で構成されてるから、そ

C 8

C 1

!

引っ越し先

も大きな惑星に向かって放り投げた。同行す

!

3

14 第 3 章 状況説明

ア自身の身体である。アイオロスの頭脳部分 の中にある仮の太陽の中心に据えて

﹁しかしこれは⋮⋮﹂ ほう

前 方 を 見 て、 広 野 は   呆  け た よ う な 声 を 出 した。

は、 ある。テテュスと広野にも勿論、それぞれ固 ﹁どうしたの?﹂ テテュスが尋ねる。

﹁いや⋮⋮、遠近感が狂うというか⋮⋮﹂

﹁?﹂

もとい自分の上を

﹁何やるんだったっけ?﹂

広野は天を

だ。そして弱々しく抗議する。

仰い



﹁さっきと言ってる事が違うじゃないですか。

文字通りである

聞いて無かったんですね、作戦を﹂

テテュスは虚空

一点を見つめてのたもうた。

︽輪宝︾は一〇〇キロメートル程彼方にあ るはずなのだが、視界の殆どを占めている。

﹁過去は、振り返らない事にしてるの﹂

小さな声で、広野は言い返してやった。

﹁確かに、衝突しないか心配になるくらい近 くに感じるわね﹂

かりな作業の為である。勿論、音声で会話し

﹁何か言った?﹂

んよ﹂

﹁生後一年未満で、﹃過去﹄ も何もありませ

ている訳ではない。そこに船内のバールから

﹁いいえ、別に﹂

二人は宇宙船の外に出ていた。とある大掛

通信が入る。

﹁という訳で、あんたに任せるわ、全部﹂

イオ。活火山が在る事で有名な、木星の衛



﹃広野君、無重力と真空には慣れたかい?﹄

から取られた。その名も

星である。数十年前にコロニーが建造された

﹁⋮⋮最初からそれが狙いだったんですね﹂

の支配者たちは、一ヶ月かけてここに最後に

﹃それは良かった。ところで作戦内容は分かっ

なったが、杞憂で済みそうだ。

人生を憂いながら、広野は﹁全てを許せた

らいいのに﹂などと思ったという。

だからって、それくらいは大丈夫よ﹂

いてきた。

﹁どーして俺達は外に出ちゃいけないんだ?﹂

境を整えるのだ。イオでゆっくりしている暇

と、テテュスが軽い調子で答える。

の沈黙の後、テテュスが口を開く。

になっちゃうかも知れないじゃない﹂

﹁強い紫外線は、お肌に悪いのよ。皮膚ガン

には分かっているのだろうか。

レアが諭すように言う。もしや、天然な姉

外部との通信を切った後、アイオロスが聞

は無い。到着して二十四時間もたたない内に、

﹁アイちゃん⋮⋮﹂

バール等は︽輪宝︾に向かって出発した。 謎の小惑星集積現象の結実たる︽輪宝︾は

もの探査機が送られたのだが、接近したもの

﹁で⋮⋮﹂

そう言って、バールは通信を絶った。少し

は全て︽輪宝︾の材料になってしまった。

当初問題視され、専門の委員会が発足し何機

は、健闘を祈る﹄

﹃それならいい。もうすぐ作戦開始時刻だ。で

A I

﹁細かい事は気にしない、気にしない﹂

﹁ええ、思ったより快適ですよ﹂

到着した。 ︽輪宝︾への他の移住者逹は、イオ

ているかな?﹄

︽輪宝︾

を含めた幾つかの衛星上で一週間程待機して

﹁いくら私達が ﹃忘れて﹄ しまう特殊な

じて運営されている。バールたち

もらう。その間にバール等が︽輪宝︾内の環

太陽光線を浴びているので少し温度が気に

ものの、さびれてしまった星。港だけは辛う

た為にその正妻ヘラに牛の姿にされた娘の名

ロメートル。ギリシャ神話でゼウスに愛され

級。離心率はゼロ。半径はおよそ一八〇〇キ

一六一〇年、ガリレオが発見。光度は五等

呼ばれる分子機械が行っている。

壁の補修と管理は、彼等とは別の︽外   郭 ︾と

ウートガルド

有の分子機械を与えてある。尚、 ︽輪宝︾の外

C 1

15

アイオロスは、少し肩をコケさせた。何故

どの生物が絶滅してしまうだろう。 これが、

は行儀が悪くて人倫に反するわよ、パパ ﹂

﹁そういう問題じゃない

って言うか盗聴

未来の住処。と言っても、この表面に居を構

﹁ああ、少しでも期待した俺が疎ましく思え なっており、快適な生活が約束されている。

えるというわけでは、勿論無い。中は空洞に

んだ﹄

﹃聞かれて困るような会話をしてる方が悪い

だか突っ込む元気もなく、うめく。

る⋮⋮﹂

すね﹂

取り敢えず、広野君﹄

﹁はい、私からもう一度彼女に説明するんで

﹃それは置いといて

テテュスは思わず絶句した。

﹁何か危険な論理ね⋮⋮﹂

﹁⋮⋮穴?﹂

広野は少し疲れた様子である。バールはね

ぎらうように、

﹁ ﹃基準点から直径五〇キロメートルの半球内

と言った。

ですけど、出入口を作り忘れたとかおっしゃっ

響で、暴走しないとも限らない﹂

アイオロスが安堵したように乾いた笑い声

る。テテュスは少し肩を落とした。

を上げた。

﹁⋮⋮何かおばかな漫才やってるわよ﹂

﹁⋮⋮時々、物凄くバカよね、パパって⋮⋮﹂

すよ﹂

﹁科学者ってのは、そんな人も多いらしいで

がて静かに会話が再開する。

は好き勝手に壊していい﹄⋮⋮ね﹂

広野は早々にやる気をなくしていたようで

﹁基本的にアバウトな人ですからねー﹂

テテュスは半分呆れたように呟いた。

﹁ま、天才と何とかは紙一重って言うけどね

誰が何だって?﹄ ﹂

広野は左胸の辺りを押さえて言う。

野よね﹂

﹁⋮⋮まあ、破壊活動なら私達二人の得意分

ある。 ﹁先生、相変わらず心臓に悪い事しますね⋮⋮﹂



﹁立ち直りが早いですね﹂

広野の問いに、テテュスは指の骨を勢いよ

﹁ ﹃それに﹄ ?﹂



﹃大丈夫、君の新しい心臓はゾウが乗っても

﹁そういう性  質 なのよ。それに⋮⋮﹂

ている ︵広野談︶ テテュスが喚   く。

わめ

早くも形勢を立て直した、心臓に毛が生え

潰れたりしないから﹄

突然聞こえてきたのは、バールの声だった。

﹁わっ



﹁一回、アタマ吹っ飛ばしてあげようか?﹂

﹁うふふふふふふふふふふふ⋮⋮﹂ ﹁はははははははははははは⋮⋮﹂ 様々な想いと笑いが飛び交う中、小さな宇 宙船は目的地に着いた。

目の前に在る物体。それは直径五百キ ロメートルの岩の塊だ。地球にこれほどの質 量がそれなりの速度でもって激突したら、殆

!!

一瞬の沈黙。

⋮⋮﹂

しばし、どうしようもない沈黙が流れ、や

﹁人のこと言えますか?﹂

無論、この物体を設計したのはバールであ

﹃手の掛かる娘で済まんなあ﹄

﹁あ⋮⋮ああ、そういう事か﹂

広野が言う。

﹁その壁に、穴を開けるんですよ﹂

と、テテュスはひとりごちた。

﹁でも、石の壁にしか見えないわね⋮⋮﹂

るからな。紫外線・ 線等の強い電磁波の影

﹁お前たちは全身が分子機械で構成されてい

バールの声に驚いて振り向く。

﹁いや、結構正しいんだが﹂

! ﹁はっはっは、暴力的ですなあ﹂

**

てました﹂

﹁ええ。気密性に気を配ったのは良かったん

X

く鳴らし、陶酔しながら答えた。 ﹁あのカタルシスがたまんないのよねー﹂ カタルシス。 広野は少し気になって、その言葉を調べた。 ギリ

︼ ︵浄化・排泄の カタルシス ︻ シア katharsis 意︶ ︵中略︶ 精神の罪よりの浄化。 ︵中 悲劇を見て涙を流したり恐 略︶︵中略︶ 怖を味わったりするが、 これによって 心の中のしこりを排泄し、 ︵中略︶︵中 略︶無意識の︵中略︶ 精神的外傷によるし こりを、︵後略︶ 広野は少し考え、隣のテテュスを盗み見て、 呟いた。 ﹁﹃心の中のしこり﹄⋮⋮?﹂



**

どう見ても彼女には関係なさそうな単語だ った。

﹁せーのっ

テテュスの掛け声と共に、のっぺりとした

そんな広野やバール等の思いをよそに、彼 女は︽ミラ︾の破片をまき散らしながら思い

分ほどしてやがて飽きたらしく、自

切り暴れた。 が、

なら﹂

キャビ テ ー ション

﹁根拠が全くありません

それに⋮⋮﹂

深いといっても一〇メートル位。この調子で







もりだったんですか?﹂

﹁そーよ﹂

当然じゃない、と言わんばかりに肯定する

テテュス。肩を落として、広野が問う。

﹁シミュレーション、してみましたか?﹂

﹁あ⋮⋮﹂

テテュスは顎に人差し指を添え、暫く黙考

した。そして至極真顔で言った。

﹁生成したプラズマが、こっちに跳ね返って

くるわね﹂









﹁それを防げると思います?﹂

﹁  磁界制御装置 で⋮⋮﹂

﹁無理ですってば。あれも試作段階です﹂

広野は苦笑しっ放しだった。

話は全然進んでいなかった。後退していな

いだけマシかも知れない。

テテュスは苛立っていた。

広野は答えて言った。

﹁どーすんのよ﹂









﹁レーザーですよ。円錐状に切断するんです。

 万分の一 秒単位で調整して﹂ 百

﹁単純な切断作業ならともかく⋮⋮。めんど くさー﹂

そこからは結構順調に進んだ。コントみた

いなやり取りがしばしばあったり、テテュス そんなに辛抱強くないと考えられるので、恐

﹁今、あなたが掘った穴に反物質砲を撃つつ

ラ︾の中心を指して言った。

塊を作り上げ、保持する分子機械

が余計な所まで切断して︽外   郭 ︾

を発動

この岩

ウートガルド

らくこれは⋮⋮ストレス解消の一環であろう。

おうむ返しのテテュスの声に、広野は︽ミ

﹁それに?﹂

んですよ

いては、まだろくに実験もやってない状態な

私達の  皮膚 につ

﹁やーねー、ちょっとくらい大丈夫よ、私等

しかも真空ですよ、ここは﹂

﹁諸々の電磁波はさて置いて、プラズマです。

﹁⋮⋮何が? ただの反物質砲よ﹂

﹁⋮⋮危ないでしょうが

肩で息をしながら ︵?︶ 、広野は言う。

﹁何よ﹂

﹁ストップ ﹂

テテュスの視線の先に身を投げ出し、止める。

所に掌を向けた。それを見て、広野が慌てて

ど離れた所で反転し、さっき自分が暴れた場

と、テテュスは現場から一〇〇メートルほ

も無い︶ 、面白くなかったのかも知れない。

手が真空中の岩   では、空  洞現象 が起きよう筈

固体

使用したのに思ったほど壊れなかったので︵相

らが開けた穴から飛び出した。超音波兵器を

10

やっていては、 ︽ミラ︾の内側に貫通するまで

岩盤に深い穴が穿たれる。

! !

Â

に多大な時間と労力を必要とする。テテュスは

!!

Á À

!!

?!

16 第 3 章 状況説明

17

るのだ︶ はあったが。

させたり︵切除個所の︽外郭︾は停止させてあ ﹁近親憎悪ってやつかしらねー﹂

﹁ちょ、ちょっと、先生?﹂

と造物主の暴露話を止めた。

﹁⋮⋮分かったわよ﹂

﹁ほら、三十年位前に人工子宮が完成したで

﹁それでどうして、そのカールさんが先生を

らない。

しかし広野は、バールの恐ろしさをまだ知

そっと言った。 しょ?﹂

追ってくるんですか?﹂

テテュスが苦笑しながら言う。

﹁これって⋮⋮、 ︽外郭︾にやらせればよかっ ﹁ああ、結構問題になりましたね﹂

作業が一段落したところで、テテュスがぼ

たんじゃない?﹂

こっち

バールは不機嫌な声で答える。

﹁それと昔にちょっと勘違いした優生学の復

﹃まあ、ある種の病気だな。

ア セ ン ブ リ

﹁組  み立て ならともかく、破壊活動は我々が

興みたいなのがあったでしょう?﹂

置いといて、船   に戻ってこないか?



あとは

下らん話は

やったほうが手っ取り早いんですよ﹂

﹁ええ、何か上流階級での話ですね﹂

テテュスが首を傾げる。

︽外郭︾が整備してくれるのを 時間ほど待つ

だけだからな﹄

天才でね、素数が﹃見える﹄んですって﹂

﹁話は変わるけど、カールおじさんは数学の

﹁先生にはあるみたいですよ。﹃早くしない

﹁﹃見える﹄ ?﹂

﹁⋮⋮急ぐ必要なんて、あったっけ?﹂

と、あいつが来てしまう﹄とか何とか﹂

﹁そう。十桁の素数もスラスラそらんじるっ

整備された入り口



てるらしいよ。生まれつき﹂

と︽輪宝︾の内部に入っていった。

真ん中にある

中央の球体︽ミラ︾の

﹁便利な人なんですねえ﹂

﹁真っ暗ですね﹂

から、バールらは宇宙船ご

﹁で、カールおじさんの父親は、クローン技

﹁まだ発電してないからな﹂

﹁難儀な父親ですねー、実行してしまうとこ

映し出される。

点ける。コンソールに︽ミラ︾内部の映像が

そういってバールは船外の赤外線ライトを

ろが特に﹂

﹁うっわー﹂

テテュスが声をあげる。

バールの、氷点を遥かに下回った声がテテュ

まるで巨大なダイヤモンドの結晶模型のよう

アイオロスがポツリと言う。そう、それは



﹁私の方が五歳年下だ。あいつは人として生

スの言葉を遮る。さすがにこれ以上父親の機

であった。直径二五メートル程の球体から、人

﹁⋮⋮ダイヤモンド﹂

まれ、私は実  験動物 として生まれた⋮⋮それ

嫌を損ねると何をされるか分からないと判断

4

モ ル モ ツ ト

だけだ。以上﹂

が立って通れそうなパイプがそれぞれ

本ず した彼女は、

﹃テテュス﹄

形質が発現するとは限らない。パパには

﹁でも全く同じゲノムを持っていても、同じ

ろうとした訳﹂

術と完成間近の人工子宮でもう一人天才を作

時間後。

﹁あいつ?﹂

て。あと数十万年分のカレンダーが頭に入っ



5

と、バールはさっさと切り上げようとする。

広野が要領を得ない様子で問う。

﹁クローン⋮⋮、双生児ですか?﹂

あからさまに不機嫌だった。

またも突然割って入ってきたバールの声は、

﹃私があいつのクローンだからだ﹄

﹁それは

﹁どうしてですか?﹂

けど、見たらすぐ分かると思う﹂

﹁ああ⋮⋮カール伯  父 さんね。会った事ない

﹁お兄さんだそうです。知ってます?﹂

5

つ飛び出しているように見える。その構造が

﹁すごい⋮⋮





二人は壁から身を剥   がした。そしてバールを

睨む。それを見てバールが言った。

ター内の、透明の壁

みのスリルを求めたのは間違いだったか⋮⋮﹂

どこか電車のような感じのするエレベー

中心に、直径が他の球体の二〇倍くらいある し違う

﹁分かってるなら実行しないでよ ﹂

ロメートル向こうにある円筒の底面は霞んで

野が言う。

と、テテュスが糾弾する。取り繕うように広

に駆け寄ったレアが歓声を上げる。

﹁やはりエレベーターに、ジェットコースター並

球体が浮かんでいる。これが発電所である。

円筒の内面に張りついた、箱庭世界。一〇〇キ

ないように。皆の生命線だからな﹂

見えない。地表の所々を薄い雲が覆っている。

いなかった⋮⋮。

でも

円筒形の重力区は回転により

同程度の設定となった。

地表に降り立ち、上を見上げ

雲に光の線分

かに雲と 地 表 の模様。

でも人間

太陽灯と、その向こうに  幽 

かす

直と反対方向に顔を向ける。見えるのは漂う

もとい、鉛

ルの﹁なんとなく﹂という理由で地球とほぼ

の健康に及ぼす影響は大差無いのだが、バー

速度を得ている。別に

の重力加

バールは、娘達の冷たい視線に気付いても

狙った訳だな﹂

てないから、安全性より時間の節約と歓楽を

掛かる筈だ。まー今回は普通の人間が誰も乗っ

40

バールがそう釘をさす。

大体 分

﹁勿論、普段は安全最優先ですよね?﹂

﹁ああ。速度にして今の 分の

﹁ねー、どれくらいかかるの?﹂

風景に目を奪

テテュスが、眼前に広がる見慣れない シュー ル レ ア リ ス ム

まるで  超現実主義 のような

分くらいだな﹂

われながら問うた。 ﹁

父親がシートベルトで身体を固定しながら 答える。アイオロスも広野もそれに倣う。バー ルがボタンを押して扉を閉め、 人の乗り込 んだ箱が︵バールから見て右方向に︶ 動き出す。 ﹂

1

﹁﹁﹁ ﹁ ふーん﹂﹂ ﹂ ﹂ ︽輪宝︾全体にとって幸いな事に、注意さ れた者達はその事にあまり関心がないようで あった。

一抱えも

ノクトビジョンを装着したバールは、 どこから取り出したのだろう? ある反物質の結晶を収めたカプセルと共に船 くだん

﹁あ、二人とも

2 1 G G

の外︵既に︽輪宝︾内部は呼吸可能の空気で

まだ無重力に慣

充たされている︶に出、  件 の一際大きな球体 に触れた。少し苦労して

﹁なーに?﹂

巧妙に隠された扉を押し

バールがそう言い終わらぬ内に、二人の娘

れていないのだ

構造は把握している。セキュリティも沈黙し

たちは慣性の法則に従い結構な勢いで壁に叩

﹁危ないぞ﹂

たままなので、立ち止まることなく中央部に

き付けられた。

開け、中に入る。ほぼ完全な暗闇だが、内部

到着した。カプセルを設置し、発電所に火を

﹁きゃっ﹂ ﹂

入れる。

﹁ぅわっ

二人とも機械人形だったから良かったもの

の入り口に差

し掛かった。ここには一五〇人乗りの巨大な

の、人間であれば骨の一本や二本折れてもお

加速の はすぐ感じられなくなり、被害者

4

0.5 G

4

エレベーターが存在するが、それでも宇宙船

船は︽ミラ︾を通り抜け、

!

ガラスとは質感が少

﹁ 人とも、あの大きな球体は侵蝕したりし

この空間を充たしている。そしてこの空間の

! かしくない衝撃だったろう。

C 1

てここから先は船を降りる事になる。

、 、

10

4

ごと乗り込めるようには出来てはいない。よっ

! G

18 第 3 章 状況説明

19

第 章 造反する太陽

﹁セ氏四十五度はあるわね﹂

ロス﹂

﹁出来るだけ分厚い雲で光を遮ってくれ、無

﹁何?﹂

﹁暑い⋮⋮﹂

レアは、何故かいつも涼しげである。

﹁うう∼∼∼∼﹂

駄かもしれないがね。レアと広野君は⋮⋮あ

﹁暑い⋮⋮﹂ 脳内麻薬みたいな が異常なほど強力に出来てしまっ

﹁感覚を抑制する機構 もんだ

こころ

てな⋮⋮。後で適当な抑制に修正する事が出 来たんだが、レアの場合はその機構が精  神 と

﹁計算にそれ位かかることもある﹂

﹁一週間は長過ぎない?﹂

るのだ﹂

週間経っても帰ってこなかったら、救助に来

﹁私は︽ミラ︾を調整してくる。もし私が一

﹁先生はどうするんですか?﹂

てくれ﹂

らゆる事態に対応出来るように待機しておい

﹁アイオロス、どうにかならないか?﹂ ﹁う∼∼∼∼⋮⋮﹂ ﹁出来るだけ光量を抑えてるんだけど、駄目 だよ。これはもしかすると⋮⋮﹂ ﹁ううー∼∼∼∼﹂ ﹁ああ、どうやら︽ミラ︾の調子が悪いらし いな﹂ バールが怪訝そうに言う。

深い関わりがあって、改良しようとすると精

それで元のままって訳だ。お前らは既にヴァー

もせずに表に出ていく。

神に多大な影響を与えてしまうかもしれない。

夏は向日葵と蝉時雨、秋は虫の音と紅葉、冬

ジョンアップ済み。嫌なら改悪してやっても

﹁それではよろしく頼んだぞ﹂

にも四季はある。春には辛夷に桜、

は雪と牡丹⋮⋮。今は中秋で、もう寒いくら

いいぞ﹂

レアの質問にバールは簡潔に答え、身支度

いの温度の筈なのに⋮⋮。

﹁行ってらっしゃい。くれぐれも気を付けてね﹂

見送るレアのエプロン姿が、妙に板に付い

﹁遠慮しときます﹂ ﹁暑い⋮⋮﹂

﹁取り敢えず⋮⋮だ、テテュス﹂

﹁なるべく早くお願いしますよ﹂

すっかり疲弊しきった様子で声を掛ける。

ている。テテュスも玄関に出てきた。広野は

けなら、まだいい。広野などは頭から煙を上

﹁あつ⋮⋮はい?﹂

﹁分かった。あ、テテュス、知らないおじさ

広野が即答した。バールが話題転換する。

げている。

﹁全住民に不  死化 処理を。それと⋮⋮アイオ

イモータライズ

﹁暑い⋮⋮﹂

としている。美少女が台無しである。それだ

テテュスは溶けたアイスのようにぐったり

﹁う∼∼∼∼⋮⋮暑い﹂

ここ

アイオロスが恨めしそうにバールに尋ねる。

﹁親父⋮⋮、何で姉貴だけ平気なんだ?﹂

めき声をあげている。

テテュスがテーブルに突っ伏して延々とう

4

C 1

20 第 4 章 造反する太陽

んに付いて行っちゃ駄目だぞ﹂

に隔絶されており、直接操作する他ないから

となじるのはボブ氏。少し疲労の色が消えた

﹁涼しい顔して何言ってんだ﹂

高温多湿だ。 この球体の内部には大小無数の球体 バールは︽SAPARIS︾と呼んでいる

﹁しかし、あんまり止めといた方がいいぞ、こ

ういう薬は。身体に悪い﹂

﹁だからお前が言うなって﹂

バールと憎まれ口を叩き合うこのボブ

本名はロバートだろう

氏は、バールの学

その中の一際大きな球体が、発電所である。

で、だ。ディックは?﹂

そうバールは尋ねた。ボブとディックは共



事はなかったらしい。

り馬が合わないのだが、このトリオはそんな

などと呼ばれていた。普通、学者同士はあま

ディックなる人物と併   せて、 ﹃行動学の三人男﹄

あわ

者友達である。地球にいた頃は、もう一人の

ニグロ

同研究の最中だった筈である。

がいた。

イドだと思われる

﹁そう、それがな。ディックの奴、俺が何と



かしてきてやるとか何とか言って⋮⋮﹂

パワーステーション

﹁発  電所  に行ったのか

頷く。

バールは本気で驚愕した。ボブが弱々しく と尋ねるバールの声は、やっぱり心配してい

﹁ああ﹂

グ初心者以前なのに⋮⋮﹂

氏は、トラブルメーカーらしい。

二人は揃って遠い目をした。 噂のディック

﹁直情径行型だからなー﹂

﹁不死化処理されてても、暑いものは暑いな。

そう言うバールの手にある注射器の針は、

のが、バールの持論である。情報を伝えたけ

数百キロメートルの距離もゼロに出来る。と

ボブ氏の腕に刺さっており、何だか怪しげな

﹁俺もそう言って止めたんだがなー﹂

ころでバールがこうやって︽ミラ︾の発電所

液体を注入している。

お互いに﹂

に向かっているのは、その個所だけは物理的

れば、各家庭に繋がれたネットを使えばよい。

﹁あいつ⋮⋮。機械音痴な上にプログラミン

るようには聞こえなかった⋮⋮。

﹁大丈夫か?﹂

れ⋮⋮否、漂った。

そ う 言 う と、 ボ ブ は 身 体 の 力 を 抜 い て 倒

﹁も⋮⋮もっと早く来てくれよ⋮⋮な⋮⋮﹂

は汗だくで憔悴しきった感じの男

ややあって、半円形のドアが開く。そこに

ホンに呼び掛ける。

あんまり心配してなさそうな声で、インター

﹁おーい、ボブ。無事かあー?﹂

バールは手近な球体の一つに向かった。

﹁取り敢えず⋮⋮﹂

が浮かび、それぞれがパイプで繋がっている。

ようだ。

である。

と変わらな

︽ミラ︾に到着。ここも電球の光度が高く、

﹁何言ってんのよ⋮⋮﹂

それは、自我を持ちつつあった。誰にも知

の回転軸付近まで上昇

られる事無く。誰も予想だにしなかったから ⋮⋮。

エレベーターで

く、だだっ広い空間。温度は

いである。﹁時間なんか腐るほどあるんだか

巡らされた路面電車と先程のエレベータくら

物はさほど多くない。円筒の中に適当に張り

実は︽輪宝︾の中には﹁乗り物﹂と呼べる

ほど大した距離ではない。

ら︽ミラ︾までは、おそよ五キロメートル。さ

りを掴み、少し力をこめて前進する。ここか

い。ここはもう無重力域だ。近くの壁の手す

C 1

の出口でエレベーターを降りる。 薄暗

バールの声は、そんなに暑そうではなかった。

﹁こんなに空気の薄い所まで⋮⋮﹂

する。この箱の中の温度も、体温より高い。

C 1

ら、そんなに急ぐ必要はないだろう﹂という

!?

C 1

21

さえながら言った。 ばせる程の反物質が結晶状態で貯蔵されてい

の中に、地球クラスの惑星ならば軽く消し飛

この中の更に化け物サイズのイオントラップ

﹁取り敢えず、行ってみるわ﹂ る。バールが太陽に巻きつくように建造され

バールは視線を取り戻すと、こめかみを押

﹁⋮⋮お前も元気だなー﹂ たリングから密かに持ち出したものだ。

﹁ど ん な 物 も、 そ の 正 体 を 知 れ ば 怖 く な く

呆れたような声に、バールが無愛想に答え る。 なる⋮⋮﹂

隠された認証シス

バ ー ル は 少々意 味 不 明 な 事 を 呟 き な が ら、

﹁暑さに鈍感なだけだ。⋮⋮安静にしとけよ、 あんまり普通に暮らせるような身体じゃない



通の人間ならショック死している所だ。

電流を注がれ、全身が痙攣したのだから。普

バールの上げた声は適当ではなかった。大

に掌を押し当てた。

︽ミラ︾の入り口の傍ら テムが存在する

んだから﹂ ﹁余計なお世話だ﹂ その時。

テュス

﹁ん?﹂

﹁そりゃ良かった﹂ 唇を歪めて笑いながらそう言うと、バール は球体の外に通じる扉を開けた。



SAPARIS ︽ミラ︾の中の全ての球  体  を巡回している

イモータライズ

暇は無い。それに︽  ミラ ︾の人間の殆どは分 子機械で  不死化 している。問題なのは、重力 も

区の人々だ。テテュスの一時的な不死化処理 がいつまで保   つか⋮⋮。 バールは軽く溜め息を一つすると、発電所 テ

に向けて跳躍した。

バール

﹁あ  いつ の飽きっぽい所は、誰に似たんだか ⋮⋮﹂ テテュスの人命軽視は、  父親 から遺伝した 模様である⋮⋮。

パイプ

発電所に着地する。大小多数の管   に絡みつ かれた、 直径およそ五〇〇メートルの球体。

23

第 章 母神狂乱

実にかくのごとく、汝は山々の重圧を担う、

した。

ている気がする。壁も床も天井もひび割れだ

プリテイヴイー

 地の女神 よ、直路に富む 女[神 よ 大 ] 、その

﹁これは⋮⋮まずいかも﹂

地面にめり込んだ手足から、淡い白煙が上

がり始める。そして唐突に、激痛が走る。

といって

な目に遭っている模様。どうやらレアは、地

に出てきた近所の住人達がまたもや同じよう

同時に、鋭い悲鳴。バールと同じように外

も、もう家は全壊寸前で外と大差ないのだが

らしい。凄まじい恐怖を含んだ激痛に、バー

面に取り込んだあらゆる物質を分解している

端。

ルが思わず声を出す。

﹁あだだだだだ⋮⋮ ﹂

﹁うおっ ﹂

こ こ

になってしまっていて、底無し沼のど真ん中

﹁お家が壊れるよ∼

﹁何が起こったんだ?﹂

何だか流動的

に駆け出す。しかし足が地面に触れた途

そう言って、バールは家の外

威力により、威力ある 女[神 よ ] 、大地を活 気あらしむる汝は。 リグ・ヴェーダ ︵五 八 ・四 一 ・︶

レアが悲鳴を上げる。場所は台所だ。たま たま通り掛かったバールは、少し気になって 声を掛ける。

  の地殻が

に立ち尽くしてしまったかの様に身体が沈ん

地面が

でいくのだ。絶望的である。バールは、口と

﹁どうした?﹂

出しながら、小刻みに震えていた。

!

﹁まさか⋮⋮﹂

スが粉々に砕け散る。

突く。苦笑と共に声が出る。

る。バールはバランスを崩してその場に手を

一際大きな音がして、すぐ傍の地面が割れ

量ではない。どうやら、亀裂は外まで達して

裂け目に吸い込まれていく。それも、尋常な

不気味なうなり声を上げて、突風が地面の

している。

ている。アイオロスだけは何故か小鳥の姿を

広野が駆け付けてくる。三人とも空中に浮い

異常事態を察して、アイオロスとテテュス、

﹁先生、大丈夫ですか?﹂

もしかしてパパの陰

﹁あ、あ、あ⋮⋮﹂

手を動かす事しか出来なくなった。無論この



と、いきなり奇妙な轟音と共にレアの周囲の

状態で、する事は一つ。効果は余り期待出来

くんだ ﹂



床が陥没した。微弱な地鳴りが始まる。

ないが。

C 1

何があったか知らないが、落ち着

突然巻き起こった災害に、バールは絶句し

﹁レア

た。レアはまだ悲鳴を上げている。次第に強

?!

レアはとぎれとぎれに意味を成さない声を

?!

いるらしい。バールが呷く。

! ﹁やっぱり無理か。⋮⋮アレ?﹂

心成しか、レアの﹃手﹄が大きく長くなっ

くなる震動に、家屋も悲鳴を上げる。窓ガラ

!

!

﹁なっ⋮⋮ ﹂

!

5

24 第 5 章 母神狂乱

﹁これは⋮⋮﹂

全体がきし

これはかなり危険だ。バール達だけでなく、 の全住人の命が心配だ。

み、崩壊しかけている。

傍らの巨大腕を金  剛石 ワイヤーソー

ダイヤモンド

その言葉を聞いて、テテュスは非難がましく 叫ぶ で解体しながら。 ﹁やっぱりパパだったのね ﹂

元々嵐の中に居るようなものなので気になら

なかった。

広野はアクセラレーターを発動させて、一

〇〇メートル程離れた所で叫び続けるレアに

一息に跳んで近付こうとした。が、何本もの

巨大な手が行く手を阻む。

バールは憮然と言い返す。 ﹁やっぱりとは何だ﹂

の亀裂と歪み

を修復するんだ﹂

﹁せめて芸術的と言ってくれ﹂ そこにバールの肩にとまったアイオロスが 口を挟む。 ﹁と言うよりも、世紀末的だよな﹂ バールはそれをきっぱりと無視して、突然 思い出したかのようにレアのいる方向を指差

レアを取り押さえる

﹁そんな事言ってる間に、全住民の命があ∼ ∼∼﹂ ﹁⋮⋮まあいいですけど。無傷で、ですか?



き消えて見えた。 同時に突風が発生したが、

その言葉と共に、バールには広野の姿がか

﹁了解﹂

ように﹂

﹁⋮⋮やむを得ない。頭  脳 だけは攻撃しない



広野の言葉に、バールは少し黙考する。

然地面から灰色の巨大な腕が何本も生えてき



殆ど大部分の人の頭に、同じ疑問が浮かぶ。 ﹃何だアレは

妙に落ち着いた声で言う。 ﹁暴 徒 鎮 圧 用 に 密 か に 設 計 し て お い た ん だ が⋮⋮。こんなふうに活用されるとは﹂

メートル先も見えなくなった。全てのセ



アクセラレーターを止める。レアがゆっく

ら突き出しているダイヤモンドの剣だった。

いる。彼女の胴をえぐったのは、広野の肘か

彼女は、そのウエストが半分程切断されて

﹁ごめんよ﹂

動きが止まる。広野が沈痛な声を出す。

り上げた。そのまま広野に振り下ろす⋮⋮が、

彼女が、万物を分解してしまう﹃手﹄を振

広野はレアに背後を取られた。

ぐ近くだった。

ンサーを開放して彼女の位置を探ると



破壊音が轟き、粉塵が吹き荒れる。おかげ

性能の振動子になっているのだ。

うに崩れてゆく。広野とテテュスの手は、高

広野が手を触れると、特大の腕が面白いよ

効である。そして。

る。電  撃 は生体だけでなく、分子機械にも有

ヴァジュラ

兵器を発動させる。掌が発光し、放電し始め

舌打ちと共に、広野の手に仕込まれてある

﹁ち⋮⋮﹂

パしかいないでしょ ﹂

﹁こんな不気味で非常識なこと考えるのは、パ

ない﹂ テテュスが驚いたように尋ねると、バール は真剣な顔をして答えた。

全体に散らばっ

﹁外からじゃ補修し難い。可及的速やかに解 決せねばならん﹂ ﹁⋮⋮わかった﹂ テテュスはそう言って、

彼女を

しながら叫ぶ。



た自分専用の  分子機械 ︽麻  薬常習者 ︾に指令

クラツクヘツド

! ﹁かなり強引に話を切り替えましたね﹂

んだ

﹁広野君

ニーベルング

材の加工に使えない事は無い。

! それは難しいですよ﹂

崩壊の足音が大きくなっていく。

! た。指の太さが、妙齢の女性の腰くらいある。

と、突

や気体を扱う彼らの分子機械であるが、構造

︽霧  の子 ︾を修復作業に駆り出す。本来は液体

を送る。アイオロスもそれに倣って、自分の

ア セ ン ブ ラ

C 1

その﹁殆ど大部分﹂でない一人、バールが

?!

2

ウートガルド

?!

﹁二人がかりで? 外には︽外  郭  ︾がいるじゃ

﹁アイオロス、テテュス。

C 1 C 1

C 1

25

に向け、放電する。彼女らの動きが鈍くなっ

しかしそこは不思議な空間であった。

の殆ど全ての地域は地震と暴風に見舞われて

溶けるよう た所でそのうちの一人を破砕、更にもう一人

いるというのに、そこだけは揺れず、微風す

りと倒れる。そしてそのまま に地面に沈んでいく。 をワイヤーで細切れにし、レア個体群の輪を

あなたが造物

﹁うそ⋮⋮﹂ 輪は十重二十重と出来上がっていた。

レア達を蹴散らしてその輪を抜ける頃には、 広野の片腕と片腹は消え去っていた。 あまりの痛みに膝から崩れ落ちようとする が、何とか踏みとどまる。 それにしても⋮⋮と広野は思った。

﹁ありがたい﹂

広野は皮肉交じりにそう言うと、二〇メー

トル前方のレアに向かい、跳躍した。当然、ま



たもや巨大な腕が何本も襲ってくる。 ﹁邪魔だ

痛みで、広野は凶暴になっていた。いきな

り反物質砲︵実体はプラズマジェット︶で大

部分を消滅させる。勿論、レアには当たらな

反物質砲の電磁波のせいで、センサーは利

いようにはしたが。

かない。あたりは濃い煙と熱い空気で覆われ

ていて、 メートル先も見えない。だから広

なかった。もし最大速度で仕掛けられていた

触れてみて分かったことだ 恐れていた。何かを。

配を探る。

広野は思考を中断する。そして全方位に気

⋮⋮まあ、いい。こちらには都合が良い。



そして彼女は

ら、広野はとうに全身を消されていただろう。

レアの﹃手﹄の分解速度は、そんなに速く

ダメージを受けているようだ。

﹁あれ?﹂



いようだ。それは⋮⋮。 ﹁え?﹂ 多数のレアが一斉に襲い掛かってきたから だ。 ﹁あーもお ﹂

野は、着地する位置を自分の計算に頼るしか





ない。そして非線形計算というものには誤差

とケアレスミスがつきもので

広野は、レアのすぐ近くに着地した

たが、まだ硬直したままだった。何故それが

本物のレアは脚が伸びて床を突き破ってい

のその床は、力を逃がし切れず

を外した。不器用な力を受け取った崩壊寸前

度を少し勘違いしていたらしく、タイミング

にか黒くて小さいものを踏みつけて。だが高

一体のレアが広野の肩をつかむ。とたんに

本物だと言えるのかというと、電磁波である。

ズボッ。

再びアクセラレーターを発動させるが、タ

痛みが走る。人間で言えば、強塩基をかけら

彼女にも一応人間のような︵材質は有機物で

間抜けな音とともに、広野は床に腰まで埋

﹁本体は⋮⋮﹂

れたようなものだろう。取り敢えず、攻撃し

はないが︶骨格があり、それが特異的な波形



てきた個体を超音波兵器で粉砕する。そして、

の電磁波を発しているのだ。

まってしまった。 さらにつかみ掛かろうとしている美少女たち

イミングが遅すぎた。

が。

らもふいていない。ただ、建物自身は相当の

C 1

抜けようとする。

何かがおかしい⋮⋮。広野は、今は何も残っ ていない地面を見詰めた。バールが、身体に 似合わない大音声を上げて注意を喚起する。 ﹁広野君 ﹂

主でしょう

﹁感心してる場合ですかっ

﹁成程、こんなことも出来るのか﹂

バールが呟きながらメモを取る。

﹁げ﹂

顔を歪ませてうめき声を出す。

ていた。あまりの不気味さに、広野が思わず

いつの間にか、広野はレアの集団に囲まれ

! いつまでも漫才をしているわけにもいかな

!

!!

1

! !

26 第 5 章 母神狂乱

﹁しまった



絶望的な気持ちで、眼前

もしかしたらこの衝撃でレアの攻撃行動が 解発されるかも のレアを見やる。レアは。 こちらを、いや、こちらに顔を向けて、鼻



先の空間を凝視している。レアの体がゆっく りと傾き ﹁あれ?﹂

﹁う⋮⋮﹂

﹁だから、アレって何よ﹂

﹁トラウマか⋮⋮?﹂

傷を舐め合っているような感じさえする。

﹁ほ ら、 意 外 に も シ ロ ア リ と 近 縁 だって い

﹁ ア レって、黒くて脂ぎってて暗い所が好き

を戻そうと、バールに尋ねる。

アイオロスがボソッと言った。広野が話題

う⋮⋮﹂

で、カサカサ動くアレですか?﹂

レアは、いつも以上に歯切れが悪い。

などとよく分からない説明をする。 それを聞いて、バールが何か納得したよう だ。妙に悟った様子で、レアに言う。 ﹁そうか、アレなら仕方ないな⋮⋮﹂ レアがそれに元気付けられたみたいで、少 し舌が回るようになってきた。

いた。巨大な腕は、もう動かない。そよ風が通

﹁そうだな。私もアレを見ると、金縛りになっ

けで、気分が悪くなるのよ﹂

﹁⋮⋮そうだ﹂

テテュスがやっと分かったようで、口をは さむ。

﹁ああ、それってゴキぶっ⋮⋮ ﹂

仏や頸部神経叢などないが、レアの迫力には

背筋が凍った。テテュスには急所となる喉

り、口を塞いで首を絞めていた。

いつの間にか、レアがテテュスの背後に回

!!

広野が間の抜けた声を出す。 そのまま静かに倒れたレアは、砂のように 崩れることはなかった。

り抜けていく。バールとアイオロス、テテュ

てしまうんだ﹂

﹁そうなのよ。アレの名前を思い浮かべただ

スは既に住民の手当てを行っている。広野は

﹁どうしてあんなモノが存在するのかしら﹂

という素っ気無いものだった。

﹁むむむ⋮⋮﹂

するテテュスの返事は、

レアが涙ながらに︵笑︶訴える。それに対

﹁お願い、その単語だけは口にしないで⋮⋮﹂

首ごと も が れそうな気配すら存在していた。

、 、 、

いつの間にか、暴風も地鳴りもなくなって

一言、呟いた。

と、何だか論点がずれてきた所に、アイオロ

たサスライアリでもけしかけるか﹂

ミュータンス

﹁⋮⋮一体、何だったんだ⋮⋮?﹂

﹁虫  歯  菌と共に殲滅すべきだな。腹を空かせ

ガンマ

いくら人

爽やかな風は、何も答えてはくれなかった。 尚、反物質砲の   線のせいで

スが声を掛けた。

数十人が重篤

口密度が小さいといっても

﹁あのおー⋮⋮﹂ 疲れたような声に、レアとバールの会話が 中断される。二人は少し不機嫌な様子で声の

﹁何だ﹂

主の方に向き直る。

女は、少しばつが悪そうに答える。

目付きが悪くなっていたりする。互いの心の

二人を、異様な雰囲気が包んでいる。少し

﹁何よ﹂

今度はテテュスが焦れったそうに問う。

その答えに、全員が全員とも首をかしげた。

﹁それが⋮⋮どうも、アレらしいのよ﹂

全員を代表して、広野が尋ねる、レアに。彼

﹁⋮⋮で、原因は何だったんですか?﹂

に陥ったのは、言うまでもない。

γ

、 、

!!

27

28 第 5 章 母神狂乱

間奏 ﹁夢﹂

男と、女の声。光の中の、黒い影。画像も音声も不鮮明だ。 ﹁ねえ⋮⋮私達は、色々な事を⋮⋮てしまったわ。いつの時代も、⋮⋮が絶えることは無い⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮だな。でも、その⋮⋮った事から、⋮⋮せるかもしれない﹂ 二人とも、私はとてもよく知っている⋮⋮。誰だろう? ﹁一⋮⋮いえ、ゼロから⋮⋮てみる?﹂ ﹁⋮⋮だな。貴重な⋮⋮を、無かった事には出来ない。知性の⋮⋮い宇宙、これほど⋮⋮があるかね﹂ これは、夢⋮⋮? ﹁また、⋮⋮が出てきたわね﹂ ﹁ああ、数百年前から、およそ⋮⋮勃発するらしいな﹂ 静かな話し合い。それだけが淡々と続く。 ﹁⋮⋮あなた、何歳だったっけ?﹂ ﹁まだ二十代だ﹂ ﹁⋮⋮それで、具体的には何を?﹂ ﹁少人数で、⋮⋮脱出する。自分達だけの力で、自分達の⋮⋮出来るか、やってみたい﹂ そして、画面が砂嵐になり、少し雑音が入って⋮⋮。

淡い光が差し込む、白い空間。 ﹁ねえ⋮⋮して﹂ よく聞き取れないが、女性の声。続いて何か、陶器が割れる音。 ﹁やれやれ、⋮⋮看護婦に怒られるな﹂

29

少し強張った、男性の声。 ﹁バール﹂ たしなめるような、女性の声。 ﹁⋮⋮しかし、⋮⋮はそんなに⋮⋮﹂ ﹁もう⋮⋮、と言うよりも、⋮⋮が無かったんでしょう?﹂ ﹁む⋮⋮﹂ 女の発言に、男が凍ったようになる。 また、砂嵐と、雑音。

見つめ合う男女。傍らにもう一人、男がいる。 カップルの男が我に返り、止まっていた時間が、動き出す。 ﹁⋮⋮はじめまして、バール⋮⋮バール ヴ =ァルトシュタインです。兄がいつもお世話になってます﹂ 女の方も意識が戻る。 ﹁はじめまして、私はレアと言います。こちらこそいつもお兄さんに助けられて⋮⋮。カール﹂ と、横の男に顔を向ける。 ﹁何だ?﹂ ﹁双子の弟さんがいるなんて聞いてなかったわよ﹂

﹁そうか、そう言えば話してなかったか。こいつはな、生物専攻のくせに機械工学が得意で、時々俺の研究を手伝ってくれるんだ﹂ ﹁へえ⋮⋮﹂ ﹁バール、このレア女史はな、一応俺の上司という事になっている、某一流大学を主席で卒業した才媛だ﹂ ﹁へえ⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮と、ここで立ち話もなんだから、場所を移そう﹂ 暗転。

光の乏しい光景に、声だけが響く。 ﹁⋮⋮起こしちゃった?﹂ ﹁む⋮⋮﹂ 男がむっくりと起き上がり、頭を振る。

30 第 5 章 母神狂乱

﹁眠ってしまったか﹂ ﹁根をつめ過ぎよ﹂ ﹁⋮⋮もう少しで完成出来そうなんだ。残る問題は、あと二つ﹂ ﹁研究もいいけど、自分の健康にも気を付けてよ﹂ ﹁幼少からこんな生活を続けてるが、風邪くらいしかなったことが無いぞ﹂ ﹁はいはい﹂ 雑音と砂嵐。 そして元々はっきりしない映像が、更に光の中に薄れてきて⋮⋮。

目が覚めた。

31

第 章 ペット

寒さもようやく和らいできたある日の午後。

り敢えずその物体が何なのか確かめる事にし

こにあったモノは⋮⋮。

た。恐る恐る、箱の中を覗き込んでみる。そ

ものを持ちだしてきた。 ﹁何、コレ?﹂

てレアは。

アイオロスが疑問符を浮かべて問う。そし

﹁ふふふふふふふふ⋮⋮﹂

﹁か⋮⋮﹂



﹁どうしたの? テテュス﹂

夢の世界から呼び戻された。

﹁⋮⋮こういう反応をするとは思わなかった

だ。しかし残りの者は。

お兄ちゃん

何だか凄いよ、コ

バールはまだ笑い続けている。 ﹁⋮⋮﹂ レアとアイオロスは嫌な予感がしたが、取

耳も大きい。前肢は小さく、後肢はよく発達

それは白い毛皮を持っている。尻尾は長く、

動物ではある。

それは確かに哺乳類に見えた。少なくとも

何やら困惑していた。

﹁ ﹃かわいい﹄⋮⋮ねぇ⋮⋮﹂

⋮⋮﹂

姉ちゃん レ ﹂

!

口々にそう言って、バールの元に集まる。 ﹁お

﹁何だよ、一体⋮⋮﹂

どうやらテテュスも同じ感想を持ったよう

﹁でしょでしょ?﹂

﹁かわいいっ

しばらく固まった後、言い放った。

と、バールは薄気味悪い笑い声を上げて、そ の物体を包んでいた布を剥いだ。 ﹁こ、これは ﹂

テテュスの驚愕に満ちた声を聞いて、レア

!?

が読んでいた本から目を上げ、アイオロスは

!!

早速テテュスが尋ねる。すると。

﹁なーに、それ?﹂

バールが何やら風呂敷に包んだ箱のような

6

!

﹁ふふふふふふふふ⋮⋮﹂

!!

している。

そのあたりまでは、まだいい。だが二つ程、

不可解な特徴があった。

背中に、コウモリのような黒い翼。額に、大

きな、宝石のように赤い水晶体。

﹁何ですか、これは?﹂

後からやってきた広野が問う。

バールは少し首をかしげて停止。そして暫

くして答えた。

﹁⋮⋮たぶん夜行性で、しかも砂漠に適応し

そうな動物⋮⋮﹂

いじ

﹁そーじゃなくて、どうやって創ったんです

か、これ?﹂

﹁えーっとな、マウスの構造遺伝子を弄   って、

コウモリとキツネの遺伝子とシャッフルして、

放射線を当てまくったら、こうなった﹂

﹁随分テキトーな遺伝子操作ですね⋮⋮﹂









﹁科学ってのは、結構いい加減なところもあ よ

るんだよ﹂

﹁他  所 の科  学者 が聞いたら怒りますよ﹂

いるペットの姿だった。

ネジと釘の山が載った皿に頭を突っ込んで

﹁まだ一匹しかいないんですか?﹂

﹁わー ﹂

﹁取り敢えず、 ﹃ハルシス﹄と名付けた﹂

﹁ああ。⋮⋮交尾しても、繁殖は難しいだろ

﹁そう⋮⋮﹂

アイオロスはやる気なさげに相槌を打った。

﹁あくまで補助エネルギー源だけどな。因み



をその構造に取り入れた酵素

バッキ ー ボ ー ル

も内蔵だ﹂

に、

険物の塊から引き離した。余程驚いたのか、肩

﹁⋮⋮共生菌を仕込んだ方が良かったんじゃ

アイオロスは喚くと、大急ぎでペットを危

で息をしている。

⋮⋮﹂

うからな﹂

﹁これだから子供は⋮⋮﹂

⋮⋮と言う事で︵?︶ 、レアとテテュスが面

て何なんだろう﹄などと自問していた。

適当に答えながら、アイオロスは﹃常識っ

倒を見る事に決定した。

﹁ちっがーう ﹂

ている。新しい玩  具 を手に入れた子供のよう

を次々に並べた。テテュスは興味津々に眺め

と、普通の人間だったら慙愧に駆られそうな

﹁⋮⋮違うの?﹂

むアイオロスだった。

ハルシスの大繁殖を夢見ているようだ。父親

少し眉根を寄せてレアが尋ねる。どうやら

﹁こっちの方が難しくて面白そうだったからな﹂

である。この娘にしてみれば、どちらも同じ

悲しげな顔で問うレアだったが、アイオロス

は娘の問いに真摯に答える。

事。それと万一繁殖できても、今度は



と同じだよ、多分﹂

体の生態系にどんな影響を与えるか分からな

ハルシスの口をこじ開けてみた。そしてそこ

姉に言われて弟は、生まれたてで力の弱い

﹁え?﹂

﹁じゃあ、その口の中にあるのは?﹂

﹁ところで、どうして一匹しかいないの?﹂

バールは事も無げに言う。

なのかもしれないが。

には通じないようだ。

﹁⋮⋮かなり無茶な遺伝子操作をしたんで、有

アイオロスが何やら陰気な声を掛ける。 ﹁何?﹂ レアが幸せそうな顔で振り返る。 ﹁いくら何でも、ネジとか陶器とかは食べな いだろ﹂ ﹁⋮⋮そうなの?﹂

に半ば溶解した鉄屑を見た彼は、しばらく固 まったままだった。

﹁鉄細菌の遺伝子も組み込んでみたんだ﹂

突如、出荷間近の路面電車 台がひしゃげ、

だけで終わらせるつもりだ﹂

い事。⋮⋮だから神話の怪物みたいに、一代

C 1

お も ちゃ

﹁⋮⋮おい﹂

﹁隣町のキュビエさんが言ってたろ、ウチの

害な遺伝子変異が含まれている可能性が高い

嬉しそうに記録するレアに、思わず突っ込

! 犬は錆の臭いにやたらと反応するって。それ

の珍獣の前に、それの食物になりそうなもの

幸せそうな空気をまといながら、レアはこ

﹁金属が好物⋮⋮と﹂

C 70

﹁まず、何を食べるか調べないとね﹂

C 60

! バールから帰ってきたのは、そんな答えだっ た。

と落ちて来る。

と言

乗り物である。車体は専用の

路面電車は、

うか唯一の

において主要な

もうと煙が上がり、飛散した部品がバラバラ

爆発した。夜空が一瞬だけ白く染まる。もう

3

﹁特殊な細菌じゃあるまいし﹂ アイオロスは肩をすくめてその場を去ろう としたが。 ﹁あ、でもほら﹂ ﹁?﹂ 無邪気な姉の声に振り返る。その目に映っ たのは。

C 1

32 第 6 章 ペット

33

ア セ ン ブ ラ

が呟いた。その彼女に向かって、



ドックにて専用の分  子機械 で造られる。ほぼ 完全に自動化されていた。 ﹁⋮⋮派手にやったわね﹂



何時の間にか現場に現れた機械少女 テュス ﹁

少し苛ついていた。確かに防戦一方という のは、テテュスの趣味ではない。 電磁障壁で受け止めて脚から地殻に力を逃 がし、何とか全弾を無力化する。一塊にして

鋭い光を放っていた。本当に痛いわけではな

気楽な口調だが、つり目気味の紅い双眸が

属塊がこちらめがけて落ちて来たからだ。

路面電車の前方・後方部、合わせて六つの金

最初の爆発で上空に飛ばされたのだろう、

ね上げられた。方向とタイミングが判明して

い。それでも弾丸の運動量までは殺せず、跳

な方向転換はままならないらしく、巨大な弾

亜音速でその場所から離脱した。流石に急激

叫びながら、テテュスは  加速装置 を発動し

プ ロ ツ タ

い。咄嗟に磁界制御装置﹃陰  謀家 ﹄で電磁障壁



いれば、上方に逸らす事も出来たのだが。不

みに 弾 丸の正体は

機械で即席のレールガンを形成したのだろう。

路面電車の金属部品だった。散布した分子

たようだ。

からだ。頼りない勘だが、今回は外れなかっ

に突進する。そこに彼がいるような気がした

は避けた勢いのまま最初の爆発があった場所

彼にとっては雑作もないことだ。もっとも、一

﹁ビンゴッ ﹂



彼もそんな事は分かっている筈。と言うこと は ﹁ん﹂

﹁性に合わないわね、こういうの﹂

第二波が来た。三桁の弾丸が、 全 方 向 か ら。

、 、 、 、 、

エアロゾルを核にしたプラズ が飛んで来た。テテュスは退くどこ

超えて固体化した空気を引き裂く。衝撃波に

ろか右腕を突き出し、更に加速した。音速を

マ球

個の火の玉

弾丸が尽きたのだろう、進行方向から数十

!

段式のレールガン程度でテテュスは倒せない。

﹁これか﹂

耳障りかつ盛大な激突音を背に、テテュス

丸はそのまま直線的に地面に衝突する。

!

意打ちを防ぐためにセンサを全開にする。因

アクセラレータ

﹁資源の無駄遣いしてんじゃないわよ

﹁え?﹂

しかしながら、その考えは甘かった。

が要るからだ。

ないだろう。動かすだけで大量のエネルギー

足下に置く。こうすれば簡単には 再 利 用出来

、 、 、

を展開したので、そもそも直撃すらしていな

﹁痛   いなあ、もう⋮⋮﹂

いった

された。危なげなく宙返りして着地する。

鋭くも重い音がして、テテュスが吹きとば

! 、 、

わ たぼこり





おど

さしつか

叩かれて火の玉は四散。  虚 仮   威   しだ。火の点

いた綿     埃 が飛んでいると考えて差  支 えない。

35

彼の目の前に黒い円盤

直径

メートル

が現れた。その物体は、彼を追尾し

があんなに憎しみで一杯だったのに︾

男は、その科白に動揺したが、努めて冷静

に言った。

は﹂

行型ロボット

やや細身で身長 メートル

瓦礫を更に砕きながら、三体の直立二足歩

﹁何?﹂

その言葉が現実化したかのように。

︽あるわよ。敵さん、そんなに甘くないみたい︾

いくら何でも、ここまでやる必要

ていた数本のミサイルを飲み込み、消えた。彼

今度は、彼の見ていた景色が、横に七つに 裂けた。錯覚ではない。彼の周囲の殆どの建 造物が切断され、崩れ始めた。さらに、追い 討ちを掛けるように。

いのか?

﹁⋮⋮あんたは、ただ破壊したいだけじゃな

﹁ ﹃虹の断裂﹄ ﹂

︽ ﹃虹の断裂﹄ ︾

女︵?︶は引き続いて怪しげな単語を並べる。

位か

第 章 個人的世界 其の一

おそらく神は傍観者としての楽しみを享受 しておられるのだ。 ドーキンス

こんな⋮⋮こんな事が、許される筈が無い。 こんな事が、在っていい筈が無い。絶望に 絡みつかれながら、男は歯ぎしりした。それ に応えるように。 ︽勿論よ︾ ﹂

︽﹃鉄色の狼﹄ ︾

がこちらに向かっ

て盛大に突進してきていた。男はそれを見て、

程度、全体的に鈍色の 男は詠唱を止めた。予想された不可思議な



︽無い事もないけどー、教えてあげない ︾

﹁⋮⋮逃げる方法は、無いのか?﹂

男は少し逡巡して、問うた。

︽ほーら、どうする?︾

﹁やばい⋮⋮

い量産型だが、常人が敵うはずもない。

顔を引きつらせた。さほど高機能とはいえな れていく。 ︽どーしてやめちゃうのよ

は冷や汗を浮かべながら。

少女の声は、少し苛立たしそうだった。男



効果は発動せず、騒音と共に周りの景色が崩

﹁﹃鉄色の⋮⋮﹂

2



声は、どこからともなく響いた。生意気そ うな少女の声音で。 ︽ 私 が 創 っ た 世 界 な ん だ か ら ね︾ ﹁え⋮⋮?﹂ ︽いい? 手を前に突き出して、これから私 の言う通りに唱えなさい︾

1

﹁いや、何だかまた恐ろしい事が起こりそう な気がして⋮⋮﹂

!

R ・ この際だ、何でもいいからすがってやれ。そ んな心地であった。 たて



?! ︽案外、弱気なのね∼。さっきまで、頭の中

少女の声は、何だか楽しそうだ。やっぱり



︽ ﹃黒の楯   ﹄ ︾ ﹁く⋮⋮﹃黒の楯﹄ 瞬間。

!!

!

7

!? 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

36 第 7 章 個人的世界 其の一

破壊魔じゃないか、と男は思った。声の主は、 ︽⋮⋮﹃青の道﹄ ︾

断片的な残骸のみ。

がらも男は復唱する。 ﹁?⋮⋮﹃青の道﹄ ﹂ 視界が一瞬青くなり

﹁⋮⋮どういう事だ?﹂

筈も無かった。

ひとかけらも無かったし、地平線など見える

なっていた。さっきまでいた場所には緑など

気が付くと、周りの景色は全く別のものに



少女の声は、少し沈んでいた。訝しがりな

都市の一つや二つ、嬉々として滅ぼすような 厄介な存在なのかもしれない。 彼は掌を額に押し付けて、毒づいた。 ﹁くそ⋮⋮、幸運なんだか不運なんだか分か りゃしない﹂ ︽﹃生きるべきか、 死ぬべきか。 それが問題 だ﹄ 。まさに名言よねー︾ ﹁五月蝿い。⋮⋮分かったよ、言えばいいん だろ、言えば﹂ ︽そうそう。分かってもらえて嬉しいわ ︾ ﹁ホントに嬉しそうだな⋮⋮﹂

男は警戒しながら、何処とも知れぬ相手に 問うた。ところがその相手は。 ︽⋮⋮。 ︾

男は暫く待つ事にした。 そして三分後。 ﹁⋮⋮もういいか?﹂ ︽え?⋮⋮あ、はいはい。ちょっと待ってね。 ⋮⋮よし、と︾ 何かを広げていて、それを片付けたらしい。 男はそう推測し、そして尋ねた。

﹁どういう事だ?

何が起こった?﹂

彼女の返答は、答えになっていなかった。

︽んーとね、ちょっと事態を整理しようと思 って︾

彼女︵?︶の話はさっぱり要領を得なかっ

た。いきなりこの国の歴史を語り始めたので

ある。男は頭を抱えてうずくまった。

急にいじけたりして︾

﹁誰か、誰でもいいからこの状況を説明して

くれ⋮⋮﹂

︽どーしたの?





声は心底不思議そうに尋ねる。男はやっぱ

り腹が立ってきて、遂に。

﹁お前は一体何者だあぁぁ

し。

くさそうに説明するんだろうな⋮⋮と。しか

よぼよぼの御婆さんなんかが出て来てめんど

男は思った。 ﹁老女﹂って言うくらいだから

﹁⋮⋮? ﹃海の老女﹄ ﹂

︽﹃海の老女﹄って唱えて︾

﹁え?﹂

ね⋮⋮、ねえ︾

︽でも、こういう事は直接会ってするべきよ

と、のたまった。彼女は更に続けて。

ね︾

︽あら、そーいえば自己紹介がまだだったわ

たようで、

と叫んだのだった。少女︵?︶は今気が付い

!!

言い合ってる内に、ロボット達は男を取り 囲んだ。男は慌てて叫んだ。 ﹁﹃鉄色の狼﹄ ﹂

﹁おい﹂

30

その言葉と共に、男の影から黒くて丸い何

返事がない。しかし何となく気配はある。

20



×。位置⋮⋮ 、 、0。 。気圧⋮⋮ 。種数⋮⋮ 1 1 0 0

どうも、彼女は何やら測定中のようだった。

109

直径二〇センチメートルくらい

︽時間⋮⋮ G⋮⋮

×。人口⋮⋮︾

1 0 ・ 1 2 7 6 ・ 6



十個程度飛び出し、男の胸の高さ辺りで一旦 停止した。 ロボットはそれを見ると動きを止めた が、数瞬と経たぬ間にタイミングを少しずつ ずらして男に攻撃を仕掛けようとした。男の

三体のロボットにそれぞれ高

周りで浮遊していた物体は、それに反応した かのように

速で飛び掛った。

轟音を上げて

黒い物体は目標に接触すると、ロボットの 身体の大部分もろとも

106



消えた。後に残ったのは、火花を発している

6

!!

37

﹁はぁい ﹂ 男の予想は外れた。いつの間にかTシャツ



とGパン姿で目の前にふんぞり返っているの は、声のイメージそのままの ﹁⋮⋮﹃老女﹄ ?﹂ 一二歳くらいの少女だった。 ﹁細かい事は気にしない﹂

﹁この世界の創造主ぅ ﹂

望む世界だと言うのか?﹂ 少女は、横に首を振った。 ﹁まさか。⋮⋮初期設定の後、ちょっと早送 りし過ぎただけよ。そしたら何だか酷い事に なってるじゃない。この世界にも無数の意思 があるから、まさか巻き戻すわけにもいかな いでしょ? 慌てて修正にやって来たって訳﹂ ﹁修正⋮⋮ねえ。外からパパッと出来るんじゃ ないの?﹂

える素振りをした。そして言う。

そう言われると、彼女は少し上を向いて考

ど﹂

﹁じゃあ、訳も分かんない内に世界が一変し

知全能の﹃神﹄じゃないよ﹂

突然に。

彼女は厳しい目をして空を見上げた。

﹁こんなに早く突き止められるなんて⋮⋮﹂

全弾発射 ﹂

彼女はそう呟くと少し背中を丸め、

﹁しょーがないわね。

言うが早いか、彼女の背中から無数の光の

見付けた。 ︾

帯が放たれた。



その声は、頭の中にはっきりと響き渡った。

そんな言葉が頭に浮かぶ。

﹁⋮⋮やっと出て来たか﹂

﹁神判﹂

﹁それは⋮⋮﹂

﹁驚かないのね。つまんないの﹂

ちゃってる方がいい?﹂

﹁あたしはね、歴史の決定に、創造主が直接 関わっちゃあいけないと思うのよ。世界の未

美人だ。

誰が見てもそう言うだろう。腰まで伸びた亜

来を決めるのは、あくまで、その世界の全て

幼さはあるが

が、不敵な

この数十キロメートル四方に、こんな少女

そこにいたのは、十代前半の少女。馬鹿な、

驚いて振り向く。

その声は、背後から聞こえてきた。流石に

麻色の髪もよく似合っている



の意思の総合。創  造主 はその手助けをする事

ここには誰も入っては来られない筈⋮⋮。い



視線だけはそぐわないと言えばそぐわない。

しか、しない﹂

や、それ以前に。



街角よりも美術館に展示されているほうが似

﹁⋮⋮﹂ マ

合う美貌である。



﹁まあ、これはあたしの  自己満足 かも知れな

など存在しただろうか?

がここに来るのを﹂



﹁ こ の 世 界 で は、ね。あたしは、いつもは外

いけどさ﹂

﹁⋮⋮まさか﹂ ﹁?﹂

﹁ヒントなら、いくらでもあった。余りにも突

﹁どうやら、うすうす分かってたみたいね。私 ﹁神様も悩んだりするもんなんだな﹂

り切れる物理定数、⋮⋮。どれもこれも、まる

然な人類の出現、短過ぎる先史時代、簡単に割 ﹁⋮⋮あたしは確かに﹃人間以上﹄だけど、全

男は微笑みながら、そう言った。



の世界でフツーの生活を送ってるわけ。つま

て置いたんだ? それとも こ れが、あんたの



﹁⋮⋮いや、それは正しいと思うよ。しかし

﹁⋮⋮﹂ 男は絶句した。 お も ちゃ

、 、 、 、 、 、

﹁じゃ、 じゃあ何故、  こ ん な になるまで放っ

の箱  庭 ?

この世界が、この少女

り、ここはあたしの箱庭なの﹂

一言で言えば、

男は改めて﹃彼女﹄の顔をまじまじと見た。

ないのか?﹂

﹁﹃パパ﹄って、⋮⋮あんたが全ての始まりじゃ

﹁まあ、その基礎を作ったのはパパなんだけ

!?

!!



、 、 、 、 、 、

38 第 7 章 個人的世界 其の一

ならない。どれも明らかに、創造主の存在を示

で⋮⋮、意図的に決定したような感じがして

視界が白く染まり、更に。



壁となった空気が男の身体をいとも簡単に



唆していた。そして  創造主 は、世界のバラン 吹き飛ばした。





﹁⋮⋮



スが根本から崩れる時に現れるだろう。⋮⋮ 分かり切っていた事だ﹂ ﹁⋮⋮何が目的?﹂ ﹁私には目的など、ない。ただ



そう言いつつ、白衣の男は振り返った。 あ

 造主 に﹂ 創

叫び声をかき消されながらも、男は何とか 頭をかばって着地した。 光と暴風が収まり、男はようやく起き上がっ た。辺りを見回す。 メートルほど飛ばされ たらしい。しかし彼女は、一歩も動いていな かった。 彼女が小さく呟く。 ﹁⋮⋮ちょっと派手だったかな?﹂ ﹁あ、あんたは⋮⋮﹂ 男の声は、震えていた。当然といえば当然 だが。 ﹁何?﹂ ﹁⋮⋮あんた、もしかして⋮⋮ロボットなの か ﹂

﹁そーよ。ここは、あたしの頭の中。人間が、 ここまで精確に世界を描ける訳ないでしょ?﹂ それから彼女は、世界を救う方法を語り始

男は当然の疑問をやっと口にする事が出来 た。

﹁五〇〇キロメートルくらい北に移動した所 よ﹂

﹁ふーん⋮⋮。で、俺はさっきの微妙におか

しな呪文を使って、その塔を倒せばいい訳だ﹂

﹁呪文は一日五回まで。あんまり連発すると、

いろいろ歪んじゃうからね。﹂

﹁五回⋮⋮って、さっき使い果たしちまった

じゃねえか ﹂

﹁気にしない、気にしない ﹂

ろ ⋮⋮それに呪文はさっきの五つだけなの

﹁今日はもう襲ってこないって保証はないだ

さそうだ。

彼女は気楽に笑う。その気楽さに根拠はな



﹁⋮⋮﹂ ﹁会いたかっただけだ。

男の声には、覚悟があった。 ﹁さあ、殺すがいい﹂ ﹁⋮⋮﹃死﹄では、償いにはならない﹂

彼女は天を見詰め、呟いた。 ﹁世界は、予想されたよりも遥かに早く、上 位の世界に気付いた⋮⋮﹂



﹁ただ一つ、この世界にとって不幸だった事 は

そう言って足元を見やる。 ﹁最初に気付いたあなたが、不幸な人間だっ たって事かしらね⋮⋮﹂

めた。 ﹁あなたのもと居た場所から、やたらとデカ あれをぶっ潰 せば終わりよ﹂

いタワーが見えてたでしょ? のは、緩やかな放物線を描いて飛んでゆき、す

うかここはどこだ?﹂

!

10

﹁えらく簡単に言ってくれるな⋮⋮。って言 一瞬の静寂。そして。

正に青天の霹靂だ。不可思議な事に、男を取

何もない空に、 突然数十本の稲妻が走る。

るから、安心なさい﹂

﹁取り敢えず今日はあたしが一緒に居てあげ

﹁本末転倒みたいな気がするが⋮⋮﹂

しがしゃしゃりでるわよ﹂

﹁本当に窮地に陥ったら、予定調和的にあた

﹁ ﹃そっちは﹄ってのが心配だな﹂

ようにしたから﹂

て、状況に応じて適切な呪文が脳裏に浮かぶ

﹁あ、そっちは大丈夫。まだまだいっぱいあっ

か?﹂

!

! ぐに見えなくなった。

創造主と称する少女の身体から放たれたも

?!

39

り囲んでいたロボットにのみ落雷しているよ ﹁鎚﹄よ ﹂

んだ。

のプラズマは、唐突に雲散霧消していた。

さっきまで確かに存在していた筈の高温高圧

太陽が輝きを失う。純粋に黒い雲が全天を 覆う。生温い風が吹き荒れる。

た法則を一時的に書き換える

言わば究極

﹁⋮⋮これが、あいつの能力よ。あたしの創っ

め息一つ  吐 いて言う。



言葉も無く立ち尽くす男。傍らの少女は、溜

うだ。

そここそが一連

虚空の一点が一際強く輝く。そこからも電 撃と雷鳴が漏れる。いや の超常現象の根源らしい。薄く硬い何かを破 ﹁あああ⋮⋮、やっちゃった⋮⋮﹂

﹁しかしこの感じ、どこかで見たような⋮⋮﹂

の力⋮⋮﹂

やがて、街の殆ど真上に幾つもの雷を集め

﹁そりゃそうよ、あたしがあなたに与えたの

彼女が頭を抱える。男は無表情だ。

たような光が現れる。それが段々黄色くなる。

やがて人型を

取る。それは紛れもなく、この世界の創造主

﹁君が、 ﹃機  械仕掛けの神 ﹄かい?﹂

デ ウ ス・エ ク ス・マ キ ナ

白衣の男が問う。

出現しようとは。

さかこんなに早く、この仕組みに気付く輩が

の起こる確率を高くしたかっただけなのに。ま

こんなつもりではなかった。ただ、﹁奇跡﹂

違いだったか⋮⋮。

﹃言葉﹄の係数設定を高くし過ぎたのが間

あの能力が使える。 ﹂

﹁突  然変異体 なのよ、あいつは。生まれつき

ミ ユ ー タ ン ト

少女が苦々しくも強い口調で遮る。

﹁違う﹂

﹁それじゃ、あんたが﹂

問い詰める。

男の動きが一瞬凍った。思わず勢い込んで

﹁え⋮⋮?﹂

とほぼ同じものなんだから﹂

﹁あれ⋮⋮何だろう? あの光﹂

人心を惑わし。

﹁ねぇ⋮⋮、気温が変じゃない?﹂

不吉な前兆を呼び寄せ。

﹁なんだ?⋮⋮こんなに黒い雲、初めてだ﹂

何キロメートルも向こうの呪文は。

同時刻。もうすぐ被害を受けるであろう街。

そして⋮⋮。

雷の発生が収まり、男は目の前に降り立っ た少女を見た。 ﹁助かったけどさ⋮⋮、もう少し静かに出て こられないのか?﹂ ﹁あれ? ちょっと派手だった?﹂ ﹁派手って言うか⋮⋮、落雷で死ぬかと思っ たぞ﹂ ﹁むー、やっぱ空間割り込み法は駄目か。じゃ

滅びを予言する。 ﹁太陽?⋮⋮じゃない ﹂



何 も 起 こ ら な かった。 誰 も 死 な な かった。

﹁何っ

その大きさのまま、指定された街に

くなる。無くなる。

滅びる。亡びる。途切れる。跡絶える。亡

い雷のようなものは。

呪文によって造られた、異常に大きな黄色

!

次は厳密確率調整法にしてみる﹂ ﹁どんなのだ?﹂ ﹁いつの間にか目の前に居るっていう、心臓 に悪い方法よ﹂



とても⋮⋮、とても恐ろしい光景を思い浮 かべる。 ﹁﹃黄昏の⋮⋮﹂ ﹁ちょっ、それはヤバ

彼女が制止しようとしたが、男は構わず叫

?!

伸ばすように大きくなり、

! を自称する機械少女だった。

様々な金属部品の塊だった。それが触手を

るような音と共に、 何 かが現れる。

、 、

40 第 7 章 個人的世界 其の一

﹁⋮⋮なあ、そういえばまだ聞いてなかった な﹂ ﹁何を?﹂ ﹁あんたの名前だ。あるんだろ?﹂ ﹁そうね、あたしの名前は⋮⋮﹂ 彼女は少し考えると、悪戯を思いついたよ うに笑った。男は思わずその顔に見とれてし まう。そして。





彼が瞬きをしたその瞬間に、もう目の前か ら彼女は消えていた。 声だけを残して。 ﹁あたしの名前は、 ﹃  誰でもない ﹄よ﹂

41

第 章 侵入者

別れはいつも突然である。電話も突然に鳴

うら若き美女にもあり

おっとりして見えるが、実は急

る。そして出会いもまた然り。それは暗い夜 道を急ぐ いでいるのである 得る。 闇から現れたその見知らぬ男は、 レ アの腕 を乱暴に掴んだ。頭髪を角刈りにした大柄な

﹁すいません、体が勝手に⋮⋮﹂ そう、彼女の父親はこんな時の為に娘のプ ログラムに護身術を叩き込んでおいたのだ



男は、一分程悶え苦しんだ後、 ﹁この女⋮⋮

またもや無意識の内に

男の

よせばいいのに、逆上して彼女に殴りかか った。 レアは

右拳を左に弾き、それと交差させるように左 拳で男の顎を砕き、そのまま流れるような動 きで男の腕を捻りあげつつ路上に倒れ込んだ。

でもでも、肩が外

ごりょっ⋮⋮と、少し変な音がした。 ﹁ぎゃあああああ ﹂ ﹁ああっ、すいません

非常に

﹁えげつない事するわねー、いろんな意味で﹂

﹁お父さん、テテュスちゃん﹂ ﹁む?﹂

不審者の相貌を認識した途端、

バールの顔が困惑に彩ら

ホイーラー、 ﹂

知り合い?﹂

珍しいことだが れた。 ﹁何?

テテュスが訊く。

﹁⋮⋮まあな。

キャラにあってない⋮⋮﹂

バールは不審者に言う。

﹁貴公が此処に居るということは

しかし。

アンドロイド

た。囚  人 は身動き取れない状態だからである。

バール

最初はあの広野とかいう  機械人形 だと思っ

出してきた影がある。

散った。そこから目にも留まらぬ速さで飛び

壁が、内側から爆破されたかのように砕け



テ テュス の ど う で も い い 指 摘 は 無 視 し て、

﹁ドクター

Dr.

男。それだけなら広野と同類なのだが、その 瞳は理知的でありながら、凶暴性をも表して いる。 ﹁さあ、一緒に来るんだ ﹂ ﹁あ﹂ ﹁ぐっ ﹂ ずね

れただけだから、大丈夫です。すぐに治しま

﹁⋮⋮物騒だな﹂

である。

を足蹴にしていたりした。見事な言行不一致

せさせたまま右腕を捻って固めた挙句、それ

などと言いつつ、レアの身体は男を地に伏

軽くといっても機  械人形 である彼女は常人を

うずくま

間にとっては半端な痛さではなかっただろう。 男はたまらず脚を抱えて蹲   った。

ちょっと変な

﹁うあえおいあえおおおお⋮⋮﹂ ついでに、 痛過ぎたのか 呻き声も付随している。

?!

! すから﹂

! 遥かに超えた力を持っているので、生身の人

アンドロイド

!

、 、

彼女は男の向こう笘   を軽く蹴ってしまった。

!

!

8

!

42 第 8 章 侵入者

﹁バール ﹂ ありえない。常人に解けるような拘束では なかったし、第一、コンクリートを粉々に破 壊できる人間など、聞いた事がない。そして あの尋常でない速さ。 バールの四肢は己の力に耐え切れず、内出 血を起こしていた。皮膚から染み出した緋色 の体液が、白っぽい床にぽたぽたと滴り落ち る。苦痛の為か、バールは小さく呻いて膝を ついた。⋮⋮普通の人間なら、火事場くらい でしかこんな力は出ない。 カールが目を見開いて、問う。





﹁まさか⋮⋮お前、脳改造を?﹂ ニ

バールは虚  無的 な笑みを浮かべると、言い 返した。 ﹁それこそまさかだ。⋮⋮いや、ある意味脳 改造かも知れんな﹂ 幽鬼の如く立ち上がる。

﹁降参して欲しい﹂ 眠たげな少年が静かに告げる。人畜無害そ ア イ オ ロ ス

うに見えても彼は気  相の主 である。瞬く間に

すると。

それはまだいい。

鞭の先の地面が割れ、3メートル程本体が あらわ

 になった 顕 

テテュスの遥か後方からも長大な鞭が現れ

纏わりつ



動力は?﹂

﹁そんな馬鹿な



力量と驚異の材料が前提だけど﹂

﹁超音波振動とトルク増幅⋮⋮ま、物凄い電

テテュスが答える。

呆然としながら、カールは呟いた。律儀に



数十の火の玉を作り出したのも彼。その気が

おねーちやん

﹁固  相の主 、力を貸して﹂

更には腕にも

テテュスがそう言うと地面が少し波立ち、彼 女の髪の毛に

き、太い鞭のようなものを形成した。鞭の先 は地面と同化している。 立ち上がり、 鞭と繋がった腕を軽く振る。

など想像もつかない。そしてそれよりも

たのである。そして続々と鞭が噴出する。全長

。 それと

あれば直接敵を燃やすことも出来るだろう。 それをしないのは

つもり

﹁下らんな。情けをかけた心  算 か? もロボット工学三原則か?﹂ 思わず皮肉が出た。

﹁後者はフレーム問題に直結するから、違う﹂

ア イ オ ロ ス

応えずとも構わないのに生真面目に応えて  はバール製のアンドロイドの くる。 EXOD002 中でも特に冗談や皮肉が通じない。 ﹁⋮⋮別に傷付けられない訳じゃない。ただ﹂ 火の玉が幾つか燃え尽き、また生まれる。 ﹁血が繋がってなくとも、機械と人間の違い があろうとも、あんたは俺の﹃伯父さん﹄な んだ﹂

地面はレアの管轄領域

テテュスはおもむろに自らの長い髪を一本 千切ると、その場

﹁物心ついた頃はまだ、普通だった。意識せ ずとも呼吸できたし、椅子に少し座るだけで

である

に片膝と髪の毛をつけた。

激痛が走ることもなかった。それが段々⋮⋮﹂ 彼は左手を額に当て、独白を続けた。

そして、普通では取り出

﹁今じゃ意識的に心臓の拍動や呼吸を止めたり、 痛覚を消したり



せないような圧倒的な情報量をもつ記憶⋮⋮﹂ ﹁意識領域の拡張に、知覚の亢進だと 馬鹿な﹂

!

?!

43

第 章 浮上∼

∼ surfacing

ゴ ツ ズ・ウ オ ー プ

コンダクター

腰のくびれの辺りから不可視の糸

の奔流が噴きだす。彼女は指  揮者 となり、そ

背中

自分の脚すら視認出来なくなる。ボコボコと

の流れを操る。

きた。肌を凍らす湯気が周囲の空間を充たし、

その形状は神経細胞を模してあり、感  覚器 で

響く音が聴覚を圧倒する。思わず、自分の肩

エ フェク タ ー

ある岩が消滅した。

メートル程も

ありながら効  果器 でもある。感覚器はありと

遂に水面が爆発し、湯気を吹き飛ばす。

ぶしゅ、と音がして、直径

を抱きしめる。寒い

の原子をも操ることができる。故に本来は彼

﹁⋮⋮久しぶりね、私の知らないあなた⋮⋮﹂

静寂と、溢れる光、暖かい雰囲気。 目を開ける。まず、その目を疑った。足首ま

彼女の真意がつかめない。今ここに居るのは、

彼女が無表情に言う。 男は眉をひそめた。 かも何だか光り輝いている。

紛れもなく彼の望んでやまなかった 彼 女の筈

コピー

﹁あなたは⋮⋮誰?﹂

だ、例え  複製 に過ぎないとしても。

﹁どういう意味だ?﹂

口に出してみて、愚問だと思った。そんな の決まっている。

﹁言葉のとおりよ。⋮⋮あなたは変わってし

彼女が死んでから、もう 年が経つ。しか

﹁⋮⋮変わりもするさ﹂

まったの﹂

﹃分かっているでしょう?﹄

、 、

ないのだが、社会的に問題ありとの理由でそ デバイス

のような  装置 が取り付けられている。

濁った、氷の冷たさを持つ湖水。それでい しじま

て、沸騰しているかのように現れ続ける泡。気 泡の弾ける音が、静かに  静寂 を侵す。宙に浮 みなも

いた私は  水面 をただ見つめる。

目の前の人影が、柔らかく微笑みながらそ う言った。 ﹁お母⋮⋮さん?﹂ 私の声は震えていた。

彼女が命じる。 ほど

﹁解   けよ﹂

﹁ ﹃それと﹄ ?﹂

まっていたから当然か。それと⋮⋮﹂

﹁君はちっとも変わらないな。⋮⋮時間が止

そのものだったろう。

し永き月日以上に彼を変えたのは、彼女の死

30

﹁⋮⋮これは夢?﹂ ﹃⋮⋮﹄ 何か、聞こえたような気がした。見回して も、ただ湯気と深遠なる闇があるのみ。足元 の水面は濁りと泡で見通せない。⋮⋮水中だ ろうか? 見詰め続けていると、沸騰が激しくなって

3

で水没したもう一人の自分がいたからだ。し

女には人間サイズの﹁眼﹂や﹁手﹂など必要

とても寒い。

あらゆる電磁効果に反応でき、効果器は個々

セ ンサー

彼女の分  子機械 の名は︽神  の縦糸 ︾という。

ア セ ン ブ ラ

9

44 第 9 章 浮上∼surfacing∼

だけで無く、楽

﹁すぐに人を試したがる悪い癖もそのままだ﹂ 彼女の無表情が崩れた。 しくて仕方がないとでもいうように身体全体 で笑い出した。 レアの爆笑は五分程続いた。

45

第 章

こうべ

人差し指を壁に向けた。

間もなく一点から煙が立ち昇る

きっと

レーザーだろう。だが数瞬もしないうちに、凄

い勢いで灰色の霧が空間を満たした。チンダ

は光学兵器も役に立たない。

ル現象で紫色の軌跡が顕になる。こうなって

部屋全体が細かく揺れ、次いで

﹁むう、こしゃくな⋮⋮﹂

を覆いつつ訊く。

プリシラが霧を吸い込まないように手で顔

ぱき。

れたように見えただろう。

プリシラの目には、テテュスの体が一瞬ぶ

壁に向けて半身に構えた。そして。

プリシラが下がると、テテュスは右の拳を

﹁何するの?⋮⋮何となく分かるけど﹂

symmetrical duel

 を垂れたまま、バールは呟いた。 首  ﹁レア⋮⋮、君はいつも正しかったけれど、一 つだけ間違っていたよ﹂ 彼は頭を上げ、目前を見詰めて、 ﹁君はちっとも似ていないと言ったが⋮⋮﹂ そう言いつつ、銃を持つ腕を前に上げる。

テテュスの左足首にひびが入った。 ﹁だ、大丈夫 ﹂

﹁頭 い い ね⋮⋮、 こ の 壁。 他 の 火 器 は ダ メ なの?﹂

なー。﹃発  火能力者 ﹄も効き目なさそうだし﹂

フアイアスターター

﹁でも手持ちの銃弾じゃ即吸収されそうだし 眼前の強敵を睨み付けて言った。

しばし考え込むと、テテュスは最初と同じ

て変形する素材の事である。しかも最近のも

﹁その前に破壊すればいいのよ。超音波でね﹂

﹁またはね返されるんじゃ⋮⋮﹂

知的材料。自らを修復したり、環境に合わせ

尋ねたのは、少し気弱そうなテテュスと同

のは  分子機械 の導入で更に高度なものになっ

﹃叫  喚者 ﹄タイプ 。ランジェバン振動子を

ラという。

﹁拳法とかはダメみたいだね⋮⋮﹂

忠実に発展させただけの代物である。無論、部

ている。因みに、振動は細かすぎて人間の目

位や振動数を精確に制御できるようにはなっ そう言うと、全身兵器だらけの機械少女は

﹁んじゃ、飛び道具で﹂ ないから﹂

﹁んー、なんとなくね。ちょっと離れてて、危

H

ア セ ン ブ ラ

年代 ︵に見える︶ の少女。テテュスが地球から

ている。

スクリーマー

連れ出した友人の一人である。名を、プリシ

構えを取った。

﹁ 返 さ れ るとは思わなかったわ﹂

壁を破砕しようとした少女は、忌々しげに

さか﹂

﹁こんなのすぐに治るわよ。それにしてもま

!?

﹁僕達はよく似ているんだ﹂ そう言って、引き金を

チョバ ム プ レ ー ト

こんこん、と灰色の 壁をノックした。

彼女はそうごちた。

シールドでもない⋮⋮﹂

﹁⋮⋮  複合装甲 にしちゃ変だし、アクティブ



﹁そんなことまで分かるんだ﹂

、 、 、 、

10

には捕らえられない。そしてこの兵器が最も ないと働かないようだ。

いた分子機械は溶媒となる知的材料が存在し

﹁テテュスちゃん⋮⋮ ﹂

みるみるうちに塞がっていく。

めでたく壁に穴が開いたわけだが、それも

威力を発揮できるのは水中だったりする。

液状化したのである。

テテュスは壁に突進した。壁は逆らわなかっ た ﹁え﹂ ﹁慌てなさんなってば﹂





れない。でも﹂

機械少女が存外冷静な声で応える。

﹁一筋縄では行かなくても、﹂

プリシラの耳を聾する程の音を立てて、有

りったけの弾丸が吐き出される。鉛でも劣化

ウランでもない、鋼鉄の弾丸が。

壁の表面が蜂の巣状態になる、が、貫通し ツ

テテュスは落ち着いているが、あまり楽観 リ

が息をのむ。そして壁のなれの果てである灰



た穴は一つもない。衝撃を分散したのだろう、



的とはいえない状況である。すぐに液状化し



色の液体がテテュスの腕にまとわりつく。加 ド

部屋自体が震動している。吸収された弾は急



てしまうような素材には、 ﹃切  り裂き魔 ﹄も効





奇妙な空間に遭遇していた。二人とも赤外線

広野とテテュスは、バールに呼び出されて

暗闇。そして閉塞感。

さは何だ。

い筈なのに。この鈍   さは何だ、この不甲斐無

のろ

自分は無敵の筈なのに、不可能な事などな

摂氏五百度を上回る摩擦熱が煩わしい。

体重の百倍以上もの空気抵抗が鬱陶しい。

ず叩く。

まれ、周囲の景色を家屋といわず道路といわ

加速する。音速を超えたために衝撃波が生

する。

微妙に的外れなことを叫んで、磁場を展開

!!



害者を分解するつもりなのだ。



速に分解されて行く。

らっ ﹂



かないだろう。突進してブチ抜けるかも知れ

﹁デカい穴を開ければいいんでしょ?﹂ ﹁でも手持ちの銃器だと駄目って⋮⋮﹂ ﹁だーいじょーぶ ﹂

﹁うふふふふふふふふふふ⋮⋮﹂ テテュスが可愛くも不気味な笑い声を垂れ かいな

流し続ける。ゆっくりと、両の腕   を眼前の壁に 向かって差し伸べる。ジャキッ、とかバシャッ、 とか何だか物騒な音がして、脇腹から太腿か バレル

ら、鎖骨から肩から、上腕から前腕、果ては 個々の指先まで、鈍く輝く銃  身 があらわれる。 足がずぶずぶと床にめり込み、反動を吸収す る用意が整う。 ﹁ちょ、ちょっと﹂ プリシラが慌てて止めようとする。 ﹁そーね。確かに銃撃自体は効かないかもし



﹁  統率者のいない 分際で、気安くあたしの身

﹁十  重二十重 のザイロンロープならどーかし

と伝導熱により振動を加速させ

有効なのは、対象に近接している場合である。 対象物は

残っているらしく、背後の少女に被害が及ば ないようにはしているようだ。因みに彼女の ハルク

衣服が発火しないのは、衣料自動洗浄・強化 用分子機械︽  神衣 ︾のお陰である。 知的材料

自分の拳から半径 メートル以内の  障害物 

攻撃を中断した。どうやらこの壁に使われて

そうでとても嫌だ。

ないが、目鼻口から知的材料が入り込んでき

機械少女が間抜けな声を出す。人間の少女

! 体に触るんじゃないわよ ﹂ 遂にテテュスが爆発した。今までならなかっ たのが不思議なくらいだ。

マイクロ波を用いた  誘導 

機 械 少 女 の 前 腕 が 膨 大 な 熱 量 を 発 す る。 ヒートクラツシヤー

﹃熱  破壊兵器 ﹄

加熱 により、身体の一部又は全体を周りの空  

I

ただ、激昂したものの少しは冷静な回路が

られて分子結合を解かれる。

I H



!!

気ごと加熱する兵器である。勿論この兵器が

H

を全て燃やし尽くすと、テテュスはようやく

1

46 第 10 章 symmetrical duel

47

が見えるので暗闇は気にならなかったが。 ﹁先生、どこですか?﹂ ﹁パパぁー、隠れてないで出てきてよー﹂

わざ

それに答えるように、ややくぐもった声。 ﹁二人とも、本当によく来てくれた わざ、な﹂

﹁うっ



﹁アイちゃん ﹂ アイオロスが倒れ そのまま動かない。数

秒後、非常電源により視界が回復する。 バールが駆け寄り、身体を抱えて揺さ振る。 ﹁アイオロス、しっかりしろ ﹂

てしまった。

で起こったらしい。

太陽の

の身体が、まるで、乾いた砂で出来ていたか

さらばだ﹂

爆音が響き渡る。 どうやら爆発は 代替となる電球



﹁まさか、こんな簡単な罠に引っ掛かってし

まうとは⋮⋮﹂

﹁全くだわ﹂

こつぜん

呼び出した人物は、二人が呆気に取られて

いる内に  忽然 と姿を消していた。出口など何

処にも見当たらないのに。そして二人が入っ

最深部と

てきた筈の入り口もいつの間にかなくなって いた。

の最も外宇宙に近い場所

でも言おうか。広野とテテュスは、想像するの

も嫌になるほどの重さの岩の塊を支えていた。

﹁⋮⋮まず、この状態をどうにかしましょうか ⋮⋮﹂

﹁そうね⋮⋮反物質でも打ちこんでみる?﹂

﹁こっちも巻き添えを食らいますよ。それに

これは

﹁⋮⋮どうやら、本体がやられたらしい⋮⋮﹂

二つの人影。

一辺は キロメートル程か。

分解は出来るだけゆっくりと行って下さいね﹂

﹁⋮⋮ちょっと違う気がしますなあ。⋮⋮あ、

ストとはよく言ったもんだわ﹂

﹁重力と閉空間が敵か⋮⋮。シンプルイズベ

かと﹂

﹁取り敢えず、少しずつ分解していく他無い

﹁じゃ、どーすんのよ﹂

うにありません﹂

同様。周波数をどう調節してもうまくいきそ

増えますから。住民が被害を受けるのも前例

﹁それも自殺行為です。粉々にすると体積が

﹁じゃ、超音波兵器で⋮⋮﹂

上の住人もただじゃ済みません﹂



立方体の塊

洞、その内部にこれも神経質なほどに精確な

美しささえ感じさせる、精確に直方体の空

﹁⋮⋮まだ、希望が無い訳じゃない﹂

バールが低く言う。

﹁いや

たような顔をする。

小さく響いた広野の言葉に、レアが絶望し

﹁死⋮⋮?﹂

﹁じゃ、じゃあ⋮⋮まさか⋮⋮﹂

﹁お父さん

の真の中心

﹁先生?﹂

バールが掴んでいた部分から、アイオロス

! のように崩れ始め、そのまま骨格だけになっ



天井がゆっく

ピッ、と音がして、爆発が四方で起こる。そ して、まるで冗談のように りと下りてきた。

爽やかな朝。アイオロスは巨大クレーン程 の角速度でベッドから起き上がると、アメー バ状になりたくなるのを堪えて二本足で立ち 上がり、階下に下りていった。

と言うよりも徹夜だろうが

レアは既に台所で腕を振るっていた。珍し く早起き

したバールが席についている。広野は行儀正 しく朝食を摂っている。テテュスはいつもの 如く、まだ夢の中だろう。 いつもの平穏な生活が始まる。こういう習

C 1

﹁パパ?﹂

ここでようやく、二人は不審に思う。

?!

そして、立方体の下敷きになりかけている

1

慣化は歓迎したい。



しかし、平和というものは、不安定なもの で

突然、世界が闇に包まれる。同時に。

!

C 1

?!

を死守すればいいわけですから﹂

﹁何とかなるでしょう。最悪でも、コアのみ

﹁⋮⋮スタミナが持つかしら﹂

﹃どうやら意図的に排除されたみたいで⋮⋮

申し訳なさそうに告げた。

と、テテュスは物凄い形相で問うた。広野は

﹃何で?﹄

が瞬時に焼け焦げる。

飛び散った。煙を上げて、バールの服と皮膚

当たると砕けて、その内容物がバールの服に

バールに何かを投げつけた。それはバールに



﹁それもそうね。⋮⋮ねえ、この空洞に水を

じん

﹁ぐうっ



この付近にレアさんの分子機械の気配は  微 塵   

たまらずその場にうずくまる。レアが慌て

て駆け寄る。

﹁お父さん ﹂

﹁だ⋮⋮大丈夫⋮⋮だ﹂

その隙にカールは逃げようとする。

︶ にレアが駆け

寄る。そして傷口に手をかざす。

が。

と、傷

が瞬時に塞がった。レアが、自らを構成する

響き渡る一発の銃声。

バールは銃を構えたまま動かない。

レアも固まっている。

カールの途切れ途切れのうめき声だけが、 響く。

﹁な⋮⋮﹂

のは、レアだった。

長いような短いような空白の時間を断った える。



﹁どうして

バールは、その悲鳴にも似た問いにも反応 しない。

して撃ったの ﹂

ずだ。無くしたものは、もう戻らない。そし

それ以上は、言うなっ ﹂

﹁逃がしてあげればいいじゃない。⋮⋮どう ﹁

て、死なない事を選ばなかったお前は⋮⋮﹂

ない。⋮⋮カールよ、お前も分かっているは

﹁⋮⋮レア、私はこいつが憎いから殺すんじゃ

バ ー ル は、 狙 い を カ ー ル に 定 め た ま ま 答

に突き刺さっているようだ。

立ち昇る一筋の硝煙。

兄弟なのに ﹂

﹁どうして殺しあうの?⋮⋮二人きりの実の

二人の間に、レアが割り込む。

バールが、カールに銃を向けて立っていた。

追いかけていった。

そう周囲の適当な人間に言うと、バールを

付けたのである。

﹁よく分かったな﹂ ﹁こんな事するのは、お前しかいない﹂ バールはおもむろに懐から愛用しているか なり古い型の銃を取り出し、言う。 ﹁今日こそ、決着をつけてやる﹂

お姉ちゃん

﹃⋮⋮ねえリュージ、 コ レもレ  ア の一部なわ けよね﹄

?!

そしてまた束の間の永遠が流れて⋮⋮バー

?!

テテュスが頭上を睨みながら言った。広野

ということは御都合主義的に⋮⋮

カールはすぐ前にいるレアを押し退けると、

!

、 、

!

﹃⋮⋮もう手遅れですけど﹄

﹃⋮⋮近くに河があったみたい。で、あんた

ゴッズ・ウォー プ

分子機械︽神  の縦糸 ︾を分離して傷口に貼り

傷ついて倒れた一般市民 ︵

銃声。

もありません﹄

一千トンは軽くな

流し込むってのはどう? るでしょ?﹂



﹁浮力を利用するわけですね。妙案です﹂ ﹁それじゃ早速⋮⋮﹂ ﹁あ、でも、やっぱり 広野が何か言いかけた途端、轟音と共に大 量の水が流れ込んできた。

!

カールは叫び声を上げて転倒した。弾は脚



!

﹁一時間は絶対安静にして下さいね﹂

﹃早過ぎませんっ



が今言いかけたのは⋮⋮﹄

?!

はハッと気が付いたように、 ﹃おおっ

あ、駄目です﹄

!

48 第 10 章 symmetrical duel

49

ルがようやく声を出した。 て恣意的に暴走させる事によって速度を補っ

のだが、これは速度調整と安定化機構を外し



る。⋮⋮もう、間に合わん。お前の﹃手﹄も 効果は無い﹂ ﹁そんな⋮⋮

﹁死なせない⋮⋮﹂



生命の火が消えかけたカールに、レアが近 付いていく。 ﹁⋮⋮レア?﹂ ﹁絶対に死なせない ﹂



ゴ ツ ズ・ウ オ ー プ

系列分子機械

B

圧倒的な物量で阻止した。 系列分子機械は

毒物を分解しようとしたが、殺人分子機械は

は効かない。先ず殺人分子機械を排除し

ルに   レア の︽神  の縦糸 ︾



遺伝子改造で後天的﹃カムイ﹄になったカー

﹁無駄だと言っとるのに⋮⋮﹂

バールが呟く。

でしまった。

冷たくなりかけたカールの身体を飲み込ん

レアの絶叫と共に大地が大きく波打ち

! C

系列に比すると反応速度と安定性に劣る筈な

B

バールが、胸に十字を切る。

﹁永遠の地獄に住まう、汝の魂に平安を⋮⋮﹂

!

重要な情報源である

断末魔だろうが

細胞質も 撤退する。

をニューロンの種類毎に採取し

barrier  液blood-brain 血 脳関門  が頑張ってくれたようだ。細胞体

 査 し終えたところで殺人分子機械が殺到。 走

ス キャン

て行き、回路網の地  図 を作成する。新皮質を

マップ

を記録した後、組織を表層から削り採っ

なければ。脳波パターン

する。せめて人格情報だけでも保存しておか

わず、力学的応力に物を言わせて頭蓋に浸入

大量動員し、カールの身体が破損するのも構

この場、この身体での再生は諦める。 ﹃手﹄を

まうだろう。レアは意を決した。

ぐにでもカールは生と死の分水嶺を越えてし

され、カールの体組織が破壊されていく。す

ていた。凄まじい勢いで殺人分子機械が複製

﹁⋮⋮これがこいつの望みだからだ﹂ 今すぐ治療を

C

﹁そんな筈無いじゃないの ⋮⋮ ﹂ 半数致死量

! ﹁無駄だ。 弾に LD  の 二倍の毒と、 系列 50 ア セ ン ブ ラ ﹃カムイ﹄殺害用の  分子機械 を塗ってあ

!

50

51

間奏 ﹁夢﹂その二

防音設備は、その責務を果たしていない。中から響く呻き声にはまだ、聞く者の心をかき乱す力が残っているからだ。 部屋の扉の前に、悲しげな顔をした一人の女性が立っている。 ﹁⋮⋮﹂ 女性の声。内容は名前のようだが、うまく聞き取れない。 ﹁⋮⋮の能力⋮⋮暴走し⋮⋮のね﹂ 女性が扉に手をつく。 ﹁終わりが欲しい?﹂ 無表情を装った、声。今度ははっきりと聞こえる。 ﹁⋮⋮そんなものは、いらない﹂ 扉の向こうから、必死の声。 ﹁優しいのね﹂ 随分時間が経って、女性はそう言った。 ﹁⋮⋮﹂ 帰ってきたのは、沈黙。 ﹁だって⋮⋮、 ﹂ ﹁やめてくれ﹂ 男性が辛そうに遮る。その辛さは、さっきまでのそれとは少し違うようだ。 ﹁私は⋮⋮、創り上げてしまったんだ。もう一人の私を﹂ ﹁⋮⋮﹂ 沈黙。

52 第 10 章 symmetrical duel





﹁そいつは狂っている。自分を含めた世界の全てを⋮⋮壊そうとしている﹂ ﹁⋮⋮あなたがその  邪神 を創ったのは、どうして?﹂ 尋問するその声は、悲しみに満ちている。 ﹁⋮⋮北欧神話か⋮⋮。そうだな、⋮⋮﹃社会に不満があったから﹄では⋮⋮駄目かな⋮⋮?﹂ ﹁誤魔化さないで﹂ 二人の声はどちらも痛々しい。 ﹁別に⋮⋮誤魔化している訳じゃない。私は⋮⋮幻想を持っていた﹂ ﹁幻滅⋮⋮絶望⋮⋮厭世﹂ ﹁そういう⋮⋮事だ。よく⋮ある話だろう?﹂ ﹁⋮⋮それだけじゃない筈よ﹂ ﹁私には無理だったけど⋮⋮あなたなら、出来る﹂

53

さあ、選ぶといい﹂ 振り下ろす。 最後まで、その声に感情らしきものは表れ なかった。

よりは低確率だが、更に良い結果となろう。 以上から鑑みると、⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。 ﹁早くしろよ﹂



鑑みると⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。⋮⋮︵計算中︶ ⋮⋮。 ﹁大丈夫か?﹂ ⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。⋮⋮︵計算中︶⋮⋮

﹁⋮⋮ンなわけないでしょおぉぉぉ

彼女は猛然と立ち上がった。



ちょっと待てお前、なんか肘か

の限り叫んだ。

、更にジャック、ジョー

カー、 のジャック。

の 、 同じく

彼女はそれをにらみつけた。

テーブルの、彼女の側には五枚のトランプ。

にしない。

ついでに兄も壁際まで飛んでいったが、気

んだ。

そ の 瞬 間、 こ の 部 屋 の 壁 と 天 井 が 吹 き 飛

﹁どーしろって言うのよおぉぉぉ



わめく兄など殆ど無視して、テテュスは力

てるし﹂

ら先が帯電してるぞ。超音波震動まで起こし

﹁うわっ

!!

第 章 滅びの場

黒くも、白くもない、何故か生温かい闇。 厳かに、男とも女とも分からない無機質な 声だけが響く。 ﹁ここには、あらゆる滅びがある﹂ 闇におぼろげに浮かび上がる、声の主らし き影。頭からすっぽりと黒い衣を被っており、

例えば を選んでみよう。⋮⋮︵計算中︶⋮⋮

なかなか良い結果が得られよう。

例えば にしてみよう。四分の一の確率で

﹁おい﹂

彼女は悩んでいた。 か? それとも か?

2

﹁おい、頭から煙が出てるぞ。知恵熱か?﹂

!!

顔も身体の線もよく分からない。 ﹁永過ぎる生に飽きたものは、ここに来ると いい。意識の、永遠の断絶を与えよう﹂

鎌だ。この闇の中

いつの間にか、影はその背丈よりも大きな 得物を手にしていた。

でも、その刃は鈍い光を発している。大鎌を 握る手は、白磁でできているかのように生命 感のない白さを持ち、また華奢だ。

1

ちえ ね-つ ︻知恵熱︼ 乳児が知恵づきは じめる頃、不意に出る熱。ちえぼとり。

2

1

2

!

A

フルハウス狙い

そう、 彼女は  一枚交換 か二  枚交換 かで迷っ

フ ラッシュ狙 い

率計算なんだし﹂

﹁⋮⋮ポーカーで家壊すなよな。初歩的な確

痴る。

兄がよっこらしょと立ち上がりながら、愚



﹁方法ならいろいろある﹂ 影が急に大きくなった、否、近付いてきた のか。死神の凶器は強い光を放つようになり、 どういう仕組みか、放電まで始まった。 ﹁逝く者の、最後の選択を聞き入れよう﹂ ゆっくりと、影が鎌を振り上げる。 ﹁それが⋮⋮その者の最後の権利だから。



1

11

54 第 11 章 滅びの場

ていたのだ

ないよ﹂ ﹁⋮⋮その強力な自信は一体どこから来るん だろうな﹂

のこのこと父親と姉がやってきた。 ﹁⋮⋮やはり、決戦場所に離れ家を選んだの ﹁強気が運を呼び込むってね﹂





がはじき出した答えとは思えな



言う。





何かと調子のいい妹がさっさとゲームを放

棄したので、俺はこの場を去ることにした。誰

が見たってさっきのポーカーは俺の勝ちなの



 に埋め込まれた コンピュータを使っても 脳

だが、あいつは認めないだろう。それどころ



別に構わないのだが、こういう時には使いに

手が炸裂するところだったのに﹂などと言い

か﹁惜しかったわ。せっかくあたしの必殺の

移動する。

出すかも知れない。お前の﹁必殺の手﹂は文

字通りの兵器だろーが。

微妙にモヤモヤした頭を切り替えて、さて

悲劇の歌姫に

これからどうしようかと考える。

⋮⋮そうだ、 彼 女に

会いに行こう。

﹁私を殺すときは、笑顔でいてくださいね﹂



アイオロスが﹁また暴れだすんじゃないだ

彼女はそう言った。まるで感謝しているか

のような、爽やかな微笑みで。

用事を説明した直後の発言だ。外見

二十

俺の、彼女の家系に関する 質そうな男性である。

最初の会見

宣言する。

からは想像もつか

代前半にしか見えない

呆気にとられた。

ない、幾重もの星霜を感じさせる反応。俺は ﹁おい、話    ならもう一つ意識を作って対応で

俺の反応が面白かったのか、笑みを強くし

﹁私も、もう歳ですから﹂ アイオロスが正にうんざりした顔で文句を

きるだろうが﹂

チャット

テテュスが呼び掛ける。

﹁ニールス﹂

﹁ふっ、運だけならお兄ちゃんに負けたりし

んじゃないぞ﹂

﹁わーかったよ。だから間違っても暴走する

アイオロスが投げやりに答える。

﹁今度は交換無しのジョーカー無しだからね﹂

光は人物の姿を作り出す。三十歳位の神経

あげ、彼女の掌から光が飛び出した。

ろうな﹂と言う前に、テテュスが唐突に声を

﹁あ﹂

﹁おい。まさか

テテュスは沈黙。

﹁⋮⋮﹂

アイオロスが叫ぶ。スリーカードだ。

﹁オープン



くい。壁面埋め込み型のディスプレイの前に



いな⋮⋮﹂

﹁とても

は正解だったな﹂ と、父。 ﹁そうねえ﹂ と、姉。 ﹁全くだわ﹂ と、なぜかテテュス。 三人とも分かったような顔をしてうなずい ている。 ﹁最初っから、暴走しなきゃいいんだよ ﹂ アイオロスの悲痛な突っ込みが空しく響き 渡った。

耐えられなかった。何が、と問われてもはっ きり答えられないが、とても耐えられるもの ではなかった。 あの映像が浮かぶ。 ⋮⋮そうだ、解決方法が一つだけあった。

A I

!

! 兄に指を突きつけて、テテュスが偉そうに

、 、

!

55

て彼女はそう言った。そう、彼女は確かに八 十年もの歳月を生きてきた。

の 家 系 は 系 列 分 子 機 械 を 無 効 化 す る ﹃カ ム イ﹄でもあったのだ。 ﹃カンナギ﹄と﹃カムイ﹄は 系列分子機械

われている。

何故この処理が自分に回されたか。

彼 女 は い つ も の よ う に 庭 園 で 歌って い た。

﹃脆弱﹄の名に反して、歌声はのびやかで、そ

ドメイン

の或る同一の基幹領  域 に対する免疫応答を示

み。全ての壁には音を吸収し起電力に変換す

彼女は老化しない。そういう形質の家系だっ

る機構が組み込まれていて、彼女の歌声を決

の声量は小さくない。しかし庭園の目前にま

者は分子機械を適切に排除する。﹃カンナギ﹄

して外に漏らさない。また、万一の場合には

生殖

は反応が過激であるために分子機械の開発直

音声を  実時間 で解析し逆位相の波をぶつける

た。数世代前の先祖が自らの配偶子

不死身、という訳ではない。むしろその形

後に確認されたが、 ﹃カムイ﹄は﹁何も起こら

で迫った壁はその声を反射せず、吸収するの

質の持ち主は病気がちで、幼児期の死亡率が

ない﹂という地味な形質と該当者の絶対数が

事によって歌声を消滅させる。

す遺伝形質である。前者は急激なショック症

高い。幼児期を乗り越えても、生涯を通して

少ないために発見が遅れた。二つの形質が同

彼女の邪魔にならないように、慎重に降り

アナフィラキシーを引き起こすが、後

貧血気味で激しい運動は望めない。しかし彼

じドメインに反応する事は比較的簡単に判明

立つ。即席の翼を分解して  の地殻 に返還。



子沢山で、生きる限り繁殖し続

したのだが、その問題点を完全に克服した分

 唱 は続く。殆どが、尖った感情が永い刻 独

リアルタイム

ける。まさに福祉社会に寄生し、ただ生き続

子機械は未だ登場していない。基幹ドメイン

に削られたような不思議な感触を持つ歌であ

等は多産

け、増え続けるだけの家系だった。遺伝子改

はどれ一つを取っても分子機械の機能に必要

る。ふらふらと揺れる身体、力の抜けた笑顔。

こ こ

  は地球より遥かに規模の小さな閉鎖系



造を請け負い、経過を追跡した医師はこの超

不可欠であり、しかもドメイン一つを改変し

彼女は歌うことに全身全霊を傾けている。



正常家系を﹃  脆弱なる永遠 ﹄と呼んだ。

ただけで分子機械全体の形状と機能が影響を

翼状外部装  置 を増設し、彼女のところへ。彼

感情の持ち主だったなら、現代の魔女狩りを

ア セ ン ブ ラ

引き起こすか独裁者になっていたであろう。 女の居宅は、

 子機械 による無痛声帯手術という手も在っ 分

たのだが、彼女が拒否した。声を変えられる

と言うか幾重もの壁に囲まれた  処 

に在る。そしてそこには彼女しか住んでいな

ぐらいなら、他人との繋がりを失った方が良

い山々

い。生殖隔離というだけではない。人々を愛 ケイジ

いと。自分はもう、社会的存在であることを

カ ナリア

し歌を愛するが故に、金  糸雀 は自ら鳥  籠 に囚

ところ

には珍しい地形である険し

同調してしまう。彼女が起伏の緩やかでない

女の声を効いた者は、強制的に彼女の感情と

極めて強力な、音声による感情同調能力。彼

了する。 そ れ が 問 題 だ っ た。

、 、 、 、 、 、 、 、

甘く、良く通る声質。彼女の声は大衆を魅

C 1



である。生物に自由に繁殖させたなら、あっと

受けてしまう。現在はバールが全ての基幹ド



言う間に飽和してしまう。従って一組の夫婦

メインを少しずつ改造した 系列分子機械を



は最大二人の子供しか遺せない事になってい

急造したところである。この 系列は 系列



B

C



る。二児を産み落とした後母体は閉経を迎え、

に比べて安定性と速度に劣り、究極的な代替



C

フ レ イ ル・エ タ ニ テ イ

今後の繁殖に使われる筈だったエネルギーは



デバイス

とは成り得ない。

細胞に遺伝子改造を施したのだという。

何故この処理が自分に回されたか。

B

B

若さと健康を保つために回される。子供が更



C 1

にその子供を産む前に死んだ場合には、申請 すれば再び妊娠が可能になる。

クラツクヘツド

この処置を実施しているのは  液相の主 の ア セ ン ブ ラ

系列分  子機械 ︽麻  薬常習者 ︾である。ところ が﹃脆弱なる永遠﹄の人間にはテテュスの︽麻 薬常習者︾が通用しないことが判明した。こ

B

C 1

56 第 11 章 滅びの場

まっと

 うしたのだからと。 全  意識的存在において、感情は意識そのもの オツサン

in vivo の基礎であり、認識の要である。人間の  脳内  silico に移しただけの広  野 や 事象をそのまま計  算in機 

それと同類としか思えない我が姉レアの感 情は、 彼女のそれに服従してしまうだろう。 ゴッズ・ウォー プ

は存在

現にこの鳥籠の内側には二者の分子機械 ア ー ティフィシャル・セ ト ラ ー

︽不  自然な植民者 ︾と︽神  の縦糸 ︾ しない。 何故この処理が自分に回されたか。 フ エ イ ル セ ー フ

我が妹テテュスと俺アイオロスには、認識 テ







機能に  多重安全機構 が掛かっている。本来な ら人類を含む生物圏の管理は  液相の主 の管轄 なのだが、これ以上仕事が増えるのは御免だ 親



と駄々をこねて俺に押し付けた。 余談だが、  ール もその人間離れした特殊な精神性から バ 彼女の﹃声﹄に耐えられるのではないかと俺 は考えている。

第 章 悪霊綺譚

´ vam·pire /væmpai r/ [名][C]

12

1 吸血

はその殆どが破壊

主に産業用の微小機械

ヴァンパイア

来なかった。生体組織の設計図など、産業用微

う。 ﹃悪   霊 ﹄は血液中でしか活動せず、血液

﹃悪霊﹄感染者には文字通り超人的な身体

小機械のメモリに存在しなかったからだ。不

された。残っていても血液を創り出す事は出

いる人の血を吸うといわれる悪霊;

能力が備わった。特に筋力、反射神経と夜間

を介してのみ感染する。

→Dracula).2 他人を食い物にする悪者;

液を採取する際に﹃悪霊﹄を感染させないよ

二次感染の事実が周知のものとなった後、血

は全て﹃悪   霊 ﹄に変質していた。

の血を  啜 らねば生きてはいけない身体になっ てしまった

血が足りなくなると﹃悪霊﹄は宿主の理性 を奪い、他人を襲わせる。 暴走した感染者の歯茎は充血し、恐ろしい 事に血で出来た牙が形成されていた。 感染者は瞬く間に増えていった。 戦乱直後故に、輸血パックなどというもの は存在しなかった。 感染者は他人に頼み込むか︵主に寝込みを︶

ごと

は従来のヒト、 ﹃夜﹄は﹃悪霊﹄に感染し発症

人類は昼と夜の二つの種類に分裂した。 ﹃昼﹄

だったからだ。

その全てが非感染者にとって忌避すべき事例

に伴う凶暴化と吸血行為、 ﹃悪霊﹄の感染性、

にならない程の身体能力、夜   毎   の徘徊、貧血



感染者を差別し始めた。非感染者とは比べ物

やがて当然のように、﹃悪霊﹄ 非感染者は

化プラスチックのストローだった。

うに感染者等が用いたのは大抵が注射器や強

太古の吸血鬼伝説そのままに。

すす

ヴァンパイア

幸なことに幾つか見付かった医療用微小機械

じん



トゥー ム

代償として彼等は陽光から追放され、他人

視力が強化された。

オーバーテクノロジー





襲うかして血液を補充するしかなかった。超



しかし  超越者 はただでは倒れなかった。

越者時代は通貨が必要なかったために経済と

の悪い微小機械をばら撒いたのである。﹃悪

物へと変貌させる、殺人ウイルスよりも性質

かった。更に、戦乱により超越者達の遺産

物々交換で血を売ってもらうという試みもな

いう概念が壊滅状態にあった。従って最初は、

遺伝形質に関係なく、病状には以下の 種

月日を経て徐々に明らかになった事がある。

してしまったヒト。

霊﹄は元来、医療用の微小機械であったとい

ヴァンパイア

﹃悪   霊 ﹄ という、 人間を呪われた夜の怪



彼等を封じ込めた。

がらも、人々は世界の果ての巨大な︽墓  所 ︾に

甚大なる犠牲を生み、文明を灰燼に帰   しな

得る為に人民は蜂起する。

勝ち目が微   塵   もない事を知りつつ、自由を

牲となるのはいつも何の力もない人々だった。

達の持つ超   技 術  は時折暴走したが、その犠

言論や集会の自由は制限されていた。超越者

し、管理していた。出生率は厳密に調整され、

細胞よりも小さな機械を用いて人々を支配

先ず、超越者達による支配があった。

妖婦.3 = vampire bat

鬼 (死体に宿り生き返らせて夜眠って

e

57

4

58 第 12 章 悪霊綺譚

類があること。 ノーライフキング

 死の王  不 • ヴァンパイア 自分のものとなった﹃悪   霊 ﹄の挙動を細 かく制御できる。紫外線にある程度耐え ド



られる。 ミ

  中 • 間種  身体能力以外にこれといった長所もなく、 銀イオンと紫外線以外にこれといった弱 点もない。再度﹃悪霊﹄に感染すると不 死の王になる。 スレイブ • スレイブ 文字通り﹃悪霊﹄の奴  隷 。他者を襲い﹃悪 霊﹄を感染させはするが、液体を飲むと 咽喉が痙攣するために血を飲むことはな い。感染後しばらく経ってから筋肉と骨 格が際限なく成長し始め、皮膚が硬質化 してひび割れる。日光、水、大きな音な どを恐れる。一週間程度で死に至る。再 キャリ ア

び感染すると中間種になる。   担 • 体  ﹃悪霊﹄を有してはいるが、無症状。紫 外線にも銀イオンにも反応しない。数箇 月後には非感染者に戻る。再び感染する とスレイブになる。 そしてそれぞれの症状に対応する ﹃悪霊﹄

の夜の者など存在しないこと。

﹃アルケー﹄の三人だな?﹂

じゃくじょう

碧の視線と紅の視線が、交錯する。

物は薙刀にしては反りが弱く、柄が短い。丁度

くある得物を手に彼女は佇んでいた。その得



異様な切れ味だった。殆ど抵抗無く、強靭

真ん中の刃と柄の境界には、鍔

いつしか、三百年の時が経ち

な筈の﹃夜﹄の者の身体を幹竹割りにしてし

進化した、長巻だ。それも反りが強く斬りやす

薄碧い寂 静 たる光の下、己の身長の倍近

まったのだから。如何なる膂力をもってして

今夜の獲物である﹃不  死の王 ﹄をゆっくり

メートル程しかないが、これは三メートルも

する男物だ。もっとも通常の長巻は長くとも二

い女物ではなく、斬るには力と技量を必要と

太刀から

も、通常の打撃武器ではこうはならない。

じっくり追い詰めていたら、こうである。穏健

ノーライフキング

に説得から始めずに問答無用で拉致すれば良

ある。普通の人間はこんなものを振り回した









正体を看破された動揺を押し隠し、小首を

の者に戻すという﹃改  宗させる者 ﹄が一人。



拉致監禁して怪しげな儀式を執り行い、﹃昼﹄

な異様な武器を携行する彼女は、 ﹃夜﹄の者を

に叩くために使うような得物でもない。そん

りしないし、ましてや小柄な女性が人間を  膾 

なます

かった、と物騒な後悔を紅玉の瞳に浮かべる。 ヴァンパイア

宿主の心拍の停止を感知し、 ﹃悪   霊 ﹄が活 動を停止する。いかな不死者とは云え、中枢 神経系と心臓を破壊されれば死は免れ得ない。 むくろ

二つに分割された骸   が血をまき散らしながら 左右に倒れる。 その背後から現れたのは碧の瞳をした迷彩

﹁⋮⋮﹃始  源 ﹄ ?﹂

アルケー

傾げてみせる。

﹁惚   けなくてもいい。お前達は、この円筒世

服の男だった。身体は正に筋骨隆々、身長は二 メートル近くある。手には両刃の長剣が握ら

界の創造主

沈黙。それが答え。こちらの仕事を邪魔し

とぼ

れている。不思議なことに刀身に血が付着して

獲物を横取りしてくれた人影に向かって、彼

てきたのは、これを確かめたかったからか。こ

悪名高い超越者だろう?﹂ いない。彼自身も返り血を浴びていなかった。

女は確認する。目の前の人物が活動を開始し

ちらも気になることがある。苦い声で問う。



てから百数十年、幾度か邪魔をしたことはあ

スクリーマー

﹃叫  喚者 ﹄ね?

それは世界の果てにある、巨大な漆黒の石

﹁︽墓  所 ︾だ﹂

トゥー ム

こで入手したの?﹂

﹁⋮⋮その剣は遺産 ノーライフキング



﹃エバーグ

るが、直接顏を合わせるのは初めてだ。 ﹁あんたが噂の不  死の王 殺し



リーン﹄ね?﹂ バ

の型が存在すること。感染者は子をなせない、



﹁有名なのはお互い様だ⋮⋮。改  宗させる者 



則ち﹃悪霊﹄は垂直感染せず、生まれついて

59

﹃昼﹄の者も﹃夜﹄の者も近付こうとはしない。

もある。この地点は混乱初期から神聖視され、

板。超越者をこの世界から追放した記念碑で

と瞬間移動じみた速度を誇る。  不死の王 とも

イブであれ、 ﹃昼﹄の者を一撃で葬り去る膂力

にも思わない。 ﹃夜﹄の者は中  間種 であれスレ

うのが実情だ。 ﹃夜﹄を殲滅しようなどとは夢

﹁いらっしゃい﹂

いる。

のドレス。紅色に濡れた瞳は、少し戸惑って

く蒼白い肩を出した、くるぶしまである闇色

ノーライフキング



ところがこの︽墓  所 ︾に侵入し、剰   え誰にも

なれば、ほぼ無敵である。確かに﹃夜﹄の者

陰のある青年が静かな声で迎える。

少し口に含み、味と香りを確かめる。



知られていないはずの兵器庫から強力な遺産

にとって銀の弾丸は弱点であるが、当てる機

客の入りは多くない。やや気怠げな雰囲気。

﹁美味しい⋮⋮﹂

ぽつり、ぽつりと話し声が。

が繰り返された。それは、 ﹃夜﹄の者が増加す

甘い溜め息と共に、そんな感想が漏れた。

る過程でもあった。ヘモグロビン不足で暴走



を盗み出した誰かがいた。

会など殆どないに等しい。そして﹃夜﹄の者

あまっさ

﹁⋮⋮そう、あんただったの、あそこを荒ら

は陽光を恐れはするが、それで瞬間的に死ぬ

カウンターの青年の正面に座る。 程無く、

トゥー ム

したのは。てっきり﹃不死の王﹄だと思って

わけではない。数分間照射したところで、凶

紅い液体の入ったグラスが差し出される。や

現と同時期だったわ﹂

カウンターの向こうでグラスを磨いている

そう言えば、 ﹃エバーグリーン﹄の出

暴化して手に負えなくなるのが落ちである。

やぎこちなく、彼女はそれに紅い唇をつけた。

た。

﹃昼﹄の者が一丸となるまで、多くの悲劇

おさ

超越者の少女が、己の迂闊さに頭を抱える。 お ま え ら

﹁数々の無傷な遺産と、  超越者 の長   バールの いや、 伝 言があった。世界の本当の

する﹃夜﹄の者。巻き込まれて死ぬ者、感染

﹁でもちょっと変わった  酷 ですね。ヘパリン

コク

し﹃夜﹄になる﹃昼﹄の者。無謀にも復讐を

笑いをこらえた声がかけられた。

﹁おいおい﹂

極めそうだ。

くめた。どうやら青年との意志疎通は困難を

彼女はその応えに不満だったのか、肩をす

青年は沈黙で応じる。

﹁⋮⋮﹂

が入ってないのはいいんだけど﹂ こだわ

誓い玉砕する﹃昼﹄の者。 こまごま

 々 とした拘 細  泥 りとわだかまりを捨て、 ﹃昼﹄ の者は団結した。集落の周りには太陽燈と銀 でコーティングした有刺鉄線を設置した。皆 で少しずつ献血し、集落の外に輸血パックを ヴァンパイア

置いた。幸い﹃夜﹄の者の人口は少なく、貧血

犠牲者の増加率が激減した。

になる程提供せずに済んだ。結果、 ﹃悪  霊  ﹄の 感染者

密かに驚愕した。半瞬前まで誰もいなかっ

カラン、とドアベルが鳴り、細く優美な人

ジョッキになみなみと注   がれた紅い液体。

それが今から二百年前のこと。



た筈の左隣の席に、大柄な男が鎮座していた。

は露骨に対立しているわけではない。 ﹃夜﹄も

影が薄暗い屋内に入って来た。まず目に入っ

﹁こいつはノリはいいんだが、無口なのが玉



元は﹃昼﹄であるから。 ﹃昼﹄の種族が徒党を

たのは、逆光に映える銀糸の長髪。そして細

奇妙な意匠の長剣を  帯 いている。彼の前には

組み、徹底して﹃夜﹄の者を避けている、とい

分裂したといっても、 ﹃昼﹄と﹃夜﹄の種族

えたくもないだろう﹂

自分達の三〇〇年が間違っていたなどと、考

﹁公表したところで、どうにもならん。いや、

一五歳程度の少年の姿をしている。

先刻までとは違う、少年の声。黒髪蒼眼の、

﹁どうして、それを公表しなかったんだ?﹂

いて、

せる者﹄達の気配が揺れた。そこまで知って

﹃バール﹄という名前が出た刹那、 ﹃改宗さ

歴史と、お前達の姿を知ったのも、そこだ﹂

遺言

、 、

きず

﹁俺は、中間種のままで充分だ﹂ 本音である。

セ ラ フィック

キャリ ア

持ち合わせていた。 そう、 それは  陶器製の 、

セ ラ ミ ツ ク

ちながらも、鉱物ではありえない柔らかさを

その美しき翼は、雲母の煌きと  質感  を持

テクスチャー

﹃吸血鬼﹄は大部分が﹃不死の王﹄なのである。

の王﹄になることを望んだ。つまり、現在の



なった。不活性な﹃悪霊﹄を宿す担  体 もいな





に瑕   でな﹂ い。中  間種 も殆どが更なる力を求めて﹃不死





﹁ノリ⋮⋮ですか?﹂



意味のよく解らない単語を反復する。 ﹁解らないか?﹂ ﹁まさか⋮⋮﹂ まさかこの 施 設の巫  山戯 た内装が、目の前 の物静かな青年によるものだとでも⋮⋮? ﹁そのまさかだ。まぁそんな事よりも﹂ 男の碧の瞳がこちらを正面に見据える。﹁俺 はアンタに興味がある﹂

 使の 翼。 天

型番 ︲ 、 つま ア セ ン ブ ラ

V たか?

まさか⋮⋮﹂

﹁そんな筈があるか 恩人だぞ ﹂

ても二十歳前後にしか見えない。中  間種 も老

械を排除するために秘かに 系列の分子機械

の殺害、いや

B を流した﹂

分子機械を用いて人体実験を行っていると噂

K

抹消だ。  私 Baal の 系列分子機

化が遅いが、其れ程複雑な事象を引き起こせ

を製造した。故意に欠陥を持たせてな。其の



V

ノーライフキング





る訳でもない。とすると⋮⋮。



﹃悪   霊 ﹄ の大流行が終結して久しい。 不

ヴァンパイア

最たるものが、狂犬病のラブドウイルスをモ

﹁カールが望んだのは人民の解放ではない。私

彼は力なき人々の大

の自由のために殉死した、英雄の名ではなかっ

その名は、超越者の血族でありながら人民

﹁ ﹃カール﹄ ?

りカ  ール が  五 番目に造り出した  分子機械 だ﹂

Vampire

﹁微小機械﹃  悪霊 ﹄は

K

女は顏ばせに少しの困惑を浮かべ、尋ねる。 ﹁⋮⋮男に飢えているように見えますか?﹂ ﹁違う違う﹂ 苦笑する。こちらこそ色情狂のように見え たのだろうか? ﹁見慣れない顏だからさ。新しい客なんて数 十年ぶりだ﹂ 女は哀しげな表情で言う。 ﹁五十年程、眠っておりまして⋮⋮﹂ てっきり な り た てだと思っていた。どう見

! ﹁あんた⋮⋮  不死の王 か﹂



V

デルにした﹃悪  霊 ﹄だ。そしてカールは私が



!

﹁そう言う貴方は⋮⋮違うんですか?﹂



K a r l

、 、

、 、 、 、

安定なスレイブは死滅したか完全な吸  血鬼 に

K

60 第 12 章 悪霊綺譚

61

第 章 遥かの流れ

ア セ ン ブ ラ

老化がどのようにして起こるのか



路面電車の前に突然、白衣の人影が飛び込

子機械に肩代わりさせるということ。血管の

る不  死化 とは、酵素反応の殆どを凍結して分

イモータライズ

分かったわけではない。よって  分子機械 によ

んできたのだ。人影は メートル程跳ね飛ば

れは確かだ。

避けられない事故だった。局部的には、そ

13

され、鮮血をまき散らしながら勢いよく転がっ

なのである。彼等

中を流れるのは血球ではなく、赤い分子機械



血塗れで真っ赤に はゆらりと立ち上がった。

そう呟いて、白衣の男 染まっていたが

生物の代謝経路は殆ど全てが解明されたが、 システムの調整がどのように行われているか

意識を移している。

 ﹄から究極の生 物模倣たる機  械仕掛けの細胞 の集合体にその

ク ラ ウ サ・エ ク ス・マ キ ナ

の身体であった型番﹃ 

神意執行者

気・液・固体のそれぞれを司る三柱は最初

彼はまるで  浦島太郎  の様だった。

リップ ヴ ・ァン ウ ・ィンクル

﹃不  死人 ﹄とは即ち半

ブ ラッド レ ス

ていった。電車が急ブレーキをかけ、乗客が

死人なのだ。

注目すべきは、ここからだった。被害者から 噴き出した大量の赤い液体が、紅い霧となっ かえ

てその主人の下へ還   っていく。裂けた白衣か らのぞいた擦過傷が、みるみる治っていくの が見える。 やっと、一人の男の声が響く。何か忌まわ ブ ラッド レ ス

しいものを見たような、そんな声。 こ こ

ブ ラッド レ ス

﹁何で  に不  死人 がいるんだ

?!

E X O D

ピュータによる自律制御なので車掌はいない。

被害者を見詰めたまま凍っている。車載コン

5

﹁ふむ⋮⋮﹃  血無し ﹄か、言いえて妙だな﹂

C 1

63

第 章 続序 現 : 在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

彼は、その言葉に少し、⋮⋮少し傷付いた。彼女にそのつもりは無かっただろうが。

﹁⋮⋮﹂

﹁そうそう、それもあったわね﹂

﹁そういう問題なのか⋮⋮? 私はてっきり、療養の為のエネルギー補給だと思っていたんだが﹂

﹁だって、いくら食べても太らないんですもの。それに誰かが言ってたでしょう? よく食べる女は信頼できるって﹂

﹁私の二日分位だ﹂

﹁そんなに多かったかしら?﹂

﹁よく、こんなに食べられるな﹂

男は、彼女の前にあるテーブルの上を眺めながら言った。

﹁ん?﹂

﹁⋮⋮そうだな。それにしても﹂

﹁容姿じゃなくて、性格よ。正反対といってもいいくらいにね﹂

﹁そうか? 一卵性だから、似てない筈は無いんだが﹂

﹁いいえ、別に。⋮⋮いつも思うんだけど、双子なのにちっとも似てないわねぇ﹂

﹁そうか、何か言ってたか?﹂

﹁さっき、あなたのお兄さんが来たわよ﹂

⋮⋮それは、四体のアンドロイドが目覚める、少し昔の事⋮⋮。

0

レアは原因不明の病に罹ってしまった。病状は特にどこが痛いという訳でもなく、ただ痩せ衰えていくのみだった。どんな薬も対症療法も効果が

無い。どんな医師に相談してみても、この病に有効な手段が見出せなかった。しまいには主治医もさじを投げざるを得なかった。それでも彼女はよ

く食べ、点滴に頼ろうとはしなかった。 ﹁だって食べた気がしないじゃない﹂とは彼女の言だ。バールには、それが無理をしているように見えた。彼

女に何もしてやれない腑甲斐無さで、看病している夫の方が余程病人のようだった。健気な彼女に、気休めでもいいから何か慰めの言葉を掛けずに いられなかった。 ﹁心配するな、すぐに良くなる﹂ バールは、花瓶の花を取り替えながら言った。 ﹁ねぇ、バール⋮⋮﹂ ﹁何だ?﹂ ﹁私を⋮⋮︽転送︾して﹂ 花瓶が落ちて割れた。無機質な床に、破片と花が散乱する。夫は呟きながら、ややぎこちなく片付け始める。 ﹁やれやれ⋮⋮看護婦に怒られるな﹂ ﹁バール﹂ 咎めるようなレアの口調に、バールは片付けを止めて立ち上がり、言う。 ﹁しかし、君の病状はそんなに⋮⋮﹂ ﹁もう手遅れ、と言うよりも、手の打ちようがなかったんでしょう?﹂ ﹁む⋮⋮﹂

ずばりと言い当てられて、バールは言葉に詰まる。視線を逸らして虚しい抵抗を試みようとするが、更にレアは差し迫った声で言い寄る。 ﹁ねえ、お願い、このまま死にゆく身体の中に居たくないの﹂

この夫婦は過去、幾度にも渡り対等に討論を交わしてきたが、今度ばかりは夫の惨敗であった。バールが彼女の顔を見ると、その双眸には強い意

反論しようにも、言葉が出てこない。無意識に、拳を強く握り締める。

!

﹁しかし⋮⋮、しかし⋮⋮ ﹂

﹁あらゆる手段を用いて自分を残そうとする、これは生物として当然の行為じゃない?﹂

夫は何とかしようともがくが、恐るべき事態から逃れる術は皆無だった。

﹁しかし⋮⋮﹂

﹁でも、この身体のまま生き延びられる可能性よりは高いわ﹂

﹁しかし、君は あ れの成功率は信じられないくらい低いと言ったじゃないか﹂

、 、

64 第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

65

志の光が宿っていた。バールは尚も出て来ようとする無意味な言葉を無理矢理飲み込むと、悲壮な決心を固めた。 ﹁⋮⋮分かった。君の︽転送︾を行おう﹂ それを聞くと、レアは急におとなしくなった。 ﹁ごめんなさい、⋮⋮あなたには残酷なことだったわね﹂ バールは苦笑して答える。 ﹁それが分かってるから、あんな切り出し方をしたんだろう?﹂ ﹁だって⋮⋮﹂ ﹁ああ、議論になったら、こちらに分は無いからな。それに⋮⋮﹂ ﹁いつだってあなたは、私との約束を破った事がないもの⋮⋮﹂ 夫は力強く頷くと、妻の目を見つめて言った。 ﹁今度も、必ず約束は守る﹂

十二畳程のその部屋は、複雑な計器や機械で埋まっていた。苦労してやっと作ったような狭い空間には、ベッドが二台置いてあり、そのそれぞれ

に人の形をしたものが安置してある。その二人は互いによく似ており、瓜二つといってもおかしくなかった。片方は深い眠りに就いており、もう一

方はまだまだ動いていないだけの﹃モノ﹄だった。二台のベッドの間に白衣の男が一人身じろぎもせずに立っていて、その部屋は静寂に包まれてい た。最初にそれを破ったのは、白衣の男だった。 ﹁レア⋮⋮我が妻よ⋮⋮﹂ 低い、呟くような声を、男は絞り出していた。 ﹁私は今から、君の︽転送︾を始める。飽く迄運命に逆らおうとする、君の意志によって⋮⋮﹂ 男は、そのままストンと落ちてしまいそうな重い溜め息を吐いて、これまた重そうな言葉を放った。 ﹁主よ、人の望みの喜びを⋮⋮﹂

男は無神論者であったが、 ︽転送︾の余りにも低い成功率に、何かにすがりたいと思わずにはいられなかった。これは賭けだ、万が一の成功に希望 を託す⋮⋮。

失敗したら、どうなるか。不完全な記憶、不完全な感情は、彼女を苦しめるだろう。そんな彼女に、自分は何をしてやれるだろう? もしかした

ら、精神崩壊を起こすかも知れない。最悪の場合、この手で彼女の息の根を止めなければならない。出来るか出来ないかではなく、やらなければな らない。いや、それ以前に。⋮⋮自分はこれから彼女の頭蓋を開く。自分に、そんな事が出来るだろうか?

⋮⋮いや、ここで弱気になってはいけない。これは彼女の意志だ。彼女との約束だ、彼女を救う為なんだ。勇気を出せ、これが、今出来る最善の事 なのだ。 ﹁運命とは、かくも苛酷なものか⋮⋮﹂

バールは無造作に、傍らに在る機械のボタンを押した。後は勝手に、手術ロボットがやってくれる。脳波の解析を行ったりニューロンの配線を調

べたりするので、人間の手では到底無理なのだ。それでなくとも最近は、ロボットの自律化が進んで来ている。しかし、見届けない訳にはいくまい、 彼女が分解されてゆく様を。 ﹁今度会う時は、万が一成功した場合か天国だな⋮⋮﹂ 男の呟きは、誰にも聞かれることなく、静寂の中に溶けていった⋮⋮。

白い、十畳程度の病室。大きな窓から、白いカーテンを通して柔らかい光が差し込んでいる。中央にはベッドが一つだけ。そこに、静かに眠る若い 女性。ベッドの傍らに立つ白衣の男。

⋮⋮良かった⋮⋮

もう目を覚まさないんじゃないかと⋮⋮﹂

レアが目を開く。身体を起こし、目蓋を半分程開けて、寝ぼけたような顔で辺りを見回す。夫は、相好を崩して妻に駆け寄って言った。 ﹁レア

!

﹁⋮⋮⋮⋮ ﹂

﹁あなたは⋮⋮誰ですか?﹂

﹁あ、ああ﹂

﹁私の名前は﹃レア﹄なのですか?﹂

﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂

﹁はじめまして﹂

!!

﹁もういい﹂

﹁私は、人間に似せて造られたロボット。骨格から無数に枝分かれした付属肢には、高感度センサーとナノオーダーの⋮⋮﹂

彼女は少し考えて、答えた。

﹁そうだ﹂

﹁私?﹂

﹁⋮⋮君は、一体誰だい?﹂

投げ掛けた。

失敗か、⋮⋮それとも︽転送︾のショックによる一時的な記憶喪失か? どちらともはかりかねたが、バールは取り敢えず最も重要な質問をレアに

!!

66 第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

67

いたたまれなくなって、止めさせた。⋮⋮︰失敗だ。どうやら人格だけは保っているらしいが、その他は壊滅状態だ。あんな基幹情報だけしか覚 えていないなんて⋮⋮。

彼女を死なせてしまった。その事実が、重く伸し掛かってくる。レアは、永久に失われた⋮⋮。手術直前、一般麻酔剤を打つ時のやり取りが思い浮 かぶ。

﹁ねえ⋮⋮この期に及んでだけど、まだお願いがあるの﹂ バールは、注射器を片付けながら短く答える。 ﹁ん?﹂ ﹁⋮⋮もし私が死んだら、﹂ ︽死︾という言葉は、今の彼にとって聞きたくない言葉の一番目だった。抑えた声で、彼女の言葉を遮る。 ﹁やめてくれ、考えたくもない⋮⋮﹂ しかし、彼女は言いたい事を話さないまま眠るつもりは無いようだった。 ﹁遺言だと思って、真面目に聞いて﹂ ﹁⋮⋮分かった﹂

彼は、どういう訳だかレアにだけは逆らえなかった。いつかその謎を解明しようと思っていたが⋮⋮。ともかく、彼女は彼の答えに満足したようだ。 ﹁それでよろしい。三つあるけど、そんなに難しい事じゃないわ。一つ、⋮⋮もし私が死んだら、﹂ ﹁⋮⋮死んだら?﹂ 彼女の語尾を繰り返して次の言葉を待つ。緊張が極限に達し、つばを飲み込む。 ﹁あなたは私の分まで生きる事﹂ ﹁ ﹂

﹁⋮⋮で、後二つは?﹂

しまった。何もかも見抜かれているとなれば、逆らうだけ無駄だ。バールは諦めて、次を促す。

正直、バールは︽転送︾が失敗に終わったら、彼女の後を追って死のうと思っていた。彼女のいない世界に、用は無い。⋮⋮が、それも封じられて

﹁⋮⋮了解。約束だ﹂

この時もまた、バールはレアに逆らえなかった。

﹁⋮⋮だって私は、死後の生なんて信じていないもの。あなたには、生きて、幸せになってもらいたい。⋮⋮約束よ﹂

﹁レア⋮⋮﹂

その一文は、彼にとって少しばかり残酷なものだった。

!!

68 第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

﹁二つ目は、アイオロスとテテュスの事。必ず、目覚めさせてあげてね﹂ それは彼にとって、そんなに難しい事ではなかった。他人の土俵で相撲を取るのは少し居心地が悪かったが。

例の計画よ。理想を実現させる為の⋮⋮﹂

﹁分かった。少々時間がかかるかも知れんがね﹂ ﹁三つ目は、私達の夢

確かに、実現すればそれは理想郷に違いない、とバールは思った。やらなければならない事は、全て専門外の領域だった。 ﹁⋮⋮三つ目は私の腕次第か。まあ、自信は無い事は無いが﹂ レアは微笑むと、少し茶化して言った。 ﹁頼りにしてるわ、天才科学者さん。⋮⋮あら﹂ 妻の漸進的な変化が、夫にもようやく知覚出来るようになった。 ﹁どうした?﹂ ﹁⋮⋮眠く⋮⋮なってきた﹂ 麻酔が効いてきたのだろう。目がとろんとなっている。バールが名残惜しそうに言う。 ﹁出来れば、生きていて欲しいんだがな⋮⋮﹂ レアが、少し弱々しくなった声で気だるく言い返す。 ﹁⋮⋮私も、⋮⋮死ぬつもりは無いわよ﹂ ﹁それは分かっているつもりだ﹂

﹁⋮⋮あなたは心配し過ぎるのよ。⋮⋮大丈夫、⋮⋮きっとうまくいくわ。⋮⋮根拠は無いけど、そんな気がするの。⋮⋮女の勘は、よく当たるのよ﹂ ﹁レア⋮⋮﹂

﹁レア⋮⋮﹂ ﹁はい?﹂

この状態は幸運だとさえ言えるかも知れないのに。ただこの幸運

我知らず呟いていた。そしてレアの返事に、現に戻った。何が起ころうとも驚いたりしないと思っていたが、虚脱状態になるほど衝撃を受けてい た事に非常に驚いた。こうなる事は、分かり切っていた筈なのに。いやむしろ は、彼にとって少々残酷なものであろう。



限りなく彼の妻に近い

が、違うのだ。バールは改めて確信した。妻

バールは顔を上げた。今まで俯いていた事にも気付かなかった。レアと目を合わせる。彼女は、バールの知らない彼女だった。今のきょとんとし

いや

た表情は、見た事が無い訳ではない。どこが変わったという訳でも無い

それとも偶然か?

は、思い出になってしまったのだと。 ﹁これは必然か?

69

運命自身の為に傀儡の糸を操る。多くの人はそれに気付かない、気付こうともしないのだ﹂

歴史は、必然でもあり、偶然でもあるのだ。それを運命と呼ぶ事もある⋮⋮﹂

バールは芝居じみた口調と身体の動きで、陶酔したように独白した。 ﹁あのー﹂ ﹁起こった事全て ﹁はあ⋮⋮﹂ ﹁運命は人を踊らせ、誰の為でもない ﹁何だか言っている事が微妙に首尾一貫していないような気がするんですが﹂ 突然、バールは笑い始めた。 ﹁はーっはっはっは⋮⋮、茶番だ、全ては茶番だ⋮⋮﹂ ﹁そうなんですか﹂ ひとしきり笑うと、正気に戻る。

言いたい事⋮⋮﹂

﹁ははははははははは⋮⋮って、いちいちうるさいね。今回の失敗を吹っ切る為にも、言いたい事くらい言わせてくれ﹂ ﹁⋮⋮何だかよく分かりませんが済みません。⋮⋮で、まだあるんですか? バールは少し考え込んだ。そして口を開く。 ﹁⋮⋮無いな。大体さっきのも、言うべき事じゃなかったような気がするし﹂ ﹁それは良かった﹂ ﹁⋮⋮で、君の用件は?﹂ ﹁いやあの、そこはかとない不条理を感じるんですが⋮⋮私とあなたの関係は?﹂ バールはすっかり失念していた。妻が消滅してしまったのならば、今目の前にいるこの女性は何なのだ? ﹁何がいいかな⋮⋮﹂﹁え⋮⋮?﹂ ﹁あ、いや⋮⋮そうだ﹂ ﹁思いつきで決めるんですか⋮⋮﹂ ﹁いや、これもまた必然というか偶然というか、⋮⋮つまり君は、私の﹃娘﹄という事になる﹂ ﹁私は、あなたの娘⋮⋮?﹂ ﹁そうだ﹂ ﹁あなたは、私の⋮⋮お父さん?﹂ ﹁その通り﹂

どうやらレアが理解するのに、しばらく時間が掛かりそうだ。と、バールは思ったのだが⋮⋮。唐突にレアが切り出す。 ﹁﹃お父さん﹄っていう割には若過ぎませんか?﹂

70 第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

﹁は?﹂

そうなのである。バールはどう鯖をよんでも二十代後半で、レアはどう若く見積もっても十代後半であった。他にも施設から引き取ったとか後妻 の連れ子とかクローンとかの可能性はあるが⋮⋮。 ﹁ちょっと待て。君はさっき自分が言った事を覚えていないのか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁君のその身体を造ったのは私の妻、そして君の精神を創り出してしまっ⋮⋮いや、創り出したのは私だ﹂ ﹁ああ ﹂

レアは身体を倒した。そして瞳に憂いの感情が浮かぶ。

そう言って、白で塗り潰されたようなこの部屋を出ていった。

﹁しばらく待っててくれ﹂

悪い所はない、というのは嘘だった。が、父親だというその男性は、気付いていない様子だった。

﹁それは良かった。⋮⋮安心したよ﹂

﹁ええ、別に⋮⋮﹂

﹁君が無事生まれる事が出来たのは、不幸中の幸いだったよ。⋮⋮どこか悪い所は無いかい?﹂

﹁⋮⋮﹂

帰らぬ人となってしまったんだ⋮⋮﹂

﹁⋮⋮いわゆる不治の病⋮⋮いや、私が殺したのも同然だな。成功率殆どゼロの手術を決行したんだが、やはりというか⋮⋮失敗してね、そのまま

バールは自嘲気味に苦笑した。

﹁そう⋮⋮。死因は?﹂

少し、時間が止まった。そしてまた回り出す。

﹁妻は⋮⋮君の母親は、もういないんだ。私の力が及ばなかったばかりに⋮⋮﹂

整された事実を。

彼は、その言葉に少し、⋮⋮少し傷付いた。彼女にそのつもりは、全く無かっただろうが。何にせよ、事実を知らせねばならないだろう。かなり修

﹁⋮⋮それじゃあ、 ﹃お母さん﹄もいるのですね﹂

バールは軽い溜め息を吐いた。少し考えて、レアが発言する。

﹁分かってもらえたみたいだね﹂

﹁成程﹂

﹁君が私達夫婦の子というのは、極めて自然な事じゃないか?﹂

!

71



特に記憶の所在する場所

が重い。不必要なデータや、読めなくなった領域が多過ぎる。それに

少し、驚いた。

﹁自分の場所じゃないみたい。他人の家に間借りしているような⋮⋮﹂ 無意識に、声に出していた。

痛み。そのまま破滅に直結しそうな、耐え得ない痛み。 これが痛みだ。



もう悲しまないと、幼い頃に誓った筈なのに。これは喪失感なのかも知れない。

⋮⋮﹁痛み﹂ ?⋮⋮そうか、過剰な刺激による精神の歪み

私は何が悲しいのだろう?

悲しみ。昔、誰かが悪徳だと言った、悲しみ。 ⋮⋮﹁悲しみ﹂ ? 涙。とめどもなくあふれ出る涙。 ⋮⋮﹁涙﹂ ?⋮⋮そうだ、涙だ。悲しみの結果だ。 私がこういったものを取り戻したという事は、喜ぶべき事なのだろうか?

73

参考文献

[ Biblio01 ]エリック ド ・レクスラー著﹃創造する機械﹄ [ Biblio02 ]エド レ ・ジス著﹃不死テクノロジー﹄ [ Biblio03 ]エド レ ・ジス著﹃ナノテクの楽園﹄ [ Biblio04 ]R L ・フ ・ォワード著﹃SFはどこまで実現するか﹄ [ Biblio05 ]ブルフィンチ著、野上弥生子訳﹃ギリシャ ロ ・ーマ神話﹄ [ Biblio06 ]阿刀田高著﹃新約聖書を知っていますか﹄ [ Biblio07 ]ひきの真二、濱田隆士監修﹃NHKまんが地球大紀行 第5巻﹄ [ Biblio08 ]本多敬介著﹃超音波の世界﹄ [ Biblio09 ]ニコラス ハ ・ンフリー著﹃内なる目 意識の進化論﹄

﹄ 2001

[ Biblio10 ]エイミー ト ・ムスン著﹃ヴァーチャル ガ ・ール﹄ [ Biblio11 ]文部省国立天文台編﹃理科年表

[ Biblio12 ]リチャード ド ・ーキンス﹃延長された表現型﹄ [ Biblio13 ]橋元淳一郎著﹃人類の長い午後﹄ [ Biblio14 ]宮坂信之著﹃膠原病教室﹄

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