「いろはうた」の歴史と意義 文字を習得するための手習いとしての「いろは」は、古来、七文字の分かち書き にされてきた。そこから、例えばその脚の文字を「とかなくして しす」 「罪( と が)無くして死す」の隠し言葉と見て、 「仮名手本忠臣蔵」の題名(赤穂の四 十 七士を四十七文字にかけ、手習いを「忠義」の手本と見立てて、また、彼らの刑 死を不当と哀れんだ。)の由来とするような遊び心が生まれてきたのである。 日本の言葉遊びの伝統は、縁語、掛詞などの時代から江戸期に入って、見事に 複雑多岐の花を咲かせているのだが、その基底ともいうべきものの姿が、上 のような「いろはうた」への親しみの中に表れていよう。言うまでもなく、 「 い ろは」は、もののはじめ、基本、物事を習うときのステップ(てほどき)の、代 名詞となっているし、また、江戸町火消しの「以呂波組」や「以呂波茶屋」のよう にあるグループを呼ぶのに利用されたり、「以呂波番付」のように、いろは を 番号のように用いることは今日でもしばしば見るところである。 ところで、 「いろはうた」は、 「色は匂(にほ)へど散りぬるを、わがよ誰そ常 な らむ、有為(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて、浅き夢見じ、酔(ゑ) ひもせ ず」と書き表される七五調4句からなる、いわゆる今様歌である。その意味は、 盛んに匂い立つ美しい花も、やがては散ってしまう、そのような栄華を誰 が 永遠のものとできようか、愛別離苦・・・・・有為の奥山を、踏み越えたい と 願ってもそれは浅はかな夢、その夢に酔うことすらもできない、というような こ とになろうか。諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽「涅槃経」のこの四 句にあるいわゆる無常観をうたったものである。 約九百年にわたってこのうたがてならい(文字習得)の基本であったわけだ が、それは時に我々日本人の幼い心に、上のようなうたごころや、人生観、世界 観や、言葉への親しみをも染み込ませることに他ならなかった。日本人の心の 伝統と、美意識の特性を考える上で、この事は注意されてよいだろうと思われ る。 西洋の例えばアルファベットは、単なる文字、記号の羅列にすぎない。文字習 得の文化として、そこにはアルファベットの歌があり、あるいはその周辺にマ ザァ・グウスの歌がふくよかに生まれてあったとしても、日本におけるこの 特徴は銘記しておきたい。
ゑ
あ
や
ら
よ
ち
い
ひ
さ
ま
む
た
り
ろ
も
き
け
う
れ
ぬ
は
せ
ゆ
ふ
ゐ
そ
る
に
す
め
こ
の
つ
を
ほ
_
_
み
え
お
ね
わ
へ
_
し
て
く
な
か
と
「いろはうた」がいつごろ作られたのか定かではない。俗説では、弘法大師の作 といわれているが否定されている。文献に最も古く見えるのは、「金光明最勝 王経音義」(承暦三年・一〇七九)である。それ以前、平安時代には、 「天地 の 歌(詞)」が手習いの手本として行われていた。「あめ(天)・つち(地)・ ほし(星)・そら(空)・やま(山)・かは(川)・みね(峰)・たに (谷)・くも(雲)・きり(霧)・むろ(室)・こけ (苔)・ひと(人)・ いぬ(犬)・うへ(上)・すゑ(末)・ゆわ(硫黄)・さる(猿)・おふせ よ(生ふせよ)・えのえを(榎の枝を)・なれゐて(慣れ居 て)」 。
いろは歌 いろは歌(いろはうた)は、全ての仮名の音を使って作られている歌で、手習い 歌の一つ。七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。手習い歌として最 も著名なものであり、近代に至るまで長く使われた。そのため、全ての仮名を使
って作る歌の総称として使われる場合もある。また、そのかなの配列順は「いろ は順」として中世~近世の辞書類等に広く利用された。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 歌謡の読み方 色は匂へど 我が世誰ぞ 有為の奥山 浅き夢見じ
散りぬるを 常ならん 今日越えて 酔ひもせず
古くから「いろは仮名 47 文字」として知られており、 「ゑひもせす」の末尾に「ん 」 は付けないのが正式である。しかし、現代には「ん」という仮名があるため「すべ ての仮名を使って」という要請を満たさなくなっており、便宜上つける場合があ る。 末尾に「京」を加える場合もある。これをいろは順という。いろはかるたの最後の 諺が「京の夢大坂の夢」となっていることからもわかるように、むしろそちらの 方が伝統的である。1287 年成立の了尊『悉曇輪略図抄』がその最古の例とされる 歌謡の読み方は、17 世紀の僧、観応(1650 年 - 1710 年)の『補忘記』によると、 本来は最後の「ず」以外すべて清音で読まれる。 「ず」は新濁で、本来は清音で読ま れるものだが習慣的に濁って読まれる。
Iroha uta スペイ ン語 i-ro-ha-ni-ho-he-to
chi-ri-nu-ru-wo wa-ka-yo-ta-re-so
Traducción aproximada
tsu-ne-na-ra-mu
Los colores que resplandecen
u-(w)i-no-o-ku-ya-ma
se apagarán
ke-fu-ko-e-te
¡En nuestro mundo nadie es
a-sa-ki-yu-me-mi-shi
inmortal!
(w)e-hi-mo-se-su
La remota montaña de la vida hoy habré atravesado (*),
Transliteración moderna
no
albergaré
más
sueños
Iro wa nioedo
frívolos
chirinuru wo
ni me emborracharé.
Waga yo tare zo
(*) N.T: budista. Se refiere a la
Tsune naran
vida como cambios del karma.
Ui no okuyama Kyō koete
El poema presenta la estructura de versos
Asaki yume miji
de 7 y 5 sílabas.
Ei mo sezu. El iroha se distingue por ser un pangrama perfecto, ya que emplea todos y cada uno de los kana exactamente una vez (con la excepción de ん [-n], que sería añadido posteriormente al silabario). Por este motivo, este poema ha sido empleado como ordenación del silabario japonés hasta las reformas en el mismo durante la era Meiji (finales del siglo XIX). El iroha también se emplea como un indicador de los cambios de sonido que ha sufrido el japonés hablado durante la era Heian. Es atribuido tradicionalmente al monje budista Kūkai (空海) (774-835), a quien también se le atribuye la invención de la escritura kana, pero esto es improbable, ya que se cree que en su época existían sonidos distintos para la e en las columnas a y ya de la tabla de los kana. El carácter え (e) del poema se habría leído ye, dejando el pangrama incompleto. La palabra いろは (iroha) también se emplea como "el ABC" o "cosas básicas" en japonés.
Iroha フランス語
L'iroha-uta (いろは歌? littéralement « Chant de l'iroha »), ou plus couramment iroha, désigne la traduction en japonais d'un hymne du Sūtra du Nirvāna. Sa date d'écriture est, d'après les linguistes, ultérieur au XIe siècle. Longtemps utilisé pour l'apprentissage des kanas, il fut remplacé par le goinzu (tableau de cinq sons) puis par le gojūonzu (tableau des cinquante sons) durant l'époque d'Edo. Il est maintenant utilisé pour l'initiation à la calligraphie, et sert parfois de classement. D'auteur inconnu, ce célèbre poème est composé avec la totalité des 47 hiraganas, à l'exception du ん (n) qui date de l'ère Edo, ainsi que du /ye/ qui disparaît avant cette date. Ce texte est traditionnellement attribué au moine et savant bouddhiste Kukai. Depuis l'apparition du kana ん (n), ce dernier a été rajouté pour continuer d'être un exercice complet. Texte du poème en kanas et en kanjis Coupons les lignes aux bons endroits pour former des phrases de 5 ou 7 syllabes autant que possible. Écrivons dans le sens qui nous est commun, c'est-à-dire de gauche à droite, cela donne : いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へと 散りぬるを 我か世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせす
Iro ha nihohe to chiri nuru wo Waka yo tare so tsune naramu Uwi no okuyama kefu koete Asaki yume mishi wehi mo sesu
Les couleurs sont parfumées, mais pourtant elles disparaissent. Qui peut dans notre monde rester sans changements. La haute montagne des aléas, aujourd'hui, j'irai au-dessus d'elle. N'ayant ni les rêves vains, n'obtenant ni l'ivresse du vin.
7 5 6 5 7 5 7 5
Comme souvent, traduire un poème dans une autre langue est un exercice très difficile, surtout avec une langue comme le japonais. La traduction proposée ci-dessous, sans explications, s'inspire, outre d'une traduction littérale du japonais, de plusieurs adaptations en français et en anglais.
Le plaisir est enivrant mais s'évanouit Ici-bas, personne ne demeure.
Aujourd'hui franchissant les cimes de l'illusion, Il n'est plus ni de rêves creux, ni d'ivresse.