ヘッセ_車輪の下.pdf

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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] <TITLE>車輪の下

目次

第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章

解説
年譜
あとがき


第一章

 卸(おろし)商で代理店業者のヨーゼフ・ギーベンラート氏は、この町のほかの 連中とくらべてことさらすぐれた点やきわだった特徴をそなえているというわけではなか った。ほかの市民たちと同じようにどっしりとした丈夫そうな体格をし、熱烈なしんそこ からの金銭崇拝の心とは切っても切れない縁(えん)のある商才というやつも一応 はもちあわせ、庭つきの小さな家作を持ち、墓地には先祖代々の墓もあった。多少はひら けていたので、おもてむきの教会のおつとめのほうも底がみえていたが、それでも神様と お上(かみ)には適当に敬意を払い、市民生活の品位の基準である厳格な掟( おきて)には盲従するといったたぐいの人物であった。そういうわけで彼は、ときに相当 の酒をたしなむことはあっても、泥酔(でいすい)したことは一度もなかった。副 業にあまりほめられない仕事もやっていたが、おもてむきに許可されている限界を越える ようなことはなかった。自分より貧しい連中のことは「貧乏ったれ」とののしり、金持ち の連中のことは「お高いの」と悪口を言った。
 町民有志会の会員で、毎週金曜日には「荒鷲亭(あらわしてい)」で催されるボ ーリングに加わり、そのうえパン焼き日の行事の常連で、豚などを屠畜(とちく) したあとのシチュウ鍋やソーセージスープの試食会の席も欠かしたことはなかった。仕事 中は安物の葉巻きを吸うが、食後と日曜日には上等のを奢(おご)ることにしてい た。
 彼の精神生活はまさに俗物的といってよかった。心情と呼ぶべきものは、もうとっくに うすよごれてしまい、習慣的な味気ない家庭意識やひとり息子を誇りに思う気持ち、気ま ぐれからたまに貧乏人に施しをするときの優越感などを除けばいかほども残らなかった。 彼の精神的な能力といえば生まれつきの狡猾(こうかつ)さと計算に限られ、それ を使うことも自分にきびしく制限していた。読むものといえば新聞だけ、芸術を楽しみた いという欲求ときたら町民有志会で毎年おこなわれるアマチュア芝居と、それにたまのサ ーカス見物ぐらいで、もう癒(いや)されてしまうのであった。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  もし彼が、だれでもいい隣の男と名前や住居を交換したとしても、別になんの違いもな かっただろう。いっさいのすばらしい能力や人物に対しては決しておさまることのない不 信の念を心の奥底に宿し、日ごろみなれない、自分たちより自由で繊細で精神的なものだ と、どんなものにでもねたましさから本能的な敵意を持つ、こういう点でも、彼はこの町 のすべてのおやじ連と共通していた。
 彼の話はこれでもうたくさんだ。この男のこうした平々凡々の生活と無自覚の悲劇をこ れ以上つづけて描写しても、喜んで耳を傾けるのはいじわるな皮肉屋ぐらいのものだろう 。しかし、この男には息子がひとりあった。この少年の話こそする必要があるのだ。
 ハンス・ギーベンラートは天才的な子供であった。ほかの子供たちの間をかけまわって いてもひときわめだって品がいいことは一目見てすぐわかった。この小さなシュワルツワ ルトの町からは、かつて一度もこの子のような人種は生まれなかった。この狭い地域を越 えてものを見たり活動したりした人間は、これまでまだひとりも出ていなかったのだ。こ の少年が、その真剣なまなざしと利口そうな顔とそして優美(ゆうび)な身のこな しをいったいどこからさずかったのかは、だれにもわからない。ひょっとしたら母からの 遺伝だったのだろうか。母親は数年前に亡くなっていたが、生きていた時分いつも病弱で 苦しんでいたということ以外はめだったところはなにもなかった。父親の血は問題になら ない。とすると、まさに、八、九百年の歴史のなかでたくさんの勤勉な市民を世に送った が、いまだかつてひとりの才人、ひとりの天才も生みだしたことのないこの古い小さな 田舎町(いなかまち)に突然不思議な火花が天から降ってきたということになるだ ろう。現代的な思考法を身につけた観察者なら、母親が弱かったことと家系が相当古いこ とを頭において、知的な因子(いんし)が家族の一員に突然強くあらわれたことを 、この家系に頽廃(たいはい)の徴候が始まったのだと説明したかもしれない。し かし、ありがたいことにこの町にはこういう現代的な人間はいなかった。なにしろ役人や 教師たちの間でさえ、若い世代の連中や世事に抜けめのない者だけが、雑誌の記事などで 「現代人」という存在のあいまいな知識を得ていた程度なのである。なにもツァラトゥス トラの教えを知らなくても学のある人間として暮らしていけたのだ。離婚はほとんどなく 、しかも幸福といえる結婚が多かった。すべての生活様式は癒(いや)しようがな いほど旧態然としていた。ぬくぬくとして裕福な市民たちは――そのなかにはこの二十年 のあいだに手職人から工場主になり上がったものもいるが――官員(かんいん)さ んの前では帽子をとっていかにも交際してもらいたいような様子をみせながら、仲間うち では官吏のことを貧乏ったれとか下っ端役人とか呼んでいた。そのくせおかしなことに、 自分たちの息子にはできれば学問をさせ、官吏にしたいというのが彼らのなによりの野望 であった。しかし残念ながらいつもその望みはかなわぬ甘い夢に終わったのである。なぜ なら、彼らの後継ぎでは、たいていは大汗かいて何度も原級に止め置かれたすえ、ラテン 語学校を出るのがやっとだったからである。
 ハンス・ギーベンラートの才能について疑うものはだれもいなかった。先生も校長も、 近所のひとたちや町の牧師や同級生も、だれもかれもこの少年はすばらしく頭がよくて、 どこかひとと違っていることを認めていた。この子の将来はこれではっきり決められたよ うなものであった。というのは、シュワーベン地方では頭のよい子供には、両親が金持ち でない場合でも、たった一すじだけは道が開かれていたからだ。州試験を受けて神学校へ はいり、そこからテュービンゲン神学大学へ進み、さらには教会の説教壇か大学の 講壇(こうだん)に立つ道である。この地方の息子たちは、毎年四、五十名は、こ のめだたない堅実な人生行路を歩みだすのである。激しい勉学のためにやせこけた、 堅信礼(けんしんれい)を終えたばかりの十五、六歳の少年たちは、州の費用で 人文学(じんぶんがく)に属するいろいろな課目をおさめ終わると、八、九年後に は生涯の大半に当たる第二の人生の道を歩み始める。この間に州の恩恵で得た給費を返還 してゆくことになるのだ。
 もう二、三週間もすると、例の「州試験」が行なわれることになっていた。「国家」( 州)が国内の抜群なあたまの持ち主を選びだす毎年の「いけにえ選び」はこういう名で呼 ばれていたのである。試験の期間中は、小さな町や村々から、自分たちの息子を送り出し ているたくさんの家族たちの嘆息(たんそく)や祈りが、この試験の行なわれてい る州の首都に向けられるのである。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  ハンス・ギーベンラートは、この小さな町がそのつらい競争試験に送り出そうとしたた だひとりの候補者だった。名誉は大きかったが、彼がその名誉を何もせずに手に入れたな どとはもちろんいえない。毎日四時まである学校の授業のあとで、校長のギリシア語の特 別授業が続いた。六時になるとご親切に牧師がラテン語と宗教の補習をしてくれ、それに 週二回は夕食後、数学の教師の家で一時間勉強をみてもらった。ギリシア語では不規則動 詞と不変化詞(ふへんかし)で表現される多種多様の文章の結合形に力がそそがれ たが、ラテン語では問題になるのはもちろん作文の文章が簡単明瞭なことである。だから たくさんの韻律の美しさを知ることが大事だった。数学のポイントは複雑な比例方程式だ 。こんな数式なんかちょっとみると、将来の勉学や生活にはまるで役にたたないようだが 、じつはあくまでそうみえるにすぎないのだ、と先生はよく強調した。じつはこういうも のはとても重要なものである。主要科目よりずっと重要だといってもいいくらいだ。なぜ なら数式こそ論理的な能力を養い、すべての明解な、合理的で成果のあがる思考の基礎に なっているからである。
 しかし、こんなことばかりして精神的負担が過ぎないように、そして頭の訓練のあまり 情操のほうがおるすになったりしないように、ハンスは毎朝学校の授業の始まる一時間前 、堅信礼を受ける少年少女たちのための聖書の授業に出ることを許されていた。この時間 に、ブレンツの宗教問答を行なったり活発に暗記をしたり問答を唱えたりすることを通じ て、若い少年たちの胸にすがすがしい宗教生活の雰囲気がしみこんでいくのであった。だ が残念ながら、彼はこの新鮮な時間を割愛(かつあい)し、神の恵みを自分からと りあげてしまった。つまり、彼はこっそりと問答書の中にギリシア語やラテン語の単語と か練習問題の紙きれを入れておき、この一時間のほとんどを世俗的な勉学にあてていたの だった。それでも良心のほうはそれほどにぶっていなかったので、絶えず苦しいうしろめ たさとひそかな不安を感じていた。監督牧師が彼のそばへ近づいたり彼の名前を呼んだり すると、彼はいつもおじけづいてびくりとした。彼が答えをする破目(はめ)にな ると額に汗をかき胸がどきどきした。しかし答えのほうは文句のつけようもないほど正確 なものだった。しゃべり方も正しかった。そしてこの牧師はしゃべり方を重んじる人だっ たのである。
 習字や暗記、復習や予習の勉強は、昼間のうち、いろいろな課目ごとにたまっていった 。それを家へ帰ってから夜おそく、落ち着いたランプのあかりのもとで片づけるのであっ た。静かな、家庭の平和に包まれてする勉強はとくに効果的で進みもはかどると担任の先 生がうけあってくれた。ふつう火曜日と土曜日は十時ぐらいまででやめておいたが、ほか の日は十一時、十二時、ときにはもっとおそくまで続けられた。
 父親は、ランプの油を途方もなく使うことをこぼしはしたが、満足な誇りをもって息子 の「学問する」ありさまを眺めていたのである。そして時折りの暇な時間や、人生の七分 の一にあたる日曜日には学校で読まない書物を読み、文法の復習をやることをしつこくす すめた。
「もちろん適当にな、適当にやっとくんだぞ! 週に一、二回の散歩は必要だし、よくき くもんだ。天気のいい日には本をかかえて外へ出るといい――外の新鮮な空気の中だった ら勉強も気持ちよく楽しくできるってことがよくわかるよ。大いに胸を張ることさ!」
 ハンスはできるだけ胸を張っているようにし、そのときからは散歩も勉強に利用するよ うにした。夜ふかしでやつれた顔をし、青い隈(くま)ができた疲れた目をして、 人目につかないようにそっと歩きまわった。
「ギーベンラートのことはどうお考えですか、通るでしょうね?」とあるとき担任の教師 は校長に言った。
「通るとも通るとも」と校長はうれしそうな声をたてた。
「あれはまったく利口なやつじゃないか、まああの子をみてみたまえ、まったく精神だけ で生きとるように見えるじゃないか」
 試験の前の最後の一週間のうちに、この精神化現象はますますはっきり形をとってあら われてきた。かわいらしくてやわらかい少年の顔には、おちくぼんだ、落ち着かない目が - 3 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 陰気な炎となって燃えていた。きれいな額(ひたい)には瞬間的に、精神的である ことを物語る細かいしわが見えることもあった。そしてもともとほっそりとしてかぼそか った腕と手がだらんと下がっているところは、ボッティチェリの絵にある倦怠(け んたい)の優雅という風情(ふぜい)があった。
 とうとうどたんばになった。明日は朝早く父親とシュトゥットガルトヘ行き、そこでは たして自分は神学校の狭き門をくぐる資格があるかどうかを州試験の結果で示すことにな っていたのだ。たった今、彼は校長先生のところでお別れの挨拶をいってきたところであ った。
「今夜は」とおしまいに、みんなからこわがられている校長はいつになくやさしく言った 。「これ以上勉強しちゃいけないぞ。わたしに約束したまえ。あすは張り切ってシュトゥ ットガルトに行かなきゃならんからね。もう一時間散歩をしてそれから早めに寝たまえ。 若い者は眠らなきゃいかんぞ」
 ハンスはびっくりした。山ほど忠告をされるかとびくびくしていたのに、こんなにたっ ぷり好意をうけたのだ。ほっと息をついて官舎を出た。大きなキルヒベルクの菩提樹が午 後の暑い日ざしをあびてけだるく輝いていた。町の広場では二つの大きな噴水がぴちゃぴ ちゃと音をたて、きらきらと光っていた。不規則に家々の屋根の連なる線の向こうに、近 くの青黒くしげったモミの木の山が迫ってきた。少年はこういう眺めをもう長いこと見な かったような気がした。そして今は、なにもかも不思議なほど美しく魅惑的にみえた。頭 が痛むけれど、今夜はもうこれ以上勉強をしなくてもよいのだった。彼はぶらぶらと広場 をよこぎり、古い町役場の前を通りすぎ、市場小路をぬけ、刃物鍛(か)冶( じ)の前を通って、古い橋のほうへ歩いていった。しばらくそのへんを歩きまわって最後 に幅の広い川べりの胸壁(きょうへき)の縁(ふち)に腰をおろした。何週間 も何か月ものあいだ、毎日四回はきまってここを通っていた。それなのに橋のたもとにあ るゴシック風の小さな礼拝堂にも、川にも水門にも堤防にも水車場にも一度だって目をく れたことがなかった。水泳のできる川べりの草原や、柳が立ちならび皮鞣場(かわ なめしば)が並んでいる川岸にさえ気をつけてみたことがなかった。そのあたりは川が湖 のように深く緑色をして静かで、柳の枝はたわみ、そのとがった先が水の中までたれ下が っていた。
 今になって彼は思い出した。半日、いや、まる一日をどれだけここで過ごしたことだろ う。幾度ここで泳ぎ、もぐり、舟を漕(こ)ぎ、釣をして遊んだろう。ああそうだ 、釣だ。釣なんか勉強のためほとんどしないのですっかり忘れてしまっていた。去年、受 験勉強のために釣が禁じられたとき、あんなにひどく泣いたじゃないか。釣。釣こそ長い 小学校時代の最も楽しい思い出だった。柳のほそい木陰に立つと、近くの水車場の 堰(せき)では水がざわめいている。深い静かな水。流れにうつる光のたわむれ。 長い釣竿がかすかに上下する、魚が餌に食いつき竿(さお)をひくときの興奮、そ して肉のついたぴちぴちはねている冷たい魚を手にしたときのくらべようもない喜び。
 彼だってよくいきのいい鯉(こい)を釣り上げたものだ。ウグイやニゴイも、ま た小さなコイ、美しい色のヤナギバエも釣ったのだ。長い間彼は水面を見つめていた。緑 色の川の一隅をじっと見つめているうちに、いつか彼は考えこんでしまい、悲しい気分に なり、乱暴で気ままな美しい少年の喜びが遥か遠くに去ってしまったように感じられてき た。機械的に彼はポケットからパンのかたまりをひっぱり出すと、大きいかたまりや小さ いかたまりに丸めて水に投げこみ、水の中に沈んでゆくのを眺めたり、魚がきてぱくりと それに食いつく様子を観察していた。はじめは、小魚どもが集まってきて小さなかたまり をむさぼるようにすっかり平らげてしまい、そしてまだものほしそうな口先で大きいかた まりを左右に突っつきまわしていた。そのうちに一匹の大きなウグイがゆっくりと用心深 く近づいてきた。黒くて広い背は川底よりいくぶんきわだっていた。悠々と大きなパンの かたまりをひっくり返すと、あっと思うまに丸い大きな口をあけてそいつをのみこんでし まった。ものうく流れていく川からは湿っぽくなま暖かいかげろうが立ちのぼり、明るい 雲が二つ三つ緑色の水面にぼんやりと映っていた。水車場では円(まる)鋸( のこ)がぎいぎいとあえぐような音をあげ、水車にとりつけてある二つの堰(せき )は、涼しそうに低音の水のざわめきをひびかせていた。少年は、ついこの間の堅 信礼(けんしんれい)が行なわれた日曜日のことを思い出した。あの日は厳(おご - 4 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] そ)かな儀式と感動のさなかにいながら、頭の中でギリシア語の動詞を暗記している自分 に気がついて、はっとしたのだ。最近はそれだけでなくいろいろな思いが入り乱れて、学 校の授業をうけていてさえも、目さきの勉強よりもむしろ前のことや、あるいは後のこれ から先のことに気をとられてしまうのだった。なあに、試験はなんとかうまくいくだろう さ!
 彼はぼんやりと立ちあがったがどこへ行くというあてもなかった。がっしりした手で肩 をつかまれ、親しそうに話しかけてきた男の声をきいたとき、彼はひどくびっくりした。
「こんちわ、ハンス。すこしいっしょに歩かないか?」靴屋の親方のフライクだった。以 前はよく彼の家で夕方何時間かを過ごすことがあったが、このところそういうことはつい ぞなくなっていた。ハンスはいっしょに歩きながら、この熱心な敬虔派の信者(ピ エチスト)のおしゃべりにあまり注意も払わずに聞くともなく聞いていた。フライクは試 験の話にも及んで、成功を祈り少年を勇気づけてくれたが、ほんとうのところはこの話を お説教にもっていくのが彼の目的であった。試験なんて外形的で偶然なものにすぎないの さ。試験に落ちるということは決して恥ではないし、いちばんできるやつだって落ちるこ ともあるんだ。もしそんな目にあったときには神様がめいめいの人間に応じて違った 思召(おぼしめ)しを持っておられ、その人本来の道へ導いてくださっているって ことを考えてみるんだね、と彼は話を結んだのだ。
 この人と相対していると、ハンスはなぜか良心がやましいような気がしてくるのだった 。彼を尊敬し、いかにも自信ありげで立派そうな彼の生き方に敬意を払ってもいた。しか しハンスは世間の人々がこうしたコチコチのお祈り屋を冗談の種にするのをきいていっし ょになって笑うこともあった。そういう時、良心のやましさを感じることもまれではなか った。まだほかにも自分の卑怯(ひきよう)を恥じなければならないことがあった 。ある時期から彼は、遠慮会釈(えんりよえしやく)なくいろいろのことを尋ねら れるのでこわくなってこの靴屋を敬遠(けいえん)するようになっていたからであ る。彼が先生たちの自慢(じまん)の種になり、自分でもすこしお天狗(てん ぐ)になってからは親方フライクはときどき奇妙な目で彼を見たり、へりくだった態度を みせようとしたりするようになった。そのために、かえってこの少年の心はこの善意の指 導者からしだいに離れていったのだ。なぜなら、ハンスはちょうど少年の反抗期( はんこうき)の絶頂という年ごろだったので、いやな感じで自意識にふれるものにはひど く敏感(びんかん)になっていたからである。今も彼はこのお説教屋と並んで歩き ながら、当のその人がほんとうに親身になってやさしく彼を見おろしているのについぞ気 がつかなかった。
 クローネン通りでふたりは町の牧師に出会った。靴屋は形式的に冷たく挨拶(あ いさつ)し、急にいそぎ足になった。この牧師は新思想の持ち主で、キリストの復活さえ も信じていないという評判(ひようばん)がたっていたからである。牧師はハンス をいっしょにひっぱっていった。
「どうかね」牧師はたずねた「やっと試験になってうれしいだろう」
「ええ、まったくそうですね」
「うまくやるんだよ。わたしたちはみんな君に期待をかけているんだからね。ラテン語じ ゃすばらしい成績をとると思っているよ」
「でも、もし落ちたら」とハンスはおずおず言った。
「落ちる?!」牧師はびっくりしてたち止まった。「落ちるなんて絶対にありえないさ、絶 対にない。思い過ごしだよ!」
「僕はただ、ただそういうこともあるかもしれないと思って……」
「そんなことはありえない、ハンス。ありえないんだよ。そんな心配はいらない。パパに よろしくいっておくれ。頑張(がんば)るんだよ!」
 ハンスは牧師を見送った。それから靴屋のほうをふり返ってみた。靴屋はなんと言った っけ。心を正しくもち神様を敬(うやま)ってさえいれば、ラテン語なんかたいし たことはないだって。あいつ、きらくなことを言ってらあ。ところで牧師さんのほうはな - 5 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] んといってたかなあ。もし落ちたら、もうあの人には顔むけもできないぞ。
 すっかり憂鬱(ゆううつ)になってこっそりと家のほうに帰りかけ、小さな、斜 面になっている庭へ戻ってきた。ここには、とうに使われていないくずれかけた園亭があ った。このなかに小さいころ、板がこいを作り、三年ほどウサギを飼っていたが、去年の 秋、試験のためにとり上げられてしまった。それ以来、気晴らしの時間がまったくなくな っていた。
 庭にもずい分長いこと来なかった。空っぽの板仕切りの中はすっかり荒れはてていた。 鐘乳石(しようにゆうせき)をかためた壁の隅(すみ)も崩れ落ち、小さな木 製の水車もこわれて、水樋(とい)のわきに傾いたままになっていた。そういうも のをみんな自分で作ったり彫(ほ)ったりして楽しんでいたころのことが思い出さ れてきた。もうあれから二年になる――まったく永遠の時がたったようだ。彼はその水車 をとりあげてへし折ると、めちゃめちゃにこわして垣根の外へ放り投げた。こんなくだら ないものは捨てちまえ。もうとっくに用はなくなっているんだ。ふと、級友のアウグスト のことが頭に浮かんだ。アウグストは水車を作ったり、ウサギ小屋の修繕(しゆう ぜん)をするのを手伝ってくれたものだ。何度も、午後いっぱいここでいっしょに遊んだ っけ。パチンコをとばしたり、猫に罠(わな)をかけたり、テントをたてたり、お やつになまの人参(にんじん)を食べたりした。しかしそのうちに、とうとうガリ 勉が始まるときがきたのだ。アウグストは去年学校をやめて機械工の徒弟(とてい )になった。それ以来、彼は二度しか姿を現わさない。もちろん、彼にだってもうまるで 暇がないのである。
 雲のかげがせわしく谷を越えてゆき、日はもうすでに山の端(は)近くまできて いた。少年は一瞬(いつしゆん)身を投げ出して、わっと泣かずにはいられないよ うな気持ちに襲(おそ)われた。しかしそうするかわりに物置から手斧(てお の)をもち出し、きゃしゃな腕で斧をふりまわして、板がこいを木(こ)っ端 (ぱ)みじんに壊しはじめた。木片(きぎれ)が散乱し、釘(くぎ)はきしん で曲がり、去年の夏ごろのもう腐りかけてきたウサギの餌(えさ)がなかから出て きた。彼は手当たりしだい、何もかもぶちこわしていった。そうすることで、ウサギやア ウグストや子供っぽいいっさいがっさいなつかしい思い出を抹殺(まつさつ)でき るとでもいうように。
「いやはや、いったいこれは何ごとだ」父親が窓から叫んだ。「そこで何をやらかしてい るんだ?」
「まきわりさ」
 それ以上答えずに斧を投げ出し、一目散(いちもくさん)に庭を走り抜けて路地 にでた彼は、さらに川岸を上流のほうへ走って行った。造り酒屋の近くに二つの筏 (いかだ)がつないであった。むかしはよく筏で川を何時間も下ったものだ。暑い夏の午 後、材木と材木の間でぴちゃぴちゃいう水の音をききながら筏で下ってゆくと、興 奮(こうふん)もするが同時に眠気を催(もよお)してくるのだった。彼は、ゆる くつながれた浮いた材木の筏に跳(と)び移ってみた。そして積みあげられた柳の 枝の上に横になって、この筏が流れているものと空想してみた。速くなったり遅くなった りしながら、筏は草原や田畑や村々や、ひんやりとする森のはずれを通り過ぎ、橋や、ひ きあげられた堰(せき)の下をくぐり抜けて行くのだ。自分はその筏にのんびりと ねそべっている。こうくれば、なにもかもまた昔通りだ。カプフベルクへウサギの餌をと りに行ったり、岸辺の皮鞣(なめし)場で釣をしたり、その上頭痛もせず、心配ご ともまだ何も知らないのだが。
 疲れきり、むしゃくしゃしながら彼は夕食に帰ってきた。父は目前に迫ったシュトゥッ トガルトヘの試験旅行のためにどうしようもないほど興奮していた。本はつめたか、黒い 服は用意したか、行く途中で文法を読むつもりか、気分はどうかなどと十数回もたずねる しまつだった。ハンスはそっけなくかみつくように手短かに返答し、ほとんどなにも食べ ずにまもなくおやすみを言った。
「おやすみハンス。よく眠るんだぞ。じゃ朝六時に起こすからな。ジ(・)クショ - 6 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ナリーは忘れてないかい」
ディ(・・)クショナリーは忘れていっこないよ。おやすみなさい」 彼は自分 の小さい部屋に帰ってからまだかなりの間あかりもつけずに起きてすわっていた。今日ま で、この部屋は受験勉強のおかげで恵まれた唯一(ゆいいつ)の恩恵(おんけ い)であった。ここでは彼がこの小さな部屋の主であり、だれからも邪魔されることはな かった。ここの部屋で彼は、疲れや眠気や頭痛とたたかったのだった。幾晩もシーザーや クセノフォンやいろいろな文法や辞書類、数学の問題などで頭を悩まされ、ねばり強く、 むきになったり、功名心(こうみようしん)に燃えたり、時には絶望せんばかりに なったりしながら。しかしここで、失われた少年時代のすべての楽しみよりも、はるかに 値うちのある数時間を経験することもできたのだ。誇らしさと興奮と勝利感にあふれた夢 のように不可思議(ふかしぎ)なこの数時間の間は、学校や試験やいっさいのこと を超越して、もっと高い領域を夢み、あこがれたのである。彼は、頼っぺたをふくらませ た人のいい級友たちとはどこかちがった、もっと立派な人間で、いつかは自分が高い別世 界からこの連中を見下ろすようになるかもしれないという楽しい予感に襲われた。空気だ ってこの部屋のほうがずっと自由でさわやかだというように、彼は大きく息を吸い、ベッ ドに腰をおろし、夢と期待と予感に胸をふくらませながら、二、三時間をぼんやりと過ご した。そのうちに、あわい色のまぶたがゆっくりと彼の疲れきった大きい目の上におりて きて、ちょっとまばたいていたがまたくっついてしまった。青白い少年の頭はやせた肩に 傾き、ほっそりした腕がだらりと伸びた。いつか着物をきたまま眠りこんでしまったのだ 。母のようにやさしいまどろみの手は子供の心でざわめく不安の波をしずめ、彼の美しい 額(ひたい)からは小さなしわを消してくれた。
<scramble>
 まさに前代未聞(ぜんだいみもん)のことだ。校長さんご自身が、こんなに朝早 くというのに停車場まで来てくださったのだ。ギーベンラート氏は黒のフロックに身をつ つみ、興奮と嬉(うれ)しさ、誇(ほこ)らしさで、いっときもじっとしてい られないようだった。校長先生とハンスのまわりをうろうろし、駅長や駅員たちから旅の 安全と息子の試験がうまくいくようにと声をかけられ、小さなごついトランクを右手に持 ったり左手に持ちかえたりしていた。傘を小脇にかかえたり股にはさんだりし、何回も地 面に落としてはそのたびに、トランクをおろして落ちた傘を拾いあげた。まるでこのまま アメリカ旅行にでもでかけていきそうで、シュトゥットガルト行きの往復切符ご持参とは どうしてもみえなかった。息子のほうは落ち着き払っているようにみえたが、しかしじつ は、ひそかな不安が胸一ぱいにつかえていたのである。
 列車が到着して停車し、ふたりはのりこんだ。校長は手をふり、父親は葉巻きに火をつ けた。町も川も下の谷のなかに消えていった。ふたりともこの旅行はつらかった。
 シュトゥットガルトに着くと父親は急に元気になり、陽気で人づきあいがいい世なれた 人のように振舞(ふるま)いだした。数日の滞在のために首都にやってきた田舎町 住まいの小市民が嬉しくてすっかり羽根をのばしたのだ。しかしハンスのほうは、都会を 見たとたんにますますおとなしくなり、心配がつのってくるのだった。胸をぎゅっとしめ つけられるような気がしてきた。見知らぬ顔、威張(いば)りかえったように大き なごてごて飾りたてた家々、気が遠くなりそうな長い道路、鉄道馬車、街頭の雑踏 (ざっとう)などが彼をすっかりおびえさせ、苦しめるのだった。ふたりは伯母( おば)のうちに泊まった。ここでは、少年は見なれない部屋部屋や伯母の有難迷惑 (ありがためいわく)の親切とおしゃべりに悩まされ、長い間意味もなくすわらせられた り、父のはてしない激励(げきれい)の言葉をきかされてすっかり参ってしまった 。よそよそしいうつろな気持ちで、彼は部屋にすわりこんでいた。みなれない環境、都会 風な伯母のなり、大きな模様の壁紙、大型の置時計、壁にかかっている絵や窓からみえる 賑(にぎ)やかな大通りなどを眺めているうちに、自分が裏切られているような気 になった。家を出てからはてしない時がたち、せっかく苦心して憶(おぼ)えたこ ともいつかすっかり忘れてしまったような気がしてきた。
 午後、彼はギリシア語の不変化詞にもう一度目を通すつもりだったのに、伯母は散歩し ようと言い出した。一瞬ハンスは、緑の牧場やざわめく森を思い浮かべ喜んで承知 - 7 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] (しようち)した。だが、散歩といってもこの都会の散歩は、故郷(こきょう)の とは全く別種の楽しみなのだということが、すぐにいやというほどよくわかった。
 パパは町に人を訪ねにいったので、彼は伯母とふたりだけで出かけた。階段まで出たか と思うともうひどいめにあった。二階で太った高慢(こうまん)ちきな婦人に出会 うと、伯母は挨拶(クニツクス)もそこそこに、さっそく立板に水でおしゃべりを はじめ、少なくとも十五分はひきとめられた。ハンスが階段の手すりにもたれかかって立 っていると、婦人の小犬が彼の匂いをかぎまわり低く唸(うな)りだした。何度も その見知らぬ婦人に眼鏡越(めがねご)しに頭のてっぺんから爪先(つまさき )までじろじろ見られるので、自分のことも話題にされているのだということは彼にもだ いたい察しがついた。やっとおもての通りに出たと思うと、もう伯母は一軒の店にはいっ ていき、出てくるまでかなり待たされた。その間、ハンスは小さくなって往来に立ってい たが、通り過ぎてゆく人達からおしのけられたり、町の悪童(あくどう)どもから 馬鹿にされたりした。伯母は店からもどってくると、板チョコを一枚おしつけた。ほしく なかったが、彼はていねいに礼を言ってそれを受けとった。次の曲がり角のところで、ふ たりは鉄道馬車にのりこんだ。ぎっしり満員の馬車は鐘を鳴らしっぱなしで通りから通り を疾走(しつそう)し、やがて広い並木道と緑地のあるところに着いた。噴水が水 をあげ、垣根をめぐらせた花壇(かだん)は満開で、人工の小さな池には金魚が泳 いでいた。ふたりは散歩をする群集のあいだを縫って往復したり、ひとまわりしたりして あたりをぶらついた。無数の人々の顔やエレガントな変わった服装、自転車や病人用の手 押車や乳母車(うばぐるま)などが目にはいり、さんざめく人々の声を聞き、なま ぬるいほこりっぽい空気を吸った。最後にふたりはべンチにほかの人たちと並んで腰かけ た。伯母はほとんどたてつづけにしゃべりまくっていたが、大きく息をして少年にやさし く微笑(ほほえ)みかけ、チョコレートを食べろとすすめた。
「おやまあ、遠慮(えんりよ)をおしかい? さあ、お食べ、お食べ」
 そこで彼はチョコレートをとり出し、しばらく銀紙をむいていたが、おしまいに仕方な くほんのちょっとだけかじった。チョコレートなんか全然ほしくはなかったが、伯母には どうしてもそう言えなかったのだ。そのかじりかけた塊(かたまり)をのみこみか けて、もてあましているうちに、伯母は群集の中から知人を見つけ出してとんでいってし まった。
「ここにすわっておいで。すぐにもどってくるからね」
 ハンスはほっとしてこのチャンスを利用し、チョコレートを芝生(しばふ)の中 へ投げ捨ててしまった。それから両足を拍子(ひようし)をとってぶらぶらゆすっ てたくさんの人々をじっとみつめていると、自分がひどくみじめに思われてきた。おしま いにもう一度、不規則動詞を言ってみようとしてみると、それをほとんど憶えていないこ とに気がついて死ぬほど驚いた。みんなきれいに忘れているのだ! しかもあしたが州試 験だというのに!
 伯母がもどってきた。彼女は、今年は百十八人の受験者が州試験に応募しているという 情報をきいてきた。合格できるのはたったの三十六人なのだ。少年はすっかり気落ちして しまい、帰る道じゅう一言もものを言わなかった。家へつくと頭痛がして、また食欲がな くなっていた。あまり憂鬱(ゆううつ)になっているので父は彼をひどく叱りつけ 、伯母さえ彼のことを手に負えないと思ったほどだった。夜中に彼は恐ろしい悪夢 (あくむ)に追われながら、死んだように深く眠った。夢ではほかの百十七人の競争者た ちといっしょに試験を受けていた。試験官は町の牧師さんに似ているかと思うと伯母みた いでもあり、彼の前にチョコレートの山を積みあげるのだ。そいつを食べさせられる 羽目(はめ)になって泣きながら食べているうちに、ほかの者たちはひとりまたひ とりと立ち上がって小さなドアから消えていった。みんな自分の山を食べ終わったのに、 彼の山はみているうちに大きくなって机や椅子にいっぱいになり、彼の息の根をとめよう とするのだった。
 翌朝、コーヒーを飲みながらも、試験におくれては大変だというので時計から片時も目 をはなさないでいるころ、郷里の町ではみんなが彼のことを考えていてくれたのだ。まず 靴屋のフライクだ。彼は、朝のスープの前にお祈りの文句をとなえる。そのあいだ家族の 者たちは、職人やふたりの徒弟(とてい)といっしょにテーブルをかこんで起立し - 8 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ていた。この日、親方は朝の祈祷(きとう)に『主よ、今日受験する生徒、ハンス ・ギーベンラートに御身(おんみ)の御手(みて)を貸し給え。彼に恵みと力 を与え、いつの日か、彼を御身の神聖なる御名(みな)の正しき勇気ある伝道者と なし給え!』という言葉をつけ加えたのだった。
 町の牧師は彼のためにお祈りこそあげてくれなかったが、朝食のとき妻に言った。「今 ごろはギーベンラートが試験に行く時間だなあ。あの子はそのうちもっとたいしたものに なるぞ。きっと世間の注目を集めるようになるさ。そうなれば、わたしがラテン語で助け 舟をだしてやったこともむだにはならんというものさ」
 担任の先生は授業が始まる前に、生徒たちに言った。「シュトゥットガルトでは、ちょ うど試験が始まるころだ。ギーベンラートがうまくやるように祈ってやろうじゃないか。 そんなことをしなくても受かるにはきまってるがね。なにしろ、お前たち怠(なま )けものが十人かかってもとてもかなわないやつだからね」ほとんどすべての生徒たちは 、欠席している彼のことを思った。というのは、合格か不合格がに仲間同志で賭( かけ)をしている連中もたくさんいたからである。
 心のこもった祈願や深い関心というものは、距離が大きくともやすやすと遠くまでとど くものだが、ハンスもその例にもれず、郷里の連中がみんな自分のことを思ってくれてい るのを感じとった。彼は父親につきそわれて胸をどきどきさせて試験場にはいり、助手の 指図(さしず)に従っておどおどしながら席につき、まるで拷問(ごうもん) 部屋に入れられた罪人のように青い顔をした少年がつめこまれた大きな部屋を見まわした 。しかし教授がやってきて、静粛(せいしゆく)を命じてからラテン語の文章に直 す問題文を口述(こうじゆつ)しはじめると、なんだ、ひどくやさしいじゃないか と思って一息(ひといき)ついた。すらすらと楽しいぐらいの気分で下書きを書い てから、それを今度は慎重(しんちよう)にきちんと清書し、答案を出してみると いちばん早いほうであった。試験のあと、伯母の家へ帰る道をまちがえて、二時間も暑い 往来(おうらい)を迷い歩いたが、もうそんなことで、落ち着きをとりもどした彼 の気持ちはそれほど乱されるようなことはなかった、むしろ、伯母や父親としばらくでも いっしょにいないですんだのが嬉しいぐらいで、この見知らぬ騒々(そうぞう)し い都会の通りをさまよっていると、自分が大胆な冒険家になったような気がしていたので ある。そこらじゅうで道をききながら、やっとのことで帰りつくと、たちまち彼は質問ぜ めにあった。
「どうたった? どんな具合(ぐあい)? できた?」
「やさしかったさ」彼は得意そうに言った。
「あんなのならもう五年級のときだって訳せたぐらいだ」
 それから彼はさかんに空腹(くうふく)を満たした。
 午後はまったくひまだった。パパは二、三の親類や友人のところに彼をご挨拶にひっぱ りまわした。そのなかの一軒で彼は、ゲッピンゲンから同じように州試験を受けにきてい た黒い服を着た内気な少年と知り合いになった。少年たちはふたりだけ放ったらかしにさ れておかれた。そこでお互いに好奇心をもって恐る恐る相手を見つめあった。
「君、ラテン語の作文をどう思った? やさしかったろ、ね?」とハンスはきいてみた。
「ものすごくやさしかったよ。だけど、こいつがまさにこと(・・)なんだよ。や さしい問題ってやつで、いちばんまちがいをしちゃうもんなんだ。つい不注意になるんだ ね。きっと、あれも落とし穴があったんだと思う」
「そうかなあ?」
「もちろんだよ。先生はそんなに馬鹿(ばか)じゃないよ」
 ハンスはちょっとびっくりして考えこんでしまった。それからこわごわ、「君まだ問題 をもってる?」とたずねた。
 その少年がノートをもって来ると、ふたりは問題をはじめから、一語一語やりなおして みた。そのゲッピンゲンの少年はラテン語は達者らしかった。少なくとも二回ほどハンス がまだ聞いたこともない文法用語をつかった。 - 9 -

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「あしたは何があったかな」
「ギリシア語と作文だよ」
 それからゲッピンゲンの少年は、ハンスの学校からは何人試験を受けにきているかきい た。「だれも」とハンスは言った。「ぼくだけさ」
「へえ、ぼくたちゲッピンゲンのやつは十二人きてるんだぜ。三人できるやつがいて予想 じゃトップクラスはまちがいなしだ。去年だってゲッピンゲンから来たやつが一番だった んだ。君、落ちたら高等学校(ギムナジウム)に行くの?」
 そんなことは考えたこともなかった。
「わからない……多分いかないだろ……」
「そう? ぼくはどっちみちこれで落ちても大学までいくんだ。それからお母さんはぼく をウルムにやるつもりさ」
 こういう話をきくと、ハンスには相手がひどくえらいやつにみえた。三人も秀才 (しゆうさい)がいるというゲッピンゲンから来た十二人のことも心配になった。そんな とこにはとても顔出しできそうもないぞ。
 家へ帰るとさっそく机に向かい、miで終わる動詞にもう一度目を通した。ラテン語のこ とは、もともと全然心配していなかったから自信があった。しかしギリシア語には特殊な 事情があった。ギリシア語は大好きで夢中になったといってもいいくらいだが、好きなの は読むほうだけだった。ことにクセノフォンの文は美しく躍動的(やくどうてき) で新鮮に書きあらわされ、読めば、すべて明るく、美しく、力強い響きがあり、自由 闊達(かつたつ)な思想があり、なんでもとてもわかりやすかった。しかし文法を させられたり、ドイツ語をギリシア語に訳さなければならないことになると、厄介 (やつかい)きわまる規則と変化形の迷路に迷いこんでしまい、ギリシア文字のアルファ ベットさえも読めないはじめての授業のときとたいして変わらない不安な恐れをこの外国 語に対して抱(いだ)いてしまうのであった。
 次の日はいよいよ問題のギリシア語の番だった。その後にドイツ語の作文があった。ギ リシア語の問題は相当長く、やさしいなどとはとてもいえなかった。作文の題はきわどく て意味をとりちがえる恐れもあった。十時ごろから部屋の中はむし暑くなり、ハンスは書 きよいペンをもっていなかったので、答案をきちんと清書しあげるまでに二枚も紙をだめ にした。作文を書いているとき、隣り席の厚かましい少年のおかげで危険なめにあった。 わからないところを書いた紙きれをそっとまわしてきて、脇腹(わきばら)をつっ つきながら答えを教えろと強要するのだ。席の隣同志で話し合うことは絶対厳禁されてお り、見つかれば容赦(ようしや)もなく試験の資格を取り上げられてしまうことに なるのだ。恐ろしさに震えながら、彼はその紙きれに「ほっといてくれ」と書き、答えを きいてきた子にくるりと背を向けた。ひどく暑かった。絶えまなく、規則正しく部屋を往 復して、いっときも休もうとしない監督の教授でさえ、たびたび顔をハンカチでぬぐった ほどである。堅信礼(けんしんれい)につくった厚手の正式な服を着こんでいるハ ンスは、びっしょり汗をかき頭が痛くなって、とうとうやりきれない気分のまま答案用紙 を出してしまった。答えはまちがいだらけだし、これではもう試験もおしまいだという感 じがした。
 帰って食卓についても一言もいわず、あれこれきかれてもただ肩をすくめるばかりで 罪人(ざいにん)のように顔をしかめるのだった。伯母は慰(なぐさ)めてく れたが、父親はすっかり興奮していらいらしてきた。食事がすむと息子を隣の部屋につれ てゆき、また根ほり葉ほりきき出そうとかかった。
「ひどい出来だったんだ」とハンスは言った。
「なぜお前、気をつけていなかったんだ。落ち着き払っていたってよかったんだぞ。こん 畜生(ちくしよう)!」
 ハンスは黙っていた。そして父親ががみがみ言いはじめると、まっかになって言った。 「ギリシア語なんてまるでわからないくせに!」 - 10 -

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 二時に口頭試問(こうとうしもん)に出かけなければならないことが、いちばん の悩みの種だった。これこそなによりも怖気(おぞけ)を震(ふる)うことだ 。でかけていく途中、焼けつくような暑さの往来ですっかり気持ちが悪くなり、苦しさと 不安と目まいに襲われて目さきがまっ暗になった。
 大きな緑色のテーブルをかこんだ三人の先生の前に十分間もすわらされて、ラテン語の 文章をいくつか訳し、出された質問に答えた。別の三人の先生の前でまた十分間、今度は ギリシア語を訳し、いろいろ質問を受けた。最後に不規則動詞の不定過去を一つ言ってご らんと要求されたが、彼には答えられなかった。
「出てよろしい。そこの右のドアからね」
 彼は行きかけた。だがドアの方まできてその不定過去が急に頭に浮かんだ。彼は立ちど まった。
「行き給え!」と先生が言った。
「行き給え。それとも気分でも悪くなったのかね」
「いいえ、たった今不定過去を思い出したんです」
 彼は部屋にむかってその不定形を叫んだ。ひとりの先生が笑っているのが見え、顔から 火が出るほどまっかになって彼は部屋をとび出した。あとで、質問と自分の答えとを思い 出そうとしたが、いろんなことがごちゃまぜになってしまうのだった。そのたんびに頭に 浮かぶのはただ、大きな緑色の机の表面、フロックコートを着用したいかめしい三人の老 先生、開かれた本や、震えながらその本をさしている自分の手ばかりであった。ほんとに いったいなんて答えてきたんだろう!
 通りを歩いていると、自分がもう何週間もここに滞在していてもうこの町をたち去れな くなってしまうような気がしてきた。家の庭や縦(もみ)の深緑に染まった山々や 川べりの釣場は、今ではずっと遠くへだたった昔見たことのある光景みたいにみえるのだ った。ああ、もし今日にも故郷(くに)へ帰れたらいいんだが。この町にこれ以上 いたってどうせなんの意味もないんだもの。とにかく試験はだめだったんだ。彼はミルク パンを一個買い、父に答弁(とうべん)するのがいやさに、午後いっぱい町じゅう を通りから通りへとやみくもにうろつきまわった。
 やっと家へ帰りつくと、みんながひどく心配して待っていた。彼の疲れきって加減が悪 そうな様子を見ると、玉子スープを飲ませて寝かせてしまった。明日は算数と宗教の試験 で、これが終わるともううちへ帰れるのだ。
 次の日の午前中は、まったく好調だった。昨日、主要課目であんなにひどいめにあった のに、今日はなにもかも上出来だったとは、なんてひどい皮肉(ひにく)だろうと 思った。そんなことはどうでもいいや、もう帰るんだ、うちへ帰るんだ!
「試験はすみました。もううちへ帰れるんです」と彼は伯母に報告した。
 父は今日はまだ帰らないつもりだった。湯治場(とうじば)のカンシュタットに でかけてそこらの公園でゆっくりコーヒーでも飲もうじゃないかと言うのだ。しかし、ハ ンスの嘆願(たんがん)にまけて彼だけひとりで今日発(た)つことを許して くれた。駅まで連れていってもらい、切符を受けとると、伯母からお別れのキスと車中の 食べものをもらい、まるでふぬけ(・・・)のようになって帰郷の旅にっき、一路 緑の丘陵地帯(きゆうりようちたい)を通過していった。深緑のモミの山々が目に はいってくるころ、やっと嬉しくなり解放されたような気持ちになった。うちの年とった 女中にもまたあえるし、小さな自分の部屋、校長さん、なれしたしんだ天井(てん じよう)の低い教室、こういったすべてのものとの再会が楽しみだった。
 有難いことに停車場には知りたがり屋の顔見知りは見当たらず、だれにも気づかれずに 小さい荷物をさげて家路に急ぐことができた。
「シュトゥットガルトはえがったでしょう?」とばあやのアンナがたずねた。
「よかった? 試験がいいことだなんて思っているのかい? 帰ってこられてほんとに嬉 - 11 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] しいよ。お父さんは明日にならなきゃ帰ってこないよ」
 新鮮なミルクを椀(わん)に一杯のむと、窓先にかけてあった水泳パンツをとり こみ家をとびだしたが、みんなの泳ぐ川原は避けた。
 彼は町からずっとはずれた「ワーゲ」というところへ行った。その辺(あた)り は水が深く、川はゆっくりと高い茂みの間を流れていた。着物をぬぐと、冷たい水の中に 手を突っこみ、足をそろそろとひたした。ぶるっとしたが思いきってざんぶと流れの中に とびこんだ。ゆっくりとゆるやかな流れに逆らって泳いでいくと、数日来の汗と不安が洗 い流されていくのを感じた。流れが彼のやせたからだをひんやりと抱いてくれているあい だ、彼のこころは新たな喜びで美しいふるさとをとりもどした。泳ぎを速めたり休んだり 、また泳いだりしながら気持ちのよい冷たさと疲れにつつまれるのを感じ、あお向けにな って川下に流されながら、金色に蚊柱(かばしら)となってむらがるカワカゲロウ の羽音(はおと)に耳をすまし、矢のように小さなツバメが飛びかわす夕空を 眺(なが)めていた。夕日はもう山の向こうに落ちていたが空はバラ色に照らされ ていた。彼がふたたび着物を着て、夢みるようにぶらぶらと家路に向かうころには谷はも うすっかり影にはいっていた。
 やがて、商人ザックマンの家の庭を通りすぎた。とても小さかったころ二、三人の仲間 とここのまだ熟していないスモモの実を盗んだことがある。それから大工キルヒナーの仕 事場の前に出る。モミの角材があちこちに転がっている。むかしはよく材木の下から 釣餌(つりえ)にするミミズを掘った。視学官ゲスラーの小さな家の前も通ってい った。二年前氷滑(すべ)りのときこのうちの娘のエンマに言い寄ってみたいと思 ったことがある。その娘は町の学校ではいちばんかわいらしくって上品な生徒で、年も彼 と同じだった。ひところは一度でも彼女と話すとか、手を握りしめることが何よりののぞ みだった。のぞみはかなわなかった。彼はあんまり内気すぎたのだ。やがて彼女は寄宿女 学校へ入れられてしまい、今はもう彼女の顔さえほとんど憶えていない。だのにこのころ の一駒(こま)が、はるかに遠い昔の出来事のようにふと思い浮かんだのである。 この思い出は、それ以後のいっさいの体験よりも強烈な色彩と、なんとも言えない不安な 甘さをたたえていた。あのころはまた夕方になるとよくナショルト家のリーゼのところで 戸口にすわってじゃがいもの皮をむきながらしてくれる話をきいたり、日曜となれば朝早 く、すこし気がとがめながらズボンをまくり上げて川下の堤防にザリガニ取りや魚釣に出 かけ、後で日曜の晴着をびしょぬれにしておやじさんからなぐられたりした。それにあの ころはずい分たびたび不思議(ふしぎ)なことがあったり、変わった人がたくさん いたりした。長いことすっかり思い出さないでいたが、猪首(いくび)の靴屋とか 、おかみさんを毒殺したともっぱらの噂だったシュトローマイヤー、それから、いつも杖 とずだ袋をかついてこの郡一帯を歩きまわっていた奇人の「ベック旦那(だんな) 」。「旦那」と呼ばれていたのは、昔彼が金持ちで、四頭だての馬車を持っていたからで ある。ハンスはもうこういう人たちの名前だけしか憶えていないが、おぼろげに感じられ るのは、路地の小世界は彼の記憶から失われてしまっているのに、そのかわりに生き生き した価値のある体験を得たわけではないということだった。
 次の日もまだ休んでよかったので、朝はゆっくり寝坊し自由を存分に楽しんだ。お昼に 父を迎えに出かけた。父はシュトゥットガルトのいろんなお楽しみで、まだしあわせそう に満足しきっていた。
「試験に受かったら、何かねだってもいいんだぞ」と彼は上機嫌(じようきげん) で言った。
「よく考えときな」
「だめだよとても」少年は嘆息(たんそく)した。「きっと落ちてるよ」
「馬鹿げたことを、なにを言うんだ。こっちの気が変わらないうちに欲しいものでも考え たほうがましだぞ」
「お休みのあいだ、また釣をしたいんだ。いいでしょう?」
「いいとも、試験に受かればかまわないさ」
 翌日の日曜日は雷が鳴り、急に豪雨(ごうう)が来た。ハンスは何時間も部屋に - 12 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ひきこもって本を読んだり考えこんだりしていた。シュトゥットガルトの試験の結果を正 確に思い返してみたが、何度くり返しても結果は同じことだった。とりかえしのつかない 失敗だ。ずっといい答えが書けたはずなのに。とにかく合格点に達するはずはない。いま いましいあの頭痛のおかげだ! しだいに高まってくる不安に胸をしめつけられ、おしま いには重苦しい心配に矢も楯(たて)もたまらたくなって父のところにとんでいっ た。
「ねえ、お父さん!」
「何か用かい?」
「ききたいことがあるんだ。おねだりの話なんだけどね、ぼく、釣の話はやめにしておく よ」
「そうか、いったい今ごろになってなぜなんだ?」
「なぜって、そりゃあね……そうだ、ちょっときいときたいんだけど……」
「すっかり言っちまえ、そんなごたいそうなことなのかね、いったいなんだい?」
「もし落ちたら高等学校(ギムナジウム)へ行ってもいいかしら……」
 ギーベンラート氏は唖然(あぜん)とした。
「なに、高等学校?」それから彼はどなった。「お前が高等学校に行く? そんな入れ 知恵(ぢえ)をしたのはだれだ?」
「だれもしやしない。ただ自分でそう思っただけだよ」
 彼が顔に恐ろしい不安を浮かべているのがはっきりわかった。しかし父親はそんなもの には目もくれなかった。
「いやはや!」と父は不愉快(ふゆかい)そうに笑いながらいった。
「たいしたのぼせようだな。高等学校に行くなんて。このおれが商業顧問官(こも んかん)とでも思ってるのかい」
 父ににべもなくはねつけられたので、ハンスはあきらめ絶望して部屋を出た。
「どっかの坊っちゃんみてえにさ」と出てゆく彼のあとから父の怒った声がおっかけてき た。
「とんでもねえこった。今度は高等学校に行きたいと来やがった。たいしたもんだよ、 何様(なにさま)みてえなつもりでさ」
 ハンスは三十分ほど出窓に腰かけて、磨きたての床板をじっとみつめながら、もしほん とうに神学校も高等学校も大学もだめになったらいったいどうなっちまうだろうと考えた 。父親は自分をチーズ屋の徒弟にするか、会社の事務員見習いにするだろう。そうしたら きっと一生を平凡な、つましい人間のひとりとして過ごすことになるだろう。自分が 軽蔑(けいべつ)し、なんとしてもそんな環境からはぬけだそうと思っていたああ いう人種になってしまうのだ。彼の整った利口(りこう)そうな顔が、怒りと苦し みにゆがんだ。むかむかして立ち上がり、ペッと唾(つば)をはくと、そこにあっ たラテン語の詩集をつかんで腹だちまぎれに壁にたたきつけ、雨の中をとび出して行った 。
 月曜日の朝はまた学校へ出かけた。
「どうだね?」と尋ねながら校長さんは手をさしだした。「昨日うちに来てくれるかと思 っていたんだよ。試験はどうだったんだね?」
 ハンスはうなだれた。
「どうした、うまくいかなかったのかい?」
「そうらしいです」
「もう少しの辛抱(しんぼう)だ!」と老先生は彼を慰めた。「たぶん、今日の午 前中にはシュトゥットガルトから通知が来るよ」
 午前中が恐ろしく長く感じられた。通知は来なかった。心でははげしくむせび泣いてい たので昼食はほとんどのどを通らなかった。 - 13 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
 午後になって二時ごろ教室にはいると、もう担任の先生が来ていた。
「ハンス・ギーベンラート」と彼は大声で呼んだ。
 ハンスは前へ出た。先生は彼に握手を求めた。
「おめでとう、ギーベンラート、君は州試験に二番で合格したんだよ」
 教室はしんとした。扉が開いて校長先生がはいってきた。
「おめでとう。さあ今度はどうだ?」
 少年は驚きと喜びでしびれたようになって口がきけなかった。
「まだ何もしゃべらないのかい?」
「こんなことだったら」思わず言葉が出てきた。「その気になれば一番だってとれたのに と思います」
「さあ家へ帰りなさい」と校長さんは言った。
「お父さんにお知らせするんだね。もう学校へは来なくていいよ。どっちみち一週間すれ ば休暇になるんだからね」
 めまいを感じながら、少年が表へ出ると、立っている菩提樹(ぼだいじゆ)や 陽(ひ)の当たっている広場が目にはいった。なにもかもいつもと変わりないのに 、いつもよりずっと美しく喜ばしく意味ありげに見えるのだった。合格したんだ、それも 二番で。最初の激しい喜びの嵐が過ぎ去ると、今度はあつい感謝の念でいっぱいになった 。これでもう町の牧師さんを避けなくてもいいのだ。チーズ屋や会社の事務室にやられる 恐れもなくなった。
 それにまた釣をすることもできるのだ。父は彼が帰ってきたとき、ちょうど戸のところ に立っていた。
「どうしたんだ」と父は何気なくたずねた。
「たいしたことじゃないよ。学校を追っぱらわれちゃったのさ」
「え? いったいなぜだ?」
「だってぼくもう神学校生だもの」
「そうか、畜生(ちくしよう)。おまえ、受かったのか」
 ハンスはうなずいた。
「ほんとうか?」
「ぼく二番だったんだよ」
 お年寄りはそんなことまでは期待していなかった。彼はなんと言っていいかわからず、 ただやたらに息子の肩をたたき、笑って頭をふった。それから何か言おうとして口をあけ たが、やっぱり何も言わずにまた肩をたたくばかりであった。
「すごいぞ!」ようやく彼は叫んだ。それからもう一度「すごいぞ!」
 ハンスは家へかけこんだ。階段をかけのぼって屋根裏部屋へとびこむと、壁のはめこみ の戸棚を乱暴にあけてごそごそと中をひっかきまわし、いろいろな箱や釣糸の束や うき(・・)にするコルクの栓(せん)などをひっぱり出した。これが彼の釣 道具だった。なによりさきに釣竿にするきれいな枝を切り取らなければいけなかった。彼 は下の父のところにおりていった。
「パパ、パパのナイフを貸して」
「何に使うんだ」
「枝を切るんだよ、釣竿に」
 父はポケットに手をつっこんだ。
「ほら」と上機嫌で鷹揚(おうよう)に言った。「ほら、二マルクだ。自分用のナ イフを一丁(ちょう)買っていい。だけどハンフリートの店はやめろ――向こうの 刃物鍛冶(はものかじ)に行きな」
 あとはとんとんと運んだ。鍛冶屋は試験はどうだったときき、合格という嬉しい報告を きかされるととびきり上等のナイフを出してくれた。川下のブリューエル橋の下手 (しもて)には、しなやかなハンノキやハシバミの茂みがある。そこで長いこと選んだあ げく申し分のない腰のつよい枝を切りとり、急いでうちへもどった。 - 14 -

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 顔を紅潮(こうちょう)させ目を輝かせながら、釣と同じくらい楽しい釣仕度に とりかかった。午後から夕方まではそれにかかりきりだった。白と茶色と緑色の釣糸をよ り分け、念入りに調べてつなぎ合わせたり、古い結び目をいくつもほどいたり、こんがら がった糸をほぐしたりする。いろいろな形や大きさのコルクや浮き羽を検査し新しくけず る。釣糸のおもり用のいろいろの重さの鉛を金槌(かなづち)で丸く叩(たた )いて切りこみを入れる。それから、しまってあった釣針をつける段取りになる。釣針に は四重の黒い縫糸でつけるもの、楽器の絃(げん)のあまりでつけるもの、より合 わせた馬の毛でつけるものなどがある。夕方ごろやっと仕事がすんだ。ハンスはこの長い 七週間の休みはぜんぜん退屈(たいくつ)しないですむにちがいないと思った。釣 竿さえあれば彼は一日じゅうひとりで川べりで過ごせるのだった。 第二章

 これでこそ夏休みだ! 山脈(やまなみ)の上にはリンドウの花のような青い空 がひろがり、何週間も太陽が輝く暑い日々が続き、ただ時折り激しく短い雷雨がやってく る。川への道は砂岩のかたまりがごろごろして、モミの木陰におおわれていたり、せまい 谷間もあったが、それでも川の水はすっかりあたたまって晩方まで泳ぐことができた。町 をめぐって干し草や二番刈りの草の山の香がただよい、あちこちの穀物畑の細い帯は 黄金色(こがねいろ)に変わり、小川のほとりでは白い花をつけたドクゼリに似た 草が人の背たけほども生い茂っていた。この花は傘のような形をしていていつもテントウ ムシがいっぱい群がっていた。なかに穴の通っているこの茎を切って草笛や呼子笛を作る ことができる。森の縁をはなやかに色どる連なりは、綿毛のような黄色い花をつけた王者 のようなビロウドモウズイカである。ミソハギとヤナギランが細くしなやかで強い茎の上 でゆれ、斜面を一面に赤紫色でおおっていた。森の中のモミの木の下に、異様な感じを与 えながら美しくいかめしく一本の赤いジキタリスが、銀色の綿毛の密生したひろい根生葉 の間からぬっと突き出していた。茎は丈夫で、茎の上のほうに美しい赤色の萼状花 (がくじょうか)が一列に並んでいた。そのそばに、いろいろな茸(きのこ)が生 えている。赤く光ったアカハエトリタケや厚みも幅もあるヤマドリタケ、不可思議な形を したバラモンジン、赤くてたくさん腕のでているホウキタケ、それに奇妙に色があせて病 的にむくんだシャクジョウソウなどだ。森と牧草地の境目のヒースの茂った荒地には、強 いエニシダが燃えるような黄色いいろどりを見せ、それからうす紫のエリカの花の長い帯 が続き、そのうしろが牧草地になる。まだたいていは二度目の草刈りの前で、タネツケバ ナやセンノウやサルビアや松虫草などが色とりどりに茂っていた。濶葉樹(かつよ うじゆ)の森の中ではウソが小止みなくさえずり、モミの森では狐色(きつねいろ )のリスが梢から梢へと走りまわり、畑の畦(あぜ)道や石塀や水の枯れた掘り割 りには、緑色のトカゲが気持ちよさそうに陽だまりで呼吸しながらうろこを光らせていた 。そして牧場一面にいつ果てるともなく、ぶつけるような蝉の声がひびきわたっていた。
 この時期になるとこの町は農村のような感を呈した。干し草を積んだ車や、干し草の香 りや、鎌(かま)とぎの音が往来にあふれ、大気をみたした。もし二つの工場がな かったら、ほんとうに農村にいるような気がしたところだろう。
 夏休みの第一日めの朝早く、年とったアンナがまだ起きてもいないうちから、ハンスは いらいらしながら台所でコーヒーを待っていた。火をおこすのを手伝い、パンを鉢からと り出し、新鮮なミルクを入れてさましたコーヒーを大急ぎで飲みほすと、パンをポケット につっこんでとび出した。山のほうの線路の土手のところで立ち止まると、丸いブリキ缶 をズボンのポケットからひっぱり出し、熱心にバッタをつかまえ始めた。列車が通過する 、しかし猛烈(もうれつ)な速さではない。この辺りは線路が急な登り坂になって いるので、わずかな乗客をのせ、すべての窓をあけ放し、楽しそうにはためく旗のように 煙と蒸気をたなびかせて走って行った。乗客はほんの少しだった。彼は列車を見送り、白 い煙が渦(うず)を巻いてやがて朝の澄んだ大気の中に消えてゆくのを見つめてい た。なんて長い間、こういう光景を見ていなかったことだろう! もう一度、失われたす ばらしい時を倍にしてとりかえし、ふたたび気ままな、なんの屈托(くつたく)も ない小さな少年になろうとするかのように大きく息を吸いこんだ。 - 15 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
 バッタのはいった餌箱と新しい釣竿を持って橋をわたり、向こう側の果樹園を通り抜け て川がいちばん深くなっている馬池(ロスワイアー)のほうへ歩いていく途中、ひ そやかな歓喜の念と釣をする楽しみで胸がどきどきした。そこは、ほかのどこよりも快適 に、邪魔されずに柳の幹によりかかって釣ができる場所だった。彼は釣糸をほどき、小さ な錘(おもり)をつけ、容赦なく一匹のふとったバッタを釣針に突きさすと、大き く一振りして針を川の真ん中に投げこんだ。いつもの、ようく知っている遊びが始まった 。小鮒(こぶな)が群れをなして餌のまわりにむらがってきて、餌だけを針からは ずそうとかかるのだ。まもなく餌はすっかり食べられてしまい、二番目のバッタの番にな る。また一匹。四匹め、五匹めもあっさり餌食(えじき)になった。しかし餌のつ け方はだんだん念入りになってくる。おしまいに糸につける錘を一つふやしてみると、は じめて魚らしい魚が餌をつつき出した。ちょっと餌をひっぱってつき放し、もう一度同じ ことを繰り返す。今度は食いついた――慣れた釣手なら、糸と竿を通してぴくぴく動く感 触を指に感じられるのだ! ハンスは、わざと、ひとつはずみ(・・・)をつけて から用心深く竿を引き始める。魚はかかっている。やがて魚の姿が見えてくると、ウグイ だということがハンスにはすぐわかった。この魚は、幅の広い飴色(あめいろ)に 光る姿と、三角の頭と、特に美しい肉色の腹びれの生(は)え際のところですぐ見 分けがつくのである。どのくらいの重さだろうか? しかしまだ見定めのつかぬうちに、 魚は必死の勢いで水を切り、水面をめちゃめちゃに暴れまわったあげくとうとう逃げおお せた。水中で三回、四回と旋回するところまでは見えたが、それから銀色の稲妻のように きらりと光って深みへ消えて行った。餌によく食いついていなかったのだ。
 釣手の心はようやく興奮し、釣師の熱心な注意力が動員された。彼の視線は細い茶色の 釣糸が水に触れているところに、鋭く、じっと注がれていた。頬は紅潮し、動作にはむだ がなく敏捷的確(びんしようてきかく)だった。二匹めのウグイが餌につき、釣り 上げられた。それから釣るのもかわいそうなほどの小さな鯉がかかった。それから続けざ まにハゼが三匹釣れた。ハゼは父の好物(こうぶつ)なのでなにより嬉(うれ )しかった。よくふとった鱗(うろこ)の細かいやつで、ふくれた頭におかしな白 い鬚(ひげ)があり、目は小さく尾のほうはほっそりしている。色は緑と茶色の中 間色で、陸に釣り上げると鋼(はがね)のように青光りするのだった。そのうちに いつか日は高く昇り、川上の堰(せき)では水の泡がまっ白に輝き、水面には暖か い大気がチカチカしていた。見上げると、ムック山の上に掌(てのひら)ほどの大 きさのまばゆい雲が二つ三つかかっていた。暑くなってきた。紺碧(こんぺき)の 中空(なかぞら)に純白に静止して、長いことみつめていられないほど、あふれる ようにいっぱい光を浴びている小さな二、三片の雲、この雲ほど強烈に真夏の暑さを表現 できるものはほかにない。この雲がなかったら、青空を見ても、水面が鏡のように輝くの を見ても、暑さにぜんぜん気がつかないことがあるだろう。だが泡のように白い、ぎゅっ と丸めたような真昼の雲を見ると、急に灼熱(しやくねつ)する太陽を感じて日陰 を求め、汗ばんだ額(ひたい)を手で払うものだ。
 ハンスはだんだん釣への注意が鈍(にぶ)ってきた。少し疲れてきたし、それに 昼ごろはどうせほとんどなにも釣れないものだ。ハヤは、年のいったのも大きいのも、昼 ごろになると水面近くに日に当たりにやってくる。大きな黒い列になって川上のほうへ水 面すれすれを夢みるようにゆっくりと泳いでゆくが、ときどき急になにかに驚く。なぜだ かそのわけはわからない。要するにこの時間は決して餌についてこないのだ。
 彼は釣糸を柳の枝にひっかけて水の中に垂(た)らしておき、地面に腰をおろし 、緑色の川を見つめた。魚たちはつぎつぎに黒い背を見せながらゆっくりと水面近くに浮 き上がってきた。静かにゆっくりと泳ぐ魚の群れ、ぬるむ水に誘われてうっとりした魚た ちの行列。魚たちも暖かい水の中が居心地がいいんだろうなあ! ハンスは靴をぬぎ足を 水にひたした。水の表面はとても生ぬるかった。バケツの中の釣り上げた魚を見ると、と きどき静かにパチャッと音をたてて泳ぎまわっていた。なんてきれいなんだ。白・茶・緑 ・銀・渋い金・青、そのほかいろいろな色が、魚が動くたびに鱗やひれにきらめいた。
 あたりはとても静かだった。橋を通る車の騒音はほとんど聞こえず、こっとんこっとん と水車のまわる音も、ここではただかすかに聞きとれるだけだった。ただ水が白く泡だっ ている堰のあたりからたえず聞こえてくるやさしいざわめきが、静かに、涼しそうに眠気 - 16 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] を誘い、流れる水が筏を止める杭(くい)のところで渦を巻いてたてるかすかな音 が聞こえてくるだけだった。
 ギリシア語、ラテン語、文法と作文、算数と暗唱、休みなく追いたてられたこの長い一 年の拷問(ごうもん)のような混乱した苦しみ、すべては、眠気を催すような暖か いこの時間の中に、静かに沈澱(ちんでん)してしまった。ハンスの頭は少し痛か ったが、いつものようにひどい頭痛はなかった。いまは、晴れてふたたび川べりにすわっ て堰の水の泡がはねかえるのを見、またたきしながら釣糸から目を放さないでいていいの だ。そして彼のそばの器の中で、獲(と)った魚たちが泳いでいるのだ。ほんとに すばらしいじゃないか。そのうち突然、自分が州試験に、しかも二番で受かったのだとい うことを思いついた。そこで彼は素足を水の中でばちゃばちゃさせ、両手をズボンのポケ ットにつっこみ、あるメロディーを口笛で吹きはじめた。ほんとは口笛はちゃんと吹けな いのだった。昔は、これが彼の悩みの種で、級友たちからもさんざん笑いものにされたの だ。彼は歯の間からしか音を出せず、それもごく低い音だったけれど、うちで吹くには十 分だった。今ならだれも聞いてやしない。ほかの連中は今学校で地理の時間だ。彼ひとり だけが釈放されて自由なのだ。ほかの連中をみんな追い越してしまった。連中はもう彼よ りはるか下にいる。彼がアウグストのほかだれも友だちを持とうとせず、ほかの連中の 喧嘩(けんか)や遊びなどはちっともおもしろがらないというので、これまではさ んざんみんなにいじめられたものだ。だけど、みろ、今度こそやつらが見送る番だ、くだ らない愚かなあいつらが。彼は軽蔑のあまり一瞬口笛をやめ、口をゆがめた。それから釣 糸を巻き上げてみると思わず笑いだしてしまった。釣針の餌がきれいになくなっていたか らだ。缶に残っていたバッタを放してやると、どうしていいか見当もつかないように、気 がない様子で丈(たけ)の低い草むらの中にもぐりこんでいった。近くの鞣( なめし)皮工場はもう昼休みだ。食事に帰る時間になっていた。
 食事の時はほとんど口をきかなかった。
「何か釣れたか?」と父がきいた。
「五匹」
「へえそうか。だけどお前、親魚はとっちゃだめだぞ。親をとるとあとで小魚がいなくな っちまうからな」
 それ以上会話は発展しなかった。とても暑かった。だからなおのこと食後すぐに泳ぎに 行けないのが残念だった。いったいなぜいけないんだろう? 毒だからだって! 毒なわ けはない、それはハンスのほうがよく知っていた。これまでだって禁を犯して出かけたこ とは何度もある。しかしもうそんなことはすまい、もうそんな子供っぽい反抗をする年じ ゃないんだ。試験じゃ「あなた」と言われたじゃないか!
 とすれば、一時間ほど庭のアカハリモミの木陰で横になるのも悪い思いつきではなかっ た。陰はたっぷりあるし、本を読んだり蝶を眺(なが)めることもできる。こうし て彼は二時までそこに横になっていた。危うく寝こんでしまうところだった。さあ、泳ぎ にいける! 川原には、たった二、三人の小さな子供たちがいるだけだった。上級の子供 たちはまだみんな学校なのだ。ハンスは連中が学校で大いに絞(しぼ)られること を心から願った。ゆっくりと着物を脱ぐと水へはいった。彼はからだを暖めたり冷やした りをかわりばんこに繰り返して楽しむことを心得ていた。しばらく泳ぐと潜水(せ んすい)し、水をばちゃばちゃはねとばし、今度は岸に腹ばいになってみるみるうちに乾 いてゆく肌に太陽が灼(や)けつくのを感じるのだった。小さい子供たちは、偉い 人である彼に遠慮して忍び足で歩いていた。そうだ、彼は有名になっていたのだ。それに 彼は、見ただけでもほかの連中とはまるでちがっていた。ほっそりとした陽にやけた 頸(くび)はすらりと優雅に形のいい頭部につながっていた。その顔は知的で人並 みすぐれた目つきをしていた。ところでからだつきのほうはやせこけていて、手足も折れ そうにかぼそく、胸と背中は肋骨が数えられるほどであり、ふくらはぎはほとんど肉がつ いていなかった。
 ほとんど午後いっぱい、彼は太陽と水の間をいそがしく往復した。四時過ぎると、クラ スの連中のほとんどが、急いで大騒ぎしながらかけてきた。
「いよう、ギーベンラート! 羨(うらや)ましいねえ」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  彼はのぴのびと手足をのばした。「まあ、そういうとこさ」
「いつ神学校にいくんだ?」
「九月になってからだよ。今は夏休みさ」
みんな勝手に羨ましがらせておいた。後ろのほうでハンスをからかう声がだんだん聞こえ てきて、そのうちだれかひとりがこんな歌を歌ったが、彼にはまるでこたえなかった。


おいらもそんなになりたいぜ
シェルツェのリザベートみたいにさ!
ひるひなかでもベッドでお休みだ
こちとらはそうはいかねえや


 彼はただ笑っていた。そのうち連中も着物を脱いでしまった。思いきってざぶんと水に とびこむもの、用心深くまずからだを水で冷やすものもいたが、泳ぐ前にしばらく草の中 に横になっている連中もあった。潜水の名人は大いに尊敬され、臆病者(おくびよ うもの)は後ろから水につき落とされて、「人殺しい」と悲鳴をあげた。追いかけっこを したり、走ったり、泳いだり、陸で甲羅(こうら)をほしているものに水をひっか けたりした。大きな水音や叫びがまきちらされ、川じゅうが子供たちの白いからだ、濡れ たからだ、ぴかぴかしたからだで輝いていた。
 一時間するとハンスは川原を去った。魚がまた餌に食いつくようになる暖かい日暮れ時 がきたのだ。夕食の時間まで橋の上で糸を垂れてみたが、ぜんぜん獲物がなかった。魚は 貪欲(どんよく)に釣針を追っかけまわしたが、あっというまに餌だけさらわれて 何もかかってはいなかった。針にはサクランボをつけていた。きっとサクランボじゃやわ らかすぎるのだ。今度は別の餌でやってみようと心にきめた。
 夕食のとき、たくさんの知り合いがお祝いに来たときかされた。きょう出た週刊新聞を 見せてもらうと、「公報」欄に次のようなニュースがのっていた。
「初等神学校試験に、今回、本町は唯一の受験生、ハンス・ギーベンラートを送った。こ の試験に彼が二番で通過したという報告を受けたことは、われわれの欣快(きんか い)にたえぬところである」
 彼は新聞をたたんでポケットにつっこみ、何もものを言わなかったが、じつは得意と嬉 しさに胸もはりさけんばかりだったのである。それから彼はまた釣に出かけた。今度はチ ーズの切れっぱしを持って行った。魚の好物で暗いところでもよく見分けるのだった。
 竿は立てておいて、いちばん簡単な手釣をやった。彼のいちばん気に入っている釣り方 だ。釣糸を竿もう(・)き(・)もつけずに手で持つから、釣道具は糸と針し かいらない。ちょっと骨は折れるがずっとおもしろいのである。餌がほんのちょっと動く のさえ見逃さず、魚がつついたり、食いついたりするのもすぐ感じられ、糸の引き方で魚 の動きが手にとるようにわかるのだ。もちろん、こういう釣はよほど慣れていないとでき ない。指が器用で探偵のような注意力を持たなければいけない。
 山に深く截(き)りこんで、うねうねと走るこの狭(せま)い谷あいには夕 暮れェ早くおとずれた。水は橋の下に黒く静かに横たわり、下手の水車小屋には灯がつい て、話し声や歌声が橋や路地に流れてきた。空気は少しむしむしし、川では魚が黒い姿を みせてたえず水上にはねていた。こんな夕方は魚たちは妙(みよう)に興奮し、ジ グザグに泳ぎまわったり、水面にはね上がったり、釣糸にぶつかってめくらめっぽうに餌 にとびつくことがある。最後のチーズを使い果たしたときには、ハンスは小さな鯉を四匹 も釣っていた。それを明日、町の牧師さんに持っていこうと思った。
 なま暖かい風が谷を川下のほうへ吹きぬける。あたりはだいぶ暗くなっていたが、空は まだ明るかった。とっぷり暮れて暗くなった町からは、ただ教会の塔とお城の屋根だけが 、くろぐろとまだ明るい空を切ってそびえていた。はるか遠くのほうに雷雨がきているに ちがいない。ときどき、かすかに遠雷の音が聞こえた。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  ハンスは十時に床についたが、頭も手足も気持ちよく疲れ、久しく覚えたことのない眠 気に襲われた。
 これから延々と続く自由なすばらしい夏の日々が目の前に浮かぶと、彼の心はすっかり おだやかになり、その光景に誘われた。ぶらぶらと歩きまわったり、泳いだり、釣をした りしてぼんやりと夢見ながら過ごす日々だ。文句なく一番になれなかったということだけ がたったひとつの癪(しやく)の種だった。

 翌朝早く、ハンスは町の牧師さんの家の玄関にあらわれてお土産(みやげ)の魚 をとどけた。牧師さんが書斎(しよさい)から出てきた。
「やあ、ハンス・ギーベンラートか! おはよう! おめでとう、ほんとうに、心からお めでとう――何を持ってるんだね?」
「ほんの二、三匹だけ魚を。昨日釣ったもんで」
「ほう、どれみせてごらん! ありがとう。まあちょっとあがってもいいだろう」
 ハンスは、よく知っている書斎にはいった。ここは普通の牧師の書斎とはまるで様子が 違っていた。鉢植えの花の香(かお)りも煙草の香(にお)いもしなかった。 立派な蔵書はどれもほとんど新品ばかりで、きれいなラック塗りで金文字入りの背表紙を みせていた。普通、牧師の書庫にみられるような、色あせて形がくずれ、虫がくったり、 かびの生えたりした本ではない。もっと注意深く見る人ならば、きちんと整理してある書 物の標題から、その蔵書家が新思想の持ち主だということに気がつくだろう。それは死に 絶えつつある世代に属する時代おくれのおえら方の精神とはまったくちがったものであっ た。普通は牧師の蔵書というと、一番えらそうにのさばっている神学者ベンゲル、エティ ンガー、シュタインホーファーの著書とか、メーリケが「風見の雄鶏(おんどり) 」のなかで美しく歌いあげている敬虔(けいけん)な詩人たちの書物はこの書斎に は見あたらなかった。あったにしても、おびただしい近代的な著書に押されてすっかりか すんでいたのだ。新聞のスクラップや写字台や、原稿の散らばっている大きなテーブルな どから与えられる印象は、要するに学者らしいまじめなものであった。いかにも精力的な 仕事が行なわれているような感じであった。もちろん、説教や問答教示や聖書講義の仕事 なんかではなく、学術誌にのせる研究や論文や自分の著書のための準備研究であった。こ の書斎からは、神秘を夢想したり、霊感を求めて沈思(ちんし)黙考(もっこ う)するといったことはいっさい追放されていた。また学問の深淵(しんえん)を のりこえ、愛と同情を抱いて渇(かつ)えた民衆の心に訴えようとする素朴な心の 神学も、追放されていた。そのかわりに、ここでは熱心に聖書批判が行なわれ、「歴史的 にみたキリスト」が研究対象となった。
 神学においてもほかの分野と変わりない方法がとられるのだ。芸術のような神学も存在 するが、いっぽうには科学のような神学、少なくとも科学であろうとするような神学も存 在する。これは今も昔も変わりない。科学者はいつも、新しい皮袋にかまけて古い酒のほ うを忘れがちだが、いっぽう芸術家たちは、平気でたくさんの表面的な過(あやま )ちはおかしながらも、多くの人々に慰めと喜びをもたらしてきた。昔から批判精神と創 造、科学と芸術のあいだにははじめから勝負のついている闘争が行なわれてきた。科学は いつも正しかったが、だれの役にもたたなかった。ところが芸術は、たえず信仰、愛、 慰藉(いしゃ)、美と永生感の種子をまき散らし、そしてその度にそれを受けいれ てくれる土壌を見出すのであった。なぜなら生は死よりも強く、信仰は懐疑(かい ぎ)よりも力があるからである。
 はじめハンスは、写字台と窓の間の皮張りの小さいソファに腰かけた。牧師さんは非常 に好意的だった。まるで友人のように彼に神学校のことや、またそこでの生活や勉強の仕 方を説明してくれた。
「あそこで教えられることのなかで、いちばん重要な新しい学課はね」と彼は言った。「 新約聖書ギリシア語入門ってやつだよ。まったく新しい世界がひらけてくるだろう。勉強 もたいへんだが喜びも大きいさ。はじめは語学的にちょっと骨が折れる。アッティカの古 典ギリシア語とはもうかなり違ってきてるんだ。新思想によって生みだされた特殊 - 19 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] (とくしゆ)な言葉なんだよ」
 ハンスは一所懸命に彼のいうことに耳を傾け、自分が本物の学問に一歩近づいたように 誇らしい気持ちになった。 
「しかしこの新しい世界にはいっていくんだって、学校の型通りにやられちゃあ」と牧師 さんは言葉を続けた。「もちろんその魅力も半減しちまう。それに神学校じゃ、たぶんは いるとまずヘブライ語にひどく時間をとられてしまうものだからね。もし君にその気があ れば、夏休み中にわたしといっしょに少し始めておいてもいいんだよ。そしたら神学校に 行ってから、ほかの課目に暇と力をかけられるから、君だってありがたいだろう。いっし ょにルカ伝を二、三章読んでもいいんだ。君ならこの言葉は片手間に楽々と習っちまえる よ。辞書はわたしが貸してあげよう。毎日一時間かせいぜい二時間という具合にしてだん だんに慣れていけばいい。むろんそれ以上の時間はとらないさ。なにしろ君は今なにより も大いばりで休養をとらなきゃいけないんだからね。だから今の話ももちろんただの提案 なんだよ。そんな勉強で君のせっかくの素敵(すてき)な休暇気分を台無しにする 気はわたしにはないんだ」
 ハンスはむろん承諾(しようだく)した。彼にとってみれば、このルカ伝の講習 は、せっかくの自由という喜ばしい青空にあらわれた一片の軽い雲のようなものであった が、それでも断わるのは恥のような気がした。それに新しい言葉を休暇中に片手間に学ぶ ということは、たしかに普通の勉強よりずっと楽しみなことだった。そうでなくとも、神 学校で教わるたくさんの新しい学課、特にヘブライ語にはいささか恐怖心(きよう ふしん)を抱いていたところであった。
 ある程度満たされた気持ちで牧師の家を出ると、落(から)葉松(まつ)の 道を通って森の中へはいっていった。ちょっとした憂鬱(ゆううつ)な気分はもう すっかり消えていた。例の講習の件もよく考えてみれば、だんだんと承知するのが当然の ような気がしてきたのだ。なぜなら神学校にはいっても同級生をひきはなすつもりなら、 今より欲を出してもっと頑張らなければいけないということがわかっていたからだ。絶対 に負けたくはない。でもいったいなぜなのだろう?
 そのわけは自分にもわからなかった。この三年というもの、みんなが彼に目をつけて受 持ちの先生や牧師さん、父親、おまけに校長さんまでが彼を叱咤激励(しつたげき れい)し、息をつくひまも与えてくれなかった。長いこと、彼はどのクラスになっても競 争相手のない一番だった。そのうちだんだんに彼は、自分でもトップにたってだれひとり 寄せつけないことを得意とするようになっていた。あのばかげた試験の不安など今はもう すっかり影をひそめてしまっていたのだ。なんといってもやっぱり休暇だということはい ちばんすばらしい。彼のほかだれも散歩するものがいないこの朝の時間に森にきてみると 、すばらしさはまた格別だ! アカハリモミの木々が柱のように連なり、深緑の梢が丸い 天井(てんじよう)となって果てしなく続いている。叢(くさむら)は少なく て、ちらほらとエゾイチゴの茂みがあるだけだったが、そのかわりにやわらかい毛皮のよ うな苔(こけ)の生えた地面が延々と続いていて、そこに背の低いコケモモやエリ カが茂っていた。露はもうすっかり乾いていた。一直線にのびた幹と幹のあいだに森特有 のむせかえるような朝の大気がただよっていた。太陽の熱気と露の蒸気と苔の香りと松 脂(やに)やモミの葉やキノコなどの香気(こうき)がまざりあって、 媚(こ)びるようにひとの感覚に訴えて、軽いめまいを催(もよお)させるの だった。ハンスは苔のなかに身を投げて、くろぐろと密生しているアサマブドウの実をと って食べながら、あちこちでキツツキがコツコツと幹をたたく音や、嫉妬ぶかい郭 公(かつこう)が負けずに鳴くのをきいた。くろぐろとしたモミの木の梢の間から、雲ひ とつない深緑の空がのぞいていた。はるかかなたまで何千本という垂直な幹がぎっしりと 続き、遠くのほうの幹は重なりあっていかめしい褐色(かつしよく)の壁のように 見えた。苔のあちこちに漏(も)れ日が黄色い斑点になって散らばり、暖かそうに 光っていた。
 ほんとはハンスは遠くまで散歩をし、少なくともリュッツェル農場かサフラン草原まで 行くつもりだった。ところが今彼は苔のなかに横たわり、コケモモの実を食べ、もの 憂(う)く空を見ているのだった。彼自身にもこんなに疲れているのが不思議に思 - 20 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] われてきた。以前なら、三、四時間歩くぐらいはなんでもなかったのだ。元気を出して起 きあがり、うんと歩いてみようと決心した。彼はそこで数百歩ほど歩いてみたが、それか らもうまた苔のなかに寝ころんでしまった。どうしてこうなるのか自分でもわからぬまま 、また休息をとった。横になったまま木々の梢のかなたや緑の地面などにまたたきしなが ら落ち着かぬまなざしを走らせた。こんなに疲れるのもうっとうしい空気のせいなんだろ う。
 昼近くうちへ帰ってくると、また頭が痛くなった。目がずぎずきした。森の小径で太陽 にひどく照りつけられてまぶしかったせいだ。午後になってもしばらくは不愉快な気分で うちに閉じこもっていたが、それから泳ぎに出かけるとやっと生気(せいき)をと りもどした。やがて町の牧師のところへ行く時間になっていた。出かける途中で、仕事場 の窓ぎわの、三脚にすわっていた靴屋のフライクに見つかって呼びとめられた。
「どこへ行くんだい、坊主(ぼうず)? ちかごろはさっぱり見かけないね」
「牧師さんのところへ行かなきゃならないんだ」
「まだ行ってるのかい? 試験はもうおしまいじゃないか」
「うん、今度は別の勉強にかからなきゃね、新約聖書なんだよ。新約聖書はもちろんギリ シア語だけど、ぼくが習ったのとはぜんぜん違うギリシア語なんだ。それを習うことにな ったんだ」
 靴屋は帽子のひさしをずっとずり上げ、沈思黙考型(ちんしもつこうがた)らし い広い額にしわを寄せ、深いため息をついた。
「ハンス」と彼は静かに言った。「ちょっと言いたいことがあるんだ。これまでは試験の ためだからと思って黙っていたがね、そろそろ気をつけてもらわなきゃいかん。それはね 、あの例の牧師が信仰をもたぬ人間だってことを知っておくことさ。あいつ、君にも聖書 はまやかしで嘘っぱちだと言ってきかせたり、そう思いこませようとかかるよ。新約聖書 をやっといっしょに読み終えるころには、君も知らず知らずのうちに自分の信仰をすっか り失っているんだよ」
「だけどフライクさん、ギリシア語をやるだけなんだよ。どっちみち学校でも習うんだも の」
「そう言うがね、聖書の読み方を信心深い良心的な先生から教わるのと、神様などもう信 じていない人から教わるのとじゃあだいぶちがうんだぜ」
「だけど、牧師さんがほんとうに神様を信じているかいないかなんてことがどうしてわか る?」
「わかるとも、ハンス、残念ながらわかっているんだ」
「だけど、どうしたらいいの? もう行くって約束しちゃったんだよ」
「それじゃ行かなきゃいけないさ、そりゃもちろんだ。だけどね、もし、やつが聖書のこ とでそんなたわごとを言い、ありゃ人間が書いたもんだとか嘘っぱちだとか、聖霊 (せいれい)によって授けられたものではないなどとぬかしたら、すぐわたしのところへ 来なさい。そしたらそれについて話しあおうじゃないか、どうだい?」
「うん、フライクさん。でもきっと、そんなひどいことにはならないよ」
「まあみていなさい。わたしの言ったことをよく憶えておくんだね」
 町の牧師さんはまだ家へ帰っていなかったので、ハンスは書斎(しよさい)で少 し待たされた。金文字の書物の標題を眺めているうちに、靴屋の親方の言ったことですっ かり考えこまされてしまった。これまでにも、ここの牧師さんや新しがりやの聖職者一般 に対して、よくこんなことが言われているのをきいたことがある。しかし、こんなに緊張 し好奇心をもってこの問題のとりことなってしまったのははじめてだった。靴屋の親方み たいに、この問題をたいへんなこと、恐ろしいことに思っているというのではなく、むし ろ彼は、昔から抱いていた大きな秘密を探りあてる可能性がこのへんにありそうだと感づ いたのだ。まだ低学年のころには、神の遍在(へんざい)、死後の霊魂不滅( れいこんふめつ)、悪魔、地獄、といったことに対する疑問から、いろいろな空想をたく - 21 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ましくしたものだったが、こういったことは、このあいだまでの苦しい勉強の年月のあい だにすっかりおさまっていた。せいぜい、たまに靴屋の親方と話していると、その刺激で 学校で教わる型通りのキリスト教信仰に個人的な生き生きした特徴が加えられることがあ るという程度だった。靴屋を町の牧師さんと比べると、思わずおかしくなってしまう。多 年のつらい年月のあいだに獲得されたこの親方のきびしい信仰は少年には理解できないも のであった。それにフライクは利口者だが真正直一本の人間で、神信心をうるさく言いす ぎるので多くの人たちの嗤(わら)いものになっていた。コチコチの信者たちの集 まりでは、同信者のきびしい裁(さば)き手、聖書の熱烈な解説者の役割を果たし 、村々をまわって祈祷(きとう)を行ない、教化につとめた。でもふだんは、つつ ましい手職人にもどって他の連中と同じようにひっそり暮らしていた。それにくらべると 、町の牧師さんのほうは、弁説さわやかなやり手で、説教者であるばかりか、その上 勤勉厳格(きんべんげんかく)な学者であった。ハンスはこの牧師の蔵書を尊敬を こめて見上げるのだった。
 まもなく牧師は帰ってきた。フロックを身軽な黒の平服に着替えると、生徒にルカ伝の ギリシア語版を手渡して読んでみろと言った。ラテン語の授業を受けたときとは、まった く様子が違っていた。数センテンスだけいっしょに読むと、几帳面(きちようめん )すぎるほど綿密な逐語(ちくご)訳(やく)が行なわれた。それから先生は 、めだたない例から問題を発展させて、巧みに確実にこの言葉の本来の精神に及び、この 本の成立の由来とその時代のことを話し、そして少年に、たった一時間で、学ぶこと読む ことについてまったく新しい考えを持たせてくれたのである。福音(ふくいん)の どの一句、どの一語にもどういう謎や問題がかくされているか、そしてこの問題について 、昔から幾千という学者や瞑想家(めいそうか)や研究者たちがどんな努力を重ね てきたかということがハンスにもおぼろげにわかってきた。そして彼自身もこの授業で、 真理の研究者の仲間に加えられたような気がしてきた。
 彼は辞書と文法書を借りてうちへ帰ると夜まで先を追っていった。どれだけの勉強と知 識を積めば、真の研究への道が開けていくかということが今こそわかってきたような気が する。そして、どんな難関も突破し、途中で手をぬくことは絶対にすまいと覚悟をきめた 。靴屋のことはいつかすっかり忘れていた。
 二、三日はこの新しい勉強でかかりきりになった。毎晩牧師さんのところへ出かけ、そ して真の学識というものが、日ごとに美しく、むずかしく、しかし骨折り甲斐(が い)のあるものに思われてきた。朝は早くから釣に出かけ、昼からは川原に水泳に行った が、あとはほとんどうちから出なかった。あの試験の心配と成功の得意さで、しばらく影 をひそめていた野心がふたたび頭を抬(もた)げ、彼をそっとしてはおかないのだ った。と同時に、最近の数か月間しきりに感じられた特に変わった感情が、頭の中でまた 活発に動きはじめていた。苦痛というのではなく、激しくなる鼓動(こどう)と、 興奮をよびさまされた力が勝ち誇って暴れまわるのである、じれったくなるほど気ぜわし く前進に前進をしたいという欲望といってもよかった。これに襲われるとあとで必ず頭が 痛くなったが、すばらしい衝動の熱の続く間は、授業も勉強も、疾風(しつぷう) の勢いで進んでいった。こうなるとふだんは何十分もかかるクセノフォンの最もむずかし い部分も楽々と読んでしまい、ほとんど辞書も使わず、切れ味のよくなった理解力で、と てもむずかしいぺージでも何ぺージも楽しくどんどん読み飛ばせるのだった。そんなとき には、すっかり高まった学問への意欲とむさぼるような認識欲と誇らしい自信が重なりあ い、まるで小学校も先生も修業の時代も、もうずっと昔のことになり、今は知識と能力の 高みめざして自分自身の道を歩んで行くような気がしたものである。
 いままた彼はこういう感情に襲われるようになり、眠りは浅くなり、ときどき不思議な くらいはっきり(・・・・)した夢でさまされた。夜中に軽い頭痛で目がさめてそ のまま眠れなくなると、じれったいほど、先へ先へ進みたいという気分にとらわれ、いっ ぽうでは、自分がすべての級友をひきはなし、教師連や校長さんも彼には一目(い ちもく)おいて敬意をはらい、それどころか彼を驚嘆(きようたん)して眺めてい たことを考えると、誇らしい優越感が心を占めるのだった。
 校長からみれば、自分が火つけ役になったすばらしい彼の野心を導き育ててやることは ひそかな楽しみであった。教師なんて非情で魂をもたぬ、木石(ぼくせき)のよう - 22 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] な杓子定規(しやくしじようぎ)の人間だなどと言ってはいけない。とんでもない ことだ。教師というものは、これまで、いくら刺激しても効果のなかった教え子の才能が 急にあらわれたして、木のサーベルやパチンコや弓、その他いろいろの子供っぽいおもち ゃを捨てて先へ進もうという努力を始めるのを見、真剣に勉強をはじめたため頬っぺたの ふくれたやんちゃ坊主が、聡明でまじめないじらしい少年になり、顔も大人びて知的にな り、目つきには深みがでて傍目(わきめ)もふらず、白くなった手も静かに動くよ うになっていく有様を認めると、喜びと誇らしさで心から喜ぶものである。教師の義務と 国家から託された使命は、年端(としは)のいかぬ少年たちのなかに宿っている自 然のままの粗野(そや)な力と欲望を押さえつけて根だやしにし、そのかわりに、 国家に公認の穏健中庸(おんけんちゆうよう)の理想を植えつけることである。現 在の生活に満足した市民や職務熱心な役人として暮らしている連中のなかにも、ひょっと したらこうした改革者や現実離れの空想家になっていたかもしれない人々がいるだろう。 この連中も粗暴(そぼう)で無軌道で荒削りのところをもっていたのだ。こういう 要素がまずたわめられ、こういう危険な炎がまず吹き消され、踏みにじられる必要があっ たのだ。ところが、まず自然が創造したままの人間は、予想も見通しもきかない危険性を そなえている。それはみしらぬ山奥の、源(みなもと)からほとばしり出た激流で あり、道もない無秩序な原始林のようなものである。原始林をきりひらき、整理し、野生 を強制的に抑制していく必要があるように、学校は自然のままの人間の野生を破壊し、征 服し、制限を加えていかなければならない。学校の役目は、体制側で認めた原則にしたが って、自然のままの人間を有用な一員とし、自己自身の特色に気づかせることにあるので ある。そうなったとき、各人の特色を完全に発揮するための最後の仕上げをしてくれるの は兵営における訓育(くんいく)である。
 小ギーベンラートは、なんというすばらしい成長発展を遂げたことだろう! 放浪や遊 びはほとんど自発的にやめてしまったし、授業中に愚かな笑い声をたてたりすることもと っくにしなくなった。庭仕事も、兎を飼うことも、釣もやめていたのだ。
 ある晩、突然校長さんご自身がギーベンラート家を訪れた。すっかり気をよくした父親 がつきまとうのを、やっとていねいにかわしてから、彼はハンスの部屋にはいって行くと 、この子はルカ伝の勉強の最中だった。彼は親しそうに挨拶した。
「立派じゃないか、ギーベンラート、もう勉強だね。だが、ちっとも姿を見せてくれない のはなせだい? 毎日君がくるのを待ってたんだよ」
「もううかがってたとこなんですが」と、ハンスは弁解(べんかい)した。「一匹 でも立派な魚をお持ちしようと思ったものですから」
「魚? 魚はなんだ?」
「そうですねえ、鯉かなんかです」
「そうかい、なるほど、また 釣をはじめて る の かい?」
「ええ、ちょっとだけ。父が許してくれたんです」
「うん、そうか、おもしろいかね?」
「ええ、とても」
「それはいい、結構だ。君は休暇をみごとに射とめたんだからね。とすると、君はいま、 片手間にでも何か勉強しようって気はあまりないだろうね」
「いえ、ありますとも、校長先生、もちろんです」
「わたしは、君自身がやる気のないことは無理に強制したくないんだよ」
「やる気はもちろんあります」
 校長は二、三回深く息を吸って、まばらな鬚(ひげ)をなで、椅子に腰をおろし た。
「いいかい、ハンス」と彼は言った。「わけというのはほかでもない、昔からの経験で言 うとね、よい成績で試験に受かると、次に急に成績が下がるのが普通なんだよ。たくさん の新しい学課が加わってくる神学校じゃとくにそうなんだ。休暇中にさきの勉強の準備を してくる生徒がかなりいる――そういう連中のなかには、試験じゃたいしてできなかった ってのもよくいるんだがね、それが栄冠を獲得していい気になってのうのうとしていた連 - 23 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 中を尻目(しりめ)に、がぜん頭角をあらわすものなんだよ」
 彼はふたたびため息をついた。
「この学校じゃ、君は楽々と一番でいられた。しかし神学校じゃ同級生は秀才や勉強家ば っかりだ。こういう連中は、そうやすやすと追い越されちゃいないんだ。わかるかね?」
「わかりますとも」
「そこでね、この休暇中に少し予習することをすすめたいんだがね。もちろん適度にだが ね! 君は今は当然たっぷり休養をとる権利があるし、またそうしなくちゃいけないんだ 。まあ日に一時間か二時間が適当だと思ったんだよ。これをしておかないと、今までの軌 道からすぐそれてしまって、そうなったが最後、もとの調子をとりかえすまで何週間もか かっちまうからね、どうだね?」
「ぼくは喜んでします。先生がやってくださるのでしたら……」
「ようし。神学校じゃヘブライ語についで君に新しい世界を開いてくれるのはホーマーだ ろう。今からしっかりした基礎をつくっておけば、二倍の楽しさでよく理解しながら読ん でいけるよ。ホーマーの言葉、つまりホーマー的韻律(いんりつ)も含めたイオニ ア地方の古方言というやつは、まったく比類のない特長をそなえた独自の言葉と言っても いい。この文学作品を正しく味わおうと思ったら、いっしょうけんめい徹底的にやらなけ ればだめだ」
 もちろんハンスは、この新しい世界に踏みこんでゆきたい気持ちはできていたから、で きるかぎり努力しますと約束した。
 しかし、最後にやってきた一撃(いちげき)はこたえた。校長は咳(せき) ばらいをすると、やさしく言葉を続けたのだ。
「はっきり言うとね、数学に二、三時間をあててくれるとありがたいんだがね。もちろん 君は数学が苦手というわけじゃないよ。しかし今まででも君の得意な科目だったとは言え ないだろう。神学校じゃ代数と幾何を始めなければならないが、そこで二課でも三課でも 準備しておくといいと思うんだかね」
「はい、校長先生」
「わかってるだろうが、わたしのところならいつ来ても歓迎するよ。君が立派になってい くのを見ているのが、わたしには名誉(めいよ)なことなんだ。数学のことはね、 先生のところで個人教授を受けさせてもらえるかどうか、お父さんにきいてみるといいよ 。多分週に三、四回ってことになるだろう」
「はい、わかりました。校長先生」

 こうしてふたたび勉強ばかりがわが世の春を謳歌(おうか)することになった。 たまに一時間ほど釣をしたり、散歩をしたりしても、ハンスは良心がとがめた。犠 牲奉仕(ぎせいほうし)で授業する数学の教師は、いつもなら水泳をする時間をそれにあ てた。
 代数の時間だけは、ハンスはどんなにいっしょうけんめいになっても好きになれなかっ た。午後、暑いさかりに、川原に泳ぎに行くかわりに、教授の暑い部屋に出かけて、蚊の うなり声のする埃(ほこり)っぽい空気の中で眠い頭を絞り、無味乾燥(むみ かんそう)な声でaプラスbとかaマイナスbをくり返すのは、やはり苦痛だった。ここ にはなんだか頭を麻痺(まひ)させられ、全体に圧迫されるような空気があり、ひ どい日にはまるで慰めというものがない、絶望的な気分を生みだす原因とさえなるのだっ た。彼と数学とのつきあいは奇妙なものだった。数学をまったく受けつけず、まるで理解 しない生徒の仲間というわけではなく、時にはいい解き方、いや、みごとないい解き方を 発見することもある。そんなときには彼も楽しくなることがあった。数学では変則もごま かしもなく、また主題からそれたり、まぎらわしい他の分野に及んだりすることがまった くない点が彼の気に入っていた。同じ理由から彼はラテン語が好きだった。というのは、 この語学は明瞭(めいりよう)正確で曖味(あいまい)さがなく、疑わしさと - 24 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] いうものとは無縁だからである。ところが計算をして解答が全部正しかったとしても、ほ んとうは正しい結果は何も出てきてはいないのである。数学の勉強と授業は彼には平坦な 国道を行く感があった。つねに前進を続け、毎日、なにかしら昨日はわからなかったもの を理解してゆく。しかし、突然目の前に広い視野が開ける山上に達するというようなこと は決してないのである。
 校長さんのうちの授業のほうがそれよりもいくらか活気があった。もちろん、その校長 さんが若々しく新鮮なホーマーの言葉を使ってやる場合より、町の牧師さんが新約聖書に 用いられている派生ギリシア語を教えるときのほうが、はるかに魅力とすばらしさを与え てくれるすべを心得てはいた。しかし、結局はホーマーのほうが、初めの難関を乗り越え てしまうと、すぐに驚きと味わう喜びが湧き出してきて、知らず知らずに先へ先へと誘わ れていくのだった。ときどきハンスは、あやしいまでに美しい響きをもった難解な 詩句(しく)を前にして、ふるえるほどの焦燥(しようそう)感と緊張感をも ちながら辞書をいくら急いでくってみても、この明るい静かな庭園を開いてくれる鍵が見 つけられないことがあった。
 また家での勉強がたっぷり増え、幾晩もひとつの問題に取り組んで夜おそくまで机に向 かうようになった。父親のギーベンラートはこの勤勉を誇らしく眺めていた。多くの愚か な連中と同じように、彼の遅鈍(ちどん)な頭の中にもおぼろげな理想があった。 それは、彼という幹から出た枝が、自分をはるか尻目に、なんとなく崇拝(すうは い)している高い領域に向かって成長してゆくのを見たいという理想であった。
 休暇も最後の週になると、校長さんも牧師さんも突然めっきりとやさしくなり、気をく ばるようになった。ふたりとも授業をやめてしまい、少年を散歩に行かせるようにした。 そして新しい生活には、生き生きと元気いっぱいにはいっていくことがどんなにたいせつ かを強調した。ハンスはもう二、三度釣に行った。でもひどく頭痛がして、岸辺にすわっ ていても、ろくろく注意が集中できなかった。川はもう薄青い初秋の空を映していた。あ のころは夏休みがなぜあんなに楽しみだったのか不思議なような気がした。いまでは休み が終わり、まったく別の生活と勉強が始まる神学校へ行けることのほうがずっと嬉しかっ た。もともとその気がなかったので魚はほとんど一匹も釣れなかった。そして父が一度そ れを冗談の種にしたので、それ以来釣もふっつりと止めてしまい、釣糸はまた屋根裏部屋 の押入れにしまいこんでしまった。
 休暇最後の数日というときになってはじめて、突然彼は、何週間も靴屋の親方フライク のところへ行っていないのを思い出した。今でもやはり彼を訪問するには相当の努力が必 要だった。もう夕方で、親方は居間の窓ぎわに腰かけ、両ひざに小さな子供をのせていた 。窓は開いていたが、革(かわ)や靴ずみのにおいが部屋じゅうにはいりこんでい た。ハンスはおずおず親方のかたい大きな右手をつかんだ。
「やあ、どうだね?」と親方はたずねた。「牧師のところでうんと勉強したかね?」
「うん、毎日あそこに行って、たくさん勉強したよ」
「いったい何をならった?」
「おもにギリシア語だけど、ほかにもいろんなこと」
「だのに、わたしのところには来る気にならなかったんだね」
「そりゃあ来たかったんだよ、フライクさん。だけどそれどころじゃなかったんだ。毎日 牧師さんのところで一時間、校長先生のところで二時間、それに週四回は数学の先生のと ころへ行かなければならなかったんだ」
「この休みじゅうにかい? そりゃ馬鹿げている」
「ぼくにはわかんないけど、先生がそうおっしゃったんだ。それに勉強はつらくなかった んだもの」
「そうかもしれん」と言ってフライクは少年の腕を握った。
「勉強もいいかもしれんが、なんて腕をしてるんだ? それに顔だってげっそり肉が落ち た。相変わらず頭痛がするのかい?」
「ときどきね」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 「馬鹿げてるぞハンス、それに罪悪だ。君の年ごろには十分いい空気を吸ってちゃんと運 動をし、適当に休息しなければいけないんだ。いったいなんのための休暇だね? 部屋に 閉じこもって勉強したり先の準備をしたりするためじゃない。骨と皮ばかりになっちまっ たじゃないか!」
 ハンスは笑った。
「まあいい、石にかじりついてもやっていくやつだからね。でもやりすぎはなんといって もやりすぎだ。ところで牧師の授業はどんな具合(ぐあい)だったんだね? どん なことを言ってたかい?」
「いろいろなことをおっしゃったけど、ひどいことはちっとも言わなかったよ。すごい物 知りなんだよ、あの人」
「聖書を軽蔑するようなことは言わなかったか?」
「ううん、一度も」
「それならいい。というのはね、よくお聞き。魂(たましい)を害(そこ)な うくらいなら、肉体を十回破滅させるほうがましなんだよ。君は将来牧師になろうとして いる。すばらしい重要な天職(おつとめ)だ。この職が必要としている人間は、君 たち若いものの中の大半の連中とはまったく違った人間だ。おそらく君は適任者で、いつ かは人々の魂を救い、教え導く人になるだろう。わたしは心からそれを望み、それを祈っ てるよ」
 彼は立ち上がって両手を少年の肩にしっかりとおいた。「元気でな、ハンス。いつも正 しい人でいるんだぞ! 主のお恵みとご加護(かご)のあらんことを、アーメン」
 もったいぶった厳粛(げんしゆく)さやお祈りや、かたい標準語などで少年は閉 口し、胸苦しくなった。町の牧師さんはお別れの時でもこんな具合にはやらなかった。
 準備やお別れの挨拶まわりなどで、また落ち着かないままに数日はあっというまに過ぎ てしまった。寝具や、衣類や、下着や本などをつめた箱はもう送り出されてしまい、今度 は旅行カバンの荷造りとなった。そしてある涼しい朝、父と子はマウルブロンに向かって 出発したのである。故郷を去って、自分の生家から他郷の学校へ移るのはなんといっても やっぱり妙な、悲しい気分であった。 第三章

 州の西北部、森におおわれた丘陵(きゆうりよう)と、小さな静かな湖の間に、 シトー教団の大修道院、マウルブロンがある。美しい建物がひろびろと昔さながらの姿で いまだにその威容(いよう)を誇り、訪れるものは思わず、住んでみたいという気 持ちに誘われるであろう。なぜなら、外からみてもなかからみても、建物のすばらしさは たぐいなく、数世紀の間に、いつか静かな美しい緑の環境とじっくり融け合って、気高い 趣きをたたえているからなのである。修道院の訪問を志すものは、高い塀のぽっかりと開 いている、絵のように美しい門をくぐって、広い、静かな広場に足をふみ入れる。そこは 噴水がしぶきをあげ、いかめしい老樹(ろうじゆ)がそびえ、両側に、古い石造り の、堅牢(けんろう)な建物が立ち並んでいる。いちばん背後に教会本堂の正面が 見える。パラダイスと呼ばれる後期ロマネスクの建築様式の玄関は、優雅な、魅力的な美 しさで比類のないものである。教会の巨大な屋根は針のようにするどい、ユーモラスな小 尖塔(せんとう)を乗せているが、いったいこの塔にどうして鐘を吊ったらよいの かわからないほどだ。すこしもいたんでいない廻廊(かいろう)は、それだけでも 美しい建造物であるが、珠玉のごとき装飾品としてその一部にみごとな泉堂(せん どう)をそなえている。雄渾(ゆうこん)な品位をもった十字の円天井がある僧食 堂、さらに礼拝堂(らいはいどう)、談話室、平修道士食堂、修道院長舎、二つの 教会などが、どっしりと建ち並んでいる。絵のように美しい壁、張り出し、門、庭、水車 、住宅、これらが、その量感のある古い建物を気持ちよく、明るくとりまいている。前の 広場は静かで、人気)(ひとけ)もなく夢みるように木陰とたわむれている。ただ - 26 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 昼すぎの一時(いつとき)だけ、束の間の活気が訪れる。この間だけは若者の一群 れが修道院から出てきて、このひろびろとした場所に散り、いくらかは動きや叫び、話し 声、笑い声をたてたり、球戯(きゆうぎ)をしたりもするが、その時間が終わると 、あっというまに、跡形(あとかた)もなく、壁の背後に消えてしまう。この広場 に立った多くの人は考えたものだ、なるほど、ここなら過分の生活と喜びに最適の場だろ う、ここならば溌剌(はつらつ)とした生気や、幸福感が生まれうるにちがいない 、そして成熟した、善なる人々が、喜ばしい思想を考え、美しく明るい作品を作り出すに ちがいない、と。
 かなり昔から、俗世(ぞくせ)から遠く離れ、丘と森に隠されたこのすばらしい 修道院は、感じやすい年ごろの若い人たちの心を美と静けさでつつむために、新教神学校 の生徒たちに開放されていた。それと同時にこの若い人たちは、教会や家庭生活の影響で 気を散らされることから逃れることができ、世俗的行為の生活をみて害をうけることから も守られているのである。また、青少年たちが、数年にわたってヘブライ語やギリシア語 、その他の副課目を学ぶことを真剣に人生の目的と考え、自分の若い心の渇きを純粋で理 想的な研究とその喜びにむけることができるのもそのためである。さらに重要な要素は、 寄宿生活、自分で自分を教育していく必要、共同生活の意識である。まさにこのことを通 じて神学生たちに生活と研究をさせる奨学制度をとっているこの教団は、生徒たちが、後 年になっても一目で見分けのつく、特別の精神の持ち主に育て上げるように配慮している のだ。ときどき脱走してしまう野人(やじん)は例外だが、事実かつてシュワーベ ンの神学生だったものならだれでも、生涯を終わるまですぐそれとわかる特徴を備えてい るのである。
 修道院神学校に入学するときに、まだ母親のあるものは生涯その日のことを、感謝と微 笑ましい感動をもって思いうかべるであろう。ハンス・ギーベンラートには母親がなかっ たから、まるで感動もせずに入学してしまったが、それでもたくさんのよその母親たちを 眺めて、特別な印象を受けはしたのだった。
 壁がはめこみ戸棚になった大きな廻廊(かいろう)、い わ ゆ る共同寝室 (ドルメント)には、そこらじゅうに木箱や行李(こうり)が並んでいた。母親に つきそわれていた子供たちは、荷をほどいたり、身のまわりの品を片づけたりしていた。 めいめい番号つきの自分の戸棚があり、勉強部屋には、番号つきの本棚があてがわれてい た。息子や母親たちは床に膝をついて荷を解き、助手が王様ぜんとえらそうにその間を縫 って歩きながら、あちこちで親切に注意を与えていた。荷から出された着物は広げられ、 シャツはたたまれ、本は積み重ねられ、靴やスリッパは揃えて並べられた。おもな 仕度(したく)はだいたいだれのも同じようなものである、というのは持ってくる べき下着・寝具の最低の数やその他の必要な品はまえもって決められていたからなのであ る。各自の名前を彫ったブリキの洗面器があらわれ、洗面所に並べられ、スポンジ、石け ん入れ、櫛(くし)、歯ブラシがその横に置かれた。その上みんなランプと石油缶 とホーク、スプーン類を持参していた。
 子供たちはみんな大忙しで興奮していた。父親連は微笑したり、手を貸そうとしながら 、ちょくちょく懐中時計をのぞき、いささか退屈して、折りあらば逃げようと構えていた 。この作業の中心はやはり母親たちだった。一枚一枚着物やシャツを手にとり、しわをの ばしたり、紐をなおして、丹念に調べてから、できるだけきれいに、使いやすいようにそ れぞれ戸棚に分けて入れた。あとからあとからと続く訓戒(くんかい)の言葉や注 意や、やさしい思いやりもいっしょにしまい込まれた。
「新しいシャツは特別大事にしなければいけませんよ。三マルク五十もしたんですからね 」
「下着は一月(ひとつき)ごとに鉄道便で送りなさいね――急ぐときは郵便でね。 黒い帽子は日曜日だけよ」
 太った、感じのよい母親が、高い木箱にこしかけて、息子にボタンの縫いつけ方を教え ていた。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 「もしホームシックになったら」とどこかで聞こえた。「そしたらいつでも手紙を書くの よ。クリスマスまでそんなに長いわけじゃないんだから」
 かなり若くて美しい婦人が、息子のいっぱいつまった戸棚を見わたして、下着の山や、 上着やズボンを愛撫するように手でさわっていた。それがすむと、彼女は肩幅ががっしり して、頬っぺたのふくれた自分の息子をそっと撫ではじめた。少年は恥ずかしがり、ばつ がわるそうに笑いながらそれを避け、おまけに女々しく見えないように、両手をズボンの ポケットにつっこんだ。母親のほうがこの息子より別れがつらそうだった。
 ほかの親子の場合には反対だった。子供たちはまめまめしく働いている母親を、途方に くれて手も貸さずに見つめているだけで、できることならこのままいっしょに家へ帰って しまいたいような顔をしていた。すべての少年たちの心の中では、別離の不安や、しだい に高まってくる肉親への愛情と愛着の気持ちが、第三者を意識した物怖(ものお) じとか、はじめての一人まえの男性としての反抗的な自尊心と苦しく戦っているのだった 。泣き出したくてたまらない者が、わざと何気ない顔をつくり、何も感じないようなふり をしていた。それを見て母親たちは微笑んだ。
 ほとんどすべての連中が、自分の荷箱から必要品以外に、何かしらぜいたく品をとり出 した。一袋のリンゴだとか、燻製(くんせい)のソーセージとか一袋のクッキーと かいったたぐいのものであった。スケート靴をもって来たものも多かった。いちばん目を ひいたのは、ハムを一本まるごともってきた抜けめのなさそうな小柄な少年だった。しか し彼は別にこのハムを隠そうともしなかった。
 少年たちの中で、直接家から来た者と、前に施設や寄宿学校にいた経験のあるものは、 すぐに見分けがついた。しかしこういう連中でも、やっぱり、興奮し、緊張していること はわかった。
 ギーベンラート氏は、息子の荷ときを手伝ってやり、じつに上手に要領よくやってくれ た。そこでたいていの人たちより早くすんでしまい、しばらくハンスといっしょに手持ち 無沙汰(ぶさた)で寝室に立っていた。いたるところで訓戒や教訓を与えている父 親たちや、慰めたり、注意したりしている母親たち、胸をつまらせてそれに聞きいってい る息子たちの姿を見ているうちに、彼も息子のハンスの人生の門出のはなむけに、二、三 の金言を与えるのがふさわしいことだと思うようになった。彼は長いあいだ考えた末、黙 っている少年のそばに苦しそうな面持ちでそっとすりよってくると、突然口を開いて、荘 重な言いまわしの短い名句を引っぱり出したのである。
 ハンスはびっくり仰天して黙ってそのお言葉を頂戴(ちようだい)したが、その そばに立っていたひとりの牧師が父の話しぶりをおかしがって微笑んでいるのに気づくと 、急に恥ずかしくなって、話している父をわきへひっぱって行った。
「いいかね、おまえはわが家の名を挙げてくれるだろうね。そして上長者(じょう ちょうしゃ)には従順でいてくれるだろうね」
「うんわかってるよ」とハンスは言った。
 そこで父親は口をつぐみ、ほっと一息した。するともっと退屈になってきた。
 ハンスもひとりとりのこされたような気分になり、下のその古風な隠者(いんじ や)のような威厳と静けさが、上の騒がしい少年たちの活気と奇妙な対照をなしている静 かな廻廊を、たまらなくなるくらいの好奇心をもって窓越しに見下ろしたり、ぜんぜん知 った顔のない、まだ片づけをしている仲間たちの様子をそっと観察したりしていた。例の シュトゥットガルトで会った受験仲間の少年は、ゲッピンゲン仕込みの達者なラテン語を やっていたのに、合格しなかったらしい。少なくともハンスには彼の姿は見当たらなかっ た。彼は別にそのことはたいして気にもとめずにこれからの同級生たちを見ていた。どの 少年たちの準備も、その数や種類は似たようなものだったが、都会の者と農家の息子、裕 福な者と貧しい者はすぐに見分けがついた。金持ちの息子はもちろんめったに神学校には いらなかった。その原因は両親の気位(きぐらい)や深い見識によるものと思われ るし、子供に天分がなくては受からない場合もあろう。しかし教授や高級官吏などのなか には、自分の修道院学校時代を追憶して子供をマウルブロンにやるものもある。そんなわ - 28 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] けで、この四十人の新入生の黒い上着にも、布地や型にいろいろの違いがみられる。少年 たちの身のこなしや、方言や態度のちがいとなると、もっと大きかった。手足のぬっと長 いやせぎすのシュワルツワルト出身者、いきのいいアルプ出の者、自由で、快活にふるま う、あめ色の髪をした口の大きい低地出の者、とがった編上げをはき、ひどくなま (・・)った方言、いや、都会風に洗練されてなまった方言かもしれないが、そういう言 葉を話す、上品なシュトゥットガルトっ子などがいた。全体の五分の一に近い数の者が眼 鏡をかけていた。なかにひとりかたい上等のフエルト帽をかぶった、品がいいと言っても いいようなシュトゥットガルト出のひよわそうなお母さんっ子がいた。この子は物腰も上 品であったが、この最初の日からすでに級友のなかの腕白連(わんぱくれん)が、 いつかあのいやに乙(おつ)にめかしこんだのをからかったりいじめたりして大い に溜飲(りゆういん)を下げてやろうと考えているなどとは夢にも思ってもみなか ったのである。
 もっとも鋭敏な観察者なら、まだ猫をかぶっている少年の群れも、この州のかなり素質 のいいものから選ばれているということがわかるだろう。一見して詰め込み教育を受けた 凡庸型(ぼんようがた)とわかるものもいるが、つややかな額の奥に今はまだ完全 に醒めていない高い生活の可能性をひめた頭の持ち主である敏感な型や、負けん気なしっ かり型の少年もいないわけではない。きっとそのなかのだれかれは、狡猾(こうか つ)で我が強いといわれる、例のシュワーベン型のタイプだ。このタイプの人間は、これ までもそれぞれの時代の時流に応じて、広い世界のまっただ中に身を躍らせ、いつもちょ っと無味乾燥な気味のある自己流の思想を、強力な新しい体系の中心としてしまうという ことをやりとげてきたのである。なぜならばシュワーベンは、自分の州のみならず、全世 界に高い教養を身につけた神学者を送り出し、それのみか誇るに足る伝統的な哲学的思索 の能力をそなえ、すでにたびたび有名な予言者や異端の説教者を生み出している。そうい うわけで、このあまたな才能を生んだこの国は政治的な伝統では非常にたちおくれている が、少なくとも神学や哲学の精神的分野では、なお依然として着実な影響を世に与えてい るのである。その上にまた、住民の血の中には昔から美しい形式や夢想的な詩想への喜び が宿り、この素質から時折り逸することのできぬ詩人や作家が生まれたのである。
 マウルブロン神学校の施設や習慣には、外見上は何もシュワーベン的なものは認められ ない。むしろ修道院時代からずっとひきつがれてきたラテン語の名称に、新たに古典的な 呼び方が加えられているくらいである。生徒たちが何人ずつかに分けて入れられた部屋も フォールム、ヘラス、アテネ、スパルタ、アクロポリスなどというように、ラテン的な名 まえがつけられてあり、最後のいちばん小さい部屋がゲルマニアと名づけられているのも 、ゲルマン的な現実からできるだけローマ的、ギリシア的な映像を描きだすためだと解釈 できそうである。もっともこれも結局は表面的なことにすぎず、ほんとうはヘブライ語の 名まえをつけたほうがもっと似合っていたかもしれない。実際偶然のいたずらからアテネ と名づけられている部屋には、鷹揚(おうよう)で雄弁な生徒がはいるかわりにま ったくこせこせしたおもしろ味のない連中が居住者になったり、スパルタ室には、 尚武克己(しようぶこつき)の精神の持ち主が住まずにふしだらでぜいたくな遊び 人連中の溜り場になるようなことがよくあった。ハンス・ギーベンラートは、他の九人の 生徒とヘラス室に入れられた。
 はじめての晩、九人の生徒といっしょにひえびえしてがらんとした共同寝室にはいり、 狭いベットに身を横たえたときはさすがに彼も胸がへんな気持ちになった。天井からは大 きな石油ランプが下がり、その赤い灯影(ほかげ)で着物を着替えるのだった。十 時十五分に助手が消灯した。みんな隣合わせで横になった。二つおきのベッドの間に椅子 が一脚おいてあり、着物はそれにかけておかれた。柱には朝の鐘をならす綱が下がってい た。二、三人の少年たちはもう知り合いになって、遠慮がちにささやき合っていたが、そ の声もじきに静かになってしまった。ほかのものはみんな知らぬ顔同志で、いささか憂鬱 な気持ちに襲われ、ベッドの中で石のように身を固くしていた。まどろみかけたものが深 い息を吸うのがきこえたり、眠っているうちに、腕を動かして麻のふとんをがさがさやる 者もいた。まだ目を覚ましている連中は息を殺していた。
 ハンスは長い間眠れなかった。隣の少年の寝息にじっと耳をすましているうちに、しば らくすると一つおいた向こうのベッドから、奇妙なおびえたようた物音が聞こえてきた。 そこに寝ているひとりがふとんを頭からかぶって泣いているのだった。遠くから聞こえて - 29 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] くるようなかすかなすすり泣きの声を聞くと、ハンスはひどく胸騒ぎがしてきた。彼自身 はまるでホームシックにはかかっていなかったけれども、自分が家にもっていたあの小さ な静かな部屋を思い出すと、やっぱり胸が痛かった。その上まだよくわかっていない九人 の仲間と、多くの同級生たちに対するひるみがちな恐怖もあった。まだ真夜中にはなって いなかったが、もう部屋にはだれも目をさましているものはいなかった。縞の枕に 頬(ほお)をおしつけて少年たちは並んで眠っていた。悲しそうな子も、反抗的な 子も、陽気な子も、おどおどした子も、みんな同じ甘美な深い憩(いこ)いと忘却 のとりことなっていた。尖(とが)った屋根屋根、塔、張出し、小尖塔、凹凸のつ いた胸壁、先の尖った丸アーチ型の廻廊、そういったものの上に青白い半月が昇ってきた 。月光は出窓の縁や敷居にただよい、ゴシック風の窓やロマネスク風の門にそそぎ、廻廊 にかこまれた泉堂の噴水の高貴な大水盤に落ちてあわい緑金色に震えていた。幾条かの金 色の光と斑点がヘラス室の寝室にも三つの窓を通して射し込んできた。そしてかつては僧 侶たちの夢の夜伽(よとぎ)の役をつとめたように、いままたやさしくまどろむ少 年たちの夢によりそうのだった。
 翌日祈祷室でおごそかな入学式が行なわれた。教師たちはフロックコートに威儀 (いぎ)を正し、校長が式辞を述べた。生徒たちは椅子に腰かけて頭をたれ、深い思いに ふけったが、ときには、ずっと後ろのほうにすわっている両親のほうをそっと盗み見よう とするのだった。母親たちは、感慨深げに微笑んで自分の息子を見つめていたが、父親連 は、きちんと正座して式辞の内容を追い、真剣に一世一代という顔つきをしていた。誇り と殊勝(しゆしよう)な感情と美しい希望が彼らの胸いっぱいにふくらみ、だれひ とりとして、今日自分は月謝がいらないという損得ずくで自分の息子を売りわたすのだと 思うものはいなかった。最後に生徒は、ひとりずつ名まえを呼ばれて列の前に進み出ると 、校長から握手によって迎えられ、誓約(せいやく)が行なわれる。これによって 、素行不良でもないかぎり、生徒は一生涯、州から生活と衣食住が保証されたわけである 。もちろん努力しなければその恩典(おんてん)には浴せないのだということまで は生徒たちも父親たちもだれひとり考えてみなかっただろう。
 新入生たちにとってもっとも厳粛で感動的だったのは、父や母と別離を告げる一瞬であ った。両親たちは、徒歩や、郵便馬車や、急場に都合したいろいろな乗り物で、あとに残 された息子たちの視野から消えて行った。ハンカチがおだやかな九月の空気の中で、いつ までも小さくなるまでゆれていたが、おしまいに去ってゆく人々の姿が森の中に消えてし まうと、息子たちは静かに気むずかしい顔で修道院へもどって行った。
 そこで、まず自分の部屋の者から、お互いに顔を覚えたり、知り合いになったりするこ とが始まった。インクつぼにインクを入れたり、ランプに石油を注いだり、本やノートを 並べたり、みんな新しい部屋をアット・ホームなものにしようとかかっていた。そんなこ とのあいまに、お互いに物珍しそうに相手の顔を見つめたり、話がほぐれたりし、郷里は どこかとたずねたり、今までの学校を聞いたり、みんな同じ思いで汗をしぼった州試験の ことを思い出したりするのだった。あちこちの机をかこんで、できあがったいくつかのグ ループの間でおしゃべりの花が咲き、子供らしい明るい笑い声が起こった。そして夜にな ると、もう同室の仲間のことなら航海の終わりまでに同じ船の乗客のことを知るよりも、 もっとお互いによく知り合うようになっていた。
 ヘラス室でハンスと起居をともにする九人の仲間のなかでは、めだった特徴のある人間 は四人で、残りはどっちかと言えば、善意のふつうの人物だった。なんといってもまずあ げるべきはオットー・ハルトナーである。シュトゥットガルトの大学教授の息子、才能に 恵まれて、落ち着きと自信があり、態度も満点だ。がっしりと堂々たる体格、身につけて いるものも立派で、芯の通ったたのもしい彼の挙動(きよどう)は、部屋じゅうの 者に、こいつはえらいぞと思わせた。
 それからカール・ハーメルである。アルプ地方の小さな村の村長の息子であった。彼を 知るには少し時間がかかる。なぜなら彼は矛盾(むじゆん)だらけの人間で、持ち 前の一見粘液質な殻からなかなか出て来ようとしない。ところが突然熱狂的で強暴になる ことがあるのだ。しかしこんな状態が長く続くことは決してなく、また自分の殻にもぐり 込んでしまうのである。こうなると、彼がいったい静かな観察者なのか、陰気くさい人間 なのか見当がつかないのであった。 - 30 -

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 これほど複雑ではないが、ちょっとクセのあるのがシュワルツワルト(黒林)の良家の 出のヘルマン・ハイルナーであった。彼が詩人であり、文学好きだということは、もう最 初の日からわかっていたし、州試験の作文を六脚韻文(きやくいんぶん)で書いた そうだという噂が流れていた。能弁多弁で、美しいヴァイオリンを持っていた。彼は自分 の本性をすっかり表にさらけだしているようにみえる。その表にあらわれた彼の本性とは 、主として感傷と軽薄な才気が青臭く未熟にまざりあったものだ。しかしじつは内面の目 に見えないところにもっと深いものを持っているのである。彼は身心ともに年齢よりはる かに成熟しており、もはや手さぐりながら自己自身の道を歩み始めようとしているのだっ た。
 ヘラス室でいちばんの変わり者は、エーミール・ルチウスであった。プラチナ・ブロン ドの髪をした陰険(いんけん)な小男で、年とった百姓のようにねばり強く、勤勉 で、無味乾燥な人間だった。からだも顔つきもまだ成長しきっていないのに少年のような 印象を与えず、もうこれ以上変わることはない大人のような雰囲気を持っていた。最初の 日からすぐに、みんなが退屈してお喋りしてなんとか慣れていこうとしている時に、彼は 黙々と落ち着きはらって文法書に向かい、耳に栓をして、まるで失われた年月をとりもど そうとでもするかのように、がむしゃらに勉強にかかったものだ。
 この無口な変わり者の策略(さくりやく)に、みんなもだんだん気づいてきた。 そしてこいつが抜けめのないけち(・・)な根性と、利己主義の持ち主とわかって きたが、この悪徳たるやあまりにもみごとなので、一種の尊敬を呼びおこすか、少なくと も目をつぶっていようということになった。彼は徹底的に倹約(けんやく)したり 儲けたりする方法を編みだしており、その計略の一つ一つが、だんだん明るみに出るたび に、みんなをびっくりさせた。朝起きるともうそいつが始まった。ルチウスは洗面所にい ちばん初めか、いちばん最後にはいって行くのだった。というのは、タオルや、場合によ っては石鹸も他人(ひと)のを使い、自分のはとっておくためだった。だから自分 のタオルはいつも二週間あるいはそれ以上も、もたせることができたのである。さてタオ ルは、一週間ごとに取りかえることになっており、毎週月曜日の朝、助手長が、その検査 を行なった。そこでルチウスは、毎週月曜日の朝になると、新しいタオルを彼の番号の 釘(くぎ)にかけておき、しかも昼の休みになるとまたそれを取り戻してきて、き れいにたたんで箱の中へしまい込み、そのかわりに大事に使っている古いのをかけておい た。彼の石鹸は堅くてなかなか減らず、そのため何か月ももった。だからといって、エー ミール・ルチウスは、決してうすよごれた身なりをしていたわけではなく、いつも小ざっ ぱりしていて、髪にはきれいに櫛を入れ、うすいブロンドの毛を丹念に分け、下着や着物 はとてもたいせつにしていた。
 洗面所から朝食に話を移そう。朝食にはコーヒー一杯と、砂糖一個、パン一個がついた 。たいていの者は、それではもの足りなかった。少年というものは、八時間も眠ったら、 あたりまえなら朝はひどく空腹なものだからである。ところがルチウスはこれで満足し、 それどころか毎朝の砂糖も節約した。買い手はいつでも見つかったので、二個一ペニヒで 売ったり、二十五個を一冊のノートととりかえた。したがって、高い石油を節約するため に、他人のランプの光で勉強をするなどはあたりまえのことだった。そのくせ、決して両 親が貧しいわけではなく、彼はまったく裕福に育てられたのである。だいたい、ほんとの 貧乏人というものは、計画をたてたり、貯蓄したりすることはめったに心得ていないもの で、いつもあるったけそっくりを使いこんでしまって、貯めておくなどということは考え もしないものなのだ。
 エーミール・ルチウスは、彼の計画をただ物質的な所有物と獲得しうる財貨について 遂行(すいこう)していたばかりでなく、精神の領域においても、できるかぎり利 益を得ようと努力していたのである。その場合にも彼は賢明で、精神的な所有というもの はすべて相対的な価値しかないということを決して忘れはしなかった。だから彼は、今の うちから勤勉にやっておけばのちのちの試験にも大いに成果をあげられる課目にしかほん とうの力を注がず、残りの課目は、控えめに、まあまあ平均程度の成績で満足しているの だった。彼は自分の勉強と成績をいつも同級生の成績との比較で考え、二倍の知識を持っ ていながら二番でいるよりも、半分の知識で一番になるほうがいいと思っていた。だから 夜、他の仲間たちがいろんな時間つぶしをし、遊んだり、読書をしたりしているときでも - 31 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 、彼だけは静かに勉強の机に向かっていた。他の連中の騒ぎにもぜんぜん邪魔されず、そ れどころか、時にはそっちのほうを、なんの羨(うらや)みもない満足しきった目 つきで見ることさえあった。なぜなら、もし他の連中もみんな勉強していたら、自分の努 力もむだになってしまうからである。
 それでも勤勉な努力屋だというので、こういういろいろな狡猾(こうかつ)な策 略を悪くとるものはいなかった。ところが、なにごとも際限なくやらかす連中やきりもな く利を追う連中は、ついやりすぎて愚かな行ないに足を踏み入れてしまうものだが、彼の 場合もそうだった。修道院の授業はすべて無料だったので、彼はこいつも大いに利用して 、ヴァイオリンの個人教授をうけようと考えついた。むかしに手習い程度のことをしたと か、音感がいいとか、才能があるとかいうのではなく、その上、音楽が少しでも好きとい うのでもなかった。それでも、ヴァイオリンだって、ラテン語や、数学と同じように、お しまいには弾けるようになるだろうと彼は考えたのだ。音楽というものは、後年になって から大いに役にたち、人から好かれたり、感じよく思われたりするという話も聞いていた 。それになによりもどうせ一文(いちもん)もかからないのだった。ヴァイオリン さえ、学校のが自由に使えるのだから。
 音楽の教師ハースは、ルチウスがやって来て、ヴァイオリンの授業をうけたいと申し出 たとき、すっかり逆上(ぎやくじよう)してしまった。というのは、この先生は唱 歌の時間を通じて彼のことをよく知っていたからである。音楽の時間のルチウスのへまと きたら、同級生一同をこそ大いに痛快がらせたが、この教師のほうを絶望につきおとした ものであった。彼は、少年と話し合ってこの件を思いとどまらせようとしてみたが、その 手はこの子には通じなかった。ルチウスは、にこやかな、控えめな微笑みを浮かべながら も自分の正当な権利を主張し、自分のやむにやまれぬ音楽への欲求を説明した。結局彼は 練習用ヴァイオリンのいちばん悪いものをあてがわれ、週に二回の個人教授をうけ、毎日 半時間の練習をすることになった。しかし最初の練習をしたとたんに、同室の連中からも うこれが最初で最後だ、どうしようもないそのうめきを止めてもらおうと宣言されてしま った。それ以来、彼はヴァイオリンをかかえてうろうろと練習できる静かな片隅をさがし まわって修道院じゅうを歩きまわるようになった。やっとみつけた一隅からはやがてキィ キィガァガァと異様な物音が漏れてきて、隣近所を不安にするのだった。詩人のハイルナ ーに言わせると、「苛(いじ)められている老ヴァイオリンが、あらゆる虫食い穴 から、絶望的にご容赦(ようしや)を願っているようなもの」だった。いっこうに 進歩しないので、てこずっていた教師は、神経質になり、乱暴になった。ルチウスのほう は、ますます絶望的に練習をくりかえし、とうとう彼のこれまでの自己満足の商人 面(づら)にも憂いの皺(しわ)さえ見えるようになってきた。これこそまさ に悲劇であった。というのは、ついに教師にまったく才能がないと宣告され、これ以上、 個人教授は続けないと断わられたとき、欲に盲(めし)いた愚かな向学(こう がく)少年は、今度はピアノを選び、何か月も成果のあがらない練習を続けて自らを苦し めたあげく、おしまいにくたくたになって、やっとおとなしくあきらめたからである。
 しかし、この男は、後年音楽のことが話題にのぼると、自分もむかし、ピアノとヴァイ オリンを習っていたが、ちょっと事情があって、残念ながらこの美しい芸術からだんだん 遠ざかってしまったのだとほのめかしてみせたものだ。
 というわけで、ヘラス室は、変わった同室の仲間でしょっちゅう愉快であった。文学好 きなハイルナーは、よくおかしな場面を演じた。カール・ハーメルは皮肉屋と機知にとん だ観察者の役割を演じた。彼は他の者より一つ年上だったので、そのために当然ある点で は、衆(しゆう)にすぐれていたが、それを尊敬されるように用いはしなかった。 気まぐれで、ほとんど一週間おきぐらいに掴(つか)みあいのけんかをして自分の 体力を試してみたい欲求を感じるのだ。こういうときは、彼は狂暴で、残酷と言ってもい いぐらいだった。
 ハンス・ギーベンラートはびっくりしながら、そういうところを眺め、自分は善良で、 おとなしい同級生のひとりとして、静かな自分の道を進んでいった。彼は勉強家だった。 ほとんどルチウスと同じくらい勤勉で、部屋の仲間から尊敬をうけていた。才気に走りす ぎることが看板のハイルナーだけは例外で、ときどきハンスをガリ勉とあざ笑った。共同 寝室での夜のとっくみあいは珍しいことではなかったが、なにしろ育ちざかりのことでも - 32 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] あり、だいたいたくさんのここの少年たちは、みなお互いにうまく暮らしているのであっ た。それは皆がいっしょうけんめいに大人であろうと努力していたからであり、それに先 生から呼びかけられる、耳慣れない「あなた」というていねいな呼びかけに、学問的な真 剣さと立派な振舞いで答えようとしていたからである。そして、まだ出たばかりのラテン 語学校を、ちょうど、大学にはいったばかりの学生が、高等学校(ギムナジウム) を振り返るように、偉そうにあわれみの念を持って振り返ってみるのだった。それも、し ょせんはとってつけた威厳(いげん)なので、時には地金(じがね)の子供っ ぽさがあらわれてきて、その権利を主張するのだった。そうなると、寝室の中は、どたば たという物音や、はめをはずした子供っぽい罵(ののし)り声がひびきわたるのだ った。
 この種の学校の校長や教師にとって、共同生活の最初の数週間が終わると、ちょうど化 学の結合反応で浮いている濁(にご)りや屑が、凝縮したり、融解したり、他の形 になったりするように、少年たちの群れがいくつかの数の固定したグループに形成されて ゆく有様を観察することは、有意義で貴重な体験である。はじめの気おくれを克服し、そ してみんながお互いに十分知りつくしてしまうと、大きな波が起こって、めいめいが混ざ りあって相手を求めあい、いくつかのグループができあがり、友情と反感がはっきりあら われるのだ。同郷の者や前の学校友達がいっしょになることはめったになく、たいていは 新しく知り合った者のほうへ行ってしまう。都会(まち)っ児(こ)は農家の 息子に、高地(アルプ)地方の者は低地地方出身者に近づく。多様性や、補充をも とめるひそかな内心の衝動に従うからこうなるのだ。少年たちは決心のつかないままに、 相手を手さぐりで求めてみるが、同等の意識とならんで、個別の要求がおこる。多くの者 はこのとき初めて、まどろんでいる子供の状態から抜け出して一個の人格の形成が行なわ れだす初期の段階にあるのだ。口では言えないような小さな愛着や嫉妬の場面が演ぜられ 、それが、堅い友情のきずなに発展したり、ともに天をいただかぬ厳しい敵対関係になっ たりする。場合場合によって、友情深い関係や親しい同志の散歩を生んだり、あるいは激 しいとっくみ合い、なぐり合いのけんかとなったりするのだった。
 ハンスはこのような営みには、表面的には関係していなかった。カール・ハーメルが彼 にはっきりと激しく友情を求めてきたが、彼はおどろいて尻ごみしてしまった。するとハ ーメルはすぐにスパルタ室の者と親しくなってしまった。ハンスはいつまでもひとりぼっ ちだった。ある強い感情が、友情の国を地平線のかなたに憬(あこが)れの色どり で幸せいっぱいに描き出して、彼をしずかな衝動で招きよせたが、内気な気持ちにひきと められてしまうのだった。母親のなかった苛酷な少年時代のうちに、人に親しく接してゆ く才能がすっかりひからびてしまったために、彼はなによりも見たところ熱狂陶酔 (ねつきようとうすい)の感じを与えるものにはすべて恐怖を抱くようになっていた。そ の上に、少年の誇りというものもあり、また厄介な野心までせおっていたのだ。ルチウス とはちがって彼にはほんとうに知識だけがたいせつだった。しかし勉強の妨害(ぼ うがい)になるいっさいのことから遠ざかろうとしている点ではルチウスと似ていたのだ 。だから彼は、熱心に机にかじりついていたが、他の者たちが友情を楽しんでいるのを見 ると、なんといっても嫉妬と憧れに苦しめられた。カール・ハーメルは彼にむいた友人で はなかったが、もしだれか他の者が近づいてきて、彼を力強く引きよせてくれていたら、 彼も喜んで従っていたろう。彼は、内気な娘のようにおとなしく、自分を迎えに来てくれ るものが現われるのを待っていたのだ。彼より強くて勇気があり、彼を無理にでも幸福に ひっぱっていってくれるだれかを。
 これら数々のできごとのほかに、とくにヘブライ語の授業が忙しかったために、少年た ちにとって、最初の時期はすぐにたってしまった。マウルブロンを取り囲んでいるたくさ んの湖や池は、薄青い晩秋の空と、枯れかかったトネリコ、白樺(しらかば)、 樫(かし)の木、長い夕暮れの薄明りを映していた。美しい森を、初冬の木枯 (こがらし)が勝ち誇ったように呻(うめ)きながら吹きぬけて行った。そうして もう何度となく、うすい霜がおりるようになった。
 詩的な男であるヘルマン・ハイルナーは、これまで気の合う友人を求めようとして得ら れなかったので、近ごろは毎日外出時間にひとりで森を歩きまわっていた。彼はとくに森 の湖を好んだ。それは葦(あし)の茂みに囲まれ、葉の落ちた古い木の梢が蔽 (おお)いかぶさっている、憂欝な感じの褐色(かつしよく)の池だった。もの悲 - 33 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] しく美しいこの森の一隅が、夢想家の彼を強くひきつけたのだ。ここなら彼は不可思議な 形の枝で静かな水に輪を描いたり、レーナウの葦の歌を読んだり、下のイグサの中に寝そ べったり、死とか無常という秋らしいテーマに思いをめぐらせたりすることができた。そ んなことをしているとき、葉の落ちる音や、枯れた梢のざわめきが聞こえると、憂鬱な調 和音のように聞こえる。それから彼はポケットから黒い小さな手帳を取り出し、そのたび に鉛筆で詩の一、二行を書きこむのだった。
 十月も末になったある薄曇りの昼の時間にも彼はそんなことをしていた。ちょうどその とき、ハンス・ギーベンラートがひとりで散歩しなから同じ場所へやってきた。彼は少年 詩人が小さな堰(せき)の横板の上にこしかけて、手帳を膝の上におき、とがった 鉛筆を口へくわえて苦吟(くぎん)しているのを見つけた。本が一冊そばに開いて おいてあった。彼はゆっくりと近づいていった。
「やあ、ハイルナー、何をしてるんだい?」
「ホーマーをよんでるんだ。君は?ギーベンラート君」
「そうじゃないだろう。ぼくには君のしていることがわかってるよ」
「そうかな?」
「もちろんさ。君は詩を書いていたんだろ」
「そう思うかい?」
「そうとも」
「まあ、すわれよ」
 ギーベンラートは板の上に、ハイルナーと並んですわった。足を水の上にぶらぶらさせ ながら、ふたりはそちこちで茶色くなった葉が一枚一枚、静かな冷たい空気の中を舞い下 りながら、たえまなく褐色の水面に落ちていくのを見つめていた。
「ここはさびしいね」とハンスは言った。
「うん」
 ふたりは長々とあおむけになって身をのばしていたので、まわりの秋景色も、垂れ下が ってくる梢の二、三本のほかはあまり目にはいらなかったが、そのかわりに、静かに雲の 島がただよう澄んだ青空がのぞかれた。
「なんてきれいな雲なんだろう!」
 ハンスは気持ちよさそうに見上げながら言った。
「そうだね、ギーベンラート君」
 と、ハイルナーは嘆息(たんそく)した。
「自分があんな雲だったらいいなあ!」
「そうしたら?」
「そうしたら森や村も見下ろし、郡も州も国も飛びこえて、美しい船のように走って行く だろう。君、まだ船見たことない?」
「まだないんだ、ハイルナー。じゃ君は?」
「あるともさ、でも、君にはとてもこういうことはわかりゃしないさ。教わって、努力し て、ガリ勉するだけが能ならね」
「じゃ君はぼくを愚かなやつだと思っているんだね?」
「そうは言わなかったよ」
「君が思っているほどぼくは愚かじゃないぜ。でも船のこともっと話してくれよ」
 ハイルナーはくるりとねがえりをしようとして、あやうく水の中へ落ちそうになった。 今度は彼は腹ばいになり、肘を立てて頬杖(ほおづえ)をついた。
「ライン川で」
 彼は話を続けた。
「ぼくはそんな船を見たんだ。休暇中にね。日曜日だった。船には音楽が鳴っていた。夜 なんだ。色とりどりの提灯(らんたん)がともり、その光が水に映っていた。ぼく たちは音楽とともに川を下っていった。皆ラインのぶどう酒を飲み、娘たちは白い服を着 てたんだ」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  ハンスはじっと耳を傾け、一言も答えなかったが、目を閉じて、夏の夜、音楽を 奏(そう)しながら赤い灯をともし、白い服を着た娘たちをのせた船が走って行く 光景を思い浮かべた。彼はしゃべり続けた。
「まったく、今とはまるで違っていた。ここじゃそういうことのわかってるやつがいるっ ていうのかい? 退屈なやつや辛気(しんき)くさいやつばかりじゃないか。あく せくと骨身をけずってヘブライ語のアルファベットより高等なものは何もないと思ってや がら。君だって同じことだぜ」
 ハンスは黙っていた。このハイルナーという人物はまったく変わりものだ。夢想家で、 詩人だ。これまでも彼にはたびたび驚かされた。周知のように、ハイルナーはほとんど勉 強をしなかった。それなのに彼はちゃんと答えることができ、それでいてこんな知識など 軽蔑していたのだ。
「ところでぼくたちはホーマーを読んでいる」
 と彼はまた嘲笑を続けた。
「まるでオデッセイを料理の本みたいに思ってね。一時間かかって二行読むと、一語一語 を繰り返し繰り返しまたかみしめる。まるで吐き気がするまでそいつをやる。そして時間 の終わりにはきまって、『この詩人がこれを言い得て妙であるところがおわかりになった と思う。詩的創造の秘密をここでわれわれは垣間(かいま)見ることができたので あります』なんて言いやがる。ギリシア語の不変化詞と不定過去で皆が窒息しちまわない ように、ちょっとまわりにソースをこんな具合にふりかけて口あたりをよくしとくのさ。 これじゃホーマーなんか台無しだ。いったいぼくたちと古代ギリシアの例の代物といった いなんの関係があるというんだい? もしぼくたちのだれかがちょっとでもギリシア的な 生き方のまねをしてみろ、たちまちおっぽり出されちまうのが落ちさ。なのに、ぼくたち の部屋がヘラス室っていうんだからね! まったくふざけてるよ! どうして『紙 屑籠(かみくずかご)』とか『奴隷の檻』とか『拘束帽(シルクハツト)』とか言 わないんだ? まったく古典なんてやつはまやかし(・・・・)さ」
 彼はペッと唾を吐いた。
「君、さっき詩を書いていたんだろう?」
 こんどはハンスが聞いた。
「うん」
「何についてだい?」
「ここのことだ、湖と秋についてさ」
「見せろよ」
「だめだ。まだ未完だよ」
「じゃ完成したら」
「ああ、かまわないよ」
 ふたりは身を起こすと、ゆっくり修道院のほうへ戻って行った。
「ねえ、あれがどんなに美しいか、ほんとはわかってるかい?」
 とハイルナーは『玄関(パラダイス)』を通りすぎるときに言った。
「玄関、アーチ型の窓、廻廊、食堂、ゴシック式もロマネスク式も、どれも豊かで 精巧(せいこう)で、芸術的作品だ。ところでその美しさはなんのためなんだ?  それはこれから聖職につくことになっている三ダースの貧しい少年たちの目を楽しませる ためなのさ。国家にはこんなものはありあまってるからいいんだって」
 一晩じゅうハンスはどうしてもあのハイルナーのことを考えてしまうのだった。いった いどういう人間なんだろう? ハンスが知っている関心や願望は彼にとってはまったく存 在しないのだ。彼は独自の考えや独自の言葉を持ち、他人より血の通った自由な生き方を し、不思議な悩みに苦しみ、周囲のすべてを軽蔑しているようにみえる。彼は古い柱や壁 の美しさを理解できる。彼は、自分の魂を詩句の中に反映し、空想からまるで生あるもの のような仮空の生活を創造するという玄妙(げんみよう)な技芸を試みている。彼 は活動的で不羈奔放(ふきほんぽう)で、毎日ハンスの一年分よりもたくさんの機 知をとばす。彼は憂鬱症だが、自分の悲しみを他人ごとのように、見なれぬ、大事なこと のように味わっているらしい。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  まだこの日の晩のうちに、ハイルナーは部屋じゅうに、彼のばかばかしい人目に立つ性 格の一端を見せてしまったのだ。彼は、大口ばかり叩くくせに小心者のオットー・ヴェン ガーという生徒とけんかを始めたのだ。しばらくはハイルナーは冷静に皮肉をとばし、悠 然と太刀打ちしていたが、それからかっとなって横面(よこつら)をはりとばした 。たちまちふたりは狂ったように相手にかかっていってもつれあい、かじりつき、相手を 離そうとはせず、ヘラス室じゅうをマリのように、あっちへぶつかり、こっちへ転がり、 はね上がり、舵を失った船のように壁にそっていったと思うと、椅子をのりこえたり、床 にころがったりし、ふたりとも無言で、ただゼイゼイ息をしたり、泡をふいたりするだけ だった。他の仲間たちは批判的な顔をして傍観(ぼうかん)していた。もつれあっ たふたりを避けて、足や机やランプをひっこめ、うれしそうに緊張しながら勝負の結果を 待った。数分たって、ハイルナーがやっとつらそうに立ち上がり、ちょっと離れて、はあ はあ言いながら立ち止まった。みじめな姿であった。目はまっかになり、シャツのえりは 裂け、ズボンの膝に穴があいていた。相手は新たに襲いかかろうとしたが、彼は腕をくん で立ったまま昂然(こうぜん)と言った。
「もうやらない――やりたければぶて」
 オットー・ヴェンガーはさんざん悪態をつきながら出て行った。ハイルナーは机により かかって、置きランプのホヤをまわすと、両手をズボンのポケットにつっこんだ。そして 何かを思い出そうとしているようだった。突然、彼の目から涙がどっとあふれ出して、あ とからあとから流れ落ちて激しくなるばかりだった。こんなことは前代末聞のことだ。な ぜならば、泣くことこそ、疑いなく神学生にとってあらゆる行為の中で最も唾棄( だき)すべきことだったからである。しかし彼はまるでそれを隠そうとしなかった。彼は 部屋を出ようともせず、静かに蒼白(そうはく)の顔をランプのほうへ向けて立っ ていた。涙をぬぐう事も、手をポケットから出す事さえもしなかった。他の連中は、興味 と悪意をもって、彼をとりまいて眺めていた。おしまいに、ハルトナーが彼の前へ進み出 ていった。
「おい、ハイルナー、恥ずかしくないのか?」
 いままで泣いていた彼は、まるで深い眠りから目を覚ましたばかりの人のように、ゆっ くりとまわりを見まわした。
「恥ずかしい?――君たちに対してか?」
 と彼は声高(こわだか)に、軽蔑するように言った。
「恥ずかしくないね、君」
 彼は顔をふくと、腹だたしげに苦笑しながら、ランプを吹き消し、部屋から出て行った 。
 ハンス・ギーベンラートはその間じゅう自分の席から離れず、ただ驚きあきれてハイル ナーのほうをそっとぬすみ見していた。十五分後に、彼は思い切って、姿を消した彼のあ とを追って行った。まっ暗な冷え冷えした共同寝室で、彼は中の広い出窓に身動きもせず 腰をかけ、廻廊のほうを見下ろしていた。後ろから見ると、彼の肩や、小さい鋭角的な頭 はみょうに深刻な感じで、子供らしくなかった。ハンスが彼のほうに近づいて、窓のとこ ろに立ちどまっても、彼は身動きひとつしなかった。そしてしばらくしてようやく、顔を こちらへは向けずにかすれた声でたずねた。
「なんだい?」
「ぼくだよ」
 とハンスは恐る恐る言った。
「なんの用だい?」
「別に」
「そう。じゃもう帰ってもいいんだぜ」
 ハンスは傷つけられ、ほんとうに帰ろうと思った。すると今度は、ハイルナーが彼をひ きとめた。
「まあ、待てよ」
 彼は冗談めかした調子をつくって言った。
「そういうつもりじゃなかったんだよ」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  こうしてふたりは顔を見合わせた。たぶんふたりとも、この瞬間にはじめて相手の顔を 本気で見つめたのである。そしてお互いの少年らしいつややかな顔つきの背後に、めいめ いに特有の別個な人間生活と、それなりの独自の形態をとった魂が宿っていることを思い 描こうと努めてみたのである。
 ゆっくりとヘルマン・ハイルナーは腕をのばしてハンスの肩をつかみ、互いの顔がずっ と接近するまで自分のほうへひきよせた。そして突然、ハンスは激しい驚きを覚えながら 、相手のくちびるが自分の口に触れるのを感じた。
 心臓が異常にしめつけられるように激しく鼓動していた。暗い寝室にいっしょにいるこ とも、この突然の接吻も、破天荒(はてんこう)な新しいこと、ひょっとしたら危 険なことだった。急にいまだれかに襲われたら、恐ろしいことになるだろうという考えが 彼の頭をかすめた。なぜなら、ある確実な実感が、この接吻は他の連中にはさっきの泣く ことよりももっと滑稽(こつけい)で、恥ずべきことに見えるだろうと彼に教えた からである。彼は一言も言えなかったが、頭にひどく血がのぼって、ただただ逃げてしま いたいような気持ちだった。
 もし成人した人が、このささやかな光景を見たとしたら、きっと静かな喜びを感じたこ とだろう。恥じらいに満ちた友情告白のあらわれであるぎこちないためらいがちの愛情や 、ふたりのほっそりとした深刻な少年の顔を見て、喜びを感じただろう。その二つの顔は 美しく、前途の洋々たることを思わせ、なかばまだ子供っぽい上品さを漂わせながら、い っぽうではもう思春期のためらいがらな美しい反抗の気配を宿していた。
 しだいに少年たちは、共同生活に順応していった。みんなはお互いに知り合い、めいめ い相手についてある程度の知識や、輪郭(りんかく)を持ち、たくさんの友情が結 ばれた。なかには、ヘブライ語の単語を教えあう仲間があったり、いっしょに絵を書いた り、散歩をしたり、シラーを読んだりする仲間もあった。また、ラテン語が得意で数学の 苦手な者が、逆にラテン語が苦手で数学の得意な者と手をくんで、共同の勉強の成果をあ げていた。そのほか、ちょっと変わった契約や、財産共有に基づいて成立している友情も あった。たとえば、あの皆の羨望(せんぼう)の的だったハムの所有者が、自力の 不足を補うパートナーとして、シュタムハイムの果樹園の息子で、荷箱の底にみごとなリ ンゴをいっぱいにつめてきた少年を見つけ出したのだ。あるとき、彼はハムを食べていて 、のどが渇いたので、その子にリンゴを一つわけてくれないかと頼み、その代償( だいしよう)にハムの切れを提供したのだった。ふたりはいっしょに腰をおろし、用心深 く話をしてみると、ハムは無くなったらすぐ補給されること、またリンゴの所有者のほう は、まだ春ぐらいまでは当分父親の在庫品を食い潰していけることが明らかになった。こ うして手堅い関係が成立し、この関係は、ほかの多くのもっと理想的で、激しく結ばれに 友情のぎずなよりずっと長続きしたのである。
 いつまでもひとりでいるものの数はごく少なかった。ルチウスはそのひとりだったが、 なにしろ当時は、相変わらず彼の芸術への所有的愛好が絶頂にあったころだった。
 不釣合な友だち同志というのもあった。ヘルマン・ハイルナーとハンス・ギーベンラー トは、その最(さい)たるものであった。軽薄な者と良心的なもの、詩人と努力家 という最も釣合わないふたりだった。なるほどどちらも頭がよく、才能がある者に数えら れていたが、ハンスが模範生という評判であるのに対して、ハイルナーのほうは、からか い半分に天才と呼ばれていた。しかしだれもが自分の友情のほうに忙しく、自分が邪魔さ れたくないから、ふたりのこともあまりかまわなかった。
 しかし、こうした個人的な興味や体験によって学校がおろそかにされることはなかった 。むしろ学校が大主題、大きなリズムであって、その大きなリズムのなかで、ルチウスの 音楽や、ハイルナーの詩や、そのほかいろいろの結びつき、事件、ときたまのけんかなど が、個々の小さな独立した楽しみとして、たわむれながら流れてゆくのであった。ことに 大仕事はヘブライ語だった。この奇妙な太古のエホバの言葉は、枯れて乾(ひ)か らびているが、それでもいまだに神秘的な生気あふるる木なのである。少年たちの目から 見ると、異様に節(ふし)くれだって、謎のようにのしかかってくるものだ。不可 思議な枝葉ばかりいやに目につき、色とりどりの、香りのある樹花にも驚かせられてしま - 37 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] う。その木の大枝や空洞(うろ)や根の中には、いく千年も経った霊たちが、恐ろ しく、あるいはやさしく宿っていた。それは架空の恐ろしい竜や、かわいらしい素朴なお 伽話、皺を刻んだ厳粛で非情な白髪の老人のかたわらに、美少年と静かな瞳の少女、ある いは勇敢な女戦士たちなどの霊であった。ルター訳の聖書で読むと、遠く夢のことのよう に聞こえるこうしたものが、今、粗野な、ほんとうの原語の中で、血と声と、古く重苦し い、けれども強靱(きようじん)で無気味な生命を獲得するのである。少なくとも 、ハイルナーにはそう思われたのだった。彼は四六時中モーゼの五書を呪っていたが、そ れでも、この中の全部の単語を覚え、ぜんぜん読み違えもしなくなった忍耐強い勉強家た ちよりは、はるかに多くの生命と魂をこの書の中に見出し、吸収していた。
 このほかに、新約聖書も習ったが、この世界はもっとおだやかで、明るく、内面的で、 言葉もモーゼの五書ほど古く深く豊かではないが、若々しく熱烈で夢想的な精神に満たさ れていた。
 それからオデッセイだ。豪快な強い響きを持ち、強く均斉のとれたテンポで流れてゆく 詩句のなかから、明確な形式を持つ消え去ったしあわせな生活が知られ、推測される。ま るで水の精の白くまるい腕がにょっきり水の中から浮かび上がってくるように、ふいに古 代の生活の想像が浮かんでくるのだ。力強い輪郭の乱暴な筆致(ひつち)の中に、 はっきり具体的に想像されることもあり、二、三の言葉や詩句から、夢想や美しい推量と いう型でおぼろげにわかることもある。
 こういうものをくらべてみると、歴史家クセノフォンやリヴィウスなどは、まったく姿 を消してしまうか、存在するとしても、ずっと影がうすれて、控えめに、ほとんど輝きを 失ってかたわらにあるものにすぎなかった。
 ハンスは、自分の友だちからみると、すべてのものが自分とは違って見えるのだという ことに気づいてびっくりした。ハイルナーにとっては、抽象的なものなどは、いっさい存 在しなかったのだ。つまり自分が想像したら、空想力で色どりをほどこせないものは、何 もないというわけだ。それが及ばないときは、彼は不愉快な気持ちで、なにもかもほうり 出した。数学は彼にとって陰険な謎をつめこんだ冷酷無情な視線で犠牲(いけにえ )を呪縛するスフィンクスであって、彼はその怪物からできるだけ遠ざかるようにしてい た。
 ふたりの友情は不思議な関係だった。この友情はハイルナーにとっては楽しみ、ぜいた くの一種であり、便利なものであり、また気まぐれなものといってもよかった。ところが ハンスにとっては、友情は誇りによって守られた宝物にもなり、大きな負うに耐えぬ重荷 ともなった。これまではハンスは晩の自由時間はいつも勉強に利用していたが、今では勉 強にあきたヘルマンがほとんど毎日のようにやってきて、彼の本を取り上げ彼を占有して しまうのだった。おしまいにはハンスは、大好きには違いないが、この友だちがやってく るのではないかと、毎晩びくびくするようになり、勉強は規定の自習時間のうち、どれも 二倍の速さと熱心さですませて、ぬかりがないように努めた。もっと辛い思いをしたのは 、ハイルナーが、彼の勤勉ぶりを理屈をつけて、攻撃しはじめた時である。
「その日ぐらしの日雇いみたいな勉強だな?」
 とこうだった。
「君はどの勉強だって自発的に好きでやっているんじゃないんだ。ただ教師やおやじさん がこわいからなんだろ。一番や二番になったってそれがなんだい? ぼくは二十番だぜ。 だからって、君たちガリ勉より馬鹿だってわけじゃない」
 ハンスは、ハイルナーの教科書の扱い方をはじめて見たときにはびっくりしてしまった 。彼はあるとき、教室に本を置き忘れて、次の地理の時間の準備をしようと思ってハイル ナーに地図を借りたのだった。ところが、どのページもどのぺージも、鉛筆でそこらじゅ うにいたずら書きがしてあるのを見て、ハンスは背筋が寒くなった。ピレネー半島の西の 海岸が延長されて、グロテスクな横顔になっていた。その顔の鼻は、ポルトーからリスボ ンまで達し、フィンステール岬のあたりは、うまく細工されて縮れ毛の飾り髪になり、聖 ヴァンサン岬は、きれいにひねりあげられた顎髭(あごひげ)の先端になっていた 。毎ぺージがこんなふうであった。地図の裏の白紙にはマンガの落書きと、破廉恥 - 38 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] (はれんち)な文句が書いてあり、インクのしみがあちこちにとんでいた。ハンスは自分 の本を、神聖な宝物や宝石のようにたいせつに扱う習慣だったので、この大胆不敵な行為 をなかば教会冒涜(ぼうとく)のように感じ、またなかばは罪の臭いはするが英雄 的な行為のようにも感じた。
 善良なギーベンラートは彼の友だちというより、ただ彼の気ままに扱われている玩具、 言うなれば一種の飼い猫のような存在に見えたかもしれない。ハンス自身でもときにはそ う思うことがあった。それでもハイルナーは、やっぱり彼を愛していた。彼を必要として いたからだ。ハイルナーは、信頼して自分のすべてをうちあけられ、自分の言葉に耳をか たむけ、彼を称賛してくれるだれかがいなければやってゆけなかった。彼が学校や人生に ついて革命的な弁舌を振うとき、静かに、むさぼるように聞いてくれる人が必要だった。 そしてまた、彼を慰め、彼が憂鬱になったとき、膝に頭を埋められる人を必要とした。す べてのこういう性質の持ち主と同じで、この若い詩人は、理由のない、甘えた憂鬱の発作 に苦しんだ。その原因は、ひとつには子供の心からそっと別れを告げるためであり、いっ ぱうでは、力や予感や渇望がまだ目標をもたないまま氾濫(はんらん)しているこ とや、成年に達しようとする時の、理解し得ぬ暗い衝動のためであった。そんなときは、 彼は同情してもらい、甘やかしてほしいという病的な欲求を持つのだった。子供のときは 彼も母親っ子だったのだ。しかしまだ女性を愛するまでには成熟していない今、彼には、 従順な友が慰め手として役にたったのだ。
 晩になると、彼は死ぬほどみじめな様子で、よくハンスのところへやってきて、彼を部 屋から誘い出し、共同寝室のほうへ行こうと言った。冷えびえした会堂や、天井の高い薄 暗い祈祷室を、ふにりは肩を並べて行き来し、寒さに震えながら窓に腰かけたりした。ハ イルナーは、ハイネの詩を愛読する詩的な少年たちと同じように、あらゆる苦悩に満ちた 嘆きを奔(ほとば)しらせ、いくらか児戯(じぎ)に類した悲哀の雲に包まれ るのだった。その内容は、ハンスには心から理解できるものではなかったが、強い印象を 与え、その雰囲気に感染させられてしまうことさえもあった。感じやすい文学少年は、と くに曇り日にこの発作にみまわれやすかった。そして多くは、晩秋の雨雲が空を陰鬱に覆 い、暗いヴェールやそのきれぎれの裂けめの間から、ときに姿を見せながら月が動いてい くような晩に、彼の悲嘆と呻吟(しんぎん)は絶頂に達するのであった。こんなと きには、彼はオシアン風の気分に耽溺(たんでき)し、霧のような憂愁の気分に浸 り、その憂愁は無邪気なハンスに、ため息や弁舌や詩の形をとってそそぎかけられるのだ った。
 こういった悩みのシーンに心を圧迫され、苦しめられて、ハンスは残された時間に大急 ぎで勉強にとびこんだが、それも近ごろではだいぶ苦しくなってきていた。ふたたび昔の 頭痛がぶり返してきたことは、さほど彼を驚かせなかったが、なんにもしないで、ぼんや りと時間を過ごすことが増えるばかりで、必要なことをかろうじてやっていくのさえ、自 分を強制しなければならなくなったのは、ひどく心配なことだった。変わり者との友情が 自分を疲れきらせてしまい、自分の性質のなかの、これまでは触れられたことのない部分 をそこなったのだということは、彼もおぼろげながら感じていた。しかしハイルナーが、 陰鬱な泣かんばかりの気分になれば、ハンスはそれだけ彼が気の毒になり、この友人にと って自分がかけがえがない存在なのだという思いが、ますます彼をやさしくも誇らしい気 持ちにさせるのだった。
 それにまた彼は、友人のこの病的な憂愁は、ありあまった不健康な衝動が突発的にあふ れ出ただけのものであって、ほんとうに心の底から称賛しているハイルナーの本質とは本 来関係はないということも十分に感じとっていた。この友だちが自作の詩を読んで聞かせ たり、自分の詩人としての理想を語ったり、シラーやシェイクスピアの独白を情熱をこめ て大げさなジェスチャーで朗読すると、ハンスは、自分などには持ち合わせのない魔力を 使いこなして彼が天上をさまよい、この世ならぬ自由と激しい情熱ともかかわりを持ち、 自分や自分の同類どもを尻目に、ホーマーの天の使者のように足に翼を生やして飛んでい ってしまうのではないかと思うのだった。これまでハンスは、詩人の世界というものをほ とんど知らなかった。また重要だとも思っていなかった。今はじめて彼は、なんの抵抗も なく、美しく流れる言葉や、眼前に浮かび上がるようなイメージや、心をくすぐる韻律な どの持つ力を感じるようになった。新しく開かれた世界に対する崇拝の念は、ただひとり の友人に対する賛嘆の気持ちと結びあって、一個の感情となっていった。 - 39 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
 こうしているうちに、荒れ模様の暗い十一月の日々が訪れた。ランプなしで勉強できる 時間はほんとに短かった。くろぐろとした夜な夜なに、嵐は雲の山を転がしてまっ暗な高 地を追いたて、うめきをあげ、つかみかからんばかりに古い堅牢(けんろう)な修 道院の建物のめぐりにぶつかってきた。木々の葉は、今ではもうすっかり落ちていた。た だ樹木に恵まれたこの風光のなかでも、節くれだった枝を張り王者の貫禄を示す樫 (かし)の大木だけが、いまだに枯れ葉の残った梢をゆすって、他のすべての木々よりも 、騒々しい不平を鳴らしていた。ハイルナーはすっかり陰鬱になり、近ごろは、ハンスの そばにいるより、離れの練習室でひとりヴァイオリンに憂(う)さを晴らしたり、 同級生とことを構えたりするほうがいいのだった。
 ある晩、彼が練習室に行ってみると、も う 先 客 にがっつき(・・・・)屋の ルチウスが譜面台を前にして、練習をしているところだった。むかむかしながらそこを出 て、三十分たってから行ってみると、敵は相も変わらず練習中だった。
「君、もうやめてもいいだろう」
 と、ハイルナーは口ぎたなく言った。
「まだほかにだって練習したい人間がいるんだぜ。だいたいが君の鋸(のこぎり) の目立(めたて)ときたら全国の悩みの種なんだからな」
 ルチウスはいっこうに譲ろうとしなかった。ハイルナーは思わずたしなみを忘れ、ルチ ウスが落ち着きはらってまたギコギコやりだすと、足で譜面台を蹴(け)り倒した からたまらない。楽譜は部屋じゅうに散乱し、譜面台はヴァイオリン奏者の顔をお見舞い した。ルチウスは身をかがめて楽譜を拾った。
「校長先生に言ってやる」
 と、彼はきっぱり言った。
「いいとも」
 と、ハイルナーはかんかんになって怒鳴(どな)った。
「ついでに言っとけ、足蹴(あしげ)までおまけにもらいましたってな!」
 そう言うが早いか彼はさっそく蹴とばそうとして近づいた。
 ルチウスはさっととびのいて、逃げ腰でさきにドアにたどりついた。そのあとを追手が 続き、たちまちどたばたと気違いのような追いつ追われつの騒ぎとなった。廊下や広間を 抜け、階段や玄関を一飛びに、とうとう修道院の翼(よく)の棟のいちばんはずれ まできてしまった。この静かな気品の漂っている一角に、校長先生の居室があった。ハイ ルナーは書斎の小扉のすぐ手前でやっとめざす逃亡者をつかまえた。ルチウスはもうノッ クをしてしまい、開いた戸口に姿を見せてしまったが、最後の一瞬に約束の足蹴をもらい 、ドアを後手で閉めるひまもなく、神聖きわまりない支配者の部屋に爆弾のように転がり 込んだのである。
 まさに前代未聞のことだった。翌朝校長は青少年の堕落(だらく)について名演 説を行なった。ルチウスは感銘したように内心大いに賛成しながら聞き入っていた。そし てハイルナーは重い監禁の刑を言い渡された。
「ここ数年来」と校長は彼に雷を落とした。「こんな罰はついぞくだされたことがなかっ たんだぞ。これから十年たってもまだ忘れないようにしてやる。君たち他のものにはハイ ルナーをいちばんひどいみせしめにしておこう」
 同級生たちは彼のほうをそっと盗み見た。彼は青ざめて、反抗的に突っ立ち、校長の視 線にあっても目を伏せたりはしなかった。多くの者たちはひそかにこの態度に感心した。 だが授業が終わって、みんながやがやと廊下にあふれ出したとき、彼はひとりぼっちにさ れ、癩病(らいびよう)患者のように避けられた。この際、彼に味方に立つのは勇 気のいることだった。
 ハンス・ギーベンラートも味方をしなかった。それが自分の義務だということはよくわ かっていたし、自分が卑怯(ひきよう)だという思いに苦しんだ。恥ずかしさとみ じめさで窓際に小さくなって目をあげることさえできなかった。友人を訪ねなければとい - 40 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] う気持ちに駆られ、人にさえ見つからずにうまくそうできれば、あとはどうなってもいい と思った。しかし、重い監禁の罰を言い渡された者は修道院では相当な期間危険人物の 烙印(らくいん)をおされたも同然である。その日から特に目をつけられることは わかっていたし、その人間とつきあうことは危険であり、信用をおとす結果をまねくわけ だ。国家は子弟に恩恵を与えるがそれだけにまた厳重な規律をも要求する。すでに入学式 のときの大演説で言われたことだし、ハンスもよく承知していることだった。そして、彼 は友情の義務と功名(こうみよう)心の争いに負けてしまったのだ。そもそも彼の 理想は他人(ひと)に先んじ、試験には好成績をとり、なにかの役割を果たすこと であったが、それはこのロマンチックな危険な役割とはちがったものだったのである。そ れで結局彼は、びくびくしながら自分の殻にとじこもったきりだった。まだ今ならそこか らとび出してもっと勇敢になれると思っているうちに、刻一刻それがむずかしくなって、 気がついてみると自分の裏切り行為はれっきとした事実になってしまっていたのだ。
 ハイルナーはよくそれに気づいていた。この情熱的な少年は、自分がみんなから避けら れていることを感じとり、それも仕方がないとは思ったが、それでもハンスだけは信用し ていたのだった。いま彼が受けている苦痛や激しい怒りにくらべれば、いままでの無内容 な哀感(あいかん)など、無意昧で滑稽なものに思えるほどだった。彼はしばらく ギーベンラートのそばに立ちどまった。その顔はあおざめ尊大に見えた。彼は小声で言っ た。
「君は下劣な卑怯者だ、ギーベンラート――なんだい畜生!」
 こう言うと彼は低く口笛をふきながら両手をポケットにつっこんで行ってしまった。
 ほかにいろいろ考えたりやったりすることができてしまい、少年たちがそれにかかりき りになってしまうようになったのは具合(ぐあい)のよいことだった。あの事件の 数日後、突然雪が降りだして、凍(い)てつくように晴れわたる冬の天気になった 。雪合戦やスケートができるようになり、それでクリスマスと休暇がまぢかに迫っている ことに気づくと、その話題でもちきりになった。ハイルナーのことは気にするものもいな くなった。彼はひとり静かに、反抗的に胸をそびやかし、傲慢(ごうまん)な顔つ きで歩きまわり、だれとも話をせず、しきりにノートに詩を書きこんでいた。黒い 蝋(ろう)引きの表紙のノートで、「世捨ての僧の歌える」という標題がついてい た。
 樫、ハンノキ、ブナ、柳などには霜や凍りついた雪が幻妙不可思議な形になってさがっ ていた。池ではきびしい寒気ですきとおった氷がぴしりぴしりと音をたてた。廻廊にかこ まれた中庭は大理石の庭さながらだった。嬉しいお祭気分の興奮が部屋に溢れ、まったく 隙(すき)のない謹厳なふたりの教授さえも柔和(にゆうわ)になり、浮き浮 きした晴れやかさを浮かべるようになった。教師にも生徒にも、クリスマスに無関心でい られるものはいなかった。ハイルナーでさえ、前ほど気むずかしく、みじめな顔つきでは なくなってきたし、ルチウスは休暇にはどの本とどの靴を持って帰ろうかと頭をひねって いた。家からくる手紙にはいろんなことを予想させる楽しいことがいっぱい書いてあった 。贈り物には何がほしいかたずねてきたり、お菓子を焼く日のことを知らせてきたり、こ れからすぐにびっくりするようなことがあるよと意味深長(しんちよう)な言い方 をしてきたり、再会のうれしさを書き綴ったりしてあった。
 休暇に家に帰省する前に生徒たち、特にヘラス室の者たちは、ちょっとした愉快な出来 事を体験した。生徒たちは、先生たち一同を招待して、いちばん大きいヘラス室でクリス マスの夕ベを行なおうと決定した。祝辞と、朗読二つ、フルート独奏、ヴァイオリンの二 重奏が準備された。しかしどうしてももう一つ何かユーモラスな番組をプログラムに入れ たいところだった。みんなが知恵をしぼって相談し、プランを出したりひっこめたりして 結局意見がまとまらなかった。そのときカール・ハーメルが何気なしに、いちばん傑作な のはエーミール・ルチウスのヴァイオリン独奏じゃないかなと言った。これが大いに受け た。みんなで頼んだり、約束で釣ったりおどしをかけたりして、やっとこの不幸な音楽家 の参加の承諾(しようだく)をとりつけた。そ こ で丁重(ていちよう)な招 待状とともに先生たちに送られたプログラムには、特別番組として「静夜(サイレ ント・ナイト)・ヴァイオリンのための歌。演奏、帝室名演奏家、エーミール・ルチウス 」とのせられた。この称号は彼があの遠く離れた音楽室で熱心に練習していたために与え - 41 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] られたのである。
 校長、教授、助教師、音楽教師、助手長などが招待され、このお祝いに姿を見せた。ル チウスがハルトナーから借りた黒い燕尾服(えんびふく)を着こみ、髪には櫛を入 れ、服にはアイロンをあて、おだやかに、ひかえめな微笑みを浮かべて登場すると、音楽 教師は額に汗をにじませた。彼の挨拶からしてみんなをすっかり愉快な気分にさせるもの だった。「静夜(サイレント・ナイト)」の歌(リード)は、彼の指にかかる と訴えるような嘆(なげ)きとなり、うめくような苦しみにあふれた悩みの歌とな った。彼は二回やりなおし、メロディーをきれぎれに切りこまざいてしまい、足で拍子を とり、寒天に働く森の樵夫(きこり)よろしく大奮闘した。
 校長先生は、腹だちのあまり蒼白になっていた音楽教師のほうを見て愉快そうにうなず きかけた。
 ルチウスは三回めをやりなおして、またつっかえてしまうと、ヴァイオリンをぶらんと 下げて聴衆のほうへ向き、あやまった。
「だめです。でもぼくはこの秋からひき出したばかりなのです」
「いいさ、ルチウス」と、校長は叫んだ。
「ひじょうに苦労してくれてありがとう。稽古(けいこ)はその調子で続けたまえ 。嶮道を極めてのち、星辰に達す(ペル・アスペラ・アド・アストラ)、と言うか らね」
 十二月二十四日は、朝の三時からどの寝室も活気とざわめきにあふれていた。窓は厚く 美しい花弁をひらいたような凍りついた氷花でいちめんにおおわれ、洗面用の水は凍って いた。修道院の中庭をかすかだが、身を切るような寒風がかすめていったが、だれもそん なことを意に介しはしなかった。食堂では大きなコーヒー釜が湯気をたてていた。それか らまもなく、外套(がいとう)や襟巻にくるまった生徒たちが、いくつかの黒い集 団になって、ほのかに光る白い野を越え、ひっそりとした森をぬけて、ずっと遠くの停車 場へ向かって歩いて行った。だれもかれもおしゃべりをし、冗談をいい、大声で笑ってい たが、みんなの胸の中は言葉には出さない願いや、喜びや、期待でいっぱいだったのだ。 町だろうと村だろうと、またぽつんと離れた農家だろうと、この州のどこでも暖かなきれ いに飾りつけをした部屋で、両親や兄弟姉妹たちが自分たちを待ちうけているのを、みん なは知っていた。ほとんどの連中にとっては、これが遠方から帰省するはじめてのクリス マスであった。そして家族の者たちが、愛と誇りをこめて自分たちを待ちうけていてくれ ることも、たいていは承知していた。
 雪の降りつもった森のまん中の小さな駅で、きびしい寒さの中を汽車を待った。こんな にみんなの気が揃い、仲よく愉快になったことははじめてだった。ハイルナーだけがひと りぼっちで黙りこくって、汽車が来ると、仲間が乗りこむのをみとどけてから、自分はひ とりで別の車両(はこ)に乗った。次の駅で乗り換えるとき、ハンスはもう一度彼 を見たが、一瞬の恥ずかしさと後悔の感情は、すぐに帰省の興奮と喜びの中に消えていっ てしまった。
 家に着いてみると、父親はにんまりと笑みを浮かべ、ご満悦のてい(・・)だっ た。プレゼントをいっぱい積んだ机が彼を待ちうけていた。じつはギーベンラート家には 、ちゃんとしたクリスマスのお祝いらしいものはなかった。歌も祝祭気分の感激もなく、 母親もいないし、クリスマスツリーもなかった。ギーベンラート氏ときたら、お祭りの祝 い方というのがまるでわかっていなかったのだ。それでも彼は自分の息子を誇らしく思い 、ことしは贈り物には金を惜しまなかった。それにハンスは、こういうクリスマスには慣 れっこになっていたから別段、物足りなくも思わなかった。
 彼はみんなからからだでも悪いのか、やせすぎて、顔色が青いなどと言われ、修道院で は食事がそんなに粗末なのかとたずねられた。彼はむきになって否定し、ぐあいはちっと も悪くない、ただときどき頭痛がするだけだと、はっきり言った。その点については、若 いころ自分でも頭痛に悩まされた経験のある牧師さんが、彼を慰めてくれた。これですべ てはおさまってしまった。 - 42 -

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 川は凍りついてきらきらし、休日にはスケートをする連中でいっぱいだった。ハンスは 新しい服を着、緑色の神学校の制帽をかぶってほとんど一日じゅう外に出ていた。彼は以 前の同級生たちを尻めに、はるか人に羨まれるような、もっと高い世界に進んでいたので ある。 第四章

 これまでの経験によれば、四年間の修道院生活のうちには、神学生のあるクラスのうち でひとりあるいは何人かの仲間はいなくなるものである。ときには死ぬものがおり、讃美 歌におくられて葬られたり、あるいは友だちの手で故郷に送られたりする。またときには 、やみくもに脱走してしまうもの、特別の罪のため放校されるものもある。ときとすると 、といってもめったにあることではないし、それも上級の組に限られるが、青春の悩みの ために進退きわまった青年が、ピストル自殺とか身投げというような手っとり早く、 陰惨(いんさん)な逃げ道を見つけ出したりすることもある。
 ハンス・ギーベンラートの同級生たちも、二、三人の仲間をなくす運命だった。そして 偶然、奇妙なまわりあわせで、それはみんなヘラス室から出たのである。
 同室者のなかに、ヒンディンガーというめだたないブロンドの髪をした小男がいた。ヒ ンズーというあだ名をつけられていて、アルゴイ地方のどこかの宗教的に孤立した地区に 住む仕立屋の息子だった。彼はおとなしい生徒で、いなくなったためにはじめて少しは話 題にされるようになったが、それでもたいしたことはなかった。倹約家の帝室名演奏家ル チウスと机を並べていたので、彼は他の仲間よりは多少はこの男と親しく控えめに交際し ていた。しかしそのほかにはひとりも友だちを持たなかったのだ。ヘラス室の一同も彼が いなくなってはじめてうるさいことを言わぬよき隣人として、またなにかというと騒ぎの もちあがるこの部屋の静かな支えとなる存在として、彼を好んでいたことに気がついたの だった。
 一月のある日、彼はスケートに行く仲間に加わって、馬池(ロスワイアー)に出 かけた。スケート靴を持っていなかったので、ただ見物するだけのつもりだったのだ。し かし、まもなくからだが冷えてきたので、大きく足ぶみしながら岸のまわりを歩きまわっ てからだを暖めようとした。そのうちいつか駆け足になり、はぐれて少し野原のほうへ出 てしまい、別の小さな湖にぶつかった。この湖はいくぶん暖かな水が強めに湧き出ている ので、氷は薄く表面にしか張っていなかった。彼は葦をおしわけて氷の上に出て行った。 彼のからだはとても小柄で軽いのに、もうその岸の間近なところで氷が割れて、水の中に 落ちてしまった。ほんのしばらくの間は、もがいたり、叫んだりしていたが、やがてだれ にも気づかれずに、暗い冷たい水の底に沈んでしまった。二時になって、午後の最初の授 業のときにはじめて彼のいないのがわかったのだ。
「ヒンディンガーはどこに行ったのかね?」
 と、助教師が大声で言った。
 だれも答えなかった。
「ヘラス室を見て来なさい」
 しかしそこには彼の影も形もなかった。
「遅刻して来るのだろう。いなくても始めてしまいましょう。七十四ページ、第七の 句(ヴァース)から。こんなことは二度とないようにお願いしたい。時間は厳守し なければいけません」
 三時になって、ヒンディンガーがいまだに姿を見せなかったので、先生は不安の念に襲 われて、校長のところへ使いを出した。校長さんご自身が教室に出馬し、いろいろ質問を 発せられた未、助手と助教師をつきそわせて、十人の生徒を捜索(そうさく)に行 かせた。残った生徒たちは、書き取りの練習を命ぜられた。
 四時に助教師がノックもせずに教室にもどって来ると、校長にささやくような口調で報 - 43 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 告を行なった。
「静粛に!」と校長は命じた。生徒たちは身動きひとつせず、木の長椅子にすわったまま 、何ごとかというように、校長の顔をじっと見つめた。
「君たちの級友、ヒンディンガーは」と、彼は声を落として続けた。「池でおぼれたらし い。あなたがたにも捜索の手伝いをしてもらわなければならない。マイヤー教授が 引率(いんそつ)されるから、どんなことでもいっさい先生の指示に従い、決して 勝手な行動はとらないように」
 すっかり驚いて生徒たちはひそひそとささやきながら、教授を先頭に出かけて行った。 町からは数人の男たちが綱や板や竿を持ってかけつけて来て現場に急行する一行に合流し た。寒さはきびしく、太陽はもう森の端(は)にかかっていた。
 やっと少年の硬直(こうちよく)した小さなからだが発見され、雪に埋もれた葦 の中で、担架に乗せられたときには、もう日はとっぷり暮れていた。神学生たちはおびえ た小鳥のように、不安そうにそのへんに立ったまま、死体をじっとみつめ、かじかんで白 くなった指をこすっていた。そして溺死(できし)した級友が先頭をかつがれて行 く後ろを、黙々として雪の野原をついて歩いて行くときになってはじめて、彼らの締めつ けられた心に、突然おそろしい戦慄(せんりつ)がかすめていった。鹿が敵をかぎ つけるように彼らは残忍な死の手を感じたのである。
 悲しみにとらわれ、寒さに震えた小さな一群れの中で、ハンス・ギーベンラートは、偶 然に以前の親友ハイルナーと並んで歩いていた。ふたりは野原のくぼみでいっしょに足を とられて、そのとき、同時に自分たちが並んでいることにお互いに気がついたのである。 死を眼前に見てすっかり圧倒され、しばらくはいっさいの利己心(りこしん)とい うもののむなしさを信じるようになっていたせいか、ともかくハンスは、思いがけず友だ ちの青ざめた顔をすぐそばに見たとき、言いようのない深い悲しみを覚え、急に胸が迫っ て思わず相手の手を握ろうとしたのだ。ハイルナーは不快そうに自分の手をひっこめると 、傷つけられたように目をそむけ、すぐ場所を替えて、いちばん後ろの列に姿を消してし まった。
 模範少年ハンスは、心の痛みと恥じらいで胸を波うたせた。凍てついた原野をつまずき つまずき進みながら、彼は寒さに紫色になった頬(ほお)にあとからあとから伝わ っていく涙を押さえることができなかった。どうしても忘れられぬ、後悔してもとりかえ しのつかぬ罪過(ざいか)や懈怠(けたい)というもののあることが身にしみ てわかった。高くかつがれていく戸板の上に横たわっているのは、小柄な仕立屋の息子で はなくて友人のハイルナーであるような気がした。そしてそのハイルナーが、成績や試験 やその結果などは問題にならず、ただ良心が清いか汚れているかということだけが基準に なる別世界へ、自分の不実に対する苦痛や怒りまでも、いっしょにもちこんで、遠く去っ て行ってしまうように思われた。
 そのうちに一行は国道に出て、やがて完全に修道院の中にはいって行った。校長を先頭 に教員一同が、死んだヒンディンガーを迎えに出ていた。もし生きていたら、こんな 栄誉礼(えいよれい)をうけると考えただけでも逃げ出していたことだろう。いつ でも先生というものは、死んだ生徒のことは、生きている生徒とは別の目で見るようにな るものである。そういうときだけは、自分たちがふだんはたびたび平気で傷つけているひ とりびとりの生徒の青春と生命の価値や、かけがえのない尊さをほんの一瞬だけは切実に 感じるのである。
 この晩と次の日いっぱいは、目にはつかない死体の存在感が魔法のように作用して、一 同のすべての行動やもの言いなどをそっとひっそりさせ、ヴェールで包んでしまったので 、この短い期間は、いさかいも怒りも騒がしい声、笑い声もすっかり消えてしまった。水 面からしばらく姿を消すと、あとは波ひとつたてず、一見すると、その水中に生命あるも のがいるとは思えないようにしてしまう水の精たちのようであった。みんなおぼれた友だ ちのことを話すときは、かならず姓名を本名できちんと言った。死者に対しては、あだ名 のヒンズーを使うのは非礼に当たると思ったからだ。ふだんはめだたず、取りざたされる - 44 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] こともなく、群集の中に消えていた存在である静かなヒンズーが、いまはこの大修道院じ ゅうを自分の名まえと死で満たしていた。
 二日めに、ヒンディンガーの父親が到着した。彼は、子供が横たえられている小部屋に 数時間ひとりで閉じこもっていたが、それから校長先生にお茶に呼ばれ、夜は鹿屋旅館に 泊まった。
 それから葬式があった。柩(ひつぎ)は共同寝室に安置され、アルゴイの仕立屋 はそのそばに立ち、式の次第を見まもっていた。彼はいかにも仕立屋タイプで、ひどくや せてとんがっており、羊羮(ようかん)色みたいな黒のフロックコートを着用し、 股引(ももひき)のようなみすぼらしいズボンをはき、古めかしい礼帽を手にして いた。彼のちっぽけな頬(ほお)のこけた顔は、風にゆらめく小さなろうそくの炎 のように、哀れっぽく、悲しそうで、弱っているように見えた。彼は校長と教授先生たち に対しては、たえずおどおどしたり、へいこらしたりしていた。
 担(かつ)ぎ手たちが柩を持ち上げようとする最後の瞬間に、この悲しそうな小 男はもう一度進み出て、情愛をこめながらどぎまぎおどおどしたかっこう(・・・ ・)で柩の蓋(ふた)に手をふれるのだった。それから途方にくれたように、涙を こらえながらつっ立っていた。ひっそりとしたこの大部屋のまん中に冬の枯れ木のように ぽつんと見捨てられ、ほうり出されたように立っているその姿は、見ているのもつらくな るほとだった。牧師が彼の手をとり、よりそって立った。そこで彼は奇妙に曲がったシル クハットをかぶり、先頭に立って柩のあとから階段を下り、中庭をよこぎって古い門を抜 け、一面の銀世界を越えて、墓地の低い塀のほうへ向かって歩いて行った。墓地で神学校 の生徒たちが讃美歌を歌っている間じゅう、指揮をしている音楽教師はむかむかしてきた 。たいていのものが自分のタクトをとる手を見ずに、ひとりぽつんと心許(こころ もと)なさそうに立っている小さな仕立屋のほうばかり見ていたからである。仕立屋は 凍(ひ)えきって悲しそうに雪の中に立ち、うなだれて、牧師や校長や生徒総代の 弔辞(ちようじ)に耳を傾け、合唱している生徒たちのほうにわけもなくうなずい てみせ、ときどき左手で上着のすそ近くのふところにかくしてあるハンカチをまさぐって みるが、結局はひっぱり出すのを止めてしまうのだった。
「あの人のかわりにぼくのおとうさんが立っていたらどうだろうって思わず想像しちゃっ たよ」
 と、オットー・ハルトナーが後ろで言った。するとみんなそれに同感して言った。
「そうだなあ、ぼくもまったく同じことを考えていたんだぜ」
 しばらくたってから、校長がヒンディンガーの父親といっしょにヘラス室にやってきた 。
「君たちのなかで故人(こじん)と特に親しかった者がいるかね?」と、校長は部 屋に声をかけた。はじめはだれも出ていく者がなかった。ヒンズーの父親は、こわごわと 哀れっぽい様子で、若い者たちの顔をみつめた。しかしそこでルチウスが出て行くと、ヒ ンディンガー氏は彼の手をとり、しばらくの間しっかりと握りしめていたが、何も言えず 、やがて頭を低くしてうなずくと、部屋から出て行った。それから彼は出発し、日がな一 日雪でまぶしい冬景色のなかを汽車で走って行き、それからようやく家について、自分の 妻に息子のカールがいまどんな小村に憩(いこ)っているか話してやることができ たのである。
 修道院ではまもなくまた魔法の力が解けてしまった。ふたたび教師は生徒を叱りだし、 ドアはまた乱暴に閉められるようになった。姿を消したヘラスの住人のことは、もうほと んど思い出す者もなくなった。数人の生徒は、あの悲しい池畔(ちはん)に長いこ と立っていたためにかぜをひいてしまい、病室に寝ている者もあれば、フエルトのスリッ パをはき、咽喉(のど)に布をまいて、かけまわっている者もいた。ハンス・ギー ベンラートは、咽喉も足の先もやられなかったが、あの不幸な日から前よりも深みをまし 、年をとったように見えた。彼の内部に何か変化が起こったのだ。少年は青年になった。 彼の魂はいわば別の国に移されてしまったのだ。ところがそこでは勝手がわからないので 、魂は不安そうに飛びまわってみるが、いまだに落ち着く場所が見当たらないのだった。 - 45 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] そういうことになったのも、死の恐怖や善良なヒンズーを失った悲しみのためではなく、 ただ突然目ざめてきたハイルナーに対する罪の意識のためだったのである。
 そのハイルナーはほかのふたりといっしょに病室に寝て、熱いお茶を飲まされるはめに なっていた。そのおかげで彼は、ヒンディンガーの死のときにうけた印象を整理して、の ちの詩作に使う準備をする暇ができた。しかしそれに熱を入れてやるというふうでもなか った。むしろ消耗し、やつれ果ててしまったようにみえ、他の病室の仲間とは、ほとんど 一言も口をきかなかった。監禁の刑罰をうけてからは、ひとりでいることを強いられたの で、たえず人に訴える必要がある感じやすい彼の気持ちは、傷つけられ鬱憤(うつ ぷん)を持つようになった。教師たちは彼を不平不満の革命分子とみて厳しく監視してい たし、生徒たちは彼をさけ、助手は彼を馬鹿ていねいにあしらった。彼の心の友であるシ ェイクスピア、シラー、レーナウなどは、彼の周囲の圧迫し屈従(くつじゆう)を 強いる世界とは違って、もっと雄勁(ゆうけい)壮大な世界を示してくれた。はじ めのうちは、隠者のような憂鬱な調子だけがこめられていた彼の「世捨ての僧のうたえる 歌」には、しだいに修道院や教師や同級の者たちに対する辛らつな憎しみをこめた詩句が 加えられていった。彼は孤独のなかで、殉教者(じゆんきようしや)の持つ苦しみ の快痛を味わい、人から理解されないことに満足を覚え、手心を加えずに侮蔑(ぶ べつ)をぶつけた「僧の詩」を書いた自分を、ローマ風刺詩人小ユヴェナリスのように思 うのだった。
 葬式から一週間たって、ふたりの仲間は全快したのに、ハイルナーひとりがまだ病室に 寝ていたとき、ハンスが見舞いにやってきた。彼は恐る恐る挨拶すると、椅子をベッドの そばへ持ってきて腰をかけ、病人の手を握ろうとしたが、その病人は、不愉快そうにくる りと壁のほうにむきをかえて、とて相手にしてくれそうもなかった。それでもハンスはひ っこんでいなかった。つかんだ手をしっかりとにぎりしめ、かつての友だちを無理に自分 のほうに向けようとしたのだ。ハイルナーは腹だたしそうに唇をゆがめた。
「いったいなんの用なんだ?」
 ハンスは彼の手を離しはしなかった。
「ぼくの言うことを聞いてくれ」と彼は言った。「あのときぼくは卑怯だった。君を見放 してしまったんだ。だけど君はぼくってやつのことをよく知ってるはずだ。この神学校で いい成績をとり、できれば一番になりたいというのが、ぼくの堅い決心だったんだよ。君 はそれをガリ勉と言ったし、そのとおりだと言われてもしかたがない。だけどそれがぼく なりの理想だったし、それ以上のことがあるなんて知らなかったんだよ」
 ハイルナーは目をつぶっていた。ハンスはとても低い声で続けて言った。「ねえ、君、 ぼくは、つらいんだよ。君がもう一度友だちになってくれるかどうかわからないけど、ど うしても許してはもらいたいんだ」
 ハイルナーは黙ったまま、目を開けなかった。彼の中にある善良で明るい要素といえる ものは、もうすっかりこの友だちに笑いかけていたのだが、きびしい孤独者の役柄になれ てしまった彼は、少なくともしばらくの間は、こういう仮面を顔からはずさなかった。ハ ンスはしりごみしなかった。
「どうしてもそうしてくれ、ハイルナー! まだこれから先ずっとこんなふうに君のまわ りをうろつくぐらいならびり(・・)になったほうがましなんだ。君さえよかった らまた友だちになって、他の連中なんか必要じゃないということをやつらに見せてやりた いんだ」
 そこでハイルナーが彼の手をぎゅっとにぎり返して目を開けた。
 数日後、彼もまたベッドを離れて病室から出た。そして修道院では、この新しく焼き直 された友情の話は、みんなを少なからず刺激した。ふたりにとって今やふたたび不思議な 数週間が訪れた。この期間は珍しい体験といったものはなかったが、ふたりが一体なのだ という不思議な幸福感にみちあふれ、ことばには出さなくても、ひそかに心を通じ合える ことばかりだった。以前の友情とは少しちがったものだった。何週間か離れていたために 、ふたりとも変わってきたのだ。ハンスは以前より情愛と暖かみをまし、ものごとに陶酔 するようになり、ハイルナーは力あふれる、男らしい性格を持つようになっていた。ふた - 46 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] りともこの間までひじょうに相手のいないことがこたえていただけに、こうしてまたふた りが手を結び合えたことが大きな体験であり、貴重な贈りもののように思われたのだ。
 ふたりの早熟な少年は、期待に胸をふくらますような後ろめたさで自分たちの友情の中 に初恋の甘い秘めごとのようなものをいつか知らずに味わっているのだった。その上ふた りの結びつきには成熱してゆく男性の持つ渋い魅力があり、すべての級友たちに対する反 発感というものも渋い薬味(やくみ)となるのだった。同級生から見れば、ハイル ナーは虫のすかないやつ、ハンスはわけのわからないやつということになる。ほかの連中 たちが結んでいるたくさんの友情などは、このころはまだたわいのない児戯(じぎ )に類するものだったのだ。
 自分の友情を心からしあわせにも大事にも思う気持ちが強くなればなるほど、ハンスは 学校になじまなくなった。新しい幸福感が、できたての葡萄酒のようにわきたって血管を 流れ、脳裏を走って行った。これにくらべればリヴィウスもホーマーもその意義やすばら しさを失ってしまった。先生たちは、今までの模範生ギーベンラートが注意人物に変わり 、札つきのハイルナーの悪影響に負けたのを見て驚いてしまった。先生たちがなによりも 恐れているのは、思春期の醗酵(はつこう)が始まるただでさえ危険な年ごろに、 早熟な少年の性向に現われてくる異常な現象である。そうでなくても先生たちは、前から 、ハイルナーにみられるある種の天才的なありようを無気味に思っていた。天才と教師団 との間には、昔から深い溝が掘られている。天才的な人物が学校でその片鱗(へん りん)を発揮すれば、教授たちはそれを頭からおぞましいものと考えるのだ。教師たちか らみると、天才とは決して自分たちに敬意をもたず、十四で喫煙をはじめ、十五で恋をし 、十六で酒場に出入りし、禁じられている本を読み、厚顔無恥な文章をものし、教師の顔 を時おり小馬鹿にしたようにしげしげとみつめ、煽動者(せんどうしゃ)、監禁候 補者として、学園の記録にその名を留める悪党なのである。学校教師というものは、自分 のクラスの中に、ひとりの天才がいるよりも、数人の間抜けがいたほうが、まだありがた いのだ。よく考えてみれば、それももっともだ。なぜなら、教師の任務は、桁外れの人物 を養成することではなく、ラテン語や数学のよくできる者や、実直な小市民を育成するこ となのだから。しかしどちらがよけいに被害を受けるだろう。教師が生徒からなのか、そ れともその反対なのか。ふたりのうちどっちがよけいに暴君(ぼうくん)、どっち がよけいに加害者なのだろう。相手の魂と生活をめちゃめちゃにし、汚してしまうのは、 ふたりのうちどっちなのだ。こういうことを吟味してみると、だれでも自分の青春を思い 起こして、腹だたしさ、恥ずかしさを覚えるだろう。しかし、これはわれわれの問題にす べきことではない。それに気の休まることもある。真の天才の場合には、たいていは受け た傷は癒着(ゆちやく)するし、学校など物ともせず立派な作品をつくり、後に彼 らがこの世にいなくなり、時のへだたりという快い後光に包まれてしまうと、今度は別の 世代の同じ教師仲間から、傑作として以て範とすべきけだかい実例として引き合いに出さ れることになるのだから。こうして規律と精神の闘争劇は、たえず学校から学校へと幾世 代も繰り返される。毎年あらわれる人一倍深みと器量をそなえた数人の人物を根絶しよう と、国家や学校が年がら年じゅう大汗をかいて努力していることをわれわれは知っている 。ところがあとになって、だれよりもわれわれ国民の文化財を豊かにしてくれるのは、ふ つうはこういった教師たちに憎まれ、罰せられ、脱走したり、放校されたりした人たちな のである。しかしかなりの数の人間が――その数がどれだけあるか知りようがないが―― 内心の反抗だけに精魂を使い果たして破滅してゆくのである。
 昔からの立派な学校的原則どおりに、このふたりの変わった若者に対しても、危っかし いと思われだすとたちまち、愛が注がれるかわりに、厳しさが倍加された。ただヘブライ 語をいちばん熱心にやる生徒として、ハンスを誇らしく思っていた校長だけは、無器用な やり方で彼を救ってやろうとしたのである。彼はハンスを校長室に呼んだのだ。ここはも と修道院長の住居だったところで、美しい絵のような張り出し窓のついた部屋で、伝説に よれば、クニットリンゲンに住んでいたファウスト博士がこの部屋で、しばしばエルフィ ンガー酒を何杯か飲んだということだった。校長は一筋縄ではいかぬ人物で、抜けめがな くて、実際的な知恵も持ち合わせており、弟子たちに対しては、一種の善意から発する好 感をよせることさえあり、弟子を親しげに「君」と呼ぶことを好んだ。彼の最大の欠点は 虚栄心の強いことで、そのためにときどき調子にのると、教壇でもオーバーなスタンドプ レイをすることがあり、自分の権力や権威が少しでも疑われるともう容赦しないのだった 。どんなことでも反対されるのが嫌いで、自分の非はいっさい認めることができないのだ - 47 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 。だから木偶(でく)の坊のような生徒や、実(じつ)のない生徒は校長とう まくやっていけるが、自我の強いものや、正直者こそ災難だった。ほんのちょっとでも反 対だというそぶりが見えただけで、もう校長はカンにさわるのだった。激励の目つき、感 動的な口調で、父親がわりの友だちの役割をつとめるとなったら、校長の芸は玄人 (くろうと)はだしだ。今も彼はこの役割を演じていたのである。
「かけたまえ、ギーベンラート」と、校長は、恐る恐るはいってきた少年の手をぎゅっと 強く握りしめてから親しそうに言った。
「少し話したいことがあるんだが、『君』と呼んでもいいだろう?」
「どうぞ。校長先生」
「君もきっと自分で感じていると思うのだが、ギーベンラート君。少なくともヘブライ語 では、今までは君はたぶんいちばんよくできた。それだけに急に成績が落ちたのをみて、 残念でならないんだよ。ひょっとしたら、君はヘブライ語があんまりおもしろくなくなっ たのではないかね?」
「いいえ好きですよ、校長先生」
「よく考えてごらん。そういうことはよくある。もしかしたら、他の課目に特別力を入れ てるんじゃないのかね?」
「ちがいます、校長先生」
「ほんとうかね? それじゃ別の原因を捜さなきゃいけないね。わたしがそのわけをつき とめられるようにしてくれるかね」
「わかりませんけど……いつも宿題はやっていますし……」
「わかってるよ君。だが等しきごとくして相違ありだ。もちろん君は宿題はやっている、 それが君の義務なんだからね。だが、以前はもっとやっていたんだよ。たぶん前のほうが 熱心だったし、いずれにしろもっと興味を持ってたんだと思う。そこでどうして急に君の 熱意が醒(さ)めだしたのか考えているんだ。まさか病気じゃないだろうね?」
「いいえ」
「それとも頭痛がするのかね? もちろん、はちきれそうに元気とは見えないがね」
「はい、頭痛はときどきします」
「毎日の勉強は多すぎるかね?」
「とんでもない。そんなことはまるでありません」
「それとも君は自分の読書をうんとしているのかい、正直に言ってごらん」
「いえ、ほとんど何も読んでいません。校長先生」
「だとするとわたしにもよくわからないなあ。君、どこか悪いところがあるにちがいない んだがね、ちゃんと努力すると約束してくれるだろうね?」
 ハンスは権力者のさし出した右手に自分の手を重ねた。校長はきびしいやさしさをたた えたまなざし(・・・・)で、彼を見つめていた。
「よーし、それでよし。へたばってはいけないよ。へたばったが最後、車輪の下に 潰(つぶ)されていってしまうのだからね」
 校長はハンスの手を握った。ハンスはほっと一息ついてドアのほうへ歩いて行った。す ると、彼は呼び戻された。
「ちょっとだけ。ギーベンラート。君はハイルナーとそうとうつき合っているね?」
「はい、かなり」
「ほかの連中よりずっと親しいだろ、そうじゃないか?」
「はい、そうです。彼はぼくの友だちです」
「どうしてそうなったんだね? 君たちはほんとはぜんぜん性格が違うじゃないか?」
「わかりません。ともかく今は彼はぼくの友だちなんですから」
「わたしが君の友だちをあまり好きではないということは、知ってるね。あれは不平不満 - 48 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] の多い不安定な人間だ。才能はあるかもしれないが勉強はなにもしない。君にも決してよ い影響を与えないよ。君があの男からもっと離れていてくれたら、うれしいんだがね―― どうだろう?」
「それはできません、校長先生」
「できない? ほう、そいつはいったいなぜかね?」
「だって彼はぼくの友だちですから。彼を見捨てることはどうしてもできないんです」
「ふん。だがほかの者とだって、もっとつき合えるだろう。君だけなんだよ、ハイルナー の悪い影響に身をまかしてるのは。そしてもうその結果はでているんだ。いったいあれの どこが君をそんなにひきつけるんだね!」
「自分にもわかりません。でもぼくたちは、お互いに好きなんです。そして、もし彼を見 捨てたらぼくは卑怯者です」
「へえ、そうかね、まあ強制はしない、だがだんだんあれから離れるといいと思うよ。そ うなればうれしいがね、とてもうれしいことだと思うね」
 最後の言葉には、先ほどのやさしさはこれっぽちもなかった。ハンスはやっと釈放され た。
 このときから彼はまた改めて勉強に鞭(むち)うった。それでも、前のようにす らすらとは進まず、皆よりひどくおくれをとらないように苦労してついてゆくのがやっと であった。その原因の一部は友情のせいだと自分でもわかってはいたが、それでもこの友 情が損失や障害になるとは思わず、それよりもそのなかに、これまでに手に入れそこなっ たすべてのものに十分匹敵するだけの財宝を見つけていた。――それは以前の無味乾燥な 義務の生活とはくらべものにならないほど、高尚(こうしよう)な、人間味のある 生活であった。まるで恋する若者のような気持ちだった。偉大な英雄的行為も行なえそう な気がし、その自分が、退屈な、日々のちっぽけな勉強など、とてもできやしないと思っ た。こうして彼はくりかえし絶望の嘆息をつきながら、自分を枷(かせ)で縛るこ とになったのである。要領よく勉強し、どうしても必要なことだけ大急ぎで馬車馬のよう な勢いでものにしてしまうハイルナーのようなやり方は、彼には縁遠いものだった。暇な 時間はこの友だちにほとんど毎晩駆り出されてしまうので、毎朝一時間早く起きるという 無理をしなければならなくなった。そしてなによりもまず、親の仇(かたき)と取 り組むような勢いで、ヘブライ語の文法に取り組んだのだった。今でもほんとうに楽しみ といえるのは、ホーマーと歴史の時間だけになった。暗闇を手さぐるような感じで、彼は ホーマーの世界の理解へと近づいて行った。歴史では、むかしの英雄たちが、しだいにた だの名まえや年号だけではなくなって、すぐそばかららんらんと輝く瞳でみつめたり、生 き生きとした赤い唇をもつようになってきた。どの英雄にもそれぞれちゃんと顔と手足が そなわっていた。――赤くて厚い無骨な手、静かな冷ややかな石のような手、細い血管の 浮き出した、細くて熱い手などの持ち主がいた。
 福音書をギリシア語のテキストで読んでいるときも、ときどき彼ははっきりと身近に人 物を感じて驚きを覚え、それどころかすっかり圧倒された。あるとき、マルコ伝の第六章 、イエスが弟子たちと舟を下りるくだりで、「エウテュス・エピグノンテス・アウトン・ ペリエドラモン」(『頓(やが)て人々イエスを知りて偏(あまね)く 其四方(そのあたり)の地へ馳せゆき』)と読んだときなどそんな気がした。彼自 身もまた人の子イエスが舟を下りるところをまのあたりに見て、ただちにこれこそイエス だと知ったのである。姿や顔を見てわかったのではなく、愛の光に輝く深みを帯びた大き な目と、ほっそりとした美しい日焼けした手で、そっと挨拶を送る、というよりさし招き 、喜んで迎え入れる身振りで、それとわかったのであった。繊細で、しかも強固な魂がそ の手の形にもあらわれ、まさにイエスの魂を宿す手であるように見えた。波打ち際と重い 舟のへさきが一瞬まのあたりに浮かんだが、すべての光景は冬の白い吐息のように消えて しまった。
 こういうことはそれからもときどきあった。ある人物や歴史の一駒が、もう一度生命を 持ち、自分のまなざしを今生きている人間の目に映してみたいというやむにやまれぬ熱望 - 49 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] にとりつかれたように、突然書物の中から飛び出してくるのだ。ハンスは素直にそれを受 けとめながらも、目をみはる思いをするのだった。そして現われるまもなくもうかき消さ れてしまうこうした現象に、自分が異様に深く変身するのを感じた。まるでガラスのよう に黒い大地のうらまで見透かしているようでもあり、神に見つめられているような気もし た。このようなえ(・)も言われぬ瞬間は、巡礼者や親しい客のように招かれずに 訪れ、嘆かれずに消えていった。話しかけたり、むりにひきとめるわけにはいかなかった 。そのめぐりに、異質な神々しいものがただよっていたからである。
 彼はこの体験を自分ひとりにとどめておいて、ハイルナーにも何も言わなかった。ハイ ルナーの内面では以前の憂鬱が、不安定で尖鋭(せんえい)な精神に変化してしま っていて、修道院、教師や仲間たち、天候、人間生活、はては神の存在にまでその批判が 向けられ、ときとしては、それで闘志をかりたてたり、突如として愚かな行動に及んだり した。もともと皆から孤立してほかの連中とは対立していたが、心ないプライドにかられ てその対立をわざわざもっと鋭くし、完全に反抗的な敵対関係にしてしまった。
 ギーベンラートは、とめることもできないままに、彼のほうにひっぱりこまれてしまっ た。そこでふたりの友だちは、悪意をもって見られる、人目にたつような離れ小島となり 、他の者たちから孤立してしまった。ハンスはこういう状態をしだいに不愉快に思わなく なった。校長さえいなければいいのだ――。校長だけはどうもなんとなくこわいのだ。か つては校長の秘蔵っ子であった彼は、今では冷たく扱われ、明らかに故意に目をかけられ なくなった。そこでとりわけ校長の専門科目であるヘブライ語の授業には、しだいにやる 気を失っていった。
 少数ののび悩みの者を除けば、四十名の神学校の生徒たちが、わずか数か月のうちに身 心ともに変化をみせたことは、見ていて愉快なことだった。多くの者は横幅(よこ はば)のほうはお留守にして、背丈ばかりやたらに伸び、いっしょには成長しない衣服か ら、手と足のくるぶしがたのもしげににゅっと出ていた。顔はだんだん消えてゆく子供っ ぽさと、気後れしながらも胸をはりはじめる大人らしさのさまざまな色合いを見せていた 。からだはまだ成長期の角ばった形こそしていないものの、そのなめらかな額には、モー ゼの五書を勉強したおかげで、少なくとも一時的にもせよ成年男子の厳粛さが宿るように なっていた。子供っぽいふくれた頬っぺたは、いまや稀少価値となっていた。
 ハンスも変わった。背丈もやせ具合もハイルナーに似てきた。今ではむしろ彼より年上 に見えさえした。以前はうっすらと生毛(うぶげ)が生えていて、はっきりしてい なかった額の角の輪郭(りんかく)がくっきりきわだち、目はくぼみ、顔色は悪く なった。手足や肩は骨ばってやせていた。
 学校の成績が自分でも不満になるにつれて、彼はハイルナーの影響を受けながら、他の 仲間たちからはますますかたくなに身を閉じた。もう、トップまちがいなしの模範生とし て彼らを見下すという柄でもなくなっていたので、この高慢さはまことに彼には板につか ないのだった。だが人からそれを悟らされたり、自分自身それを苦痛をもって感じたりす るのは、どうしてもがまんしていられなかった。とくに、模範生のハルトナーや生意気な オットー・ヴェンガーとはよく喧嘩(けんか)になった。ある日このヴェンガーに また馬鹿にされ。腹をたてさせられると、ハンスは我・Yれて拳骨(げんこつ)の返 答をお見舞いした。ひどいなぐり合いになった。ヴェンガーは、意気地なしだがこの弱虫 を相手なら片づけるのに造作(ぞうさ)もなかった。彼は遠慮会釈なくなぐりかか った。ハイルナーはその場にいなかったし、他の連中はのうのうと見物しながら、ハンス が痛いめに会うのを、ざまあ見ろと思っていた。ハンスはさんざんになぐられて鼻血を出 した。肋骨が一本一本痛かった。恥ずかしさと痛みと怒りが一晩じゅう彼を寝かさなかっ た。親友にはこのできごとを黙っていたが、それ以来彼は頑(がん)として自分の 殻のなかにとじこもり、同室の者とはほとんど一言も口をきかなくなった。
 春が近づくと、雨の日の昼どきや雨降りの日曜日、それに長く続くたそがれのために、 修道院の生活の中にも、新しいサークルや活動が行なわれるようになった。アクロポリス 室にはピアノのうまい生徒と、フルートを吹けるのがふたりいたので、二度定期的な音楽 の夕ベを開いた。ゲルマニア室では、脚本朗読会をはじめ、数人の若い敬虔派信者 (ピエチスト)たちは、聖書クラブを設けて、毎晩聖書を一章ずつ、カルフ版聖書の注釈 - 50 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] をいっしょに読んだ。
 ハイルナーは、ゲルマニア室の朗読会に参加を申し込んだが、入れてもらえなかった。 彼は歯がみして口惜しがった。その腹いせに今度は、聖書クラブヘ出かけていった。そこ でも彼を仲間にしたくないようだったが、勝手におしかけていって、ごく控えめな内輪の 信者仲間の信心ぶかい会話の中に、大胆不敵な言葉をあびせたり、罰当たりなあてこすり をはさんだりして、けんかや口論の種をまいた。やがてこんなお楽しみにはあきがきてし まったが、彼のしゃべり方のなかに、その後しばらくは、皮肉な聖書口調が残っていた。 しかし、もうしまいには彼のことなどかまっているときではなくなっていたのだ。クラス の者は、いまは計画と創立の精神にすっかりとりつかれてしまっていたからである。
 いちばん評判になったのは、才能があり、ウィットに富むスパルタ室のある生徒だった 。自分が有名になろうという気もあるにはあったが、もとはといえば、彼はこの寮に景気 をつけ、いろいろ気のきいた馬鹿さわぎによって、単調な勉強ばかりの生活にときどき風 を入れようと心がけていたのだった。彼はドゥンスタンというあだ名をつけられていたが 、センセーションを起こして一種の有名人にのしあがる変わった手を思いついた。
 ある朝、生徒たちが寝室から出てみると、洗面所のドアに一枚の紙がはってあった。「 六つのスパルタの寸鉄詩(すんてつし)」と題をつけ、級友のなかの目ぼしい何人 かを選び出して、彼らの愚行、けんか、友情といったものを、二行詩で手きびしくやっつ けたものであった。ギーベンラートとハイルナーのベアも槍玉(やりだま)にあが っていた。この小国家は恐ろしい興奮にわきかえった。皆は劇場の入り口に押しよせるよ うに、例のドアの前にひしめき合い、女王蜂が飛び立つ前の蜜蜂の群れのように、一同は 押し合いへし合い、唸(うな)ったりざわめいたりした。
 次の朝になるとドア一面に、応答や賛成や新しい攻撃の警句風刺詩がはってあった。し かしこの騒ぎの張本人は、二度とこれに加わるほど愚かではなかった。もう納屋に 火絨(ほくち)を投げこむ目的は達してしまったから、あとはもみ手をしてほくそ 笑んでいたのだ。ほとんどすべての生徒が、数日の間この風刺詩合戦に参加し、二行詩を ひねり出そうと考えこみながら歩きまわっていた。こんなことにおかまいなしに、いつも のペースで自分の勉強を続けたのは、おそらくルチウスひとりだったろう。おしまいにあ る先生がこれに気がついて、以後この刺激的な遊びを続けることを禁止した。
 抜けめのないドゥンスタンは、こんな成功に安住することなく、その間に真打ちの準備 をぬかりなく整えていたのだ。いよいよ彼は新聞の第一号を発行した。それは草稿用紙に 刷った小さな型の新聞で、記事の材料は彼が何週間もかかって集めたものだった。「ヤマ アラシ」という題で、風刺新聞の性格が強いものだった。ヨシュア記の作者とマウルブロ ンの神学校生徒との滑稽対話が第一号でひときわ光彩を放った。成功は決定的であった。 顔つきも物腰もすっかり多忙な編集者兼出版者ぜんとしてきたドゥンスタンは、いまや修 道院の中で、かつてヴェネチア共和国で有名をはせた詩人アレティーノと同じくきわどい 名声を博したのだった。
 みんながあっと驚いたのは、ヘルマン・ハイルナーが熱心にその編集に加わり、ドゥン スタンといっしょに容赦ない風刺的摘発を行なう検閲官の役割を果たしはじめたときだっ た。こういう仕事のための機知も毒舌も彼に不足はなかった。約一か月の間、この小さな 新聞は修道院じゅうを息もつかせなかった。
 ギーベンラートは友だちの好きなようにさせておいた。彼自身はいっしょにやる気もな ければ才能もなかった。初めのうちは、ハイルナーが近ごろよくスパルタ室で夜を過ごし ていることさえ、ほとんど気づかなかった。というのは、彼は最近別のことにとらわれて いるからであった。昼間はだるそうにぼんやりと歩きまわり、のろのろとやる気もなく勉 強していたが、あるとき突然、リヴィウスを読む時間に妙なことが起こった。
 教授が彼の名を呼んで訳したまえと言ったが、彼はすわったままでいたのだ。
「どういうことなのです? なぜ立たないんです?」と、教授は腹をたてて叫んだ。
 ハンスは身動きもしなかった。椅子にきちんと正座し、頭を少し垂れ、目を半ばとじて いた。名を呼ばれて彼は夢から少しさめかけたが、先生の声ははるか遠くのほうから聞こ - 51 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] えてくるようだった。隣にすわっている生徒が自分をはげしくつっいているのに気がつい た。しかしそんなことは、自分とはなんの関係もないことだ。いま彼は別の人間たちにと りかこまれ、別の手でさわられ、まったく別の声に話しかけられていたからだった。静か な深い、身近から聞こえてくる声、それは一語もはっきりした句にはならず、ただ深く、 やさしく、泉のひびきのようにざわめいていた。そしてたくさんの目が彼をみつめていた ――見知らぬ予感に満ち、輝きを帯びた大きた瞳だった。おそらくそれは今しがたリヴィ ウスの書物で読んだばかりのローマの民衆の目であった。おそらく彼が夢で見たか、それ ともいつか絵で見たことのある未知の人間の目であった。
「ギーベンラート」教授は叫んだ。「いったい眠っているんですか?」
 生徒はゆっくりと目をあけたが、驚いて先生を穴のあくほど見つめ、それから首を振っ た。
「眠っていたんだね? そうでないと言うんなら、今どのセンテンスをやっているか言え るはずだ? どうだね?」
 ハンスは指で本を指した。どこをやっているかはよく知っていたのだ。
「では今度は立っていただけるだろうね?」
 と教授は馬鹿にしたようにたずねた。それでハンスは立ち上がった。
「何をしてるんです? わたしの顔を見たまえ!」
 彼は教授の顔を見た。そのまなざしがまた先生の気に入らなかったらしい。なぜなら教 授は不可解だと言わんばかりに頭をふったから。
「気分でも悪いのかね、ギーベンラート?」
「いいえ、先生」
「すわってよろしい。授業が終わったら、私の部屋に来なさい」
 ハンスは腰を下ろし、リヴィウスの本にかぶりついた。
 すっかり目がさめ、なにもかもよく理解できた。しかし、同時に彼の心の目は数々の見 知らぬ人物のあとを追っていった。その姿は果てしないかなたにゆっくりと消えて、遠ざ かっていったが、彼らのきらめく瞳は、ずっと彼の上に注がれたままであった。やがて彼 らははるか遠くの霧の中に消え去っっていった。それといっしょに先生の声や訳をしてい る生徒の声、教室内のいっさいの小さな物音などがだんだん近くなってきて、おしまいに は平常どおりにふたたび現実となり、現在となった。長椅子も教壇も、黒板もいつものよ うにそこにあった。壁には大きな木のコンパスと三角定規がかかっていたし、まわりには 同級生がすわっているのだった。そのなかの何人かは、好奇心まるだしに、厚かましく彼 のほうをちらちらと盗み見していた。そのときハンスは急にぎょっとした。
「授業が終わったら、私の部屋へいらっしゃい」と言う声が聞こえたのだ。たいへんだ、 いったいなにごとだろう。
 授業の終わりに教授は、彼を呼びよせ、目を見はっている生徒たちの間を通って、彼を 連れて行った。
「さあ、いったいどうしたんだか言ってみたまえ? 眠ってはいなかったというんだね? 」
「はい」
「わたしが名まえを呼んだとき、なぜ君は立たなかったんだね?」
「わかりません」
「それとも聞こえなかったのかい? 君は耳が遠いのかね?」
「いいえ、聞こえていました」
「それでも立たなかったんだね? そのあとで君は変な目つきをしたねえ。いったい何を 考えていたんだね」
「何も考えていませんでした。立とうと思っていたんです」
「なぜ立たなかったんです? やっぱり気分が悪かったんじゃないのかい?」
「そうじゃないと思います。どうだったのか自分でもわかりません」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 「頭が痛かったのじゃないのかね?」
「いいえ」
「よろしい。行きなさい」
 食事前に彼はふたたび呼ばれ、寝室に連れて行かれた。そこで校長が郡の嘱託( しよくたく)医といっしょに彼を待っていた。彼は診察され、くわしく質問されたが、は っきりした原因は、何もつかめなかった。医者は人がよさそうな笑いを浮かべて、
「ちょっと神経をやられてるだけですよ。校長さん」
 彼はおだやかにくすくす笑いをした。
「一時的な神経衰弱です――一種の軽いめまいですな。この若い方は毎日戸外(そ と)へ出るようにしなければいけません。頭痛には点滴薬を処方してあげましょう」
 そのときからハンスは毎食後一時間ほど戸外へ出なければならなくなった。それには彼 もまるで不満はなかった。具合が悪いのは、校長がこの散歩にハイルナーがついて行くの を絶対に禁じたことであった。ハイルナーは憤慨して悪態をついたが、結局は従わざるを えなかった。そこでハンスはいつもひとりで出かけることになったが、それもある意味で は楽しいことだった。春はもう始まっていた。円く美しく弧を描いている丘の上を、芽を ふく緑が明るいさざ波のように広がり、木々は鋭い輪郭を持った褐色の網目の冬姿を脱ぎ 捨てて、若葉のたわむれの中で、隣の木との見さかいもつかなくなり、また背景の緑の色 合いととけあって、はてしなく流れる緑の大波となった。
 むかし、ラテン語学校時代には、ハンスは春を今とはちがったふうに見ていた。もっと 生き生きと好奇心を持って、一つ一つのことに注意した。さまざまな種類の鳥が次から次 へと古巣に帰ってくるところや、いろいろな木々の花が順々に開いていくのを観察し、そ れから五月の声を聞くと、すぐに釣を始めたものだった。だが今ではもう鳥の種類を区別 したり、芽を見て灌木(かんぼく)を見分けたりするのは、めんどうくさくなって いた。ただ彼は万象(ものみな)の営みを、いたる所に芽をふく色彩を見、若葉の 香りを吸い、やわらかなむせかえるような大気を感じ、驚異の目をみはりながら野原を歩 きまわった。すぐに疲れてきて、年じゅう横になって眠りこんでしまいたいという気持ち に誘われていた。そしてほとんど絶えまなしに、現実に自分の周囲にあるものとは違った いろいろなものを見てしまうのだった。それがほんとうはどんなものなのか、自分にもわ からなかったし、よく考えてみようともしなかった。それは明るい見なれぬ妙(た え)なる夢で、何枚もの肖像画のように、あるいは異様な木々の並木のように、彼を取り 囲んでいたが、別にできごとらしいものは、何も起こらないのだった。ただ眺めるだけの ための純粋な画面だったが、それを眺めることがそれでもうひとつの体験と言ってよかっ たのだ。それは連れ去られて、別の土地、ほかの人間たちの間に、ほうり出されたような ものだった。見知らぬ土地の、やわらかな、踏み心地のいい地面を遍歴して行くことであ り、別の空気、軽やかさをたたえ、快い夢のような香気(こうき)に満ちた空気を 吸うことだった。この画面のかわりに、ときどき、ばくぜんとした、生暖かで、心をかき みだすような感情が訪れて、軽い手で、からだじゅうをそっとなでられるような気がした 。
 本を読んだり、勉強したりするとき、ハンスは注意力を集中するのにひどく骨が折れた 。興味の持てないものは、みんな実体のない影のように手でつかもうとしてもすりぬけて 行ってしまうのだった。ヘブライ語の単語を、授業のときに覚えていられるようにしてお こうと思ったら、始まる前の三十分以内に覚えておかないとだめだった。ところが具象性 を備えたイメージを見る瞬間はしばしば訪れてきて、本を読んでいると、なかに書いてあ るものが、みんな突然まのあたりにあらわれ、生命を得て、いちばん身近なものよりもっ と生き生きと、現実的に動きだすのが見えるのだった。自分の記憶力がもう何も受け入れ ようとせず、ほとんど日ごとに衰え、たよりにならなくなって行くのに気がついて絶望し ているのに、いっぽうでは、自分でも不思議で不安になるほど不気味(ぶきみ)な 鮮かさで、ときどき昔の記憶が襲ってくることがあった。授業や読書の最中に、彼の父や 、ばあやのアンナや、昔の先生や同級生たちが頭に浮かび、まざまざとまのあたりに姿を あらわし、しばらくは彼の注意力をすっかり奪ってしまうのだった。シュトゥットガルト 滞在のことや、州試験や、休暇中の情景などをくりかえしくりかえし体験しなおし、釣竿 をたれて川べりにすわっている自分の姿を見たり、日向水(ひなたみず)の匂いを 嗅いだりした。しかもそれと同時に、自分が今夢のように思い浮かべている時代は、もう - 53 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 遠い昔のことのような気もしてくるのだった。
 なまぬるくて湿っぽいあるまっ暗な晩、彼はハイルナーと共同寝室を行ったり来たりし 、故郷のこと、父親のこと、釣や、学校のことなどを話してきかせた。この友だちは、き ょうは不思議なほど無口だった。ハンスに話をさせたまま、ときどきうなずいてみたり、 もてあまし気味だったこの一日の相手に選んだ定規で、二度三度空を切ったりする様子も 、何かただごとでなかった。それでハンスもだんだん黙りこんでしまった。夜はもうふけ てきた。ふたりは出窓に腰をかけた。
「ねえ、ハンス」とうとうハイルナーが口を切った。彼の声には落ち着きがなく、興奮に 震えていた。
「なんだい?」
「なんでもない、よそう」
「いいから言えよ!」
「ただちょっと思い出したのさ――君がいろいろなことを話してくれたもんで――」
「なにをさ?」
「ねえハンス、君はまだ一度も女の子のあとを追っかけたことはないのかい?」
 沈黙が訪れた。これまでふたりはこういう話は一度もしたことがなかったのだ。ハンス はこうしたことがこわかったが、それでも謎に包まれたその世界は、童話(メルヘ ン)の園のように彼をひきつけていたのである。彼は、自分が赤くなるのを感じた。指が 小きざみに震えていた。
「たった一度だけさ」と、彼はささやくように言った。「ぼくは何も知らないい坊やだっ たんだ」
 また沈黙。
「じゃ、君は? ハイルナー?」
 ハイルナーはため息を吐(つ)いた。
「もうよしてくれ! ――こんなこと話すべきじゃないよ、意味がないもの」
「いやいや、そんなことはない」
「ぼくには恋人がいるんだ」
「君、ほんとう?」
「くにのさ、隣のうちの子なのさ。でね、この冬彼女にキスしたんだ」
「キスを――?」
「うん。もう暗かったんだよ――、夕方、氷の上で、彼女がスケート靴を脱ぐのを手伝っ てやってたんだ。そのときキスをしちまったんだよ」
「むこうは何も言わなかったかい?」
「言わないさ、なにも。そのままかけて行っちまった」
「それからどうした?」
「それからだって! ――それっきりさ」
 彼はまたため息をついた。ハンスはまるで禁断の園からやってきた英雄を見るようにハ イルナーを眺めた。
 そのとき鐘が鳴った。床に就かされる時間だった。ハンスはあかりが消され、あたりが ひっそりしてしまってから、一時間以上も眠らずに、ハイルナーが恋人にしたキスのこと を考えていた。
 翌日、彼はもっとさきを聞こうと思ったが、恥ずかしくてだめだった。そしてハイルナ ーのほうも、ハンスがきかないので、自分からまた話を切り出すのはためらっていた。
 学校ではハンスの立場はいよいよひどいことになっていった。先生たちは意地悪そうな 顔をしたり、変な目で彼をにらみつけたりするようになっていた。校長も渋い顔をして、 腹をたてていた。同級生たちは、ギーベンラートが雲の上から転落して、トップをねらう 気をなくしてしまったことを、もうとっくに気づいていた。それに気がついていないのは 、学校のことなんかたいして重要視しないハイルナーくらいのものだった。ハンス自身は - 54 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] すべてのなりゆきや変化を、かくべつ気にもとめずに眺めていた。
 ハイルナーは、そのうちに、新聞の編集にもあきて、またすっかり親友のふところに戻 ってきた。禁止なんかどこ吹く風で、たびたびハンスの毎日の散歩について行き、日なた に寝そべって空想にふけったり、詩を朗読したり、校長のことを酒落のめしたりした。ハ ンスは明けても暮れても彼があの恋愛事件の打ち明け話を続けてくれたらと願っていたが 、日がたてばたつほど、それをきき出す勇気がなくなってしまった。同級生のなかでは、 ふたりはあいかわらずきらわれ者だった。というのは、ハイルナーは、「ヤマアラシ」に 毒のある風刺をのせたので、だれからもうちとけてもらえなくなっていたからである。
 新聞はどうせこの時期には廃刊になる運命だった。その生命はとっくに終わっていたの だし、本来が冬から春にかけての退屈な数週間だけをあてこんだものだったのだ。今はも うはじまりかけている美しい季節が、植物採集や、散歩や、戸外の遊びなどの楽しみを十 分に提供してくれた。毎日昼になると、体操やレスリングのまねごと、競走や球技などに 興ずる連中の活気や叫び声が、修道院の庭いっぱいにあふれていた。
 そこへ新たな大事件が起こったのだが、その張本人、事件の中心人物は、またもやみん なの躓(つまず)きの石であるヘルマン・ハイルナーであった。校長は、ハイルナ ーが彼の禁止をせせら笑って、ほとんど毎日散歩に行くギーベンラートについて行ってい るということを聞いた。そこで今度は彼は、ハンスはそっとしておいて、むかしからの仇 敵である主犯者だけを校長室に呼びつけた。校長がなれなれしく彼を「君」で呼びかける と、ハイルナーは、即座にそれを拒否した。校長は、彼が命令に従わなかったことを 叱責(しつせき)した。するとハイルナーは、自分はギーベンラートと友だちだし 、だれもふたりの交際を禁ずる権利はないのだときっぱり言いきった。雲行きは険悪にな り、その結果、ハイルナーは数時間の監禁刑を言いわたされ、当分の間、ギーベンラート と出かけることを厳禁された。
 そんなわけで、次の日、ハンスはまた公認の散歩に、たったひとりで出かけることにな った。二時に戻って来て、他の連中といっしょに教室にはいった。授業が始まる段になっ て、ハイルナーがいないことがわかった。ヒンズーがいなくなったときと、なにもかも同 じ状況だったが、ただ今度は、だれも遅刻だとは思わなかった。三時に、クラスの全員が 三人の先生と失踪(しつそう)者を捜索に出かけた。幾組かに分かれて、森の中を 走りまわり、叫びまわった。ふたりの先生もふくめて、なかにはもしかしたら自殺をした のかもしれないと思っているものもいた。
 五時にこの地方のあらゆる駐在所に電報が打たれ、晩になると、ハイルナーの父親に速 達便が送られた。夜おそくなってもなんの手がかりも見つからなかった。真夜中を過ぎて も、寝室でひそひそとささやきが漏れていた。生徒たちの間では、彼が身投げしたのだろ うという推測がいちばん多く信じられた。彼はただ家へ帰っただけなのだと言うものもい た。しかしこの脱走者が一文(いちもん)の持ち合わせもないはずだということは はじめから確かなことだった。
 ハンスは、事情を知っているにちがいないとみられた。ところがそれどころではなく、 皆の中でいちばんショックをうけ、心を痛めたのは彼だったのだ。夜中に寝室で、皆が質 問や臆測をしたり、でたらめな話をでっちあげたり、冗談の種にしたりしているのが耳に はいると、彼は布団の中に深くもぐりこみ、友だちを気遣う不安と苦しみに責められなが ら、眠られぬ時を過ごすのだった。ハイルナーは二度とふたたび戻ってこないのだろうと いう不吉な予感が、彼の不安にしめつけられるような心をとらえ、おびえるような哀感で 胸がいっぱいになり、おしまいに思い悩みに疲れ果てて、やっと眠りに落ちた。
 ちょうどそのころ、ハイルナーは数マイル離れた森の中に横になっていた。寒くて眠れ るものではなかったが、ほんとうに自由の身になったと感じながら大きく息を吸い、せま い鳥籠(とりかご)から飛び出してきたように手足をのばした。彼は昼からという もの、歩き続けだった。クニットリンゲンでパンを買い、早春のまばらな若枝ごしに、夜 の闇や、星や、流れ過ぎてゆく雲を見上げながら、ときどき少しずつパンをかじった。お しまいにどこへ行きつくかなどということはどうでもよくなっていた。少なくとも今は、 憎たらしい修道院を抜け出して、校長に、命令や禁制よりも自分の意志のほうが強いのだ - 55 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] というところを見せてやったのだ。
 次の日も、一日じゅう、むなしく彼の捜索が続けられた。二日めの夜を、彼は村の近く の、畑に積んである藁束(わらたば)の間で過ごした。朝になるとまた森にはいり 、やっと晩方近くになったので村に行こうとしたところを、駐在につかまった。駐在はな れなれしい冗談をあびせながら、彼を保護して村役場に連れて行った。そこでは、彼はう まいことや気のきいたことを言って、すっかり村長の気に入られてしまった。村長は彼を 自宅に連れ帰って泊めてやり、寝る前にはハムと卵をたっぷりあてがってくれた。翌日、 その間にかけつけてきた父親が彼を迎えに来た。
 脱走者が連れこまれたときの修道院の興奮はたいへんなものだった。しかし彼は肩をそ びやかしたまま、自分の小さな天才旅行を、いささかも後悔する様子はなかった。謝罪す るように要求されても、彼は拒否し、中世秘密裁判さながらの教官会議に喚問されても、 ぜんぜん恥ずかしがらず、かしこまりもしなかった。学校側は、彼を追い出す気はなかっ たが、これでは許しようがなかった。放校処分となり、夕方、父と共に、もう二度と帰ら ぬ旅路についた。親友ギーベンラートとは、握手をして別れを告げることしかできなかっ た。
 今回の反抗と堕落を示す異常な大事件に対して、校長がながながと行なった訓辞は、美 辞麗句に飾られた感動的なものだった。しかしシュトゥットガルトの上司へあてた報告書 のほうは、ずっと穏やかで要領よく事実をまとめた、弱い調子で書かれていた。生徒たち は、退校したこのどえらい男と文通することを禁じられたが、それを聞いても、むろんハ ンス・ギーベンラートはただ微笑んでいた。数週間の間は、話題といえば、ハイルナーの ことと、彼の脱走のことばかりだった。遠く離れていたり、時がたってゆくと、それにつ れて皆の判断も変わってきた。ひところは、びくびくしてつきあいを避けていたあの脱走 者を、後になると飛び去った鷲(わし)のように見送るものもかなりあった。
 ヘラス室には、持ち主のない机が二つできた。あとからいなくなったものは、先にいな くなったもののようにすぐ忘れられるということはなかった。ただ校長に言わせれば、ふ たりめのほうもなんとかひっそりおさまってくれたとわかれば、そのほうがありがたかっ たろう。しかしハイルナーは、べつに修道院の平和をかき乱すようなことは何もしなかっ た。親友のハンスは待ちに待っていたが、彼からは、一通の便りも来なかった。彼は立ち さり、消息はよう(・・)として消えた。彼の人物のことや、脱走の話は、しだい に物語の形をとり、ついには伝説になっていった。この情熱的な少年は、後に数々の天才 的奇行や錯誤を重ねた末、人生の苦悩にきびしく鍛えられて、ついに英雄とは言えないま でも、立派な人物になったのである。
 あとに残されたハンスは、いつまでもハイルナーの脱走を知っていたはずだという 嫌疑(けんぎ)をかけられていた。そのために、先生たちからは、まるで好意を持 たれなくなってしまった。教師のひとりは、彼が授業中、いくつかの質問に答えられなか ったとき、「なぜご親友のハイルナーといっしょに逃げだしてしまわなかったんだね」と 言った。
 校長は彼を見放し、パリサイびとが収税吏(しゆうぜいり)を見るときのような 、さげすみをたたえたあわれみの目つきで、彼を傍観していた。もうギーベンラートは、 生徒の数のうちにははいらなかった。のけものの癩病(らいびよう)やみの一族だ った。 第五章

 溜めこんでおいた食糧で生命をつなぐハ ム ス タ ーのように、ハンスも以前に貯えて おいた知識でしばらくは持ちこたえていた。そのうちみじめな耐乏(たいぼう)生 活が始まった。思い出したように、またお粗末なにわか勉強を始めて一息つくこともあっ たが、そんなことをしたって救われようがないということは、自分でもよくわかっていて おかしいぐらいだった。いつかむだな骨折りも止めてしまった。モーゼの五書に続いてホ - 56 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ーマーを放棄し、クセノフォンの次に代数をほうりだした。そして先生たちの間での自分 の評判が、だんだんに下落していって、優から良へ、良から可へ、最後にはゼロに下がっ ていくのを、平気で眺めていた。近ごろまたぶり返して持病のようになってしまった頭痛 が、たまにやむときには、ヘルマン・ハイルナーのことを思ったり、過去の人々にみつめ られる浅い夢を追ったりして、なにか考えるというのでもなく、長いことただぼんやりと 過ごした。どの先生にも叱られることが多くなってきたが、このごろでは叱られても、気 のよさそうな卑屈(ひくつ)な微笑で答えるのだった。しんせつな若い先生である 助教師、ヴィードリッヒだけは、ハンスのどうしようもない微笑に心を痛め、軌道からは ずれてしまった少年を、同情していたわってくれた。あとの先生はみな彼にひどく腹をた て、軽蔑するように彼を相手にしないという手段で罰したり、ときには皮肉で彼を刺激し て、眠りこんでしまった各誉心を醒(さ)まそうとするのだった。
「ただいまお眠りでなかったら、この文を読んでいただけないでしょうか?」というぐあ いだった。
 いちばん憤慨していたのは校長だった。虚栄心の強い彼は、自分の眼光には力があると 思いこんでいたので、自分が威風堂々とおどかすようにぎょろりと目をむいても、ギーベ ンラートがいつでも例のように卑屈な恐れ入った微笑をもって答えるので、そのたびに自 制を失い、しだいにこの笑いに挑発されるようになった。
「そんな底ぬけの愚かな顔で、にやにやするのはやめたまえ。君はほんとなら大声で泣か なきゃいかんとこだぞ」
 それよりずっとこたえたのは、父親からの手紙だった。まったくびっくりした父は、ハ ンスにどうか改心してくれと嘆願してきたのだ。校長が父兄のギーベンラート氏に手紙を 書き、それを読んだ父はただおろおろと驚きあわてるばかりだった。ハンス宛の父の手紙 は、この実直な男が、手持ちの言葉を総動員して、激励と、道徳的な怒りのきまり文句を 並べたてたものだったが、ときどきそのつもりでないのに、泣きごとめいた愚痴になって しまっているところがあり、そのほうが息子にはつらかった。
 校長から父のギーベンラート、教授たちや助教師たちにいたるまで、おしなべてこうし た自分の義務に熱心な少年の指導者たちは、ハンスの中に、自分たちの願望の邪魔になる もの、かたくなで怠惰(たいだ)なものをみとめ、そういうところは強制して、力 づくでも正道に戻さなければならないと思っていた。たぶんあのしんせつな助教師は別だ ろうが、あとはだれひとりとして、ほっそりした少年の顔に浮かぶどうしようもない微笑 の背後に、滅びつつある魂が苦悩し、いまにもおぼれそうになっておびえ、絶望しながら 、自分のまわりを見まわしているのがわからなかった。学校と父親や、二、三の教師の野 蛮きわまる名誉心が、傷つきやすい少年を、こんなにしてしまったとは、だれも考えもし なかったのだ。なぜ彼が、いちばん感受性が強くて危険な少年時代に毎日夜中まで勉強を しなければならなかったのだろうか? なぜ彼から兎をとり上げ、ラテン語学校では、故 意に友だちからひき離し、彼に釣や散歩を禁じ、精魂をすりへらす、けちくさい功名心か ら出た空虚なくだらない理想を植えつけなければならなかったのか? なぜ試験のあとで さえ、当然与えてしかるべき休暇を許してやらなかったのだろう?
 いまや酷使された小馬は、途中でへたばってしまい、もう使いものにならなくなってし まったのだ。
 夏の始まるころ、郡の嘱託医はもう一度、これは主として成長が原因でおこる神経衰弱 だと説明した。ハンスは、休暇中は十分食べ、森をうんと歩きまわって養生するようにす れば、きっとよくなおるだろうと言われた。
 残念ながら、そこまでいかなかった。まだ休暇まで三週間もあるというとき、ハンスは ある午後の授業で、教授からこっぴどく叱られたのである。先生がまだどなり続けている うちに、ハンスは椅子にのけぞってしまい、おびえたように震えだして、突如、泣きじゃ くりを始めていつまでもやめず、それで、授業はすっかり中断されてしまったのだ。それ から彼は半日ベッドに寝ていた。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  その翌日、数学の時間に、黒板に幾何の図形を描いて、その証明をするように言われた 。前へ進み出たが、黒板の前で目まいがした。チョークと定規で黒板にでたらめを描いて いるうちに、ふたつとも落としてしまった。拾い上げようとして、身をかがめたが、その まま床に膝をつくと、もう立てなくなっていた。
 郡の嘱託医は、自分の患者が馬鹿な騒ぎをおこしたので、かなり腹をたてた。彼は用心 深い言いかたをして、すぐに休養の休みをとって、神経科の医者に診てもらうようにすす めた。
「あの子はそのうち舞踏病(ぶとうびょう)になりますよ」と、彼は校長にささや いた。校長はうなずきながら、自分の顔を、とりつくしま(・・)もないような怒 った表情から父親らしく気づかっている表情に変えたほうがぴったりするな、と考えた。 顔を変えることはわけなくできたし、この顔もなかなか似合うのであった。
 校長と医者は、それぞれハンスの父親に手紙を書き、それを少年の懐(ふところ )に入れてやると、うちへ送り帰した。校長の怒りは深刻な憂慮に変わった――。せんだ ってのハイルナーの一件でも心穏やかでなかった学務当局は、この新たな不幸をどう考え るだろうか? 校長はこの事件にふさわしい訓辞をすることさえ見あわせてしまったので 、みんな意外に思ったが、帰る前などは、ハンスにも気味が悪いほど気さくな態度を見せ た。彼が静養の休暇から、二度と戻ってこないだろうということが校長にはよくわかって いた。たとえ全決しても、ただでさえすっかり取り残されてしまったこの生徒が、数か月 、いや数週間でも休んでしまえば、もう追いつくことは不可能だろう。校長は、はげます ようにやさしく「じゃまたな」と言って別れを告げたけれど、それから当分の間は、ヘラ ス室にはいって、空席になった三つの机を見ると胸苦しくなり、才能に恵まれたふたりの 教え子がいなくなった罪の一部は、もしや自分にあるのではなかろうかという考えを、押 さえつけるのに苦労したものだった。しかし、なにしろ勇ましい、道徳堅固(けん ご)な彼のことだから、こんな役にもたたぬ暗い疑念は心から追い払うことができたので ある。
 小さな旅行鞄(かばん)をさげて、旅立っていくこの神学生の背後に、教会や、 門や、破風(はふ)といっしょに、修道院全体が消えてゆき、森や丘陵も姿を没し て、そのかわりに、バーデン州の境界の実りゆたかな樹の生い茂った草原が現われてきた 。それから、プフォルツハイムの町が見え、すぐその後ろからシュワルツワルトの青ぐろ いモミの山々がはじまった。無数の渓谷に区切られ、暑い夏の日ざしを浴びたモミの山々 は、いつもよりいっそう青々と涼しそうで、木陰を忍ばせていそうだった。少年は、変化 しながらしだいに故郷らしい姿を帯びてくる風景を眺めていると楽しくなってきた。しか し、故郷の町が近づき、父親のことを思い出すと、自分がどんな出迎えかたをされるだろ うという胸苦しい不安がおこってきて、せっかくのささやかな旅の喜びもすっかり台なし になってしまった。シュトゥットガルトヘの試験を受けに行った旅行のこと、入学にマウ ルブロンヘ出発した旅のことなどが、もう一度あのときの緊張と不安な喜びもそのままに 心の中によみがえってきた。いったい、こういうことはなんのためだったのだろう? 彼 自身も校長と同じように、自分が二度と戻ることはなく、神学校も学問も、すべての野心 に満ちた期待もすっかりおしまいになったということを承知していた。それでも今はその ことがちっとも悲しくはなくなっていた。ただ、期待はずれでがっかりした父親を恐れる 気持ちが、彼の心を重苦しく押しつけていたのだ。今の彼ののぞみといえば、ただもう休 息し、十分に眠ったり、泣いたり、夢をみたりして、あれだけ苦しめられたあとだから、 少しはほっておいてもらいたいということだけだった。それでうちに帰っても父といっし ょでは、とてもこんなわけにはいかないのではないかと心配だった。汽車の旅が終わりに 近づくと、ひどい頭痛に見舞われ、せっかくいま、汽車がむかしあんなに夢中になって歩 きまわった丘や森の見える彼の大好きな土地を走っているというのに、もう窓から外を眺 めもしなかった。それでいちばんよく知っているはずの故郷の駅で下車することさえ忘れ るところだった。
 彼が傘と旅行鞄をさげて駅に降りると、パパはその姿をじろじろ見ていた。校長の最後 の報告を受けてからは、父のできそこないの息子に対する幻滅(げんめつ)と腹だ たしさは、取り乱すほどの驚きに変わっていたのである。彼は、すっかり衰弱して見るも 悲惨なハンスの姿を想像していたが、いま見てみると、やせて弱ってはいるが、まだ結構 - 58 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 元気そうで、ちゃんと歩けもするので、いくぶん安心した。しかしいちばん厄介なのは、 医者と校長が書いてよこした神経の病気というやつに、まだ心の中では不安と恐怖を抱い ていることだった。彼の家系はいままで神経病患者などを出したことはなかった。こうし た病人のことを話すときには、まるで精神病院の患者扱いにして、いつも無理解なあざけ りや、軽蔑するような哀れみでかたづけていたのだ。ところが今度は、ハンスがそういう 種をもらってうちへ帰ってきたのだ。
 初めの日は、叱られもせずに迎えられたので、少年はうれしかった。そのうちに父が自 分を腫物(はれもの)にさわるように遠慮していたわっているのが目についてきた 。父が無理してそうしているのがはっきりわかるのだった。ときには、また父が、妙に探 るような目つきで、うす気味の悪い好奇心を持ちながら、自分をみつめていたり、調子を やわらげた猫なで声で話しかけたり、気どられぬように自分を観察しているのにも気がつ いた。ハンスはますますびくびくするようになるばかりで、自分の状態が、ほんとうに悪 いのだろうかというばくぜんとした不安が彼を悩ましはじめた。
 天気のよい日などは、戸外の森の中で長いこと横になっていると、気持ちがよかった。 ここにいると、ときどき、かつての少年時代の幸福感のかすかな反映が、彼の傷ついた魂 にさすことがあった。それは花や虫を見たり鳥のなき声に耳を傾けたり、動物の足 跡(あしあと)をつけていったりしたときの嬉しさだった。しかしいつもほんの一瞬でそ れも消えてしまう。たいてい彼は、ものうそうに苔にねそべって重い頭をかかえ、何かを 考えようとしても、結局は何も考えられぬうちに、また夢が訪れて、彼を遠く別の世界に つれていってしまうのだった。
 あるとき彼はこんな夢をみた。担架の上に親友ヘルマン・ハイルナーが死んで横たわっ ているのを見た。それで彼のほうへ近づこうとすると、校長や先生たちが、彼を押し返し て、なんべん近づいても、その度にひどく横びんたを食らわされるのだった。神学校の教 授や助教師たちばかりではなく、小学校の校長や、シュトゥットガルトの試験官もいっし ょで、みんな怒ってこわい顔をしていた、突然様子が変わると、担架の上は溺死( できし)したヒンズーが横たえられ、おかしなかっこうをした彼の父親が高いシルクハッ トをかぶり、がに股で悲しそうにかたわらに立っているのだった。
 またこんな夢もあった。森の中を、脱走したハイルナーを捜索して走っている。遠くの 木々の間を歩いて行くハイルナーが何度も見えた。そこで彼の名を呼ぼうとすると、その とたんにいつも彼の姿は消えてしまうのだった。おしまいにやっとハイルナーは立ちどま って、彼を近づかせるとこう言った。「君、ぼくには恋人がいるんだ」それから途方もな い高笑いをすると、やぶの中に姿を消してしまった。
 ひとりの美しい、やせた男が舟から降りるのが見えた。静かな神々しい目と、美しい、 平和をたたえた手を持っている。ハンスは彼めがけてかけよった。そこですべて光景がま た消えさってしまい、彼は、あれはなんだろうと考えた。そのうち「人々ただちにイエス をみとめて、はせまわりぬ」という福音書の一節が頭に浮かんできた。すると、彼はπε ριεδραμον(ペリエドラモン)という動詞がどういう変化をしたか、その現在、 不定法、完了形、未来形がどんな形だったかを思い出そうとしてしまうのだった。それを また単数、双数、複数にすっかり変化してみなければすまなくなり、すらすらと言えなく なると、おそろしくて、冷や汗がでてくるのだった。やっと我にかえると、頭の中が傷だ らけのような気がした。ひとりでに顔がゆがみ、あきらめと罪の意識のこもったあの眠そ うな微笑を浮かべると、たちまち「その馬鹿みたいな笑いはいったいどういう意味だ?  この段になってまだ笑わなきゃならんのか!」という校長の声が聞こえてきた。
 比較的気分のいい日がなん日かはあったが、全体的にみると、ハンスの容態(よ うだい)は、少しもよくなっていかず、むしろ悪化をたどるいっぽうのようだった。以前 母がかかりつけで、死亡証まで書いた主治医が、ちょっと痛風の気がある父をときどき診 察しにきたが、ハンスのことではいやな顔をし、自分の意見をいうのを一日のばしにして いた。
 ようやくこのころになってはじめて、ハンスは、ラテン語学校の最後の二年間というも のは、自分にはだれも友だちがいなくなっていたことに気がついたのだった。当時の同級 - 59 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 生たちのあるものは故郷をはなれ、あるものは徒弟になってかけまわっているようだった が、ハンスはそのだれともつきあってはいなかった。彼自身もだれも求めようとしなかっ たし、むこうもハンスを構おうともしなかった。二度ほど、昔の校長先生が二言三言、し んせつな言葉をかけてくれた。ラテン語の先生や、町の牧師も、往来で彼に会うと親しそ うに会釈(えしやく)してくれた。しかしその人たちにも、ほんとうはもうハンス のことなどどうでもよくなっていたのだ。ハンスはもう、いろんな知識を詰めこんでやれ る容器でもなく、さまざまな種を蒔ける畑でもなくなっていたのだ。こんな彼に時間や、 気づかいをつぎこんでも、どうせ酬(むく)われっこはないのだ。
 町の牧師がもう少し彼の面倒をみてやっていたら、あるいはよかったかもしれない。だ が彼にいったい何ができたろう? 彼がひとに与えうるものといえば、学問か、そういっ て悪ければ少なくとも学問への探求心なのであり、それはもうあのころ、少年にすっかり 与えてしまっていたのだ。それ以外には彼には与えられるものはなかった。牧師の中には 、ラテン語となると、ひとが疑念を抱くのが当然という程度の力しか持たず、説教といえ ば、だれでも知っている原典しか引用できないが、しかし、いっさいの苦しみに対してな ら、しんせつなまなざしとやさしい言葉を持ちあわせているため、不幸なときには、だれ でも相談に行きたくなるというタイプがある。しかし彼はそういう牧師ではなかった。父 親のギーベンラート氏も、ハンスに幻滅(げんめつ)した腹だたしさを、できるだ け隠そうとはしていたが、ハンスの友人にも慰め手にもなれる人ではなかった。
 そういうわけで、ハンスは自分が見捨てられ、嫌われているように感じ、小さな庭の陽 だまりにすわったり、森に寝ころがって、夢想や、悩ましい思いにふけっていた。読書は 役にたたなかった。本を読むときまってすぐ頭と目が痛くなり、どの本をとって開いてみ ても、すぐに、修道院時代やそこでの不安な感情の亡霊がよみがえってきて、息づまるよ うな胸苦しい夢の片隅へ彼を追いこみ、燃えるようなまなざしで彼をそこにしばりつけて しまうのだった。
 
 この苦悩と孤独の中で、別の亡霊が、いつわりの慰め手として病める少年に近づき、し だいに彼と親しくなり、彼に必要なものになっていった。それは死への思いであった。銃 砲のたぐいを手に入れたり、森のどこかで縄を輪にこしらえてつるすのはたやすいことだ った。ほとんど毎日この思いが、どこへ行っても彼についてまわった。彼は、ひっそりし た場所をいくつか下見しておいて、とうとう気持ちよく死ねそうな場所を見つけ出し、そ こを死に場所と決定した。それから何度もそこへ出かけて行ってすわりこみ、いつか自分 が死体となって発見されることを想像すると不思議な喜びを覚えるのだった。縄をつるす 枝もきめていてその強さをたしかめ、もうこれでなんの障害もなかった。すこしずつ間を おきながらではあるが、父への短い手紙、ヘルマン・ハイルナー宛(あて)の長い 手紙が、だんだんと書かれていった。この手紙は、彼の死体のかたわらに発見されるはず であった。
 こうしていろいろな準備をし、はっきり気持ちをきめてしまうと、その影響で、心がす っかり楽になった。この因縁(いんねん)となる枝の下で何時間もすわっていると 、彼の胸のしこりもすっかりとれて、ほとんど喜ばしい快感のような気分に襲われた。
 なぜずっと前に、あの枝にぶら下がってしまわなかったのか、彼は自分でもよくわから なかった。覚悟はきめていたし、死はもう決まったことだった。当分の間はこの状態でよ かった。遠い旅立ちを前にした人がよくするように、彼もこの最後の数日に美しい陽光と 孤独な夢想を味わいつくすことをわざわざやめることはなかった。旅立つことはいつでも できるのだ。手はずはすっかり整っていたのだ。もうしばらくの間、これまでの環境の中 にいて、自分の危険な決意を夢にも知らない人々の顔をのぞいてやることも、彼からみる となかなか変わった意地の悪い喜びだった。例の医者に会うたびに、こう思わずにはいら れなかった。「まあ、いまに見てろ!」
 運命は、彼が自分の抱いているこの不吉な計画を楽しむようにはからい、彼が死の 杯(さかずき)から快楽と生命力の数滴を味わうところを眺めていた。運命はこん な骨抜きにされた少年のことなどたいして意にも介していなかっただろうが、それでも、 この少年はまず人生を一応は完結しなければならず、人生の苦い甘美さを味わう前に、運 - 60 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 命の定めた筋書きを勝手に放棄してはならなかったからである。
のがれがたい苦しい思いは少なくない。そのかわりに、なるようになれという疲れきった 気持ちと苦痛のないものうい気分が訪れた。ハンスは、ぼんやりと月日が過ぎていくのを 眺め、平静に青い空を見つめた。ときにはそのさまは夢遊病者か子供のようだった。ある ときけだるいぼんやりした気分になって、庭のモミの木の下に腰をおろしていながら、ち ょうど頭に浮かんできたラテン語学校時代に覚えた古い詩の文句を、自分では無意識に、 くりかえし、くりかえし口ずさむのだった。


ああ、とても疲れちまったおれ
ああ、力もつきはてちまったおれ
財布は無一文
ふところも無一文


 彼はこの詩句を古いメロディーに合わせて口ずさみ、二十ぺんめを歌いはじめたときも 、何も頭に浮かべてはいなかった。窓のすぐそばにいた父親は、これを聞きつけて、ひど くショックを受けた。無味乾燥な男である彼は、ぽかんとして調子のいい愚かな歌を放歌 することなどまったく理解のかぎりではなかったのだ。深いため息をつきながら、彼はこ れは治しようのない精神薄弱の徴候だと考えた。それ以来、彼はますます気味悪そうに少 年を観察するようになり、少年はもちろんそれに気づいて、つらい思いをするようになっ た。だがまだ縄を持って行って、あの強い枝を使うところまではいかなかった。
 そのうちに、いつか暑い季節が訪れた。あの州試験とそのあとの夏休みからもう一年た ったのだ。ハンスはときにはそのことを思い出したが、格別胸のさわぐこともなかった。 もうかなり鈍感(どんかん)になっていたのだ。できることならまた釣をはじめた かったのだが、父にお願いをする勇気はなかった。川べりに立つと、もう苦しさに責めら れ、ときにはだれにも見られる恐れのない岸辺で長いことたたずんだまま、音もなく泳い でいく黒い魚のあとを、熱っぽい目で追うこともあった。夕暮れになると、毎日足をのば して上流のほうへ泳ぎに行った。そういうときは必ず視学官ゲスラーの小さな家のそばを 通ることになり、偶然に三年前夢中になったことのあるエンマ・ゲスラーが家に帰ってき ているのを発見した。好奇心にかられて彼は、彼女のあとを二、三度追ってみたが、昔ほ ど気に入らなかった。あのときは、手足もほっそりした上品な少女だったが、今では大き くなって、身のこなしもぎくしゃくし、子供らしくないモダンな髪の結(ゆ)い方 が、彼女を台無しにしていた。裾の長い服は似合わず、レディーらしく見せようとする努 力は致命的に失敗だった。ハンスは彼女を滑稽だと思ったが、その反面、あのころ、彼女 を見るたびに、自分が不思議に甘くて暗く、暖かい気持ちになったことを思い出すとつら くもなるのだった。とにかく――あの当時はすべてのものが今とは違っていた。もっとず っと美しく、明るく、生き生きとしていたのだ! もうずっと前から、彼はラテン語、歴 史、ギリシア語、試験、神学校、それに頭痛のことしか知らなくなっていたのだ。あのこ ろは、童話や、盗賊(とうぞく)物語の本があった。庭には自分で工作した杵 (きね)つき水車がまわっていたし、夕方には、ナショルトのうちの入り口にはいる道で 、リーゼの話す冒険物語に聞きいったものだ。そのおかげでしばらくは、ガリバルディと いうあだ名の隣のヨハンじいさんを強盗殺人犯と思いこんで、彼の夢を見たりした。また 一年じゅう、どの月にも何かしら楽しいことがあった。干し草つくり、クローバー刈り、 禁猟のあとの魚釣やザリガニ捕り、ホップのとり入れ、李(すもも)落とし、じゃ がいも畑を焼く火、脱穀(だつこく)のはじまり、しかもその間に特別な楽しみの 日曜や祭日がはいってくるのだった。そのほかにもあの当時は、彼の心を不思議な魅力で ひきつけるものがたくさんあった。家や小径(こみち)や、階段や、穀物倉( こくもつぐら)の屋根裏部屋、井戸、垣根、あらゆる種類の人間や動物などが、みんな好 ましくなじみ深かったり、不可解に彼の心を誘ったりするのだった。ホップ摘みのときは 、彼もいっしょに手伝って、大きい娘たちの歌に聞きほれ、歌の文句を覚えてしまったり した。その文句はたいていはふき出してしまうほど滑稽だったが、なかには、聞いている だけでものどがぎゅっしと締めつけられるような気がするほど奇妙に悲しいのもあった。
 こうしたすべてのものが影をひそめ、おしまいになってしまったのだが、当時は、すぐ それには気がつかなかった。まずリーゼのところで夕方を過ごすことがやめになり、日曜 - 61 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] の午前に出かける魚釣にも行かなくなり、それから童話も読まなくなるという具合にひと つまたひとつと重なって、ホップ摘みや庭の杵つき水車にいたるまで、おしまいになって しまった。ああ、ああいうものはみんな今はどこに行ってしまったのだろう?
 こうしてこの早熟な少年は、いま病の日々を送るうちに、現実ならぬ第二の幼年時代を 体験することになった。子供の時代をすっかり奪われていた彼の心は、突然激しく湧きだ した憧れをこめて、美しい物心のつかぬあの年月へもう一度逃避し、魔力に魅せられたよ うに、追憶(ついおく)の森をさまようのだった。その追憶の強さと明瞭さは、お そらく病的なものだったろう。こうしたすべてのものを彼は以前現実に体験したときにも 劣らぬ暖かさと熱情をもって追体験したのだ。これまでだまされていいなりに抑制されて いた子供心が、長い間せき止められていた泉のように、彼の胸にわき出したのだ。
 木というものは、梢を切り落とされると、えてして根もとの近くに新しい芽をふき出す ものだが、青春のさかりに病を得てくじけた魂は、人生をはじめる幼いころと、未知の希 望に胸をふくらませていた子供時代のあの春のような時期にかえってゆき、そこに新しい 希望を見つけ、断ちきられた生命の糸をもう一度つなげるように思いこむのである。こう して根もとに生えた芽はみずみずしく急速に成長してゆくが、しかしそれは外見だけであ って、決して樹木になることはないのだ。
 ハンス・ギーベンラートの場合も、それと同じことだった。だからこそ、夢の中で、子 供の国をめぐってゆく彼のあとを少し追ってみる必要があるのだ。
 ギーベンラートの家は、古い石橋の近くにあり、まったく種類の違う二つの道路の角に なっていた。このうちの町名になっているほうの通りは、町じゅうでいちばん長く、広い 立派な道路で、「ゲルバー通り」と言われていた。もういっぽうの通りは、急な登り坂に なっていて、短くて幅もせまく、みすぼらしく《鷹屋(たかや)》小路と言うのだ った。通りの名は鷹を看板にした、もうとっくに廃業している古い料理屋に由来するもの だった。
 ゲルバー通りには軒なみに、町の古顔である堅気(かたぎ)な良家の市民ばかり が住んでいた。みんな自分の家と墓地と庭とを持つ連中だった。庭は急勾配(こう ばい)で、階段状に上って行く裏手の山に続き、その垣根は黄色いエニシダの繁茂 (はんも)する一八七〇年に構築された鉄道土手(どて)と接しているのだった。 住む人の人品(じんぴん)にかけては、ゲルバー通りと張り合うことができるのは 町の広場だけであった。ここには、教会、郡庁、裁判所、町役場、牧師官舎などが並び、 きちんととりすました威厳を見せながら、都会的で上品な印象を与えていた。ゲルバー通 りのほうは、公的な建物はいっさいなかったが、立派な門構えのある新しい家や古い家、 美しい古風な木組みをあらわに見せた家々、感じのよい明るい光を受けた破風(は ふ)などが見られるのであった。この通りは片側にしか家が並んでいない。そのために親 しみと心持ちよさと明るさがたっぷり与えられていた。通りの反対側は、角材の手すりの ついた胸壁の下を川が流れているのであった。
 ゲルバー通りが長く、広く、明るくて、ゆったりと上品だったとすれば、《鷹屋》小路 はその反対だった。ここには、傾きかけた日のあたらない 家々が 並 び、しっくい (・・・・)はしみだらけで、ぼろぼろになっているし、破風は前に傾き、ドアや窓は、 あちこちが割れて、つぎがあたっている。煙突はひしゃげ、雨樋(どい)はこわれ ていた。家々は互いに場所と採光を奪い合い、路地はせまく奇妙に曲がりくねって年じゅ う薄暗がりにとざされていたが、雨の日や、日没後ともなれば、じめじめした暗闇に変わ ってしまうのだった。どの窓からも、竿や紐に、いつもたくさんの洗濯物がつるしてあっ た。それは、こんなに小さくて、みじめな路地なのに、間借人や宿泊人を数に考えないで も、いいかげんたくさんの家族が住んでいたためである。傾きかかった古ぼけた家に、す みからすみまでぎっしりと人間が住まっていて、貧困、罪悪、病気がそこの同居人であっ た。チフスが発生すれば、いつもここだったし、人がなぐり殺されたといえば、やっぱり ここだった。町で盗難があると、まっさきに《鷹屋》小路が捜査された。押し売りはたい ていここに宿をとった。そういう連中の中に滑稽な磨き粉売りホッテホッテや、あらゆる 犯罪や罪悪の経験者だと噂されていた鋏研(はさみと)ぎ屋のアダム・ヒッテルな どがいた。 - 62 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]

 小学校のはじめごろには、ハンスもよく《鷹屋》小路へ遊びに行った。ぼろを着た白茶 けた金髪の子供たちのあやしげな一団といっしょに、悪名高いロッテ・フローミュラーの 人殺しの話も聞いた。この女は、小さな宿屋の亭主と別れた女で、五年の懲役(ち ようえき)をつとめあげていた。昔は美人として聞こえており、職工たちの中にたくさん の愛人を持ち、スキャンダ ル や、刃 傷(にんじょう)沙汰(ざた)の火元 になっていた。いまはひとり暮らしをしていて、工場がひけたあとの晩方の時間は、コー ヒーをわかしたり、話をしてやったりして過ごしていた。そういうときにはドアをあけ放 しにしておくので、女房たちや若い労働者たちのほかに、いつも近所の子供たちが敷居の あたりにむらがって、うっとりしたりぞくぞくしたりしながら、彼女の話に聞きほれてい た。黒い石のかまどにかかった鍋の中ではお湯が沸き、そのそばには脂蝋燭(あぶ らろうそく)が燃えていて、青い石炭の炎といっしょに無気味にゆらぎながら、人でいっ ぱいのうす暗い部屋を照らし、聞き手の巨大な影を壁や天井に映し出して、妖怪じみた動 きをさせるのだった。
 八歳の少年ハンスが、フィンケンバイン兄弟と知り合いになったのもこの家だった。父 親が厳禁したのに、彼は約一年間もふたりと友だちづきあいをしていた。名前はドルフと エーミールといい、町いちばんのすれっからしの悪たれで、果物泥棒や、山林荒しのまね ごとでは名がとおり、数かぎりない早わざやいたずらにかけては、名人級だった。それだ けではなく、鳥の卵や、鉛の玉や、烏(からす)やむくどりや、兎の子などを売り つけて商売をし、禁止されているのに夜釣をし、おまけに町じゅうの庭という庭が、みん な自分のうちのようなつもりであった。なにしろ垣根の先をどんなに尖らせておいても、 塀にところ狭しとばかりガラスの破片を刺しておいても、この連中はわけもなく乗り越え てしまうのだった。
 《鷹屋》小路の住人で、とりわけハンスが仲よくつきあっていたのは、ヘルマン・レヒ テンハイルだった。この子はみなしごで、病身で早熟な、一風変わった子供だった。片足 が短かったので、いつも杖をついて歩かなければならず、往来での遊びには加わらなかっ た。からだはやせ、血の気のない病人特有の顔で、そんな子供のくせに、口許(く ちもと)がゆがみ、あごはひどく尖(とが)っていた。手先がとても器用で、特に 釣ときたら、その熱の入れかたはすさまじく、ハンスにもそれがうつったのである。その ころはハンスはまだ、魚釣の鑑札(かんさつ)を持っていなかったが、それでもふ たりで内緒で、人目につかないところで釣糸をたれた。猟が楽しみであるとすれば、周知 の通り、その最高の醍醐味は密猟である。びっこのレヒテンハイルは、ハンスに正しい竿 の切り方、馬の毛の編み方、糸の染め方、糸の輪の結び方、釣針の尖らせ方を教えてくれ た。それに天気をどうやって勘定(かんじよう)に入れたらいいか、水をどう観 察 す る か、ぬか(・・)で水を濁らしてみるやり方、正しい餌の選び方とつけ方も 伝授してくれたうえに、魚の種類の見分け方、釣り上げるときの魚の様子をみる呼吸、糸 をちょうどいい深さにたらしておくこつ(・・)なども教えてくれたのだった。言 葉を使わずに、ただ現場にいて実例を見せることだけによって、糸をたぐったりゆるめた りする瞬間の手さばきや、微妙な感覚を教えたのである。店に売っているきれいな竿や、 コルクの浮きや、てぐす糸や、そのほかのできあいの釣道具類のいっさいを、彼は頭から 軽蔑し、馬鹿にしていて、どんなこまかいところでも自分の手をかけてまとめあげた道具 でなければ、釣はできないものだということを、ハンスに信じこませたのである。
 フィンケンバイン兄弟とは、ハンスは喧嘩別れしてしまった。おとなしい片輪もののレ ヒテンハイルは、いさかいもせずに、ハンスをとり残していってしまった。二月のある日 、彼は貧しいベッドの中に手足をのばして、松葉杖を椅子にかけた着物の上において寝る と、そのまま発熱がはじまり、あっというまに静かに死んでいったのだ。《鷹屋》小路の 人々は、すぐに彼のことを忘れてしまったが、ハンスだけは、いつまでも彼をなつかしい 思い出の中にとどめていた。
 《鷹屋》の奇妙な住人の数は、彼の話ぐらいでつきるものではない。飲酒癖のために首 になった郵便配達人レッテラーのことだって、知らないものはなかろう。この男は、二週 間ごとにめちゃ飲みして、往来に酔いつぶれるか、夜中に騒動をひきおこすのであった。 しかし、ふだんは子供のように人がよく、たえず気のいい笑いを浮かべていたものだ。ハ - 63 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ンスに、卵形の容器から嗅(か)ぎ煙草をかがせてくれたり、折りがあればハンス のとった魚をもらって、バター焼きにして、昼飯によんでくれた。彼はガラスの目玉のは まっている剥製(はくせい)のハゲタカと、古めかしいダンス曲をかぼそいきれい な音で奏でる古風なオルゴール時計を持っていた。それにはだしででかけるときでさえも 、カフスボタンだけは必ずつけている老いぼれ機械工ポルシュのことだって、だれでも知 っていた。彼は寺子屋みたいに古めかしい厳しい村の学校教師の息子だったので、聖書半 分ぐらいと、ことわざや道徳的な格言などをしこたま暗記していた。だがそれも役にはた たず、白髪頭をしているくせに恥も外聞も忘れて、女と見れば色男ぶり、こりもせず泥酔 するのだった。少し酒がはいると、ギーベンラート家の角にある縁石(へりいし) に腰をおろして、通り過ぎる人の名前をいちいち呼びかけて、格言の大盤(おおば ん)ぶるまいをするのだった。
「ハンス・ギーベンラート二世、いい子だから、わしの言うことをお聞き! ジーラハは なんと言ったか? 悪しき忠言を与えしことなく、それ故心やましからざるものは幸いな り! 美しき樹木の緑の葉のうちには、落つるものもあり、生え出ずるものもあり。人の 運命もこれにひとしく、死するものもあれば、また生まれ出ずるものもありとくらあ!  さあもう帰りな、アザラシめ」
 このポルシュ老人は、彼の敬虔な金言とはいっこうに矛盾せずに、幽霊妖怪のたぐいに ついての怪しげなつくり話めいた実話を、無尽蔵(むじんぞう)に持っていた。彼 は幽霊が出没する場所を知っていたが、自分でも自分の話に半信半疑なのだった。たいて いの場合、彼は自分でもその物語を馬鹿にし、聞き手をからかっているようなふりをしな がら、疑わしげな、またことさら大げさになげやりな調子で話を始めるのだが、話してい くうちに、おそろしそうに身をすくめ、だんだん声を落としていって、おしまいには聞き 手の心に食い入ってくる、ぞっとするような低いささやき声になってしまうのだった。
 この貧しくて小さな路地に、どれだけたくさんの無気味なもの、見通しがたいもの、暗 く心をそそるものが隠れていたことだろう。ここにはまた、店が廃業になり、ほうりっぱ なしにされていた仕事場がすっかり荒れ果ててしまっても、まだ錠前屋のブレントレが住 んでいた。彼は半日は小さな窓辺にすわって、陰気な顔で路地のにぎわいを眺めて過ごし 、ときどき、ぼろを着たうす汚い近所の子供のひとりをつかまえると、さもうれしそうに 残酷にこづきまわし、耳や髪の毛を力まかせに引っぱったり、からだじゅうを青なじみに なるほどつねりあげるのだった。だがある日のこと、彼は亜鉛(あえん)の針金を 首に巻いて、階段にだらりとぶら下がっていた。その有様があまり気味悪くて、だれもそ ばに近寄ろうとする勇気はなかった。おしまいに、やっと機械工のポルシュ老人が、後ろ からブリキばさみでその針金を切ると、死体は舌をだらりとたらしたまま、前のめりに倒 れて、階段をどたどたところがってゆき、びっくり仰天(ぎようてん)した見物人 のまっただ中に落ちてきた。
 ハンスは、広くて明るいゲルバー通りから、暗いじめじめした《鷹屋》小路にはいるた びに、異様なむっとする空気をかぐと、わくわくするほどぞっとする胸苦しさに襲われた 。それは、好奇心と、恐怖と、良心のやましさと、うっとりするような冒険の期待がまじ りあった気持ちだった。《鷹屋》小路は、い ま な お荒唐無稽(こうとうむけい) な話や、奇跡や、前代未聞の恐怖が起こりうるただひとつの場所だった。そこなら魔法や 妖怪変化が信じられそうだし、ありそうだった。伝説や、いかがわしいロイトリングの通 俗本を読むときのように、快感を覚えるほど胸苦しい戦慄を感じることもできるのだった 。先生にとり上げられてしまったこういう本には、ゾンネンヴィルトレとか、皮剥ぎハン ネスとか、あいくちカルレとか、駅馬車ミヒェルというような得体のしれない義賊 (ぎぞく)や、重罪人や、いかさま師などの罪業や刑罰のことが、書いてあったのである 。
 《鷹屋》小路のほかに、もうひとつ、ほかのどんな所とも違った場所があった。そこへ 行くとちょっとした経験や見聞ができ、暗い屋根裏部屋や見馴れない部屋にはいると、珍 しさにわれを忘れてしまえるのだった。それは、近くの大きな鞣(なめし)皮工場 であった。古い大きな建物で、そこのうす暗い屋根裏部屋には、大きなけものの皮がぶら 下がっていて、地下室には、ふたのしてある穴や、通ってはいけない通路があり、夕方に なると、リーゼが子供たちに、すばらしいお伽話を聞かせてくれるのだった。ここの様子 - 64 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] は、向こうの《鷹屋》小路よりも、なにごとも静かに、親しみやすく、もっと人間らしか ったが、しかし異様な不思議さでは、まさるとも劣らなかった。鞣皮職人が穴の中や、地 下室や、皮鞣場や、鞣皮用の樹皮液の置き場や、土間などで立ち働く様子は、まったく風 変わりで、特別なものだった。大きなだだっ広い部屋部屋は、しんとして、なんとなく気 はひかれるが、薄気味も悪かった。たくましくて、がみがみ屋の主人は、まるで人食い人 種のようにこわがられ、恐れられたが、リーゼは妖精のようにこの奇妙な家の中を歩きま わり、すべての子供たちや、鳥や猫や小犬の保護者とも母親ともなり、善意に満ちあふれ 、お伽話や歌の文句をいくらでも持ち合わせていた。
 もう自分とは、とっくに縁遠くなっていたこの世界の中を、いま少年の追憶と夢が、さ まよっているのだった。彼は深い幻滅と絶望からのがれて、過ぎ去ったよき時代にさかの ぼっていったのだ。そのころはまだ希望に満ちあふれていた。目の前の世界が、ぞっとす るような危険や呪いのかかった財宝やエメラルドの城をその到達しえぬ奥底に隠している 、巨大な森のように立ちはだかっているように見えたのだ。彼はほんの少し、この広大な 森の中へわけ入ってみたが、奇跡があらわれる前に疲れきってしまった。いまふたたび、 あやしくほの暗い森の入り口に立ってはみたが、今度は締め出されたものとなって、行動 にはうつらない好奇心を抱いて眺めていただけだった。
 ハンスはまた二、三度《鷹屋》小路に行ってみた。そこは昔と同じようにうす暗く、昔 と同じように悪臭がただよい、狭苦しい部屋も、光のささない踊り場も以前のままだった 。家々の戸口には、相変わらず年とった男や女がすわっていて、うすよごれた、白茶色の 金髪をした子供たちが喚声をあげて走りまわっていた。機械工のポルシュは、またいちだ んと年をとり、もうハンスに気がつかず、遠慮がちに挨拶すると小馬鹿にしたような、ケ ケケケという声で答えただけだった。ガリバルディというあだ名だったヨハンじいさんは 死んでいた。郵便配達夫のレッテラーはまだ健在だった。悪童どもにオルゴール時計をこ わされたと泣き言(ごと)を言い、ハンスに嗅ぎ煙草をすすめておいてから、今度 は施(ほどこ)しをせびろうとするのだった。最後に、彼はフィンケンバイン兄弟 のことを話してくれた。ひとりは煙草工場で働き、もう一人前に大酒を飲み、もうひとり は教会の祭の市で刃傷沙汰を起こしてから逐電(ちくでん)し、ここ一年というも のは、だれも姿を見ないということだった。どれも憐(あわ)れな、悲惨な印象を 与えるものばかりだった。
 ある日の夕方、彼は鞣皮工場にはいってみた。この大きな古い建物の中に、彼の子供時 代が、取り上げられた喜びといっしょにしまってあるような気がして、彼は門からの道を 通って、しめっぽい中庭を抜けた。
 曲がった階段と、石畳の小さな入り口を通って暗い階段にたどりつくと、獣(け もの)の皮を広げてぶら下げてある土間まで、手さぐりで進んでいった。そこに行くと、 つんと鼻をさす皮の臭いといっしょにむくむくと湧き起こった思い出の雲を吸いこんだ。 また階段を降りて裏庭に行ってみると、そこには、皮を鞣すための樹皮液を入れる穴が並 んでいて、この樹皮かすの塊を干すための屋根つきの高い足場が組んであった。壁ぎわの ベンチには、やっぱりリーゼが腰かけていて、じゃがいも籠(かご)を前にして皮 をむいていた。何人かの子供たちが、彼女のまわりを取りまいて、話に聞き入っていた。
 ハンスは暗い戸口に立ち止まって、そっちに耳を傾けた。日の暮れかかる鞣皮工場の庭 は、大きな安らぎにつつまれていた。内庭の塀の向こうを流れている川の低いせせらぎの 音のほかには、リーゼがじゃがいもの皮をむくナイフの音と、彼女の物語の声しか聞こえ てこなかった。子供たちは静かにしゃがみこんで、ほとんど身動きひとつしなかった。リ ーゼは聖クリストフェルの物語の最中で、夜なかに川向こうから聖者を呼ぶ子供の声が聞 こえてくるくだりを話していた。
 ハンスはしばらく聞き入っていたが、やがてそっと暗い入り口をぬけてうちへ帰った、 彼は、自分がもはや子供にはなれないこと、また、夕方鞣皮工場で、リーゼのそばにすわ ることもできなくなっていることを思い知った。そしてそれから二度と鞣皮工場にも、《 鷹屋》小路にも近づかなかった。

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第六章

 秋ももう深まっていた。黒っぽいモミの森の中にちらほらと見える濶葉樹(かつ ようじゆ)は、紅葉して松明(たいまつ)のように黄や赤に明るく輝き、谷あいは もう濃い霧に閉ざされ、川は朝方は冷えこんでもや(・・)がたっていた。
 相も変わらず、青ざめた元神学生は、毎日戸外を歩きまわっていた。なにをする気もな く、ただただ疲れており、しようと思えばできないこともないわずかなつきあいさえ避け ていた。医者は点滴薬と肝油と卵と冷水摩擦をすすめた。
 もちろんどれをやってもききめがなかったのは、不思議ではない。健全な生活というも のには、必ず内容と目標がなければならないのだ。そしてギーベンラート二世には、まさ にそれが欠けていたのだ。このごろでは父親は、彼を書記にするか、職人仕事を習わせよ うと決心していた。なんといっても少年は、まだからだが弱っているから、まず何よりも 元気を快復させる必要があったが、それにしてももうそろそろ本気で身の振り方を考えて やってもいいころだった。
 はじめのころの、ひとを惑乱(わくらん)させてしまうような印象もようやくお さまり、自殺するなどという考えが、自分自身にも信じられなくなってくると、ハンスは 、興奮してたえず気の変わっている不安な精神状態から、しだいに単調な憂鬱症に変わっ ていった。やわらかい沼の底にひきずりこまれていくように、ゆっくりと無抵抗に憂鬱に ひきこまれていったのだ。
 彼は秋の田野(でんや)を歩きまわり、この季節の影響に完全に圧倒された。深 まってゆく秋、ひっそりと落ちてゆくわくら葉、褐色に変わってゆく草原、濃い朝霧、成 熟し、疲れ果てて生を終えようとする植物、こうしたものを見ていると、彼は病人のよう に、重苦しい絶望的な気分や、悲しい思いにかりたてられるのだった。こうしたものとと もに滅び、ともに眠りに就き、ともに死んでいきたいという願いを感じ、自分の青春が、 それにさからって静かにねばり強く生に執着しているのがつらかった。
 彼は、木々が黄葉し、茶色になり、丸坊主になっていくのを眺めていた。森からたなび いてくる乳色の霧を眺め、果実の最後の取り入れがすむと、もう命が消え果ててエゾギク が花の色もあせぬままにしぼんでいくのさえ、だれもふりかえろうとしない庭を眺めた。 水泳や釣の季節も終わり、枯れ葉におおわれ凍るように冷たい岸では、いまはもう辛抱強 い鞣皮職人が、がんばって働いているばかりの川辺を眺めた。この二、三日というもの、 川に果汁のしぼりかすがたくさん流れていた。醸造所の圧搾場(あつさくば)やそ こらじゅうの水車小屋で、果汁しぼりがいまやまさにたけなわで、町にも、通りという通 りにかすかに醗酵した果汁のにおいがただよっている時期だったからである。
 川下の水車小屋では、靴屋のフライクも小さなしぼり機を借りてきて、ハンスを果汁し ぼりによんでくれた。
 水車小屋の前庭には、大小とりどりの果汁圧搾機、車、果物のいっぱいはいった籠や袋 、手桶や桶、たら(・・)い(・)や樽、山と積まれた茶色いしぼりかす、木 製の挺子(てこ)、手押し車、空の荷車などがおいてあった。圧搾機は作業中で、 ぎいぎい、ぎいきいと呻(うめ)いたり悲鳴をあげたりした。圧搾機はたいてい緑 色のラッカーが塗ってあり、その緑が、黄褐色のしぼりかすや、りんご籠の角や、薄緑の 川や、はだしの子供たちや、澄んだ秋の太陽と混然一体となり、歓喜と生の喜びと豊かさ にあふれた印象によって、見るものの心をさそうのだった。すり潰されるりんごは、ぎゅ うぎゅうと音をたてて、甘酸っぱく食欲をそそった。ここまでやってきて、この音を聞い たら、すぐにもりんごを手に取ってかぶりつかずにはいられなかった。何本もの管から、 日光を浴びて笑いながら勢いよく、新鮮な甘い果汁が橙(だいだい)色になって流 れ出ていた。そばによってきてそれを見たら、だれだって、一杯もらってさっそく試飲し てみたくなってしまう。そしてそのままそこにたたずんで、目がしらに熱いものを感じな がら、甘く快い果汁の流れが、のどもとを過ぎてゆくのを感じるのだ。この甘い果汁は、 まわりの空気を楽しく強烈でこよない香りでいっぱいにしていた。この香りは、一年じゅ - 66 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] うでいちばんすばらしい、実りと穫り入れの精華なのである。迫りくる冬を控えて、この 香りを吸いこむのはいいことだ。そうしていると、たくさんのよいこと、すばらしいこと を、感謝をこめて思い出してくるからである。おだやかな五月の雨や、ざわめきをたてて 降る夏の雨、冷えびえとした秋の朝露、やさしい春の陽光や、ぎらぎらする暑い夏の太陽 、白や真紅に輝く花、取り入れ前の果樹のたわわな実り、熟した赤褐色の色つや、そして そのあい間には一年じゅうの時の流れが折々にもたらしてくれるすべての美しいもの、喜 ばしいものを、思い出してくるのである。
 だれにとってもこのころの日々はすばらしかった。金持ちや、成り上がり者さえ、この 日はご自身が出馬して、貧乏人の中にまじり、たっぷりと大きなりんごを手にとって重さ をはかったり、一ダースかそれ以上もありそうな袋の数を数えたり、携帯用の銀の盃で果 汁を毒味したり、自分の果汁には一滴の水もまざっていないとみんなに言ってまわったり した。貧乏人は、自分の果物をたった一袋しか持ってこないので、ガラスのコップや、瀬 戸物の器で味をみて、水を割ってふやしていたが、だからといって誇らしい、愉快な気分 に変わりはなかった。いろいろわけがあって、まったく果汁しぼりに一枚加われなかった 者は、知人や隣人の借りている圧搾機から圧搾機へと渡り歩いて、行く先々で一杯ついで もらったり、りんごを一つポケットにねじこまれたりしながら、けっこう通(つう )ぶった口をきいて、自分もなかなか隅にはおけないことを知らせようとするのだった。 たくさんの子供たちは、貧乏人の子も金持ちの子も一様に、小さな盃を持って走りまわり 、どの子もかじりかけのりんごや、パンの切れを手にしていた。昔からあまり意味もない 言い伝えがあって、果汁しぼりのとき、パンをしこたま食べておけば、あとで腹痛をおこ さないといわれていたからである。
 子供たちのくりひろげる騒ぎは、言わずもがなだが、それを別にしても、たくさんの叫 び声が入り乱れていた。どの声も、いそいそとのぼせて楽しそうだった。
「来いよ、ハンネス! おれんとこにさあ、せめて一杯(ぺえ)ぐらいやりなよ! 」
「おおきにありがてえが、もう腹いたがしてきてな」
「百ポンド(五十キロ)でいくら払ったかね?」
「四マルクだ。でもすてきな味だぞ、ほら、やってみなってば!」
 ときどきちょっと間の悪いことも持ちあがった。りんごの袋を早くあけすぎて、なかみ がみんな地面にころがり出してしまうのだ。「こん畜生、おれのりんごが! 手伝ってく れ、みんな!」
 みんな拾うのを手伝ってやった。ただ二、三の悪童どもは、拾いがけの駄賃(だ ちん)をせしめようとした。
「ちょろまかすでねえぞ、この野郎、食いたきゃいくらだって食わせてやらあ、だけどち ょろまかしちゃいけねえ。待て、小僧、すれっからしめ!」
「なあ、お隣さん、そんなにお高くとまることはねえ。まあ、ちったあやってみちゃどう だね!」
「蜜みてえだ! まったく蜜そっくりだよ。いってえ、どのくらいつくったんだね?」
「二樽だけだが、タネは上等なんだよ」
「真夏にしぼるんでなくてよかったなあ、夏だったらみんながぶ飲みして、あってえまに 、おしめえになっちまわあ」
 顔が欠けてはならぬ数人のうるさがたの老人が今年も来ていた。この連中は、もうずっ と前から、自分でしぼることはしなくたっていたが、なんでもよく知っていて、果実がた だのように手にはいった昔の時代のことを、話すのだった。何もかも今よりはるかに安く て、上等で、砂糖を入れるなどということはまるで知らなかった。だいたい果樹からして 、あのころは実のつきかたが、ぜんぜん違っていたというのである。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 「あのころならまだ穫り入れっていっても、うそじゃなかったな。わしもりんごの木を一 本持っていたが、一本で五百ポンド(二百五十キロ弱)落とせたもんだで」
 しかしそんなに時勢が悪くなったと言いながらも、うるさがたの老人たちは、今年もや っぱりたっぷりと毒味の手伝いをし、まだ歯のある連中は、みんなりんごをかじっていた 。ある老人などは、大きな西洋梨を無理に二つも三つも食べたので、ひどい腹痛をおこし た。
「うそじゃねえ」と、この老人はへらず口をたたいた。
「昔なら、こんなのを十も食ったもんだ」
 そして、うそいつわりでないことがわかる大きなため息をつきながら十個も大きな梨を 食べても、まだ腹痛を起こさなかった時代のことを思い出すのだった。

 雑踏の中へ自分の圧搾機を据えたフライク氏は、年上の弟子にも手伝わせていた。彼は バーデン地方からりんごを取り寄せたのだった。だから彼の果汁は、いつも最上等のもの だった。彼は心中ひそかに満足していて、「毒味」をするやつはだれでも拒まなかった。 彼よりもっと満足していたのは子供たちで、そこらじゅうをかけまわり、喜んで群集の中 を泳ぎまわっていた。しかし、いちばん満足していたのは、めだたないけれどじつは見習 いの徒弟だった。彼にはまた戸外で元気にからだを動かしたり、思いきって働いたりでき るのが、骨身にしみて快かったのだ。というのは、彼は高地の森の貧しい農家の出身だっ たからだ。この甘い果汁も彼にはじつにおいしかった。いなか者らしい健康な若者の顔は 、森の牧羊神(サチュロス)の仮面のように相好(そうごう)がくずれており 、靴屋仕事をする彼の手は、いつの日曜日よりも清潔になっていた。
 ハンス・ギーベンラートは、しぼり場にやって来たときは、口もきかずびくびくしてい た。もともと来たくてやってきたのではなかった。それでも、とっつきの圧搾機のところ にくると、もう、一杯の盃をさし出されたのだ。しかもすすめてくれたのはナショルトの リーゼだった。そこで毒味をした。飲みこんでみると、甘い強烈な果汁の味と同時に、昔 の秋の楽しい思い出が次から次と訪れてきた。それと同時に、もう一度、少しはみんなと 同じようにして愉快にやってみようというためらいがちの望みが起こってきた。顔見知り の者が話しかけて来たり、コップがさし出されたりした。そしてフライクの圧搾機のとこ ろまで来たときには、みんなの陽気な気分と飲み物が、彼をすっかりとらえてしまい、ふ だんとはがらりと人が変わっていた。彼は砕けた調子で靴屋に挨拶し、果汁しぼりにつき ものの冗談を二つ三つとばした。親方はびっくりしたが、それを顔には出さずに、愉快そ うに彼を招いた。
 三十分ぐらいたったとき、青いスカートをはいた娘がやって来て、フライクと弟子に笑 いかけ、いっしょに手伝いをはじめた。
「うん、そうそう」と、靴屋は言った。「これはハイルブロンから来ているわたしの姪な んだ。この娘の故郷(くに)じゃたくさんブドウがとれるから、やりつけている。 穫り入れももちろんここのとは違うんだよ」
 彼女はたぶん十八、九だったろう。低地の者らしく、こまめで朗らかで、背は高くなか ったがからだの均斉がとれ、肉づきがよかった。丸い顔にやどる暖かいまなざしを持った 黒い目と、キスしたくなるような、かわいい口は、快活で賢そうだった。どの点をとって もいかにも健康で陽気なハイルブロン娘らしく、信仰にこっている靴屋の親方の親戚とは どうしても見えなかった。どこを見ても、現世的な女で、その目は、夕に晩に聖書やゴス ナーの「珠玉(しゆぎよく)金言集」を読んでいるようには見えなかった。
 ハンスは突然悩ましい顔つきになり、エンマがすぐ行ってしまってくれたらいいと熱望 した。しかし彼女は立ち去る様子もなく、笑ったり、おしゃべりをしたり、冗談はみんな 軽くうけ流していた。ハンスは恥ずかしくなって、すっかり黙りこんでしまった。「あな た」と他人行儀(ぎようぎ)で呼びかけなければならない娘の相手をするのは、た だでさえやりきれないことなのに、この娘はまたひどく活発で、おしゃべりで、彼の存在 も彼の内気であることも、まるで気にかけてないときていたので、ハンスはどぎまぎし、 - 68 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 少し気分も害して、車輪にさっと一撫でされた蝸牛(かたつむり)のように、触角 をひっこめて殻の中にとじこもってしまった。彼はむっつりとして、退屈しているような ふりをしてみた。しかしそれもうまくゆかなかった。彼の顔は退屈しているようには見え ないで、たった今だれかに死に別れたような顔になってしまうのだった。
 だれもそんなことに気がついている暇はなかった。ご当人のエンマはなおさらのことだ った。ハンスが聞かされたところでは、彼女は二週間前からフライクのところにお客に来 ているというのに、もう町じゅうのだれとも顔見知りになっていた。相手の身分の上下は おかまいなしに、どこへでも顔を出して、新しい果汁を毒味し、冗談をとばし、ちょいと 笑ってはまたもどって来て、いっしょうけんめいに働いていたようなふりをし、いそいそ と子供を抱きあげてやったり、りんごを分けたりして、にぎやかな笑いや、陽気な気分を ふりまいていた。通りかかる子供たちに「りんごがほしい?」と呼びかけて、きれいな赤 いりんごを手にとると、両手を背中の後ろにまわして、「右か左か?」と当てさせた。で もりんごは子供たちの言ったほうの手にはあったためしがない。そこで子供たちが文句を つけだすと、やっとりんごを渡してやるのだった。がしかし、やるのはもっと小さくて青 いりんごだった。ハンスの情報も聞いているらしく、いつも頭痛がする人ってあなたのこ と、とたずねた。しかし彼がとっさに返事もできないでいると、もう彼女は、いつか近所 の人たちの会話の別の話に首をつっこんでいるのだった。
 ハンスはそろそろ逃げ出して帰ろうと思っていたが、フライクに梃子(てこ)を とらされてしまった。
「さあ、今度は少しやってもらうことにしよう。エンマが手伝ってくれるよ。わたしは仕 事場にもどらなくちゃならないんでね」
 親方は行ってしまった。弟子はおかみさんと果汁をうちへ運ぶ役を言いつけられていた 。ハンスはエンマとふたりだけで圧搾機のところに残った。彼は歯をくいしばって、がむ しゃらに働いた。
 なぜ挺子がこんなに重いのだろうと思って、目を上げてみると、娘が急に朗らかな笑い 声をあげて吹き出した。ふざけて反対に力を入れていたのだ。ハンスがぷんぷん怒って、 さらにひっぱると、彼女はもう一度同じことをするのだった。
 彼は一言もしゃべらなかった。しかし娘が反対側でからだで邪魔している挺子を押して いるうちに、急に恥ずかしさで胸が苦しくなり、だんだんに挺子を回すのを止めてしまっ た。甘美な不安が彼を襲った。若い娘が別人のように親しくなったように思われ、それで いてまるでとりつきようがないようにも見えた。そこで彼も少し笑った。ぶきっちょに親 しみをこめた笑いだった。
 そこで挺子はまったく停止してしまった。
 そして、エンマは「むきになって働くこともないわねえ」と言いながら、いま自分が飲 んだばかりの、まだ半分はいっているコップを彼に渡した。
 ぐっと一飲みしたこの果汁はひどく強く、前のよりずっと甘いような気がした。飲んで しまうと、空になったコップをまた飲みたそうにのぞきこみ、そして自分の心臓がひどく 激しく波打ち、息がとても苦しくなったのが、不思議な気がするのだった。
 それからふたりは、また少し働いた。ハンスは、自分が何をしているのかもわからなか ったが、じつは娘のスカートがどうしても自分にふれてゆき、自分の手が、彼女の手に必 ずさわるような場所にいるようにつとめているのだった。スカートや手がふれるたびに、 恐ろしいほどの歓喜で心臓がとまり、快い甘さにぐったりと力がぬけて膝がいくらか震え 出し、頭の中では、目もくらむようなざわめきがひびきわたった。
 何を言ったか自分でもわからなかった。それでも彼は彼女と話の受け答えをし、彼女が 笑えば笑い、彼女がいたずらをすれば、指で幾度かおどしてみせたりもした。彼女の手か ら二度もコップをとって飲みほした。そうしているうちにも、たくさんの思い出が 走馬燈(そうまとう)のように走り過ぎて行った。夕方、男と戸口に立っていた女 - 69 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 中、物語に出てきた二、三の文句、ヘルマン・ハイルナーがあのときしてくれたキス、「 女の子」とか「恋人がいたらどうだろう」といった問題についてのいろんな言葉や物語や 、生徒たちの間でかわされたおぼろげな会話などが――。そして彼は、山道を登って行く 駄馬(だば)のように、苦しそうな息をするのだった。
 すべてが一変してしまった。まわりの人々の姿も、あたりのさわがしい光景も、ぼんや りととけあって色とりどりに笑いをあげている、もやもやした雲の塊(かたまり) のように見えて来た。ひとりひとりの出す声や、ののしり、叫び、笑い声などが混ざりあ って、一つのざわめきとなり、川と古い橋は書き割りのように遠くにかすんで見えた。
 エンマもすっかり変わって見えるようになった。彼女の顔を見てはいなかった。――今 はもう、陽気な黒い目と、赤い口と、白いとがった歯だけしか彼の目にはいらなかった。 彼女の姿は消えてしまって、一つ一つの部分しか目にはいらなかった。――それは短靴と その上の黒のストッキングだったり、うなじのあたりにもつれかかる巻毛だったり、青い 布地の中に消えている、日焼けした丸い首だったり、ひきしまった肩とその下の息をする ときの波うちや、赤く透き通った耳だったりした。
 それからまたしばらくたって、彼女は桶の中にコップを落としてしまった。それを拾い 上げようとしてかがみこんだとき、彼女の膝が彼の手首を桶の縁に押しつけた。そこで、 彼もからだをかがめた、ゆっくりと。そして顔がほとんど彼女の髪にふれそうになった。 髪はほのかな香りがした。その下の、ほつれた縮れ毛の陰になって、美しいうなじが暖か そうに、褐色に輝きながら、青い胴着の中に消えていた。胴着のホックは、はちきれそう に締まっていたので、すき間からもう少し先まで肌がのぞけた。
 彼女はまたからだを起こし、そこで彼女の膝が彼の腕を撫でていき、髪が彼のほ お(・・)をかすめていることになった。かがんでいたために紅潮している彼女を見たと き、ハンスは電撃のようなショックを感じた。彼は真青になり、一瞬深い深い疲労を感じ て、思わず圧搾機のハンドルに、しっかりつかまってしまった。心臓が痙撃(けい れん)するように上下し、腕の力はぬけ、肩が痛んだ。
 それからは、もう彼は一言も口をきかず、娘の視線をさけた。そのくせ、彼女がほかに 目を移すと、もうすぐに、まだ味わったことのない快感と良心のやましさとの入りまじっ た気持ちで、じっと彼女を見つめるのだった。ちょうどいま彼の心の中で、幕が切って落 とされ、異様に心をひきつける新しい国が、はるか遠い青い岸辺とともに、彼の魂の前に 現われた。この心の不安と甘美な苦悩が何を意味するのか、彼にはまだわからなかった。 せいぜい予感するだけであった。そしてこの心の中の快感と苦痛とは、いったいどちらが 大きいかということさえわからなかった。
 この快感は、若々しい愛の力の勝利といえるもので、彼が圧倒的な生の力をはじめて予 感したことを意味していた。またこの苦痛は、朝まだきの平和が破られ、彼の魂が、もう 二度と見出せない幼年時代の国を見捨てたことを意味していた。彼の弱々しい小舟は、や っとのことで最初の難破(なんぱ)を切り抜けたばかりだというのに、ふたたび新 たな嵐の暴力や、待ち受けている深海や、命とりの暗礁(あんしよう)に近づいて 行くことになった。どんなに理想的な指導を受けている青年でも、そういう難関を切りぬ けるときは、だれの水先案内も受けずに自分で進路を見つけ、自らを助けなければならな いのだ。
 ちょうど折りよく見習いの徒弟がもどってきて、圧搾機の仕事を彼と交替してくれた。 ハンスはまだしばらくそこにいた。もう一度エンマにさわられるか、やさしい言葉をかけ てもらいたいと思ったのだ。エンマはもうまたよそのうちの圧搾機を渡り歩いて油を売っ ていた。そこでハンスは、この弟子の手前気がひけて、さようならも言わずに、こっそり 家へ帰った。
 なにもかも不思議に様子が一変し、美しく、心をはずませるようになった。しぼりかす で太った雀たちがかしましく飛びかっている空は、これまで見たこともないほど高く、美 しく、憧れたくなるほどの青さだった。川がこんなに清らかな、青緑に澄み渡った水面を きらめかせたこともなく、堰(せき)が、こんなにまばゆいほど白く泡だっていた - 70 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] こともなかった。なにもかも透きとおった新しいガラスの後ろにおかれた、完成したばか りの美しい絵のように見えた。なにもかもが、大きな祝宴のはじまりを待ち受けているよ うだった。彼自身の胸のなかにも、不思議に大胆な感情と、日ごろは覚えのない派手やか な期待とが、心をしめつけるように強く、不安で甘美な大波となってうねるのを感じた。 ただ、夢ではなかろうか、決して実現しないのではないかという臆病な懐疑的な不安の気 持ちも、それと混ざりあっていた。二つに分裂した感情は、しだいに高まって暗くしぶき をあげる泉となり、ひどく強い力を持ったものが、彼の心の中で、自由になって暴れ出し たような感じを持つようにまでなってしまった。――それはすすり泣きや、放歌高吟や、 叫び、そ れ と も哄笑(こうしょう)に似たものだったろう。家に帰ってはじめて 、興奮が少し治まった。うちの中はもちろんなにもかもふだんのとおりだった。「どこへ 行ってたんだ?」と、ギーベンラート氏がたずねた。
「水車場のフライクさんのとこさ」
「あそこじゃどのくらいしぼったかい?」
「二樽ぐらいだろ」
 ハンスは、うちで果汁しぼりをするときは、フライクの子供たちを招いてほしいと父に 頼んだ。
「よしわかった」と、父はつぶやいた。「うちは来週やる。そのとき連れてくるといい」 夕食までにまだ一時間あった。ハンスは庭へ出た。二本のモミの木のほかには、もうほと んど緑は見られなかった。ハシバミの鞭のような枝を折って、ひゅっと空を切ったり、そ の枝で枯れ葉をがさがさやったりした。太陽はもう山の後ろに隠れていたが、山の黒い輪 郭と、微細な線までくっきりとシルエットになったモミの梢の先が交わりあって、うす緑 の濡れたように澄みきった夕空を限っていた。ながながとのびた灰色の雲が、夕焼けで黄 色や褐色に燃え出し、家路につく船のように 淡 い金色(こんじき)の大気の中を 、ゆったりと心地よさそうに谷を上って流れて行った。
 夕暮れの、色どりもゆたかな完全な美しさに、かつてなかったほどえ(・)も言 われぬ感動を覚えながら、ハンスは庭の中を逍遥(しょうよう)していた。ときど き立ち止まり、目を閉じて、エンマの姿を心に描いてみようとした。圧搾機の向こう側に 立っていた彼女、自分の口をつけたコップから飲ませてくれた彼女、桶にかがみこみ、そ れから紅潮しながら起き上がった彼女の姿を。彼女の髪や、ぴっちりした青い服を着た姿 、彼女の首や、黒いおくれ毛が茶色い影を落としているうなじ(・・・)が、いま 彼の目の前に浮かんだ。どれもこれも彼の心を、快感と身震いで満たしてくれたが、顔だ けは、どうしても思い出せないのだった。
 日が沈んでも、ひんやりとはしなかった。深まってゆく黄昏(たそがれ)は、ま だ正体のわかっていないさまざまの秘密をかくしたヴェールのように思われた。なぜなら 、自分があのハイルブロンの娘に恋してしまったことだけはわかっていても、自分の血の 中の目ざめつつある男性の働きのことは、彼にはただ妙にいらだたしく、人を疲労させる 異常な状態として漠然ととらえることしかできなかったからだった。
 夕食のときになって、自分が古くから住みなれた環境の中に、まったく違った人間にな ってすわっているのがばかにおかしな気がした。父親やばあや、机、食器、それに部屋全 体が、急に古くなったように感じられ、まるでたった今長い旅から帰ってきた人のように 、すべてのものを、驚きと、違和感と、愛着の気持ちで眺めるのだった。彼が、自分を殺 してくれるはずのあの枝に秋波(しゆうは)を送っていたあのころは、別れを告げ るものの持つ哀愁をこめた優越感で、同じ人間や同じものを眺めていたのだが、いまはふ たたび帰りつき、驚き、微笑み、そしてすべてのこの世のものを、もう一度手に入れたと いう気がしたのである。
 食事が終わって、ハンスが立とうとしたとき、父は味もそっけもない言い方で、「おま えは機械工にたりたいか、ハンス、それとも書記のほうがいいか?」と言った。
「どうして?」と、ハンスはびっくりして聞き返した。
「おまえがその気なら、来週の末に、機械工のシューラーのところに行くか、さもなけり ゃ再(さ)来週、町役場の見習いにはいれるんだ。よく考えておくんだな! あし - 71 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] たまた話そう」
 ハンスは立ち上がって、部屋を出た。突然こんなことを聞かされたので、すっかりあわ ててめんくらってしまった。まったく思いもかけず、ここ数か月というもの遠ざかってい た、日常的、活動的な新鮮な生活というやつが、彼の前に現われてきて、誘惑するような 顔をしたり、おどかすような顔をしたりしながら、うまい約束を持ちかけたり、いろんな 要求を持ち出したりするのだった。ほんとうは彼は、機械工にも書記にもなりたくなかっ た。手仕事につきものの、きつい肉体労働が、彼には少しこわかったのだ。そのとき、ふ と学校友だちのアウグストのことを思い出した。アウグストは機械工になっているのだか ら、彼に聞いてみることもできるだろう。
 その件についていろいろ考えこんでいるうちに、彼の考えは、だんだんぼんやりし、色 あせてきて、まだこのことは、たいして急ぐわけでもないし、それほど大事でもないよう な気がしてきた。別のことが彼の心を占領(せんりよう)して、彼を落ち着かせて おかなかったのだ。彼は、そわそわと玄関を行ったり来たりしていたが、突然帽子をとっ て家を出ると、ゆっくり小路へ向かった。どうしても今日、もう一度エンマに会わねばな らないと思いたったのだ。
 あたりはもう暗くなっていた。近くの酒場の中から、わめきや、塩辛声(しおか らごえ)の歌が流れてきた。もう明りのさしている窓もかなりあった。あちこちで、一つ 、また一つと明りがつき、暗い大気の中に、おぼろな赤い光をなげた。腕を組み合った若 い娘たちの長い列が、大声で笑ったり、おしゃべりしたりしながら、楽しそうに通りをぞ ろぞろと下って行った。おぼつかない光の中で、その影がゆれ動き、青春と快楽の暖かい 大波のように、まどろんでいる通りを去って行った。ハンスは長いこと、彼女たちを見送 っていた。心臓の鼓動が、首筋まで伝わってきた。カーテンのおりている窓の奥から、ヴ ァイオリンの音が聞こえてきた。井戸端で、ひとりの女がサラダ菜を洗っていた。橋の上 を、ふたりの若者が、それぞれ自分の恋人を連れて散歩していた。ひとりは、娘の手を軽 くとり、その腕をぶらんぶらんと動かしながら、葉巻きを吸っていた。もう一つの組は、 ぴったりよりそって、ゆっくり歩いていた。若者は娘の腰に腕をまわし、娘は肩と頭をし っかりと若者の胸に押しつけていた。ハンスは、これまでこういう光景を、何百回となく 見ていたが、いっこう気にもかけなかった。ところが今は、それがひそかな意味を持つよ うになっていた。はっきり説明はできないが、好き心をそそられるような、甘い意味だっ た。彼のまなざしは、この二組の男女にじっと釘づけになってしまった。彼の空想は、予 感しながら、手近な理解へと迫っていった。胸苦しく、心の奥底までゆすぶられながら、 彼は自分が大きな秘密に近づいているのを感じた。この秘密がすばらしいものか、恐ろし いものかは、彼にはわからなかったが、震えおののきながら、そのどちらの分もいくらか ずつを予感したのであった。
 フライクの小さな家の前で立ち止まったが、中にはいって行く勇気はなかった。うちに はいったって、どんなかっこうをして何を言ったらいいか、まるでわかりゃしない。十一 、二の子供のとき、よくここへ来たことを、どうしても思い出してしまうのだった。あの ころは、このうちに行けは、聖書の話をしてくれたり、地獄や、悪魔や、幽霊のことなど に好奇心を持って、矢継ぎ早に質問しても、いちいちちゃんと答えてくれたものだ。この 思い出は、不愉快で、彼に良心のやましさを感じさせた。何をするつもりなのか、自分で も見当がつかなかった。ほんとうは、何を望んでいるのかということさえもわからなかっ た。それでも、自分がいま、秘密の、禁じられたものの前に立っているような気持ちはし た。うちにはいりもせず暗闇に戸口の前に立っていることは、靴屋の親方に対して悪いよ うな気がした。もし靴屋の親方が、自分がここに立っているのを見つけたり、いま突然戸 口から出て来たりしたら、たぶん彼はハンスを叱りつけさえしないで、むしろ馬鹿にして 大笑いするだろう。ぞっとするほどこわいのは、むしろそれなのだ。
 彼は、そっと家の後ろへまわってみた。すると、庭の垣根越しに、明りのついた居間の 中をのぞきこむことができた。おかみさんは、縫い物か編み物をしているらしい。いちば ん上の子供はまだ起きていて、机に向かって本を読んでいた。エンマは、片づけものをし ているらしく、行ったり来たりしているので、ちらり、ちらりとしか姿が見えなかった。 あたりはひっそりとしていて、遠くの路地の足音や、庭の向こうの静かな川の流れも、は っきりと聞きわけることができた。闇と夜の冷気が急に増してきた。 - 72 -

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 居間のいくつかの窓と並んだ、それより小さな廊下の窓は暗かった。かなり時間がたっ てから、この小窓にぼんやりした人影が現われて、窓からからだを乗り出して暗闇を見つ めた。姿を見て、それがエンマだとわかった。胸苦しい期待におののいて、心臓が止まっ てしまった。彼女は窓辺に立ったまま、長いこと、じっとこっちのほうを見ていた。だが 彼には、彼女が自分を見て自分だと見わけてくれたのかどうか、よくわからなかった。身 動きひとつせずに、彼は彼女のほうをじっと見つめていた。言いしれぬためらいを覚えな がら、彼女が自分だとわかってくれることを期待し、また、恐れてもいたのだ。ぼんやり した人影は、また窓から消えてしまったが、それからすぐ、庭へ通ずる小さな木戸が開い て、エンマが家から出てきた。ハンスは、はじめはびっくりして、さっそく逃げ出そうと 思ったのに、結局は、木偶(でく)の坊のように、そのまま垣根によりかかって、 暗い庭を、娘がゆっくりと彼のほうへ向かって歩いてくるのを見ていた。彼女が一足近づ くたびに、逃げ出したいような気持ちに駆られながら、しかももっと強いものにひきとめ られていたのである。
 今エンマは、彼のまん前の、半歩と離れないところに立っていた。ふたりの間には、た だ低い垣根があるだけだった。彼女はまじまじと不思議そうに彼を見つめた。長いことふ たりとも一言も言わなかった。やっと彼女が低い声でたずねた。
「あんた、何の用?」
「なんでもないさ」と言ったが、彼女が、「あんた」とうちとけた言葉を使ってくれたの で、肌をさっ(・・)と撫でられたような感じがした。
 彼女は片手を垣根ごしにさし出した。その手を彼は恐る恐るそっと取り、こころもち握 りしめて。そうしても彼女の手がひっこめられる様子もないのに気がつくと、勇気を出し て暖かい娘の手を用心深く撫でてみた。それでも相変わらず手は、おとなしくあずけられ たままだったので、今それを自分のほおに当てがった。しみ通ってゆく快感と、不思議な 暖かみと、幸福な虚脱感が、潮のようにからだのすみずみまでひろがった。彼を包んでい る大気はなまぬるく、雨を運ぶ風のようにしめっぽく感じられた。往来も、庭ももう目に はいらなかった。ただ目の前にある夜目にも白い顔と、もつれあった黒い髪しか見えなか った。
 そして娘が、ほんとに低い声でこう言ったとき、その声は、遠い夜のかなたから響いて くるようわれた。
「キスしてくれない?」
 白い顔が近づいてきた。からだの重みで、垣根の柵が少し外にしなった。かすかににお うほど髪が、ハンスの額をかすめ、白っぽくて幅のひろいまぶたと、黒いまつ毛のかぶさ っている閉じた目は、彼の目のすぐ間近にあった。ためらいがちな唇で、娘の口にふれた とき、激しい戦慄が体を走った。一瞬は震えおののいて身を引こうとしたが、娘は彼の顔 を両手にはさみ、自分の顔を彼の顔に押しつけて、彼の唇を離そうとはしなかった。娘の 唇が燃えているのを感じ、彼の唇をぎゅっと押しつけながら、彼の生命まで飲みほしてし まいそうに、むさぼるように吸っているのを感じた。急に全身の力が抜けてしまった。相 手の唇がまだ彼を離していないのに、震えるような快感は、死ぬほどの疲労と苦痛に変わ ってしまった。エンマが彼のからだを離すと、彼はよろめいて、わななく指で垣根にしが みついて、やっと身を支えた。
「あんた、あしたの晩また来てね」
 とエンマは言い、あっというまにうちの中に消えてしまった。彼女は五分と表に出てい たわけではなったが、ハンスにはとても長い時間だったような気がした。うつろなまなざ しで彼女のあと追いながら、相変わらず、垣根の板につかまっていた。恐ろしい疲れで一 足だって歩けないような感じだった。夢見心地で、彼は自分の血潮の音に耳を傾けていた 。血潮は頭の中で早鐘のように鳴り、乱調に寄せては返す苦しみの大波となって心臓を出 入りして、彼の息を止めてしまうほどだった。

 そのうち、部屋の中でドアが開いて、今まで仕事場にいたらしい親方がはいって来るの - 73 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] が見えた。見つかるかもしれないという恐怖に襲われて、やっと逃げ出すことができた。 ほろ酔い機嫌の男のように、のろのろとうんざりしながら、おぼつかない足どりで歩いて 行った。一足ごとに膝が抜けそうな感じだった。眠そうな顔に見える家々の破風や、その 顔の目のように赤い薄明りのともった窓が並んだ暗い通りが、色あせた書き割りのように 、歩いて行く彼のあとへあとへと流れ去った。橋も川も、屋敷も、庭も流れ去って行った 。ゲルバー通りの噴水が妙に高い水音を響かせていた。夢に酔ったままハンスはうちの門 をあけ、まっ暗な廊下をぬけ、階段をのぼり、ドアをあけて閉め、また一つあけて閉め、 ぬっとそこにあらわれた机の上に腰をおろした。だいぶたってからようやく我に返って、 自分の部屋にいるのだという感じがしてきた。着物を脱ごうと決心するまで、まだしばら く時間がかかった。気もそぞろに服を脱ぐと、そのまま窓辺にすわっていたが、秋の夜の 底冷えが急に身にしみて、身震いするとようやくベッドにもぐりこんだ。
 すぐに眠れるに違いないと思っていた。ところが横になって少しからだが暖まると、も うさっきの動悸(どうき)がはじまり、血行は乱脈になって激しく沸きたった。目 を閉じると、娘の口がまだ自分の口に密着して自分の魂を吸いとり、悩ましい熱気で全身 を包んでいるような気がすぐにしてくるのだった。
 夜がふけてから、ようやく眠りこむと、今度は、逃げても逃げても夢から夢へと追いま わされるのだった。恐ろしく深い暗闇の中で、あたりをてさぐりしながら、彼はエンマの 腕を捜し当ててそれをつかまえる。彼女はハンスを抱きしめ、こうしてふたりはいっしょ に、暖かな深い流れの中に、ゆっくりと落ちて沈んでいく。突然、靴屋が現われて、なぜ わたしを訪ねて来ないのかとたずねる。ハンスはおかしくてしかたがなかった。それはフ ライクではなくて、マウルブロンの礼拝室の窓に並んですわり、冗談をとばしているヘル マン・ハイルナーだったからだ。だがこの夢もすぐに消えて、いつか彼は、圧搾機のとこ ろに立っていた。エンマが挺子をつっぱるので、彼が全力をあげて反対の力を入れる。エ ンマは、彼のほうに身をかがめて、彼の口をもとめる。突然、しんとして、一寸先もわか らぬ暗闇になる。またからだは、暖かな黒い深みへ沈んでいき、目もくらむ思いで気が遠 くなる。同時に、校長の訓辞が聞こえてきたが、それが自分のことを言っているのかどう かよくはわからなかった。
 それから、彼は朝遅くまでぐっすりと眠ってしまった。ほがらかに晴れたすばらしい日 だった。長いこと庭を行ったり来たりして、寝ぼけた頭をはっきり醒まそうとしてみたが 、頑強にいつまでも去ろうとしない眠りの霧が彼をとりまいていた。彼は、この庭に最後 に咲き残った紫色のエゾギクが、まだ八月のようなつもりで日なたで美しく笑うように花 開いているのを見、まるで早春を思わせるやさしい陽光が、暖かく媚(こ)びるよ うに、枯れた小枝や大枝や葉の落ちた蔓(つる)のめぐりに降りそそいでいるのを 見た。だが、ただ見ているというだけで何も感じはせず、よそごとのように見ていただけ であった。突然、まだこの庭に彼の兎がとびまわり、水車や、杵つきの仕掛けが動いてい たあのころの、はっきりした強い思い出が彼を襲った。三年前の九月のある日のことを考 えずにはいられなかった。それはセダン祭りの前夜のことだった。アウグストが彼のとこ ろに、木蔦(きづた)を持ってやってきた。ふたりは、明日のことを話しあったり 、楽しみにしたりしながら、旗竿をぴかぴかに洗って、その木蔦を竿の金色の先端にから みつかせた。ただそれだけのことで、あとは別にとりたてて言うほどのこともなかったが 、ふたりともお祭りの前夜らしい期待、大きな喜びでいっぱいになっていた。旗は日をあ びて輝いていた。アンナは李(すもも)入りのケーキを焼いてくれた。夜には、高 い岩壁で、セダンの火が燃やされることになっていた。
 ハンスは、なぜほかならぬ今日のような日にあの晩のことを考えてしまうのか、なぜこ の思い出がこんなに美しく、圧倒的なのか、そしてなぜそれが今の自分をこんなに 惨(みじ)めな悲しい思いにしてしまうのか、見当もつかなかった。自分の子供時 代と少年時代が、こうした思い出の衣をまとって、幸福そうに笑いながら自分の前にもう 一度現われたのは、じつは別れを告げながら、二度と帰らぬ大きな幸福のとげの跡を残し ていくためだということが彼にはわかっていなかったのだ。彼はただこの思い出が、エン マや昨日のことの回想とはまったく異質のもので、あのころの幸福とは一致しないある別 のものが、自分の中に生まれたことだけを感じた。ふたたび、旗の金色の先端がきらめく のが見え、友だちのアウグストの笑い声を聞き、焼きたての菓子のにおいをかいでいるよ うな気がしてきた。どの情景をとっても、陽気でしあわせに満ちていたが、もうずっと遠 - 74 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] くにへだたって、自分とは縁のないものになってしまっていたので、大きなアカハリモミ のざらざらした木の幹によりかかって、堰を切ったように、絶望的なすすり泣きをはじめ た。泣くことだけが今の彼には、慰めとなり、救いとなったのだ。
 昼ごろ、彼はアウグストのところへ出かけた。アウグストはいまでは徒弟の最古 参(さいこさん)で、すっかりいい恰幅(かつぷく)になり、おとなびていた。ハ ンスは自分にとって大事な相談ごとを切り出してみた。
「そりゃ、ちょっと、こと(・・)だぜ」とアウグストは言って、世慣れた顔つき をして見せた。「そりゃちょっと、こと(・・)だぜ。君はなにしろ知ってのとお りの弱虫ときてる。一年めは、鉄を鍛えるとき、ただやたらと叩かせられるんだ。それに この向かい槌って代物は、スープの匙(さじ)とはわけが違う。その上鉄をあちこ ちに運ばせられるし、夕方はあとかたづけだ。鑢(やすり)を使うにも力がいる。 はじめのうちは、慣れるまでは、古い鑢しか使わしてもらえないのさ。それがまるできか ねえ、猿の尻みてえにつるつるに刃が磨滅(まめつ)しちゃったやつなんだ」
 ハンスはたちまちしょげてしまった。
「それじゃ止めたほうがよさそうだね」と、彼はおずおずとたずねてみた。
「おやおや、そういうつもりじゃなかったんだぜ。意気地(いくじ)のないことを 言うな! ただはじめのうちはダンス場みたいなわけにはいかないってことよ。しかしそ れさえ除きゃあ、あとは――そうさ、機械工ってのはいいもんだぜ、頭も良くなくちゃい けねえんだ。でないと、ただの鍛冶家(かじや)になり下がっちまうものな。ま、 ちょっとこいつを見ろよ!」
 彼は、ぴかぴか光るスチール製の、小さい精巧な機械の部品を二つ三つ持ち出して、ハ ンスに見せてくれた。
「半ミリだって狂っちやいけねえんだ。みんな手作りさ、ねじは別たがね。目をか っ(・・)とあけてよく見なくちゃいけねえ! これをもう一度磨いて、焼きを入れて、 それで出来上がりってわけだ」
「そいつはすてきだ。あときいておきたいのはただ――」
 アウグストは笑った。
「心配なのか? もちろん見習いはいじめられるさ。こいつはどうにも仕様がない。でも おれもいるんだし、そういうときは助太刀(すけだち)するさ。君がこんつぎの金 曜にはじめるとすりゃ、ちょうど、おれが二年の修業を終えた年期明けとぶつかる。土曜 日にはじめての週給をもらえる。そして、日曜はお祝をするんだ。ビールや、菓子もある し、みんなも来るぜ。君もこいよ。そしたらおれたちのとこの様子もすぐわかる。そうだ とも、すぐわかるって! だいたいがおれたちは、もともと仲がよかったんだからな」
 食事のとき、ハンスは父親に、機械工になりたいが、一週間たったらはじめていいか、 と言った。
「そうか、よし」と、父親は言って、午後ハンスとシューラーの仕事場へ行き、見習いの 申し込みをしてくれた。
 しかし、日暮れになると、もうハンスは何もかもすっかり忘れて、晩にはエンマが待っ ていてくれるのだということばかりしか考えなかった。今からもうそれだけで息がつまり 、時間が長くも短くも思われるのだった。早瀬に向かう船頭のように、心は飛 ぶ よ う に逢引(あいびき)のほうに向かっていた。今夜はもう食事どころではなかった。 やっと一杯のミルクを飲みほすと、そそくさと出かけて行った。
 何もかもきのうのとおりだった――眠りに沈む暗い通り、赤い窓、街灯のほのかな光、 ゆっくり歩いている恋人たち。
 靴屋の垣根までくると、急にひどい胸騒ぎがしてきた。物音一つにもびくっと縮み上が り、暗がりに立ちんぼで聞き耳をたてている自分が、泥棒のような気がした。一分と待た - 75 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ないうちにエンマが彼の前にあらわれ、両手で彼の髪を撫でてから、庭木戸をあけてくれ た。彼が用心深く中にはいると、彼女は彼をひっぱって、両側が茂みになっている道をそ っと抜け、裏門から暗い廊下へ連れこんだ。
 そこでふたりは、地下室の階段の最上段に、並んで腰かけた。暗闇の中で、相手の顔が かろうじて見えるように目がなれるまで、かなりかかった。娘は上機嫌で、ひそひそ声で たて続けにしゃべり続けた。彼女はもう何回もキスを味わっていて、色恋ざたには心得が あった。内気でやさしい少年は、彼女にはちょうど手ごろな相手だった。彼女は両手で彼 のほっそりした顔をはさんで、額や目や頬(ほお)にキスをした。それから口の番 になってまた例のようにながながと吸いこむようなキスをされると、少年は急にくらくら とめまいがして、無抵抗にぐったりと彼女によりかかってしまった。彼女は小声で笑って 、彼の耳をつまんだ。
 彼女はあとからあとからおしゃべりを続けた。彼は耳を傾けてはいたが、何を聞いてい るのかまるでわからなかった。彼女は手で、彼の腕や、髪や、首筋や、両手を撫で、自分 の頬を彼の頬によせ、頭を彼の肩に寄りかけた。彼は一言も言わず、なすがままにされて いた。甘美な戦慄と、深い幸福な不安でいっぱいになって、ときどき、熱病患者のように 、かすかにからだをびくっと震わせるのだった。
「あんたってへんな恋人ね!」と、彼女は笑った。「何もする勇気がないのね」
 そして彼女は彼の手をとって、自分のうなじや髪をさわらせ、その手を自分の胸におく と、からだを押しつけてきた。彼はやわらかいものの形と、甘い異様な波立ちを感じて目 をとじると、無限の深みへ落ちこんでいくような気がした。
「よして、もうよして!」と、彼女がまたキスしようとしたとき、彼は拒みながら言った 。彼女は笑った。
 彼女は、彼をぐっとひきよせて腕をまわすと、彼の脇腹を自分の脇腹に押しつけた。彼 女のからだを感じると、ハンスはすっかり逆上してしまい、もう何も言えなかった。
「あんたもあたしが好きなの?」と、彼女はたずねた。
 ああと答えようとしたが、うなずくことしかできず、しばらくはこっくりこっくりと首 を振り続けた。
 彼女はもう一度彼の手をとって、ふざけながら自分の胸付胴着(コルセツト)の 下に押しこんだ。他人のからだの脈搏と呼吸をこんなぐあいにして身近に熱く感じると、 彼の心臓は結滞(けつたい)し、いまにも死ぬかと思った。それほど息が苦しくな ったのだ。彼は手をひっこめると、呻くように言った。「もううちへ帰らなくちゃ」
 立ち上がろうとすると、よろよろとして、あやうく地下室に通ずる階段からころがり落 ちるところだった。
「どうしたの?」と、エンマはびっくりしてたずねた。
「わからない。ひどく疲れたんだ」
 庭の垣根に行くまでの道は、彼女がぴったりと寄りそって支えていってくれたが、彼は それを感じなかった。彼女がおやすみを言って、後ろで木戸を閉めたのも聞こえなかった 。通りをいくつか抜けて家へ帰ってきたが、どうやって帰りついたのかわからなかった。 まるで大きな嵐にさっとさらわれてきたか、激 流 に奔弄(ほんろう)されながら 押し流されてきたような気がした。
 彼は、左右の青ざめた家々や、屋根の向こうの山の背や、モミの梢や、夜の闇や、大き な静止した星などを見た。吹いていく風を感じ、橋げたにぶつかる川の水音を聞き、水面 にうつる庭や、青ざめた家々や、夜の闇や、街灯や星を見た。
 橋の上に思わず腰を降ろしてしまった。ひどく疲れていて、もう家に帰れないような気 がしたのだ。手すりに腰を降ろして、水が橋げたをこすり、堰でざわめきをあげ、水車の 吊り門をオルガンのようにぎいぎいいわせているのに、耳を傾けていた。彼の両手はすっ - 76 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] かり冷えていた。胸と咽喉では、血潮が停滞したり、奔流のようにあふれたりしながら活 動し、彼の目先をくもらせ、突然また波立ちながら、心臓に押し寄せて、頭をくらませる のだった。
 うちに帰って自分の部屋にたどりつき、ごろりと横になると、いくつもの巨大な空間を 、果てしなく深みへ深みへと墜落(ついらく)していく夢をみながら、すぐに眠り に落ちてしまった。真夜中に、苦しみにさいなまれ、疲れ果てて目を覚ますと、渇 (かつ)え死にそうな憧れでいっぱいになり、押さえきれない力によってさんざんに振り まわされ、朝まで夢とうつつをさまよいながら横になっていた。夜のしらみだすころにな ると、彼のいっさいの苦悩と煩悶(はんもん)は、とうとう押さえきれぬ長いむせ び泣きに変わっていったが、それから彼は、涙にぬれた枕に頭をうずめて、もう一度眠り こんでいった。 第七章

 ギーベンラート氏はもったいぶって大きな音をたてながら果汁圧搾器を扱い、ハンスは それを手伝った。靴屋の子供のうちふたりが招待をうけてやって来て、いっしょに小さな 試飲用のグラスを使って飲み、おそろしく大きなパンの塊をかかえこんでいた。しかしエ ンマは来てくれなかった。
 父が桶屋といっしょに半時間ほど出かけて行ってしまうと、やっとハンスは思い切って エンマのことをたずねた。
「エンマはどうしちまったんだい? 来るのがいやだったのかな?」
 小さい子たちが口にほおばった食べ物を呑みこんで喋り出すまでしばらくかかった。
「帰っちゃったよ」とふたりは言ってうなずいた。
「帰っちゃった、どこへ?」
「うちへ」
発(た)ったのかい、汽車で?」
 子供たちは熱心にうなずいた。
「いつだい、いったい?」
「今日の朝」
 子供たちはまたリンゴに手をのばした。ハンスは圧搾器をがちゃがちゃやりながら、し ぼり汁のたまる桶をじっと見つめ、だんだんに事情をのみこんできた。
 父が戻ってきてまた一仕事はじまり、楽しそうな笑いがあがった。子供たちはやがて礼 を言って帰っていった。しだいに夜が訪れ、みんなも家路についた。
 夕食後ハンスはひとりで自分の部屋にすわりこんだ。十時になり、十一時になったがラ ンプはつけなかった。おしまいにそのまま深い長い眠りに落ちていった。
 いつもよりずっと遅く目がさめた彼は、はじめはただなんとなく不しあわせな、何かを なくしたような気持ちがしていたが、そのうちにエンマのことがまた頭に浮かんできた。 エンマは行ってしまったのだ、挨拶もせず、別れも告げずに。いつ発つということはきっ と前の晩にうちへ行ったときにも彼女にちゃんとわかっていたのだ。彼は彼女の笑い顔や 、キスの味や、身をまかせてくるときの見下したようなようすを思い出した。エンマは彼 のことなんか本気で相手にしなかったのだ。
 そう考えるとむしょうに腹だたしい悲しみにとらわれ、それが、興奮して、静まること のない恋の力ですっかり平静を失った心のいらだちと混ざり合って、彼を苦しめ悩ますの だった。苦しさのあまり彼はうちをとびだして庭へ出、庭から往来(おうらい)に 、そして森をかけまわってまた追われるようにうちに戻ったのである。
 こんなぐあいにして、彼は、すこし時期が早すぎたかもしれないが、愛の秘密について - 77 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 知るべきことは経験してしまった。彼の場合にはこの秘密には甘さはほとんどなく、たぶ んに苦味の多いものだった。なんの足しにもならぬ嘆き、なつかしい思い出、慰めになら ぬ思いわずらいで過ごす昼の日が続き、夜はといえば動悸がしたり、胸がしめつけられる ようでおちおち寝られなかったり、まどろめばすぐ恐ろしい悪夢をみるのだった。その夢 では、説明もつかぬほど激しく沸騰(ふつとう)している彼の血潮が、恐ろしいぞ っとするような怪物になったり、からみついて締め殺す腕になったり、目をぎらぎらさせ た空想の動物になったり、目もくらむような断崖や大きな燃えるような目になったりする のだった。目が覚めると、冷やりとする秋の夜の寂しさに包まれて、ひとりぼっちでいる 自分に気がつき、あの娘へのあこがれに思い悩んでは、むせびながら泣きぬれた枕に頭を おしつけた。
 機械工場に弟子入りする金曜日が近づいてきた。父は彼にリンネルの青い服と、ウール 混紡の青いハンチングを買ってくれた。服に手を通してみると、錠前屋の仕事服を着た自 分がかなり滑稽に見えた。学校や校長さんの家、算数の先生の家、フライクの工場や町の 牧師館の前を通るときには、ひどくみじめな気がした。あれだけ苦労して勤勉に額に汗を 流し、わずかの楽しみもすっかり犠牲にし、あれだけ自尊心と野心を抱き、希望にみちた 楽しい夢をあれほどみていたのに、それがみんなむだだったのだ。今となってみれば、何 もかも、あとで同級生やそこらじゅうの人の笑いものにされ、やっと今いちばん下っ 端(ぱ)の徒弟になって工場に弟子入りする役にしかたたなかったのだ!
 ハイルナーならどう考えるだろう?
 やっとだんだんに彼も錠前屋の菜っ葉服になじめるようにたり、またこの服の着ぞめを することになっている金曜日のことも少しは楽しみになってきた。いくらなんでもその日 から新しい体験が始まるというのだから!
 しかしこういう考えは、暗い黒雲に、ほんの一瞬だけ射した稲妻みたいなものであった 。少女が町を出発してしまったことも忘れてはいなかったし、それに彼の血潮があのころ の日々の興奮を忘れたり克服したりすることなんか、もっとむずかしいことだった。彼の 血潮はみちあふれ、もっと多くのことを、ひとたび目覚めたあこがれが解放されることを 求めて叫ぶのだった。こんなぐあいに、ぼんやりと悩ましく時はゆっくりと過ぎていった 。
 この秋はまた例年になく美しかった。やわらかい太陽がいっぱいに射し、銀色のあけが た、色とりどりの朗らかな昼、澄みきった夜が続いた。遠くの山脈(やまなみ)は ビロードのような深い青みを帯びはじめ、栗の木は黄金色に輝き、塀や垣根からは野生の ブドウが、紅の房を垂れていた。
 ハンスは落ち着かず、たえず自分自身から逃れようとしていた。日がな一日町や野をう ろつきまわり、人目をさけていた。彼の恋の悩みというやつが、みんなに気づかれている と思っていたからだ。夜になると、例の路地に行き、娘っ子の顔をいちいち眺めたり、良 心のやましさを覚えながらもそっと恋人同志のあとをつけたりした。彼には、この人生で 望む価値のあること、人生のすべての魅力が、エンマの姿とともに手の届くところまでき ていたのに、意地悪くさっと逃げられてしまったような気がしていた。彼女のところにい たときに感じた悩ましく胸苦しい気持ちのことは、もう考えないことにしていた。もしも う一度彼女に会えたら、今度こそあんなに臆病にはならず、彼女の秘密をすっかり奪いと ってしまい、鼻さきでぴしゃりとその門の扉を閉められてしまった妖しい愛の楽園に侵入 してやるのだ、と彼は心に決めていた。彼の空想という空想はすべて、この蒸し暑い危険 なジャングルのなかに閉じこめられてしまい、そのなかをすっかり意気消沈しながらさま よい歩き、頑固に自分を苦しめながら、それでもこの狭い魔法の領域のそとにまだまだた くさんの美しい広い領域が明るくやさしく広がっているということを絶対に認めようとは しないのだった。
 はじめはあれほど心配して待っていた金曜日も、その日になってみると結局は楽しいぐ らいだった。朝も余裕をもって、新しい菜っ葉服を着こみ、ハンチングをかぶって、ちょ っとためらいながらゲルバー通りを通ってシューラーのうちへ行った。二、三人の知った 顔が、もの珍しそうに彼を見た。ひとりはこう尋ねさえした。「なんだ、あんた錠前屋に なったのかい?」 - 78 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
 仕事場では、もうスムーズに仕事が行なわれていた。親方はちょうど鍛冶仕事の最中だ った。まっかに灼(や)けた熱い鉄を鉄敷(かなしき)にのせ、ひとりの職人 が、重いハンマーを使って一撃すると、今度は親方が鉄に形をつけながら、小きざみに何 回も打っていくのだ。親方はやっ(・・)とこ(・・)も使い、その間に手ご ろな鍛冶金槌(かなづち)で、鉄敷を調子をとりながら叩いていくので、その明る い陽気な音がひろびろとあけはなしたドアから朝の大気のなかに響きわたっていくのだっ た。
 油と鑢屑(やすりくず)で黒光りした長い仕事台のかたわらには年かさの職人が 立ち、アウグストがその隣に並んでいた。ふたりとも万力(まんりき)を扱ってい た。台上では急速度でベルトがぶんぶん回転し、旋盤(せんばん)や砥石(と いし)やふいごや穿孔機(ドリル)を動かしていた。ここでは水力を使っているの だ。アウグストは、はいってきた昔の級友にうなずいてみせると、親方が休ませてくれる まで戸口で待っていてくれということを悟らせた。
 ハンスは炉(ろ)や、動いていない旋盤や、ぶんぶん唸っているベルトや水力を 引いてくるための空転盤(あそび車)などをおっかなびっくり眺めていた。親方は、一区 切り鍛冶仕事を終えると、彼のほうにやってきて、大きくてごつい、ほてった手をさしだ した。
「そこに帽子をかけときな」と言って、彼は壁のあいている釘を指さした。
「さあ、おいで、これがお前さんの場所だ。これが自分の万力だよ」
 こう言いながら彼はハンスをいちばん奥の万力の前に連れて行くと、なによりもさきに 、万力の扱い方や、いろんな工作機械をそなえつけた仕事台の整理の仕方を教えた。
「おやじさんからも、お前さんはヘラクレスみたいな強いやつじゃないと言われていたが 、なるほど見りゃわかる。当分は鍛冶仕事はやらないでもいい、ちよっとばかり腕っぷし が強くなるまでな」
 彼は仕事台の下に手を入れて、鋳物(いもの)の小さな歯車を引っぱり出した。
「ほら、こいつから始めるんだな。この歯車はまだ鋳たてで仕上げがしてないやつだから 、そこらじゅうに小さなでっぱりや突起がある。そいつをきれいに削りとっておかなくち ゃいけない。でないとそのせいですぐに工具がいかれちまうからな」
 彼は歯車を万力にはさみ、古ぼけた鑢を手にとってかけ方をやってみせた。
「そら、こうやってさきをやってみな。だけどこいつをだめにしてほかの鑢をおれから取 り上げないようにたのむぜ。これでたっぷりお昼までかかるさ。すんだら見せてごらん。 それから、仕事をしている間はほかのことなんか考えちゃいけないぞ、言われたことだけ 気をつけるんだ。徒弟にゃ考えごとなんか要らないんだ」
 ハンスは鑢をかけ始めた。
「おっと待った!」と親方は叫んだ。「それじゃだめだ。左の手を鑢にこうやってかけな くちゃ。それともお前さんは左利きかい?」
「いいえ」
「よしきた、もうだいじょうぶだ」
 彼は入り口のとっつきにある自分の万力に戻って行った。ハンスはうまくいくかどうか やってみた。
 最初にひとこすりしてみて、彼は歯車がとてもやわらかくて、すぐこすりとれるのでび っくりしてしまった。しかしそのうちに、脆(もろ)くてぽろぽろとはげてしまう のは鋳型のいちばん上皮だけで、その下にはじめて彼が滑(なめ)らかにしろとい われた堅い鉄の地が出てくるのだということがわかった。子供のころ遊び半分組み立て細 工をやって以来、彼は自分の手ではっきりと具体的に役にたつものがつくりだされるとい う喜びは一度も味わったことがなかった。 - 79 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
「ゆっくりな!」と親方がこっちに向かってどなった。「鑢をかけるときゃ拍子をとって やらねえとな――オイチニ、オイチニってな。重みをかけるんだぜ、でないと鑪がいかれ ちまうんだ」
 そこの旋盤で年かさの職人が仕事をしていたので、ハンスはやめようと思ってもついそ っちに目がいってしまった。鋼鉄のプラグ状の鋳物が旋盤にはめられ、ベルトがわたされ ると、鋳物は火花を散らしてぶんぶん回転し、職人はその間に毛のように細い、きらきら した鉄屑をとりのけるのだった。
 そこいらじゅうに、工作機械や、鉄の塊や鋼(はがね)や真鍮(しんちゆう )、半製品、ぴかぴか光る小さな歯車、のみ(・・)やドリル、いろんな形をした 旋盤用ののみ(・・)や突ききりなどがころがっており、炉のそばには大槌やむか い槌、鉄敷あて、ペンチ、はんだ鏝(・・・ごて)がかかっている。壁にそって、 鑢や形削り用のフライス盤がずらりと並び、棚には油ふきのぼろきれや、小さなほうきや 、金剛砂の鑢や、鉄鋸(のこ)、油差し、酸類の瓶、釘やボルトを入れた箱などが のっていた。たえず砥石(といし)が使われていた。
 ハンスは自分の手がすっかりまっ黒になったのに気がついて大いに満足した。そしてほ かの職人たちの黒くなってつぎの当たった作業衣にくらべるとおかしいほど新しくて真青 にめだって見える自分の上衣が、やがて使い古されたように見えるようになることを願っ た。
 午前の時間が進んでゆくにつれて、外部の営みがこの仕事場に侵入してくる。隣の機械 刺繍(ししゆう)の工場の労働者が、機械の小さい部品を研摩(けんま)や修 理に出しに来るのである。農夫がやって来て、修理に出しておいた洗濯物のプレス機はで きたかと聞き、まだできていないと聞くとうるさくがみがみと罵(ののし)る。今 度はシックな工場主が姿をみせ、親方と隣の部屋で商談をはじめる。
 そのうちにもいたるところで人間と歯車とベルトは同じ調子で仕事を続けていく。こう してハンスは生まれて始めて、労働の賛歌を聞き、それを理解した。この歌は少なくとも 初心者にとって、心をとらえて快く酔わせるような調子を持っている。彼には自分という 小さな人物、自分の小さな生命が、この大きなリズムの一部に組み込まれてしまったこと がわかった。
 九時に十五分間の休憩があった。めいめいパンを一個とモスト(果汁)を一杯もらった 。このときになってはじめてアウグストが新米の徒弟に挨拶した。彼はハンスに景気をつ け、また夢中になって次の日曜日に最初の週給をもらったら、同僚と大いに気炎( きえん)をあげようという話を始めた。ハンスは、自分が鑢をかけさせられている歯車が どんな種類のものかと尋ねてみた。そしてそれが塔の大時計の部品であることを知った。 そのうえアウグストは、直ってからその歯車の動いたり働いたりする仕方を彼に教えてみ せてくれたが、そのうちに、もういちばん上の職人が鑢をかけ始めた。みんな急いでめい めいの持ち場に戻った。
 十時と十一時の間に、ハンスはしだいに疲れはじめた。膝と左手がかなり痛かった。一 方の足でもう一方の足を踏みつけ、そっと手足を伸ばしたが、あまり効きめはなかった。 そこで彼はちょっと鑢を離し、万力によりかかった。だれも彼を見てはいなかった。そう やって立ったまま休息し、ベルトの流れる音を聞いているうちに、軽いめまいに襲われた 彼は、一分間ほどそのまま目を閉じていた。いつか彼の後ろに親方が立っていた。
「おや、どうした? もう疲れちまったのかい?」
「はい、ちょっと」とハンスは白状した。職人たちは笑った。
「すぐよくなるさ」と親方は静かに言った。
「今度はひとつ、はんだづけのやり方をみせてやろう、おいで!」
 ハンスははんだづけするところを、好奇心をもって見守った。まず鏝(こて)を 熱しておいて、はんだづけする個所に液を塗る、熱く灼けた鏝から白い金属が一滴落ちて しゅっと音をたてるのだ。 - 80 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
雑布(ぼろ)でそいつをよく拭きとるんだ。は ん だ 液 は腐蝕性(ふしよ くせい)だから、金属に長いことたらしといちゃならねえ」
 それからハンスは、また万力の前に立って、鑢で歯車をこすった。腕が痛くなり、鑢を 押しつけていなければならない左手は、赤くなってうずきはじめた。
 正午になって、職人頭が鑢を置き、手を洗いに行ったとき、彼は自分の仕上げた仕事を 親方のところに持って行った。親方はそれをさっと一見(いつけん)した。「もう これでいい、こうしておこう。お前の持ち場の箱にもうひとつ同じ歯車がある。午後はそ いつにかかってくれ」
 こうしてハンスも手を洗い、仕事場を出た。昼食のために一時間は休みなのだ。前に同 級生だったふたりの店員が彼の後ろから通りを歩いてきて、彼のことを大声で笑っていた 。
「州試験合格の錠前屋あ!」とひとりがどなった。
 彼は歩みを早めた。いったい自分がほんとうに満足しているのかいないのか、自分でも よくわからなかった。仕事場はたいへん彼の気に入った。ただこんなに疲れちまうのだ、 こんなにどうしようもなく疲れちまうのだ。
 そして家の門まで来て、腰かけて食事ができるという楽しみでいっぱいになっていたの に、突然エンマのことを思わず考えてしまった。彼はそっと自分の小部屋に上がり、ベッ ドに身を投げて苦痛のあまり呻きをあげた。泣こうと思ったが、目はいっこうに濡れては こないのだった。希望を失って、彼はふたたび蝕(むしば)むようなあこがれに身 を委(ゆだ)ねた。頭のなかは嵐が渦まくようでがんがん痛く、啜(すす)り 泣きがつかえてしまったので咽喉が苦しかった。
 昼食は拷問(ごうもん)のようだった。父親の質問には答えたり話したりしなけ ればならず、パパが上機嫌だったおかげで、いろいろなちょっとした、冗談を我慢して聞 いていなければならなかった。食事のすむのをまちかねて彼は庭にとび出し、十五分ほど 日なたでうつらうつらしながら送った。いつかもう仕事場に戻る時間になっていた。
 午前中にもう彼は手に赤いまめ(・・)をつくっていたが、それが今度はいよい よまともに痛くなりだし、夕方になるとふくれあがって、何かつかむだけでもうひどく痛 むというぐらいになってしまった。仕事を終えて帰る前に、アウグストに教えてもらいな がら仕事場全部のあと片づけをしなければならないのだった。
 土曜日はもっとひどかった。両手 が ぴ り ぴ りし、まめ(・・)は大きくなっ て水ぶくれになっていた。親方は機嫌が悪くて、ちょっとしたことでも腹をたてた。アウ グストは、なあにまめ(・・)なんかせいぜい二、三日もすりゃ治る、そうなった ら手の皮も堅くなって、何も感じなくなるよと慰めてくれたが、ハンスはひどく不幸な気 分になり一日じゅう時計を横目でみては、やけになって歯車をこするのだった。
 夕方、あと片づけのとき、アウグストは彼の耳もとでささやくように伝えた。「あした おれは二、三人の同僚とビーラッハヘ行くんだ。きっと調子がいいし愉快だぜ、君も絶対 に来なくちゃ。二時に迎えに行くよ。」ハンスは日曜はなによりも一日うちで寝ていたか ったが、承諾(しようだく)した。ほんとはこんなに疲れていて、みじめな気分な のだ。うちへ帰るとアンナばあやが、手の傷に塗る膏薬(こうやく)をくれた。八 時にはもうベッドにはいり、朝は遅くまで寝ていたので、父といっしょに教会に行くのに だいぶせわしい思いをした。
 昼食のとき、彼はアウグストの話を切り出し、今日彼といっしょに郊外に行きたいと言 った。父は別に反対もせず、彼に五十ペニヒをくれさえし、夜の食事までには帰ってくる ようにといいつけただけだった。
 気持ちよい日光のさす路地をぶらぶらと歩いて行ったとき、ハンスはなんか月ぶりかで - 81 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] はじめてまた日曜の喜びを感じた。往来もふだんよりはずっと晴れがましく、太陽もずっ と陽気に見え、何もかも平日よりは祭り気分で美しく見える。これも、手をまっ黒に汚し 、手足をくたくたに疲らせて働いた平日を終えたればこそそうなのだ。今彼は自分たちの 店の前の、日のあたるベンチにすわって、ほんとに王者のように曇りない顔つきをしてい る肉屋や皮屋、パン屋、鍛冶屋などの気持ちを理解し、もうそういう人たちをみじめった らしい俗物と見なすようなことはしなかった。彼は帽子をちょっと横っちょにかぶり、シ ャツの白い襟を見せ、よくブラシをかけた日曜の晴れ着を着た労働者や職人や徒弟たちが ぞろぞろと列になって散歩したり、居酒屋をくぐったりするのを見送った。必ずというわ けではなくても、たいていは同じ職業どうしがかたまりあっていた。指物師(さし ものし)は指物師どうし、左官屋は左官屋どうしでいっしょになって、自分たちの身分の 名誉を守り、なかでも錠前屋はいちばん高等な組合で、その筆頭が機械工なのだった。こ ういうことはすべてやや郷土的なしきたりであるし、いろんな点で単純滑稽なところもあ るが、それでもその背後には、手工業の持つ美しさと誇りがかくされており、今日でもな お喜ばしい、有益なものを提供してくれる、みじめな仕立屋の徒弟でさえも今なおかすか な光明をこうしたものから得ているといえるのだ。
 シューラーの家の前で、若い機械工たちが落ち着き払って誇らしげに、道ゆく人に会釈 したり、お互いに話し合ったりしながら立っているところを見たら、かれらが信頼するに 足る共同体をつくりあげ、たとえ日曜日の楽しみのときといえども、自分たちと人種のち がう人間を必要としないということがわかるだろう。
 ハンスもこのことを感じ、こういう人たちの一員であることがうれしかった。しかし彼 はまた、今回計画されている日曜日の楽しみというのにも少々不安な感じを抱いた。なぜ なら機械工たちは、人生を楽しむ点にかけても、大いにぞんぶんにたっぷりやるというこ とを知っていたからである。ひょっとしたらダンスだってするかもしれない。それだとハ ンスはからきしだめだが、ほかのことなら、できる限り男前を見せてやり、必要とあらば 少し二日酔いになるくらいの冒険もやってのけようと考えていた。彼はあまりたくさんビ ールを飲みつけていなかったし、煙草のほうも、気をつけて吸えば葉巻きを一本ぐらいな ら、ともかく気持ちもわるくならず、ひどいことにもならないでおしまいまで吸える程度 であった。
 アウグストは、平日とはちがった晴れがましい嬉しさをかくさず、彼に挨拶した。彼の 話によると、年かさの職人のほうが来ないと言いだしたが、そのかわりにほかの仕事場か ら仲間がひとり加わるから、少なくとも四人連れで、これなら村じゅうをのすにも十分だ ろうという話であった。今日はみんなビールなら飲み放題だ、その分はおれがもつ、と彼 は言った。彼はハンスに葉巻きを一本すすめ、それから四人はおもむろに行動を開始し、 ゆっくり昂然(こうぜん)と街をぶらつき、町はずれのリンデン(菩提樹)広場の あたりから、ビーラッハにちょうどいい時刻につけるように、ようやく足を早めだした。
 鏡のような川の水面(みなも)は青や金や白にチカチカし、もうほとんど葉の落 ちた楓(かえで)とアカシアの樹間からやわらかい十月の太陽が暖かな光を投げ、 高い空は雲ひとつないコバルト色であった。過ぎ去った夏の日が、悲しくはなく微笑まし い追憶のようにやわらかに大気をみたしている、そうした静かで澄んだ喜ばしい秋の一日 であった。こんな日には、子供たちは今が秋であることを忘れて花を摘みに行こうとし、 また老人たちは、窓辺や家々の前に据えられたベンチから、何かを思い出すようなまなざ しで眺めている。この一年のことではなく、彼らのたどってきた全生涯の楽しかった回想 が、この澄んだ青さを通して見えてくるように思われるからだ。しかし若者たちは上機嫌 になり、能力や気分に応じて酒にうつつを抜かし、家畜を屠殺(とさつ)したり、 歌や踊りに興じたり、酒宴を開き、大がかりな闘戯(とうぎ)を競ったりして、こ のすばらしい日々を賛えるのである。なぜならば、今やいたるところで新鮮な果物入りケ ーキが焼かれ、地下室にねかせてあるしぼりたての林檎汁やぶどう酒が発酵し、酒場の前 や古い菩提樹を中心にした広場ではヴァイオリンや手風琴(てふうきん)がこの年 にはもうやって来ない名ごりの美しい日々を祝い、人々の気持ちを浮かれさせてダンスや 歌や愛のたわむれに出かけたい気にさせるのである。
 いきのいい若者たちは、散策の足を急がせて前進した。ハンスは、例の葉巻きを平気の 平座でふかしているように見せかけたが、自分でも驚いたことに、葉巻きがとてもうまい - 82 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] のだった、職人は自分の修業時代の遍歴のことをしゃべったが、彼が大口をたたいて自慢 しても、だれの気にもさわらなかった。こういう楽しみもつきものなのだ。どんなつまら ない手職人でも、のちにすっかり所帯じみてしまって、そのころのことを知っている人間 がだれもいないとなると、自分の遍歴時代のことを、大げさによどみなくすらすらと一種 の伝説的な調子で話すものである。なぜならば、かけ出し職人の青春生活に湛(た た)えられているすばらしい詩(ポエジー)は、民衆の共有財産であり、言い伝え られてきた昔からの職人の冒険譚(ぼうけんだん)を、めいめいの個人的体験によ る新しい唐草模様(アラベスク)のいろどりをそえて再製するからである。そして どんな物乞(ご)いしてまわる遍歴職人でも、なにかを物語る段になると、永遠に 伝説に生き続けるオイレンシュピーゲルやシュトラウビンガーの面影をどこかに持つこと を示すのである。「そいで、おれがあのころにいってたフランクフルトでな、まったく畜 生、あのころはまだ生きてるって気がしたなあ! この話はじつはまだおれはいっぺんも したこたあねえんだが、ある金持ちの商人の狒々爺(ひひじじ)いみたいなのがお れの親方の娘さんと結婚してえって気を起こしたと思いねえ。娘さんのほうはそいつを突 っかえしてしまったさ。なぜっておれのほうが数等お気に召してたからね。そいでその 娘(こ)は、四か月もおれのいい女だったんだぜ。もしおれが親方と喧嘩をしない でいりゃ、いまごろはあすこにおさまって婿殿(むこどの)になってたとこなんだ 」
 彼はさらに話し続けた。「ひでえことに娘を金で売りつけようとしたろくでなしの親方 野郎が色男のおれをなぐろうなんて気をおこしやがって、とうとうおれに拳(こぶ し)を振り上げたんだ。そこでおれはものも言わずにただ鍛冶用のハンマーをさっと振り 上げて、老いぼれをこんなぐあいに睨(にら)みつけてやると、奴(やつこ) さんおとなしくこそこそ引っ込みやがった、頭を割られるのは嫌なんだな。そのあとで意 気地なしの馬鹿やろめ、書面でおれを首にしやがった」彼はまた、三人の錠前職人が七人 の工員を半殺しのめにあわしたというオッフェンブルクの大合戦の話もした――オッフェ ンブルクに行ったらのっぽのショルシュと聞けばすぐわかる、あいつはまだそこにいるが 、その喧嘩にももちろん一枚かんでいたんだ。
 語り手はおもてむき冷静で残酷な口調を使いながら、しかし心の中ではかっか( ・・・)と熱中し、すっかりいい気持ちになってこうしたいろいろな話をするのだった。 そしてみんな感にたえぬように聞き入って、心の中ではこの話を自分もいつかよそでほか の朋輩(ほうばい)たちにしてやろうと決めこんでいるのだった。なぜなら、いや しくも錠前屋たるものは、その昔親方の娘を恋人にしたことがあり、また意地の悪い親方 にハンマーを振り上げて突進し、七人の工員をこてんこてんにのしたことがあることにな っているからである。このシーンが演ぜられる場所はバーデンだったりヘッセンだったり スイスだったりするし、ハンマーのかわりに鑪やまっかに焼けた鉄棒が小道具になり、喧 嘩相手も工員ではなくてパン屋や仕立屋に変わったりするが、ストーリーはいつも昔どお りで、いつでも好んで聞かれる。なぜならこれは古くていい話で、錠前職人の組合 (ギルド)の名誉にもなる話だからである。こういったからといって、実際にはこんなこ とを体験する天才、あるいはこういった話を創作する天才、どちらにしても結局同じこと だが、こういった天才が、二度とは現われず、いまの若い遍歴職人の中にはもうこんな連 中は見当たらないというつもりはない。
 とくにアウグストはすっかり話にのせられていい気持ちになっていた。彼は絶間 (たえま)なく笑い、相槌(あいづち)をうち、自分ももう半分は職人になったつ もりで、小生意気な遊び人ぶった顔つきで煙草の煙を秋日和(あきびより)の空気 のなかに吐きだしていた。語り手は彼の役割を演じ続けた。なぜなら、彼は自分がいっし ょに来てやったことを、好意的にそこまで身を落としたのだと恩に着せる必要があると考 えていたからだ。本来からいえば、職人である彼には、日曜日に徒弟たちの仲間に加わっ て、鼻たれ小僧の酒代(さかて)のあと始末をつけてやることなど恥ずべきことだ ったのだから。
 かなりの道のりを、川下のほうへ向かって国道を歩いた。やがてゆるい勾配(こ うばい)で山を迂回(うかい)している車道を行くか、それとも道は急だが距離は 半分ぐらいですむ小さい山道を行くかを選ぶことになった。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  結局はほこりっぽくて遠いけれど車道を行くことに決めた。徒歩でしか行けない山道は 、週日に使うもの、散歩にゆく紳士がたが利用するものと相場がきまっている。大衆とい うものは、とくに日曜日ともなれば、国道を歩くのを好むものだ。そこにはまだ詩情が失 われてはいない。けわしい山道を登ることは農夫や町に住む自然愛好家にまかせておこう 、これは一種の労働のうちか、さもなければ一種のスポーツで、大衆の楽しみにはならな い。しかしらくに歩いていけて、おまけにおしゃべりもできる国道となると、靴や日曜の よそゆき着もいたまないし、馬車や馬も見られ、ほかのぶらついている連中にもぶつかっ たり追いついたりできるし、めかしこんだ娘たちや、放歌高吟する若者のグループにも出 くわし、だれかが後ろから酒落を言えば、笑いながらやり返す、立ちどまったり、おしゃ べりもできるし、独身ものなら娘たちの列のあとを追って笑いかけられる。夜になれば気 のあった仲間との個人的ないさかいを行動に表わし、そのあとでふたたび和解することも できるというわけだ。
 こうしたわけで車道を行くことになった。道は、暇があって汗を流すことが嫌いな人の ように、おだやかに感じよく大きな弧を描いて、山のほうに上がっていった。
 職人は上衣を脱ぎ、それをステッキにさして肩にかつぎ、話はもうしないで口笛を吹き 始めた。まったく傍若無人(ぼうじやくぶじん)の陽気な調子で彼は、一時間ほど してビーラッハにつくまでひっきりなしに口笛を吹いていた。ハンスのことでいくらかは あてこすりも言われたが、ハンスにはそれほどこたえなかった。彼自身よりもアウグスト のほうが夢中になってそいつをやり返した。やがてビーラッハ村の前まで来た。
 村は、そびえたつ黒い山林を背景に、秋のいろどりをみせた果樹の間に収まって、赤い れんが(・・・)屋根やシルバーグレイの藁屋根(わらやね)を見せていた。
 若者たちは、どこの店にはいるかで、なかなか意見が一致しなかった。「錨亭( いかりてい)」のビールは最上だ、しかし「白鳥亭」にはいちばんいい菓子があり、きれ いな娘がひとりいるのは「角屋」である。絡局はアウグストが我を通して、「錨亭」に行 くことになった。そして意味ありげに目くばせしながら二、三杯をよそでひっかけたって べつに「角屋」が逃げてゆきゃしまい、あとからだって行けるとこさとほのめかした。そ ういう話ならみんなにも異存はない。こうして一同は村にはいり、家畜小屋や、ゼラニウ ムの植木鉢が並べてある手のとどきそうな百姓家の窓の並ぶ道を通りすぎ、「錨亭」めざ して進んだ。店の金色の看板は、二本のまるまっこい栗の若木の向こうに、日光を浴びて きらきらしながら客を誘っていた。何がなんでも店の中に陣どるつもりでいた職人には残 念なことに、酒場のなかは満員で、庭に席を見つけなければならなかった。
「錨亭」は、そこに出入りする客たちの考え方でいくと上品な店の部類にはいり、昔ふう の百姓の居酒屋ではなくて、モダンな四角形のれんが(・・・)造りの建物には多 すぎるぐらいの窓があり、長いベンチのかわりにひとり掛けの椅子があり、いろんな色の ブリキ製の広告の看板がたくさん下がっており、都会風なみなりをした何人かのウェイト レスもいるし、主人も決して上着なしのくだけた恰好などは見せずに、流行のこげ茶の背 広の上下をきちんと着ていた。じつは彼は破産してしまった男だが、大醸造業者である債 権者代表から自分の持ち家を賃借りしていた。そんなことになってからのほうがもっと 人品賎(じんぴんいや)しからぬ人みたいになった。庭といえば、一本のアカシア の木と大きな針金の格子があって、格子の半分ぐらいのところまで野ブドウがかぶさって いた。
「おいきみたち、乾杯だ」と職人は叫び、ほかの三人とグラスを打ち合わせた。そしてい いところを見せようと、グラス一杯をぐっと一息でから(・・)にした。
「おい、きれいなおねえさん、もうからっぽだ、すぐもう一杯たのむぜ」と彼はウェイト レスに呼びかけた。そしてテーブルごしに彼女にビールのグラスをつきだした。
 ビールはすばらしかった。冷えていて、苦すぎもしない。ハンスは愉快になって自分の グラスをゆっくり味わった。アウグストは、通人(つうじん)ぶった顔つきで飲ん では舌をぴちゃぴちゃ鳴らし、飲みながら調子の悪いストーブのように、やたら煙草の煙 を吐きだした。ハンスはそれを、心の中でびっくりして見ていた。 - 84 -

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 こんなふうに馬鹿騒ぎの日曜日を送り、当然その資格を持つ人間みたいな顔をして、人 生を解し、大いに楽しむことを心得ている連中といっしょに居酒屋のテーブルにすわって いるのは、なんといっても悪い気持ちがするものではなかった。いっしょに笑ったり、時 には自分からも思いきって酒落の一つも飛ばしてみるというのはすてきなことだ。ぐっと 一杯あけてからそのグラスで堂々とテーブルをどすんと叩いて、なんの気がねもせずに、 「ねえさん、もう一杯!」と叫ぶのは、すばらしいし男らしい。別のテーブルを囲んだ知 り合いのほうにもグラスを挙げて乾杯し、見様見まねで左手には火の消えた葉巻きの吸い かけを無雑作に持ったまま、帽子のひさしをずり上げてみるのも悪くない。
 同行したよその職人もオダをあげてしゃべりだした。彼の知り合いにウルムの錠前屋が いるが、こいつときたらビールを二十杯も飲める、それも上等のウルム・ビールだ。しか もそれだけ片づけると、口を拭って、「さあ、今度は上等のぶどう酒を一本!」と言うの だそうだ。また彼は以前にカンシュタットで釜焚きと知り合いになったが、そいつは豚の 大ソーセージを十二本いちどきに食ってみごと賭に勝ったのだそうだ。しかし二度めの賭 には負けた。思いあがって、ある小さな料理店のメニューにのっている品を残らず食べよ うとしたのだ。そしてほとんど全都の品をかたづけたが、メニューの最後のところにのっ ているいろんな種類のチーズの番になって、三番めのを食いかけたとき、皿を押し返して 、「もう一口でも食うよりゃ死んだほうがましだ」と言ったそうだ。
 こういう話もみんなに大いに受けた。広い世間にはどこへ行っても底なしの酒豪や 健啖家(けんたんか)がいるものだということがよくわかった。なぜなら、だれだ ってこういうチャンピオンやそのレコードの話の種は持っていたからである。それがある 人の話では「シュトゥットガルトのある男」となり、別の人の話では、「たしか、ルート ヴィヒスブルクの竜騎兵(りゆうきへい)」ということになった。食べたレコード のほうもジャガイモ十七皿だったり、サラダ付きの薄焼きホットケーキ十一皿だったりし た。こういう出来事を、具体的に数まであげるほど熱心に人に伝え、そして、世の中には いろんなすばらしい才能があるし奇妙な人間もいる、その中にはけたはずれの変人もいる ものだと知ると、すっかりいい気持ちになるのであった。こういう快い気分とか、こうい うことこまかな具体性とかいうものは、飲食店の常連のつくりだす俗物社会の昔からの尊 敬すべきしきたりであり、酒を飲んだり、政治談義に花をさかせたり、煙草を吸ったり、 結婚したり、死んだりすることと同じように、若い連中はこういうこともまねしていくの である。
 ビールが三杯めになったとき、だれかがここにはケーキはないのかと尋ねた。ウェイト レスを呼んで聞いてみると、いいえ、ケーキはおいてございませんと言われたので、みん なはひどく腹をたてた。アウグストは立ち上がって、ケーキもないというなら、河 岸(かし)を変えりゃいいんだと言った。よその職人は、この店ときたらなっちゃいない と悪口を言った。フランクフルトの男だけはまだここにいようぜと言ったが、それは彼が ウェイトレスとある程度よろしくやっていて、もう何回も熱を入れてこの女をさすってい たからだ。ハンスも見ていたが、その光景がビールといっしょになって、彼をひどくのぼ せ上がらせたのだ。ここを立ち去ることになったのが彼にはありがたかった。
 勘定を払って、みんなで往来に出たとき、ハンスは三杯のビールの効きめを少し感じて きた。疲れ半分、何かやってみたい気持ち半分の快い感じで、目の前にうすいヴェールが かかったみたいでもあった。そのヴェールを通すと、夢のなかの光景のようになにもかも が遠く離れていて現実ばなれしているように見えるのだった。たえまなく笑いがこみあげ てきてとまらず、帽子をもうちょっと図々しくあみだにかぶり、自分がきわめつきの極道 者になったような気がしていた。フランクフルトの男はまた軍歌調の口笛を吹きだしたの で、ハンスは、その拍子に合わせて歩こうとしてみた。
「角屋」はかなり静かだった。百姓が二、三人新しいぶどう酒を飲んでいた。生ビールは なく、瓶のだけだった。そしてすぐにみんな一本ずつ前に置いてもらった。よその職人は 気前のいいところを見せようとして、自分の勘定でみんなに大きなアップルパイ一皿を注 文した。ハンスは急にものすごい空腹を感じて、二、三片(きれ)をたて続けに平 らげた。飲食店の古い褐色の部屋のなかで、がっしりして広い壁ぎわのベンチに腰かけて いると、夢うつつで快適だった。時代もののスタンドや巨大なストーブが薄闇のなかに沈 - 85 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] み、木の格子のはまった大きな鳥籠には、ヤマガラが二羽はばたきしていた。赤い実のい っぱいついたナナカマドの枝が餌としてさしこんであった。
 亭主はちょっとテーブルに寄ってきて、客たちによくいらっしゃいましたと言った。そ れから話がはずむまでちょっと間があった。ハンスは強い瓶詰めのビールを二口三口やっ てみて、この上自分が一瓶全部あけられるものかどうかということに好奇心をもった。
 フランクフルトの男はライン地方のぶどう山祭りや渡り鳥の旅稼ぎ、安宿暮らしなどの 話を、またやたらと吹きまくった。みんな愉快そうに彼の話に耳を傾け、ハンスも笑いが とまらなくなってしまった。
 ふいに彼は、どうもぐあいがよくなくなってきたことに気がついた。部屋やテーブルや 瓶やコップや仲間の顔が、絶え間なくひとつに重なり合ってやわらかい褐色の雲のような ものになり、必死になって気をとり直すと、そのときだけはもとの姿にもどるのだった。 ときどき、話がはずんだり、笑い声がどっとあがったりすると彼もいっしょに大声で笑っ たり、何か言ったりしたが、なにを言ったかもすぐ忘れてしまった。乾杯のときはいっし ょにグラスをぶつけあった。一時間たって、自分の瓶がからになっているのを見て自分で もびっくり仰天(ぎようてん)した。
「なかなかいけるじゃないか」とアウグストが言った。「もう一本どうだい?」
 ハンスは笑いながらうなずいた。これまでは、こんなに深酒をするのは、もっとずっと 危険なことだと思っていたのだ。フランクフルトの男が音頭をとって歌をはじめ、みんな がそれに唱和したので、ハンスも精いっぱいの声で歌った。
 そのうちに店がいっぱいになってきた。女給の手伝いをするために店の娘も出てきた。 彼女は大柄で美しく均斉がとれ、健康を発散させるような顔と、落ち着いた鳶色( とびいろ)の目の持ち主だった。
 娘がハンスの前に新しい瓶を置くと、彼の隣にすわっていた職人は、さっそく、自分の 手持ちのいちばん気のきいたお愛想(あいそ)を使って彼女の攻略にかかったが、 彼女は聞こえないふりをしていた。男に関心がないことを示すつもりだったのか、それと もハンスのまだ少年らしい初々しさの残った顔が気に入ったからか、とにかく彼女はハン スのほうに向いて、彼の髪を手でさっと一撫でしてスタンドの中にひっこんだ。
 もう三本めのをやっている職人は、彼女のあとをつけていき、なんとか話の糸口をつけ ようと大骨を折ったが、成果はあがらなかった。大柄な娘は職人を無表情でじっとみつめ 、一言も答えずにすぐくるりと背を向けてしまった。そこで職人はテーブルにもどり、か らの瓶でテーブルをどんどん叩きながら突然大感激して、
「調子よくやろうぜ、なあ、みんな、さあ乾杯だ!」
 そして今度はお下劣な女の話を始めた。
 ハンスの耳には、ただ雑然と混ざりあった声がぼんやりと聞こえてくるだけだった。二 本めの瓶をほとんどあけようとするころになると、しゃべることも笑うことさえもつらく なってきた。ヤマガラの籠のところに行って、鳥をからかってみようと思ったが、二足も 出ると目がまわって、危うく倒れそうになり、用心しながら引き返した。
 そのころから、ハンスのあけっぴろげた陽気な気分はだんだん醒めてきた。自分が酔っ ぱらったとわかると、こうして痛飲していることがなにもかも愉快でなくなってきた。そ してはるかかなたに、いろんな禍(わざわ)いが自分を待ちうけているのがわかっ た。帰り道、父親とのいやな一幕、それに明日はまた早くから仕事場行きだ。だんだん頭 も痛くなってきた。
 ほかの連中ももうたっぷりいいめをみて、もう結構というところだった。アウグストは 頭のはっきりしているときに勘定を請求し、一ターラー払ったがいくらも釣はなかった。 おしゃべりをしたり笑ったりしながら往来へ出ると、明るい夕陽がまぶしかった。ハンス はもうしゃんと立っていられず、よろよろしながらアウグストにもたれかかり、いっしょ にひっぱっていってもらった。 - 86 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
 よその錠前屋はセンチになった。「明日は立つのか名残りはつきぬ」を歌って目に涙を 浮かべていた。
 もうこれでご帰館のつもりだったが、「白鳥亭」の前を通りかかると職人がちょっと寄 っていこうと言ってきかなかった。戸口でハンスはふりきった。「うちへ帰らなきゃ」
「ひとりじゃ歩けやしないくせに」と職人は笑った。
「歩けるよ、歩けるとも、―う―ち―へ―か―え―る」
「せめて強いやつを一杯だけやってけ、ちび! こいつをやると足がしゃんとして胃もお さまる。そうともよ、お代は見てのお帰りだ」
 ハンスは手に小さなグラスを握らされたのに気がついた。なかみは大方そとにこぼし、 残りをのみこむと、のどが焼けるようにかっとした。はげしい吐気に襲われて身震いした 。ひとりでよろけながら戸外への階段を降りると、ともかく無我夢中で村のはずれまで来 た。家や垣根や庭が、傾いたりごちゃまぜになったりして彼の前をぐるぐる回っていった 。
 林檎の木蔭のしめっぽい草地に彼は横になった。むかむかするような感情、のしかかっ てくる不安、まとまらない考えなどがあとからあとからおしよせて、眠ることもできなか った。自分がよごされ、けがされた人間であるような気がした。どうしてうちへ帰れよう ? 父になんといったらいいだろう? 明日は自分はどうなってしまうだろう? 自分が もう永遠の憩いについて眠りこみ、恥じ入ってしまわなければいけない弱り果てたみじめ た男のような気がした。頭も目も痛くて、立ち上がってさきを歩くだけの力さえ残ってな いように感じた。
 急に、さっきの歓楽の名残りが、束の間の余波のようにおくればせに寄せてきた。彼は 顔をしかめながら、なんとなくひとり口ずさんだ。


ああ、いとしのアウグスティン
アウグスティン、アウグスティン
ああ、いとしのアウグスティン
すべてはおしまいさ


 歌い終えるか終えないうちに胸が急にうずきだし、ぼんやりしたイメージや思い出や恥 ずかしさや自責の念が濁った奔流のように襲いかかってきた。彼は大きく呻き声をあげ、 すすり泣きながら草の中に突っ伏した。
 一時間たってあたりがもう暗くなってから、彼は立ち上がっておぼつかぬ足どりでやっ との思いで坂を下って行った。
 ギーベンラート氏は、夕食になっても息子が帰ってこないのでさんざんに悪態をついた 。九時になってもハンスは依然として帰ってこないので、彼は長いこと使わなかった太い 籐(とう)の杖をもち出してきた。やつめ、もう親父の鞭なんか卒業したと思って やがるな。帰ってきたら、ありがたいめにあわせてやるからな。
 十時になると玄関の戸に鍵をかけた。ご令息め、夜遊びでもなさろうってなら、どこで 夜を明かすことになるかまあごろうじろだ。
 とはいうものの彼は眠ることができず、ますますむかっ腹をたてながら、ハンスの手が ドアの把手(とつて)をまわしてみて開かないので恐る恐る呼び鈴の紐を引く瞬間 を今か今かと待っていた。その段になったときの光景を想像してみた――夜遊びなんかす るやつはどういうことになるか思い知らしてやるぞ、きっとあのやくざめ、ヘベれけに飲 んできやがるだろう、でもな、そいつをすぐ醒ましてやるぞ、悪党め、性悪(しよ うわる)の死にそこないめ! 骨がばらばらになるぐらいなぐってやらずばなるまい。
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  おしまいに彼も、彼の激怒も眠りに征服されてしまった。
 そのころ、父がこんなに脅しをかけていた当のハンスは、もう冷たくなって静かにゆっ くりと暗い川を流れ下っていた。吐き気も恥も苦しみも、すっかりとりのぞかれ、青ざめ た秋の夜が、闇に流されていく貧弱な彼のからだを見下ろしていた。くろぐろとした水が 、彼の手や髪や血の気のなくなった唇にたわむれていた。だれも彼を見ていなかった。夜 明け前に、獲物をとりに出る臆病なカワウソが、彼を見てずるそうな目つきをし、音をた てないように、流れていく彼のそばをそっと泳ぎぬけていったとすればそれは例外である 。それにどうしてハンスが水の中に落ちたのか知っているものもだれもいなかった。たぶ ん道に迷って、急傾斜の岸辺からすべり落ちたのだろう。もしかしたら、水を飲もうと思 ってからだの平衡を失ったのかもしれない。川の水面の美しさにひきこまれて、水に身を かがめると、ちょうどそのとき夜と青ざめた月の光が安らかに憩いをたたえて水面から照 りかえし、彼を見つめたために、疲れきって不安な気持ちでいた彼は、死の影のなかに知 らず知らずのうちに引きずりこまれてしまったのかもしれない。
 彼が見つかって家に運ばれたのは昼になってからだった。驚愕(きようがく)し た父親は杖をしまいこみ、積もる怒りを水に流すよりほかはなかった。泣きもせず、表情 もあまり変えなかったが、それでもその夜はまだほとんど寝られず、ときどきドアの隙間 から動かなくなってしまったわが子に目をやって見るのだった。その子は清潔なベッドに 寝かされ、相変わらず澄みわたった額と青白い賢こそうな顔をして、自分が特別のもので あり、生まれながらにして他人とは違った運命をたどる権利があることを主張しているか のようだった。額と手の皮膚が少しすりむけで、毒なじみに血がにじんでいた。美しい顔 はまどろみの表情をみせ、あわい色のまぶたが目にかぶさっていた。こころもち開いた口 は満足そうで、あどけなく朗(ほが)らかにさえ見えた。少年は花のさかりに 手(た)折られてしまい、楽しい人生航路の道から引き離されてしまったかのよう だった。疲れきり、ひとり寂しく悲しんでいた父も、この微笑ましい錯覚にすっかり負け てしまった。
 埋葬式には、かなりの数の会葬者や物見高い人たちがやってきた、ハンス・ギーベンラ ートはいまやふたたびだれもが関心を持つような有名人となった。教師たちや校長さんや 町の牧師もふたたび彼の運命にかかわりを持つようになった。この連中はみんなフロック コートにいかめしいシルクハットを着用して葬列に加わり、しばらく墓前にたたずんで、 互いにささやきをかわしていた。ラテン語の先生はなかでもとりわけ憂鬱そうであった。 校長は小声で彼に言った。「まったくねえ、先生、あの子は将来たいしたものにもなれた でしょうがねえ。優秀な連中にかぎってよくこんなひどいめにあうというのは、まったく やりきれませんなあ?」
 フライク親方は、父とおいおい泣き続けているアンナばあやといっしょに、墓前にあと まで残っていた。
「まったくつらいことですね、ギーベンラートさん」と彼は父の身になって言った。「わ たしだってこの子がとても好きだったんですよ」
「わからんことだ」とギーベンラートはため息をついた。「あんなに才能があって、なに もかもうまくいっていたのにな、学校も試験も――それが急にこんどは不運ばかり続いて 」
 靴屋は墓地の門を出て行くフロックコートの連中の背を指さした。
「あそこを歩いていくあのお方たち」と彼は小声で言った。「あのご連中も、この子をこ んな目にあわす手伝いをしたのですよ」
「なんですって?」とギーベンラートはぎょっとして、びっくりしたまま不審そうに靴屋 の顔をじっと見つめた。「え、なんてことをおっしゃる、なぜですいったい?」
「どうか落ち着いてください、わたしはね、学校教師連のことを言っているだけですよ」
「どうしてまた? いったいなぜなんです?」
「いや、もうそれだけにしておきましょう。それにわたしやあなただって、あの子にもっ - 88 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] といろんなことをしてやれたはずなんです、そう思われませんか?」
 小さな町の上には気持ちよく晴れわたった青空がひろがり、谷には川がチカチカときら めいていた。モミの山はやわらかくあこがれを秘めたように、無限のかなたへ青い連なり を伸ばしていた。靴屋は悲しそうに微笑んで、相手の男の腕をとった。その男は、このひ と時の静けさと異様に胸をみたしているいたましい思いから離れて、ためらいがちに途方 にくれながら、住みなれた自分の生活のある下界の町並みに向かって歩いて行った。(完 ) 解説

へルマン・ヘッセの人と文学

 ヘルマン・ヘッセは「内面への道」を歩み続けた作家といわれる。これは彼の生涯の生 活態度を言いつくしているばかりではなく、作家としての歩みについても言えることだろ う。彼は終生自己の中から生まれてくるものに生き、外的なさまざまな誘(いざな )いに屈せず、ひたすら内なる声に耳を貸すことにつとめた。それは宇宙万物を統 (す)べる大いなる力、神の声に敬虔に耳を傾けることでもあった。こういう文学的態度 を貫きながら、実生活においても彼は厳しい内面生活に徹し、名声を求めず、外の世界の 営みから身をひき、しかし真の観察者として混乱の時代にも人間的な判断力を失わず、詩 人として人々を迷いから救い導く使命を果たしていったのである。しかし教育者というか たくるしい言葉は彼には似つかわしくはない。彼は庭師のように、人類を自然に矯 正(きようせい)していった人なのである。一九四六年には彼の「大胆に深い発展を遂げ ながら、古典的ヒューマニズムと高度な様式をふたつながらにあらわしている精神的文学 的な創造に対して」ノーべル文学賞が与えられたのであった。

〔出生〕
 ヘルマン・ヘッセは、一八七七年七月二日、南ドイツ、シュワーベン地方(ヴュルテン ベルク州)の田舎町カルフで生まれた。カルフ(またはカルウ)という町の古い名は、仔 牛と同じカルプであったというが、そのプ(b)がフまたはウと読まれる(v)に変わっ ていったらしい。しかし彼は純粋のシュワーベン人ではなく、家系は複雑である。母方の 祖父、ヘルマン・グンデルト博士はシュワーベンの名門で、博学な牧師であり、教育者で あって、多年インドで布教活動を行なっていた。しかし彼の妻、つまりヘッセの祖母はフ ランス系スイス人であって、インドで生まれたその娘のマリー・グンデルトはその情感的 な性格からいうとむしろスイス人の母親似であった。マリーは長じてインド伝道に従事し ていた宣教師アイゼンバーグと結婚して再びインドに渡っていたが、二児を残して夫に先 立たれ、カルフで宗教の出版事業を行なっていた父のもとに帰ってきた。ヘッセの父ヨハ ンネス・ヘッセはバルト地方のロシア系ドイツ人であり、やはり青年時代にインド布教に 従事したことがあるが、健康を害して帰国し、伝道団の指示でグンデルトの助手になり、 そこで未亡人だった娘のマリーと結婚したのである。父は賢く善良な人であったが、苦悩 者、求道者のようなところがあり、孤独な感じを与えた。彼がシュワーベン方言を話さず 、つねに正確な標準ドイツ語を話していたことも、そういうかたくるしい印象を与えたの かも知れない。この結婚で六人の子供が生まれたが(二児は早逝(そうせい))ヘ ッセはその第三子である。いずれにせよヘッセの宗教性や、東洋思想への傾倒はこのよう な家庭的な環境からも理解されるであろう。
 幼少のころからヘッセは空想力にあふれた利発な子であったが、我儘(わがまま )で両親の手を焼かせるようたところもあった。彼が四歳のころの母の日記には次のよう に記されている。
「……この子には巨人のような強さと強引な意志と、四歳にしてはおどろくほどの理解力 がある。どういうことになるだろうか? 暴君のようなこの子の気まぐれと戦っていくの は、ほんとに精神的に疲れることだ……」
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ]  幻覚と感受性の強かったこの子は、すでに現実の外の世界と内なる世界との矛盾を感じ 、それに反抗していたのかも知れない。この幼年時代の何ものにも侵されぬ純粋な生き方 を、彼はのちになってもしばしば正確に回想しようと試みている。彼は自然を愛し、動物 や植物を友とし、またゆたかな空想力によって幻想の世界を追い求め、音楽的、詩的、絵 画的な才能をさえ予測させた。
 彼が四歳のとき、父の教団の仕事の関係で一家はバーゼルに移住した。背後にひろびろ とした草原をもつバーゼルの家の回想は『ヘルマン・ラウシャー』『幼年時代』などにも 描かれている。この第二の故郷で彼は教団の小学校に通学をはじめ、そこで自分の家や庭 とまったくちがった世界を知ることになったのである。学校は彼にとってしだいに敵対す るおそろしい力のように感じられるようになった。当時の教育制度の欠陥もあろうが、学 校教育が自己に及ぼす束縛への強い反抗心はのちのちまで彼のなかにあらわれてくる。
 バーゼル時代の回想のなかで重要なのは、母親のすばらしい物語の才能と、彼の魔的な 領域のふれあいとも見られる「小さな男」との出会いである。

〔少年時代〕
 ヘッセが九歳になったとき、一家はふたたびカルフに帰った。ヘッセの父が、祖父グン デルトの出版事業を引き継ぐことになっていたからである。「ブレーメンからナポリ、ウ ィーンからシンガポールのあいだで最も美しい町」とよんだこの生まれ故郷の町について は、晩年の散文集『ゲルバースアウ』にくわしく述べられている。カルフに戻ってから町 のラテン語学校に通っていたヘッセは、ヴュルテンベルク州の国家(州)試験にそなえる ために、多数の合格者を出すことで定評のあるゲッピンゲンのラテン語学校に送られた。 州試験の合格者は、給費生として伝統あるマウルブロンの神学校への入学を許可されるの である。ヘッセの祖父も学んだことのあるこの神学校は、ヴュルテンベルク州独特の教育 施設で、一二世紀に設立された由緒あるマウルブロンの修道院に設けられていた。この新 教には珍しい教育制度はすでに一五六五年から実施されており、天文学者ケプラー、詩人 ヘルダーリーンやメーリケなどもこの名門をくぐったのであった。神学を学ぶことにきめ られたヘッセは、一八九一年、一四歳のときにこの難関を突破したのである。
 神学校の雰囲気や生活は『車輪の下』によく描き出されている。そしてヘッセが、作中 のハイルナーと同じように寄宿舎を脱走したのは翌年の三月のことであるが、彼自身の場 合は反抗や精神的な危機を幾度も経た上でというよりは、突発的、発作的に起こった事件 なのである。すでに一二歳のころから、「進むべき道筋が社会においてまったくきめられ ていない」詩人への道を歩もうと考えたこともある彼ではあったが、この脱走の直前に、 ふたたび突如として、世間の常道を歩まず、自己自身の定められた道を戦いとろうという 気持ちが嵐のように激しく彼を襲ったのであろう。零下一〇度という寒天に森で野宿した 彼は翌日警官に発見されて寄宿に連れ戻され、罰則を食い、同級生からは忌避(き ひ)され、はじめて孤独を味わった。彼の精神の危機はその後に始まるのである。休暇で 家に帰宅したときにも、「おう、こないだ天才旅行ってやつをやらかしたそうだな」と言 ってくれた祖父を除いては、みな気味悪そうなやさしさで彼を遇するのだった。新学期を 迎えたときには、彼の神経はいためつけられており、ついに学業を放棄せざるを得ない状 態にまで追いこまれた。五月には悪魔祓(ばら)いの祈祷によって精神障害者を治 療することで有名であった神学者ブルームハルトのもとにあずけられたが、ここでヘッセ は失恋が原因ともいわれる自殺を企てさえしたのである。その後シュテッテンの精薄児施 設で働いていた彼は、ようやく表面的には平静をとりもどし、九二年にカンシュタットの 高等学校に入学したが、内面の反抗心はまだ収まっていなかったせいか、一年後にはここ も退校する。学業の道を捨てた彼は出版業を修めるため、見習いとしてエスリンゲンのマ イヤー書店に入れられたが、三日後にはそこを飛びだして失踪する。彼の行く末に心を痛 めた両親は、しばらく彼を手もとにおいて家業を手伝わせていたが、半年後機械工の徒弟 としてカルフの時計工場に入れたのである。「州試験合格の錠前屋」と罵(ののし )られながら、黙々として旋盤や万力に向かって歯車を磨いたり鑢(やすり)をか けたりする仕事を習っていった一年あまりの間に、彼の精神の危機はしだいに克服されて いったようである。熱心に読書にふけり、詩作を始めたのもこの時代のことである。

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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 〔青年時代〕
 十八歳になったヘッセは、工場をやめた。大学の町チュービンゲンに、大学生としてで はなくヘッケンバウアー書店の見習いとしてふたたび出版業務の実際を学ぶためであった 。ここで彼は三年の徒弟期間を努めあげたのだから、とにかく彼にも適した活動の場が見 つかったと言えるだろう。読書と創作に余暇を捧げたこの時期の孤独な生活で、ヘッセは 厳しく自らを律し、自己の教化と独自の精神的な世界をつくりあげることに全力を傾けた のであった。独学といってもいい彼の読書の中心はゲーテであったが、しだいにローマン 派の作家たちとも親しむようになり、とくにノヴァーリスに心を惹かれた。二二歳の彼が 自費出版した処女詩集『ローマン的な歌』の巻頭の詩句はノヴァーリスからとったもので ある。つづいて出した散文集『真夜中すぎの一時間』は、およそ売れ行きは悪かったが、 この作者の自己や自己の体験に対する敬虔な感情や愛の大きさを書評で推賞したのがリル ケだったのである。希望と憂鬱が混じりあった詩句のなかに、日常の現実の背後にある夢 幻の世界との交流が、とくに過去への回想という形であらわれている。
 ヘッセが九九年の夏バーゼルのライヒ書店に移ったのは、幼年時代の懐旧の情のためで はなく、哲学者ニイチェや史家ブルクハルトに代表される古い歴史と文化の町に惹かれた からであった。この町で彼は牧師ラ・ロッシュの家庭を知り、また歴史家ヴァッケルナー ゲル、美術史家ヴェルフリーン、ニーチェ研究者ヨエルなどの知遇も得た。このバーゼル の時代に、転機として現実生活に対する新しい態度が訪れたと考えてもよいだろう。一九 〇一年に、彼が友人の遺稿を編纂(へんさん)したという体裁で発表した『ヘルマ ン・ラウシャーの遺稿と詩』(のちに『ヘルマン・ラウシャー』と改めて出版)は、若い 熱狂的な唯美(ゆいび)主義者の主人公の破滅を描きながら、自己の「世界に対し てひどく内気でしかも傲慢な孤独化という危険から逃れよう」とした試みであった。同じ 年に試みたイタリア旅行は、古い芸術や文化にふれ、彼自身がこれまでつねにアウト・サ イダーであった今日の社会に批判的な態度を示している。『ボッカチオ』の伝記や、「人 間のなかの神の愛の申し子」である『アッシジの聖フランシスコ』伝は、旅行後の収穫で ある。一九〇二年には『詩集』が出版されているが、有名な「霧の中」もこの巻に収めら れている。この詩集を捧げるつもりであった母はこの年に刊行をまたずに逝った。
 一九〇三年にフィッシャー書店のすすめに力づけられて完成した『ペーター・カーメン チント』(『郷愁』とも訳されている。一九〇四年刊)によってヘッセはいわば一夜にし て有名になった。ヨーロッパの都会文明に幻滅してスイスの故郷ニミコンに帰る自然児ペ ーターにも作者の自画像が認められる。ヘッセは自己の道を求め、人間愛の問題を追求し ながら、すでに「ラウシャー時代」の憂鬱感とは訣別している。この小説はとくに雲や山 水のみずみずしい自然描写によってあの爆発的な成功を収めたのであった。
『カーメンチント』の成功の直後、ヘッセは前年イタリア旅行で知りあったバーゼルの数 学者の娘でピアニストのマリーア・ベルヌイと結婚した。ヘッセが数年にわたる書版業の 勤めをやめて、著述に専心し、田舎に生活する決心を固めたのも、この九歳年長の妻の希 望が大きく働いていたといわれる。

〔ボーデン湖畔の生活〕
 こうして夫妻は、トルストイやラスキンの思想に近い自然の生活を送るために、ボーデ ン湖畔の漁村ガイエンホーフェンに、素朴な農家を借りた。この生活はながい精神的な嵐 を経たあとで達したひとつの目的地であった。少年時代の回想とも言える『車輪の下』も 、こうした安らぎの生活のなかで執筆されたのである。
 八年にわたるガイエンホーフェンの生活の間に、彼はスイス、オーストリア、ドイツ、 イタリアなどをしばしば旅行し、多くの雑誌に寄稿した。ミュンヒェンの雑誌「三月」の 編集者にも名を連ねた。
 この時期には『この岸』『隣人』『途上』などに収められた短編中編の佳品も多いが、 『車輸の下』と並んで重要なのは、音楽家小説『ゲルトルート』(邦訳『春の嵐』)であ る。不具になった一人称でかかれている芸術家は、最後に音楽に慰藉(いしや)を 見いだすが、彼の愛していた娘が結婚する歌手は飲酒で破滅しついには自殺する。この小 説はのちに発表された『ロスハルデ」(邦訳『湖畔の家』)と対置される作品だが、評価 - 91 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] はまちまちであった。
 一九一一年に彼がインドヘの旅行を思い立ったのは、一応市民的な家庭の枠のなかに安 住したかにみえる湖畔の生活に、しだいに束縛を感じはじめたためである。彼の作品もま た調和と美を失いはじめている。のちに発表された『ロスハルデ』(一四年 邦訳『湖畔 の家』)には夫婦生活の危機が描かれており、お互いに精神的に疏遠(そえん)に なってしまった画家夫婦が、子供の死をきっかけに別れていくことを描いているが、その ようなきざしはすでにこの時期にみられたのであろう。ヘッセがインドに赴(おも む)いたのは、ヨーロッパの文化からの逃走だとも言われるが、彼自身の言葉を借りれば 「距離をとって全体を概観する」ための試みでもあった。この旅行では目的地のインドに は足をふみ入れず、マレー、スマトラ、セイロンの紀行が主となった。彼の求めていた精 神的な救済や、ヨーロッパからの解脱(げだつ)は得られなかった。しかしヨーロ ッパでもアジアでも文明によってこわされぬ超時代的な精神の世界が存在することを知り 、そういう領域を自己のうちに造りあげることを望むようになったのは大きな収穫であろ う。
 ガイエンホーフェンの生活に終止符をうつことを決めたのはこの旅行の翌年のことであ る。友人の画家ヴェルティが死に、その家が空いたという事情もあって、ヘッセはベルン 郊外のメルヒェンビュールヴェクに移り住んだ。『インドから』や『ロスハルデ』が刊行 され、『クヌルプ』が執筆されるうちに、第一次大戦の勃発の年が近づいた。社会の軌道 からはずれた放浪者を主人公にした『クヌルプ』(邦訳『漂泊の魂』)は、大戦中に出版 されたが、ものごとを有用性のみから判断する世界における一見無用に見える目的などに 縛られぬ芸術家、クヌルプの生涯を扱ったものである。

〔第一次大戦〕
『ロスハルデ』に認められる家庭内の危機だけではなく、一九一四年に勃発した世界大戦 は、もうひとつの影をこの詩人になげかけた。ベルンのドイツ領事館に奉仕を申し出た彼 は、ドイツ戦争捕虜の援護機関の仕事に当たることを命ぜられた。この仕事はアメリカ、 フランスで捕虜になったり、スイスに拘留(こうりゆう)されたりしたドイツ兵が 読書できるような文庫を設けることであり、自分の蔵書の多くをさえ供出したが、さらに 捕虜たちのための新聞の編集に当たり三年の間、隔週の刊行を続けた。戦争開始とともに 、各国の作家たちが偏狭な愛国主義にとらわれ、戦争に感激して美辞麗句を連ねたのに対 し、ヘッセははじめからはっきりと反戦的な態度を表明した。一九一四年一一月、彼は「 新チューリッヒ新聞」に、「おお友よ、そんな調子はよそう!」という有名な文章を掲載 して、戦争に迎合(げいごう)的な文化人たちの反省を求めた。しかし人間性を訴 えるこの声は、たちまちにして多数のドイツ愛国主義者たちの総攻撃をうけ、ヘッセは「 裏切り者」「変節漢」といったような悪罵(あくば)を浴びたのである。のちの西 独大統領ホイスは、このときヘッセに共感した少数の人のひとりである。『ジャン・クリ ストフ』の作家ロマン・ロランから送られてきた手紙も彼の強い励ましとなった。戦争と いう残酷な現実にゆすぶられ触発されてとったヘッセの政治的な態度にも、かれの人間愛 のあらわれを見ることができるだろう。戦争にみられる憎悪や惨禍(さんか)を生 みだすものははたして何かという問題に、ヘッセは人間探究者の彼らしい取り組み方をし たのであった。
 戦時の奉仕の激務のさなかに、彼は父を失い、(一六年)また末の息子の重病や妻の精 神病の悪化など身辺にもさまざまな苦労が重なり、彼自身も身体的精神的に傷めつけられ て憂鬱症に陥った。しばらく転地療養を続けるうちに、C・G・ユングの弟子である精神 病医ラングの治療をうけることになりフロイト派の精神分析の影響をうけるようになった 。この体験から生まれたのがヘッセの作家活動で新たな時期を画した『デーミアン』であ る。自己の性格の科学分析によって、かれは魂のなかでふたつの要素が争いあっているこ とを認識した。既成の道徳や、日常の市民性の束縛をうけぬもう一つの領域(デーミアン のいうアプラクサスの神の領域)の存在を確認した彼は、性格的な分裂のために終生社会 に容れられぬ部外者であるという考えをもつことは誤りだと感じるようになった。彼がア ウトサイダーとしてでなく、積極的に自己の人間像を生きようとする姿勢や使命観が生ま れてくるのである。『デーミアン』は一九一九年、匿名で(作中人物ジンクレールの名を かりて)出版され、自分たちの運命をその中にみた青年層に、感激をもって迎えられた。 - 92 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 作者ジンクレール氏にはフォンターネ賞が与えられたが、作者は不明であった。スイスの 批評家コロディが文体から作者はヘッセに違いないと推論し、ついにはヘッセも作者だと 名乗りでることになったが、文学賞は堅く辞退してまだ無名の作家たちに与えられること を希望したのであった。

〔テッシン時代〕
『デーミアン』が発表された年には、ヘッセはもうベルンを離れていた。一九一八年の暮 れには彼の家庭生活は崩壊していた。妻は精神病の療養所にはいったままであり、共同生 活はもはや不可能であった。子供たちを知人や寄宿にあずけて彼は単身南スイス、テッシ ン州のルガーノヘゆき、それからさらに山地の葡萄山と栗の森にかこまれたモンタニョー ラ村の山荘カサ・カムッツイにひきこもったのは一九年五月のことであった。しかし孤独 の窮乏の生活のなかで新たな出発が行なわれたことは、この年に『ツァラトゥストラの再 来』『クラインとワーグナー』『クリングゾールの最後の夏』を完成し、『シッダールタ 』の執筆を始めていることでもわかる。画家ゴッホを思わせるようなクリングゾールの狂 乱の世界にくらべると、シッダールタの調和への遍歴の道は、東洋的な英知を示している 。これらの作品はのちに『子供の心』をも加えて『内面への道』と題して一巻にまとめら れた。「内部からおのずと生まれてくるもののほかは何も生きようとしなかった」ヘッセ の道程として注目すべきであろう。
 二三年、彼がスイス国籍をとった年に、ヘッセは妻マリーアと正式に離婚し、スイスの 女流作家の娘ルート・ヴェンガーと結婚したが、この結婚も三年後には終わりを告げてい る。このころから坐骨神経痛に悩まされた彼はしばしばバーデン鉱泉に通うようになった が、『湯治客』はその副産物である。ユーモラスな筆致を試みながら、精神と衝動の問題 を扱っている。二七年発表された『荒野の狼』はやはり一種の自己との出会いを夢や幻想 と現実を交錯して描いたもので、自己自身および彼の時代にふたたび分析を試みている。 この実験的な作品に続いて発表された『ナルチスとゴルトムント』(邦訳『知と愛』また は『聖母の泉』)において、ヘッセははじめて「知」(ロゴス)と「愛」(エロス)の両 端の緊張に一種の和解を与えた。ここではもはや両極間の緊張関係も不調和を生みだすこ となく、ヘッセの肉体的な衰弱も克服されていることを示している。
 三一年には、二七年から深い交遊をもっていたオーストリアの美術史研究家ニノン・ド ルビンと結婚し、終生の住居となったカサ・ヘッセ(ヘッセの家)に移った。ニノン夫人 は以後三〇余年のヘッセの生涯を共に送った。
 一九三二年に発表された『東方巡礼』(邦訳『光のふるさと』)は架空の抽象小説であ るが、内面の世界の童話であり象徴である。時空を超越した「精神の教団」には老子もゲ ーテもノヴァーリスもパウル・クレーも所属する。この作品はヘッセのライフ・ワークで ある『ガラス玉演戯(えんぎ)』の前提としても重要である。この作品の献辞には 「東方の巡礼者たちへ」と記されている。

〔混沌の時代『ガラス玉演戯』〕
 三三年にドイツではヒトラーが政権を樹立した。この第三帝国の暗黒の時代にヘッセは モンタニョーラに引きこもって完成に一〇余年を費した大作『ガラス玉演戯』の完成に全 力を注ぐのである。彼の隠棲(いんせい)は時代と無関係に生きたということでは ない。「人類の粗暴な血まみれの愚行」に対する彼の抗議の姿勢は、純粋な芸術家的な創 造が、このような時代の混沌に対して、精神的な現実として立派に低抗力をもちうるとい う確信によって支えられるようになっていたのである。彼の作品は焚書(ふんしよ )こそされなかったが、「好ましからぬ」ものに数えられた。三五年には御用評論家から ふたたび国家の裏切り者という非難を受け、三九年ごろにはドイツ国内での彼の作品の出 版はほとんど不可能になってしまった。
 ナチスが文化に対して侵しているさまざまな破壊行為、真実の蹂躙(じゆうりん )や言葉の冒涜(ぼうとく)などのしらせは、テッシンのヘッセの山荘にも伝えら れてきた。ヘッセは大戦前にすでに、ナチスの政権が皇帝時代よりもさらに残虐な戦争に 突入することを予言し、このような脅威と危機のさなかにあって、救済の力となるべき創 - 93 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 造に心血を注ぐことに自分の使命を感じたのである。一種の未来小説の形で、精神の理想 郷を描こうとしたこの作品は一九四二年四月二九日に完成された。亡命の初期にもヘッセ の手あついもてなしをうけ、彼と深い親交を結んでいたトーマス・マンは、亡命地アメリ カで大作『ファウストゥス博士』を執筆中にこの作品を読み、自分のとりくんでいる作品 とのある種の相似に驚いたのであった。この二人の相貌(そうぼう)を異にした巨 匠は、偏狭なナショナリズムを脱して、世界市民の精神に達し得た点でも共通するところ を持っている。ヘッセのこれまでの作品が、時代の病患に対する予報であり、診療の意味 をもつとすれば、『ガラス玉演戯』はまさに治療の役割を果たすものであろう。この作品 は混沌の時代を経ながらふたたび精神に基づいた秩序に向かってゆく治癒の力をそなえて いるように見えるのである。

〔晩年〕
 一九四五年に平和が訪れた。それ以後ヘッセは詩や随筆、生涯の仕事のまとめや回想な どの仕事を主とし、大作を制作してはいないが、これは彼が眼病に侵され、目をいたわら なければならなかったという事情も加わったせいだと思われる。この時期にはルガーノ湖 をのぞむモンタニョーラの山荘では、人類の庭師といわれる彼が、やせぎすな姿をあらわ して庭仕事にいそしむ姿が見られたという。
 戦後のヘッセは山荘を離れることもますます稀(まれ)になったが、世捨て人、 隠遁(いんとん)者として象牙の塔に引きこもってしまったわけではない。この家 にありながら彼は精神の糸で、世界のすべてと結ばれていた。その例は、晩年の彼の人間 としての大作といえる書簡である。読者から敬愛されたヘッセは、あらゆる国の人々から 手紙をうけとったが、ヘッセはできうるかぎり丁重に解答を与えた。それも「書簡集」を 意 識 す る よ う なてらい(・・・)から書かれたものではなく、差し出した人 の個々のケースに対する誠実な解答であった。この点にも、ヘッセの個を尊重する人柄が 如実(にょじつ)にあらわれていると言えよう。たとえば彼の八五歳の誕生日には 、七時半から起きだして、九〇〇通に及ぶ誕生祝いに返信をしたためたという。ドイツの 女子学生が「私は、はじめてあなたの本のひとつを読んだとき、わたし自身が多かれ少な かれ無意識に感じたことのある多くのことを発見しました」と書き、日本の高校生が「… …あなたの作品を読んでいけばいくほど、わたくしはそのなかに自分自身を感じました。 いまわたしは、自分を最もよく理解してくれる人がスイスに生きており、わたしをいつも 見つめてくれるのだと信じています……」と綴った手紙をよせたのもこのころであった。
 批評家としてのヘッセにもこういう態度がよくあらわれている。自分の選んだ作品しか 批評をしないという態度はつねにくずさなかったが、カフカやムージルを早くから評価す るような能力を備えていた。ユダヤ系の亡命作家ヴァイスも、ヘッセ在世中に作品の評価 を乞い、好意的な批評を与えられたひとりである。
 戦後ヘッセは数々の栄誉に包まれた。四六年にはゲーテ賞およびノーベル賞、四七年に はラーベ賞に輝き、一九五五年には、同郷の知友である西独大統領ホイスから勲功 (くんこう)章(プール・ル・メリット)を授与され、またドイツ出版業会の平和賞をさ ずけられた。
 一九六一年のクリスマスに彼はニノン夫人にひとつの詩を贈った。その一節には


鳥の翼をひろげて
わたしをとりまく束縛からとびだしたい


とあった。詩人はすでに死への旅出ちを憧れていたのかも知れない。一九六二年八月八日 の夜、ヘッセはモーツァルトのピアノ・ソナタをきき、目が悪くなってからの習慣で夫人 に朗読をしてもらい、床についたまま脳溢血(のういつけつ)で、文字通り「眠る ように」天命を全うした。頑(かたく)ななまで個に生きた詩人ヘッセは最後の「 内面への道」を歩み始めたのである。

作品解説と鑑賞
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 〔成立の背景〕
『車輸の下』は一九〇五年から「新チューリッヒ新聞」に連載され、一九〇六年(明治三 九年)にフィッシャー書店から出版されると多大の反響を呼び、たちまち十万部におよん だという。一九〇六年といえば、ヘッセが出版業者となる道を捨て、作家として立つ決意 を固めてガイエンホーフェンに引きこもってから三年目にあたり、ヘッセはすでに前作『 ペーター・カーメンチント』で作家的地位を確立していた時期である。しかし『車輸の下 』はすでに一九〇三年から四年にかけて相当の部分が執筆されていた。多分に自己の少年 時代の回想に基づいているこの作品の完成のために、この時期に彼はモデルとなっている 故郷の町カルフにも帰省している。シュワルツワルト(黒林)にかこまれたナゴルト河畔 の小さな町カルフは、この作品のシュワーベンの田舎町にほとんどそのまま描き出されて いる。
 たしかに『車輸の下』は作者の自伝的要素を多く含んでいるが、ヘッセの体験がそのま まこの作品に盛られていると考えてはいけない。ヘッセも作中のハイルナーと同じように マウルブロンの修道院の神学校を脱走したが、入学以来脱走するまでは決して反抗的な生 徒ではなかった。また脱走を発見されたあとも反抗のポーズをとり続けてそのまま退学に なったのではなく、罰として監禁の刑をうけただけであった。
 しかしこの事件を境としてはじめてあらわれた不安定な精神状態のために、今度はむし ろ作中のハンスの場合のように学校生活についていけなくなって次の学期に退学するので ある。つまりハンスもハイルナーもヘッセの分身である。これは、作家が自己の体験を作 品に描く場合にとる一種の距離化という以上に興味がある。ハンスとハイルナーは、のち の作品、たとえば『ナルチスとゴルトムント』などでさらにはっきりと現われてくる両極 にひきさかれた二人の主人公の原型だからである。のちにヘッセは『過去との出会い』の なかで、『車輪の下』の成立の事情を回想して次のようにいっている。「一〇年のちにな って、まだほんとうに理解し克服した状態にあるとはいえなかったけれど、わたしはこの 時期のことを『車輸の下』という物語のなかではじめて回想してみようと試みたのである 。パートナーとして、また敵として主人公の分身と考えてもいい友人ハイルナーも含めて 、この少年ハンス・ギーベンラートの人間像と物語のなかに、わたくしは成長期の危機と いうものを描き出し、そしてその時期への追憶から自分を解放しようとしたのであった。 そしてこの試作を行なうに当たってわたしにはまだ成熱した高い立場をとることができな かったので、それをカバーするためにいささか告発者批判者めいたポーズをとり、ギーベ ンラートがその犠牲になり、わたし自身もかつてはほとんどそうなりかかったいろいろな 圧力、学校・神学・伝統・権威といったような力に対して批判を行なったのである。前に も言ったように、この学校小説でわたしが自分に許した計画は、ほんとうはまだ時期とし ては早すぎたのであった。事実この小説は部分的にしか成功していない……しかし……そ れでもやっぱりこの本にはほんとうの体験としてしいたげられた生活の一片が含まれてい る」
 この言葉でもわかるように、『車輪の下』という題名から、この作品が、周囲の無理解 によって圧殺されていく天才少年の死を描いた抗議の書と一面的にうけとりすぎてはいけ ない。
 本来ならば、社会環境に対する攻撃が主なのではなく、自分の個性を完全に生きようと する意志が問題となるべきなのであり、その努力が周囲からは頑固、わがまま、反抗的と もとられるところにはじめてヘッセ流の抗議が生まれるはずなのである。人間を鋳 型(いがた)にはめこんでしまうような枠というものが個性を害(そこ)ない、精 神をもたぬ人間をつくりあげてゆく過程は、ここではとくに古い型の教育に対して向けら れているようにみえるが、見落としてはならないのは、牧歌的な田舎町にかえって強くあ らわれてくる偏狭な市民性という枠である。ハンスの父親におよそ俗物的、非精神的な小 市民ギーベンラート氏を配した構成もそうした配慮のためと思われる。ハンスが勉学を放 棄したのちに新しいスタートを切った職人の世界にもこうした枠はある。三年間の 徒弟(レーアリング)修業を経て「職人(ゲセレ)」に昇格し、(職人になる と当時は修業の意味で、転々と職場を変える遍歴をする習慣があった。この小説で職人が 使う「出稼ぎ」とは本来はその意味である)さらに年期をいれてやっと「親方(マ イスター)」になる、ちょうど日 本 で い え ば、丁稚(でつち)小僧が手 代(てだい)、番頭になり、それからノレンを分けてもらってひとり立ちになるというよ - 95 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] うな厳然たる体系が存在していた。これは現在でも近代化されながらまだ形としてはドイ ツに残っている、いい意味も悪い意味もあわせもったシステムだが、勉学の道をゆくにせ よ、実地の職業を選ぶにしろ、このどちらの道もふまないものは、社会秩序からはハミ出 したアウトサイダーあるいはよそ者と見做(みな)されたのである。ヘッセ自身は 前者に失敗して後者の道を選び、機械工の修業も途中で放棄し、ようやく出版業者として 徒弟時代を終え、書店員、つまり他の職種でいえば「職人」に昇格したところで、ふたた び作家というおよそ保証のない自由業で身を立てる決意を定めたのだ。自己に徹して生き るためにとったこの態度が、当時の社会環境から見ればどれだけの冒険を意味していたか ということを考える必要がある。
 ガイエンホーフェン時代は、ヘッセが一応は周囲の世界と和解し、作家としても安定し た地位を獲得した時期だから、自分の通過した危機をふり返ってみるある程度の余裕を持 っていたともいえるが、このあとに彼の生涯の第二の危機が訪れていることを考えれば、 まだこの小説を書くためには時期尚早だったという後年の述懐(じゆつかい)もう なずけないことはない。しかし彼自身がこの作品になみなみならぬ愛着を抱いていること もさきほどの言葉から見てとれるであろう。

〔構成〕
『車輪の下』におしつぶされてわかい生命の芽をつみとられた主人公ハンス・ギーベンラ ートの短い生涯を、神学校入学のための受験時代、神学校の生活、学校を退学し機械工の 徒弟として新しい生活をはじめた初期の体験という三つの時期に分けて描写している。そ して生長期思春期の重要な体験として、神学校時代のハイルナーとの友情、退学後のエン マとの恋愛というふたつのエピソードが、この少年の短い生涯の最も重要な体験としてそ の間に挾まれている。全編の中核となっているのはマウルブロンの神学校の寄宿舎生活で ある。周囲の人々の功名心や野心のために子供らしい自然な生き方を断念して受験の勉強 に拍車をかけられたハンスが、友情を通じてことなった世界を知り、それによって挫折す るきっかけとなったのもこの修道院の生活なのであり、したがってこの部分が中心におか れているのは当然である。ハンスが不面目(ふめんぼく)のあまり、しばしば死と いうものに対決するようになっていく経過も修道院の寄宿の四季を通じて説得力をもって 描き出されている。
 ヘッセ自身も思春期に自殺を試みたことがあったが、この場合はむしろ失恋が原因だっ たといわれる。エンマとの事件の痛手はなるほど作中のハンスに大きな陰影を投げかけて いるが、ハンスが死の想念をもてあそんだのは退学になった直後の時期であり、機械工の 徒弟として新たな生活のスタートを切ろうと思った時期にこの事件が織り込まれてくる。
 ハンスの死がはたして自殺であったか、それとも過失死であったかはにわかに決めるこ とができないが、自殺としても計画的なものではなく、川辺によこたわるうちにふと甘美 な死の誘惑にうちかてなくなって水のなかに憩いを求めたのであろう。

〔文学史上の位置〕
 ドイツ文学の作家のなかでヘッセと世代的に近いのは彼より二歳年長のマンとリルケで ある。ヘッセが生まれたころはメーリケやケラーなどが牧歌的に描き出した一九世紀的な 生活感情というものもまだそれほど崩壊していなかった時期である。市民はおのおのその 分を守り、小市民的、ビーダーマイヤー的といわれるようなつつましい幸福に生きようと しており、その生活を外側から支えている古い社会の秩序はまだ表面的には保たれていた 。しかし新しい時代はすでに底流として存在しており、ヘッセの少年時代にはすでに大都 会にはその兆候がはっきりあらわれだしていたが、彼の生まれ故郷である田舎町にはそう いう新思想はまだ浸透してきていなかったのである。ニーチェが「神は死せり」と叫んだ 『ツァラトゥストラ』を発表したのは一八八三~四年のことであり、心理分析の方法によ って文芸にも大きな影響を与えたフロイトは、ヘッセが生まれた時には二一歳になってい た。新しい科学の時代の画期的業績である相対性理論の発見者アインシュタインはヘッセ より二歳年少であった。
 このような新しい時代は文学の上ではまず一八九〇年代に盛んになった自然主義の運動 - 96 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] においてあらわれた。自然主義はその方法において自然科学のような実証的方法を用いた こと、世界観においてしばしば理想的な社会主義と結びついたことなどで新時代を反映し ている。社会的にいえば、科学の進歩、工業の近代化にともなって大都市の人口集中がし だいに激しくなり、プロレタリア階級が生まれ、機械文明、技術の時代というものがスタ ートしはじめたころといってもよいだろう。そのような文明の発展にともなって、人間が しだいに精神を失い、素朴な自然と切り離されてゆく過程も認められてきた。ヘッセが、 ゲーテやドイツロマン主義の伝統を守り、またヨーロッパを逃れて東洋の英知に救いを見 いだそうとしたのは、こうした皮相な技術化近代化、雑文による文化の時代に、失われか けようとする人間性を守ろうとしたからなのであった。
 無味乾燥で平板に傾きやすい自然主義の文学の限界がしだいに感じられるようになると 、もう一度詩情(ポエジー)を獲得しようという試みがさまざまの形で行なわれて きたが、ヘッセはそのなかの新ロマン主義という流派の作家に数えられたことがある。そ れは、一九二六年にヘッセの最初の伝記を書いたフーゴー・バルが、そのなかでヘッセを 「ロマン主義の最後の騎手」と呼んだことによるのである。個に忠実であったヘッセは流 派に数えられる作家でもなく、また回 顧 的な 夢 想 や、星菫(せいきん)派的趣 味に低徊するロマンチストでもない。もちろん彼がロマン的なものと無縁であったわけで はないし、夢想的、牧歌的な傾向もとくに初期の作品にはかなり見られるが、時代に対す る診断者、批判者としての彼は常にリアリストであったともいえる。究極するところ、ヘ ッセの関心事は、内面と外面、個と世界の問題であり、またそこから発した人間の本質の 追求につきるのである。
 ヘッセが『ペーター・カーメンチント』で自分でも予期しなかったほどの成功を収めた のは、素朴な自然描写や、文明に背をむけて自然のなかに懐(いだ)かれる主人公 のあゆみが、傾向的な新文学に慣れた人々の心をとらえたからであろう。『車輪の下』は 、ヘッセ自身も認めるように多少教育に対する社会批判がみられるが、厳しい教育制度に 対する問題を主題とした作品はこの時期にかなり発表されており、一種の流行だったとも いえる。グロテスクなヴェデキントの戯曲『春のめざめ」(一八九一年)は教育制度も含 めた社会道徳一般の攻撃の書であるが、ハインリヒ・マンの『ウンラート教授』(一九〇 五年)もこのタイプの小説である。『車輪の下』と前後してエーミール・シュトラウスの 『友だちハイン」(一九〇六年)フリートリヒ・フーフの『マオ』(一九〇七年)などが 発表された。ムージールの『候補生テルレスの錯乱』(一九〇六年)などもこれに近いも のと考えてもよい。こういったいわゆる「生徒小説」のなかで、『車輪の下』がいつまで もたえず読者を獲得しているのは、ヘッセ自身がのちにいったように本当の体験として虐 げられた生活の一片が含まれているからであろう。

〔作品鑑賞〕
『車輪の下』がとくにわが国の若い読者層のあいだにも迎えられるのは、受験勉強のため に思春期前の少年が、子供らしい遊びを一切放擲(ほうてき)するいじらしい姿が 共感を呼ぶからであろう。つめこみ教育によって栄冠を獲得した秀才児が、入学後に神経 衰弱におちいって、ついには学校から脱落してゆく末路や、強烈な自我をもった生徒がそ のような学校という枠に反抗し逸脱してゆくというケースもわれわれとはそう無縁のこと ではない。しかし前にも述べたように、この小説を単なる教育制度に対する批判の書とし てはいけないのである。ヘッセの幼ない時代への回想のなかには、子供ほど純粋に自然に 近い存在だという思いが混じっているのであって、それゆえにこそ、この自然の存在に人 為的に加えられる圧迫というものが抗議され批判されるのである。
 作者の体験に基づくことが多いだけに、この作品にはヘッセが生まれて数年と九歳から 十三歳までの時を送ったシュワーベンの町カルフの面影がしばしば地方色を添えている。 マウルブロンの修道院の描写もみごとである。シュワーベン地方(ヴュルテンベルク州) はドイツ南西部に当たり、黒林(シュヴァルツヴァルト)を含んだ一帯で、この地方の人 々の特徴についてはヘッセも第三章で述べているが、ヘッセの家系は、国際的なものであ り、純粋なシュワーベン人ではないことは前にも述べておいた。越境(えつきよう )入学というほどでもないが、ヘッセ自身は、マウルブロン神学校入学のためにそれまで バーゼルにあった市民権をヴュルテンベルク州に移しているのである。本来はドイツとい うところは、それぞれの地方色や狭い愛郷心のつよいところであり、文学にも時には作家 - 97 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] の出身地が大きな意味をもっていることがある。ここで少年時の体験をもとにシュワーベ ンの自然や風物、人情や習慣などを、ときには方言などもまじえながらいきいきと描き出 しているヘッセが、その父方のロシア系の血筋や、母方のスイス系の血筋などによって、 狭い意味でのシュワーベンの郷土詩人に止(とど)まる人ではないということを考 えてみることもおもしろいかも知れない。この本のなかでとくにローカル・カラーが強い のは、第六章の大半があてられている果汁しぼりの行事の光景であろう。
 ハンスが機械工の徒弟入りをしてからの第七章の描写は、もちろんヘッセがカルフのペ ロット工場で塔の大時計の歯車みがきをしていたころの体験を織り込んだものである。こ のころの体験は、『工場から』(一九〇四年)『錠前職人』(一九〇五年)などという習 作的な短編にも描かれているが、たとえば後者ではトルストイなどを読書し、ほかの職人 たちから異端視される孤独な職人が主人公である。機械工徒弟時代のヘッセが、職人たち の世界でも孤独なよそ者であったことを暗示して興味ぶかいが、本編の主人公ハンスは工 場入りをしてわずか数日で死んでしまうから、その問題までは発展していかない。
 思春期小説ともいえる『車輪の下』はある意味ではヘッセ自身の青春への訣別( けつべつ)の書であった。多少の感傷性はないではないが、そういう点だけではなく、俗 物性や市民性に向けられた鋭い批判や、少年ハンスの夢想的な傾向、我を貫こうとするハ イルナーの世間(学校)との衝突などに後年のヘッセ文学に「内面と外面の問題」となっ て発展するさまざまな要素も心に留めていただきたい。 年譜

一八七七 七月二日、ヴュルテンベルク州(シュワーベン地方)の小都市カルフに父ヨハ ネスと母マリーの第二子として生まれる。
一八八〇(三歳)妹マルラ生まれる。
一八八一(四歳)一家はスイスのバーゼルに移住。父は同地で宣教師の教育に当たる。
一八八二(五歳)弟ハンス(一九三五自殺)生まれる。
一八八六(九歳)一家ふたたびカルフヘ戻る。
一八九〇(一二歳)州試験受験のため両親の家を離れ、ゲッピンゲンのラテン語学校に転 学する。
一八九一(一四歳)七月、州試験合格。九月、マウルブロン神学校入学。寄宿生活にはい る。
一八九二(一五歳)三月、神学校を脱走、監禁の刑を受ける。イースターの休暇後、ふた たび学校には帰ったが神経衰弱が嵩じ、五月休学。結局は退学する。療養のため、祈祷療 法を行なう牧師の家に託され、そこで自殺を企てて失敗。二月、カンシュタットの高等学 校に入学したが翌年一年未満で退学。
一八九三(十六歳)高校退学後、一〇月、エスリンゲンのマイアー書店の見習い店員とな ったが、三日後に失踪。結局つれもどされて父の出版の仕事を手伝う。祖父ヘルマン・グ ンデルト死す。
一八九四(一七歳)六月、カルフのペロット工場に機械工の徒弟となってはいる。
一八九五(一八歳)詩作を始める。九月、機械工をやめる。一〇月、チュービンゲンのヘ ッケンハウアー書店に見習い書店員として雇われる。
一八九八(二一歳)三年の年期を勤めあげて書店員に昇格。この時期に友人ルードヴィヒ ・フィンクなどチュービンゲン大学の法科学生三人と(小同志会(プチ・セナーク ル))というサークルを作る。
一八九九(二二歳)『ロマン的歌集』及び散文集『真夜中過ぎの一時間』を出版。秋バー - 98 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] ゼルのライヒ書店に移る。
一九〇一(二四歳)『ヘルマン・ラウシャー』をライヒ書店より刊行。秋、イタリアに旅 行する。(フィレンツェ、ラヴェンナ、ヴェネチア)。
一九〇二(二五歳)『詩集』刊行。母死す。
一九〇三(二六歳)再度のイタリア旅行。書店を辞す。
一九〇四(二七歳)『ペーター・カーメンチント』がフィッシャー書店から出版され、非 常な成功を収め、作家としての地位が確立する。『ボッカチオ』、『アッシジの聖フラン シス』刊行。九月、マリーア・ベルヌイと結婚し、ボーデン湖畔ガイエンホーフェンにひ きこもる。この時代の友人に作曲家オトマール・シェックがいる。
一九〇五(二八歳)『ペーター・カーメンチント』によってバウェルンフェルト賞受賞。 長男ブルーノ誕生。
一九〇六(二九歳)『車輪の下』出版。前作を凌ぐ成功を収める。
一九〇七(三〇歳)ガイエンホーフェンに新居を構える。『この岸』刊行。
ルートウィヒ・トーマなどと雑誌「三月」の編集に当たる。
一九〇八(三一歳)市民生活を扱った『隣人たち』出版。
一九〇九(三二歳)ブラウンシュワイクに作家ラーべを訪問。次男ハイナー生まれる。
一九一〇(三三歳)『ゲルトルート』(邦訳『春の嵐』)刊行。音楽家オトマール・シェ ックなどとの交遊。
一九一一(三四歳)中編集『途上』刊行。夏、画家ハンス・シュトゥルツェンエッガーと インド旅行を計画。マレー、セイロン、スマトラなどを訪れたが、東洋にもやや幻滅を感 じる。三男マルティン誕生。
一九一二(三五歳)中編集『まわり道』刊行。ベルン郊外に移り、亡くなった画家の友人 ヴェルティの邸に住む。(一九年まで)
一九一三(三六歳)紀行『インドから』刊行。
一九一四(三七歳)『ロスハルデ』(邦訳『湖畔のアトリエ』)刊行。大戦勃発とともに 戦争捕虜慰問の文庫の蒐集や、印刷物の刊行に努力。平和主義的な論文を発表したため、 ドイツ本国の一部の戦争の熱狂者たちから非国民扱いされ、ボイコットを受ける。
一九一五(三八歳)『クヌルプ』(邦訳『漂泊の魂』)、『路傍にて』、『孤独者の音楽 』刊行。ロマン・ロランはヘッセの態度に共鳴する書簡を送り、八月にヘッセを訪間する 。
一九一六(三九歳)『青春は美わし』刊行。父ヨハンネスの死、三男マルティンの重患、 妻の精神病の悪化などが重なり、ヘッセも慰問奉仕事業の業務がたたって神経を冒され、 精神分析学者フロイトの高弟である精神科医ラングの治療をうけ、フロイトの著作にも親 しむようになる。療養のためルーツェルンのゾンマット療養所に滞在。
一九一八(四一歳)水彩画を書き始める。
一九一九(四二歳)ジンクレールという匿名で『デーミアン』を発表。特に青年層に大き な反響をまきおこす。この作に対してフォンターネ賞が贈られたが、翌年覆面を脱いだと きに受賞を辞退する。ニーチェの影響をなす評論『ツァラトゥストラの再来――ドイツの 青年に一言』を発表。中編集『メールヒェン』、『小さな庭』刊行。雑誌「生ある者を呼 ぶ」(ヴィヴォス・ヴォーコ)を個人で始める。
 四月から病気の妻と別れ、子供をよそに託してベルンの家を離れる。ミヌージオとソレ ンゴにしばらく滞在したのち、南スイス、テッシン州ルガーノ湖近くのモンタニョーラの 丘にある、「カサ・カムツツィ」に移る。ここが彼の永住の地となった。
一九二〇(四三歳)詩と水彩画を集めた『画家の詩』、詩集『さすらい』、表現主義的な - 99 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ] 小説『クリングゾールの最後の夏』、評論「混沌を視る』などを発表。フーゴー・バルお よびエミール・バルとの交遊。
一九二一(四四歳)『詩選集』を刊行。
一九二二(四五歳)インドの詩と副題された『シッダールタ』刊行。ロマン・ロランと再 会。
一九二三(四六歳)評論『ジンクレールの覚え書』発表。スイスの国籍を獲得する。T・ S・エリオット来訪。チューリッヒ郊外のバーデンに湯治に赴く。マリーア夫人と正式の 離婚。
一九二四(四七歳)一月、ルート・ヴェンガーと結婚。
一九二五(四八歳)『湯治客一名バーデン湯治の手記』刊行。ノヴァーリスとヘルダーリ ーンの『生活記録』編集。秋、南独に赴き、ミュンヒェンでトーマス・マン、詩人リンゲ ルナッツなどに会う。この年以後三一年まで、時折りをチューリッヒで冬を過ごすように なる。
一九二六(四九歳)『風物帖』刊行。プロシア詩人アカデミー会員に迎えられる。精神的 な危機を迎える。
一九二七(五〇歳)小説『荒野の狼』、紀行『ニュールンベルクの旅』刊行。妻ルートと 離婚。精神的な危機は続くが、自己分析的な『荒野の狼』のもつフモール(ユーモア)は その救いと考えてもよかろう。五〇歳の誕生祝いを記念して、ヘッセのよき隣人であった フーゴー・バルが、最初の『ヘッセ伝』を出版した。バルはその直後に世を去り、ヘッセ はバルの追悼文を書いた。
一九二八(五一歳)評論集『観察』、詩集『危機』(限定出版)刊行。
一九二九(五二歳)詩集『夜の慰め』、『世界文学文庫』(邦訳『世界文学をどう読むか 』)を刊行。
一九三〇(五三歳)長編『ナルチスとゴルトムント』(邦訳『知と愛』、『聖母の泉』) 刊行。プロシア詩人アカデミーから脱退する。
一九三一(五四歳)一一月にオーストリア出身の美術史家ニノン・ドルピンと結婚。ハン ス・C・ボードマーの好意によって詩人に生涯提供されたモンタニョーラのはずれの新居 (ヘッセの家、カサ・ヘッセ)に移る。すでにこの時期に『ガラス玉演戯』の構想がはじ まる。
一九三二(五五歳)『東方巡礼』(邦訳『光のふるさと』)刊行。ゲーテの死後一〇〇年 を記念して『ゲーテヘの感謝』をロランの雑誌「ヨーロッパ」に寄稿。
一九三三(五六歳)旧作集『小さな世界』刊行。ヒットラー政権獲得のため、ドイツを亡 命した作家たちの救済に努力する。
一九三四(五七歳)詩抄『生命の木から』をニノン夫人に捧げる。『ガラス玉演戯』の一 部を「ノイエ・ルントシャウ」誌に発表。『雨ごい師』を発表。ヘッセは、自分のある写 真をみずから雨ごい師と呼んだ。
一九三五(五八歳)『寓話集』を刊行。弟ハンス自殺。
一九三六(五九歳)六脚韻詩『庭のなかの数時間』を姉アデーレの誕生日に捧げた。スイ スの「ゴットフリート・ケラー賞」受賞。
一九三七(六〇歳)回想録『思い出草』、『新詩集』刊行。六〇歳の誕生記念に「ヨーゼ フ・クネヒトの詩から」と注記された長詩『オルガン演奏』を友人知人間に配布。
一九三九(六二歳)ナチス治下のドイツ本国でヘッセは「好ましからぬ」作家と宣告され て用紙の配給を中止され、生活は次第に困難となる。 - 100 -

[ ヘッセ_車輪の下.txt ]
一九四一(六四歳)ドイツでフィッシャー書店版の全集が中絶していたのでスイスで全集 を出す協定ができ、まず『真夜中すぎの一時間』が再刊された。
一九四二(六五歳)スイスで『詩集』刊行。『ガラス玉演戯』完成する。
一九四三(六六歳)『ガラス玉演戯』二巻スイスで刊行。
一九四四(六七歳)ロマン・ロラン没。
一九四五(六八歳)大戦終結を記念してバーゼル放送局に詩「平和に向かって」を寄せる 。旧作断片『ゲルトルート』のスイス版、詩『夢のあと』、『花咲く枝』を刊行。
一九四六(六九歳)八月、フランクフルトのゲーテ賞受賞。秋、ドイツの作家として四人 め(スイスの作家もいれて五人め)のノーベル文学賞を受ける。『ゲーテヘの感謝』、評 論『戦争と平和』を発表。
一九四七(七〇歳)ベルン大学より名誉博士号を贈られる。ジイド来訪。
一九四八(七一歳)『初期散文集』刊行。
一九四九(七二歳)故郷カルフに関する文集『ゲルバースアウ」刊行。
一九五〇(七三歳)ブラウンシュワイク市のラーベ賞を贈られる。マンの七五歳の誕生祝 いの書簡を送る。
一九五一(七四歳)『書簡集』、『後期散文集』刊行。
一九五二(七五歳)七五歳の誕生を祝う記念講演集『ヘッセヘの感謝』が出版。西独ズー ルカンプ社より六巻本の全集が出る。
一九五四(七七歳)ホイス大統領より勲章(プール・ル・メリット平和部門)を贈られる 。『ヘッセ―ロラン往復書簡集』。
一九五五(七八歳)ドイツ出版社協会の平和賞を送られる。『昔日回顧』刊。
一九五六(七九歳)カールスルーエ市にヘルマン・ヘッセ賞が設けられる。
一九五七(八〇歳)八〇歳を記念して全集七巻がズールカンプ社より刊行。
一九六一(八四歳)新詩抄『階段』刊行。
一九六二(八五歳)八月九日、脳溢血のため睡眠中に死去。一一日、ルガーノ湖畔聖アポ ンディオ教会墓地に埋葬される。

参考文献

 ヘッセの研究書としては、一冊にまとまっているものとして
『ヘッセ研究』(秋山六郎兵衛 昭和一六年 三笠書房)
『ヘッセ研究』(高橋健二 昭和三二年 新潮杜)
『ヘルマン・ヘッセ研究』(相良守峯、手塚富雄他 昭和三三年 三笠書房)
などがあります。その他
『マン・ヘッセ・カロッサ』(高橋義孝 昭和二二年 南北書園)
『トオマス・マン論」(佐藤晃一 昭和二三年 講談杜)
『ヘッセとゲーテ』(高橋健二 昭和二四年 青磁杜)
『ドイツ文学散歩』(高橋健二 昭和二九年 新潮社)
などにも、また
「世界文学大系 ヘッセ・カロッサ」(解説 登張正実、 年譜 西義之 筑摩書房)
「世界の文学」三七巻 ヘッセ編(解説・年譜 山下肇 中央公論杜)
「ドイツの文学」五巻 ヘッセ編(解説 前田和美 三修杜)
などの解説が、いずれもヘッセを読むために非常に有益だと思います。もちろん、日本で 出版されているいろいろのドイツ文学史にも、ヘッセに関する記述がありますから参考に なるでしょう。
「二十世紀ドイツ文学」(オットー・マン 相良守峯訳編 昭和三七年 慶応通信)
「現代ドイツ文学」(グレンツマン 字多五郎訳 昭和三二年 創文社)
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[ ヘッセ_車輪の下.txt ] にもかなり詳しい綱目があります。
 最近ではフォルカー・ミヒェルスの編集したヘッセのエッセイが読者を集めている。岡 田朝雄氏の訳で「庭仕事の愉しみ」「人は成熟するにつれて若くなる」「わが心の故郷ア ルプス南麓の村」などが草思社から出版されている。 あとがき

 ヘッセの作品のなかでも『車輪の下』はすでに数十年前から日本の若い読者たちにとく に愛好された青春の書で、これまでに多くの彫琢(ちょうたく)の名訳も発表され ています。ですから、いまさら私が新訳を試みることは、屋上屋(おくじょうおく )を重ねるにひとしいと思います。秋山六郎兵衛、高橋健二、秋山英夫、西義之、辻ひか るの諸先生の御訳業からはいずれも大いに教えられることがありました。また年譜に関し ては山下肇、前田和美両氏のご業蹟を参照させていただきました。あとがきを借りて感謝 させていただきます。
 訳出にあたって、はじめから特定の方向を強くきわめていたわけではありません。ただ 現代的な平易さという点からいうと、むしろ古風な言いまわしがふえてしまったと思いま すが、これは日本の明治二十年代に当たるこの小説のなかの時代との距離を、それによっ て多少とも移そうとしたためです。しかし、もしそういうことのせいで原文の美しい自然 な文体が移しきれなくなっていたとすれば、これはひとえに訳者の責任といわなければな らないと思います。
 なお本書の底本に用いたものは一九六四年にズールカンプ書店から刊行された単行本で 、以前の版にあった個所で削られている部分が数個所あります。新たに増補されたところ はありません。
 最後に本書がなるにあたって、さまざま協力をして下さったヘッセ研究家の石井真理子 さん、それにこの珠玉の短編を改めて読み直す機会を与えて下さった旺文杜に心から御礼 申しあげたいと思います。
 昭和四十一年二月  訳者

〔訳者紹介〕岩淵達治(いわぶち・たつじ)
 学習院大学名誉教授、ミュンヘン大学名誉哲学博士。昭和二(一九二七)年東京生まれ 、東京大学独文科卒業、一九五七年から六〇年まで交換留学生としてドイツ留学。著書「 ブレヒト」、「反現実の演劇の論理」、編著「現代演劇101物語」、訳書「個人訳ブレ ヒト戯曲全集」八巻、「オッペンハイマー事件」(キップハルト)「追究」(ヴァイス) ほか多数。 ◆車輪の下◆
ヘルマン・ヘッセ作/岩淵達治訳

二〇〇三年九月十日 Ver1



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