写真を見るレッスン:旅と写真、旅する写真 © Mika Kobayashi
写真を見るレッスン 旅と写真、旅する写真 文:小林美香 © Mika Kobayashi
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「今、私は○○にいます」
写真を見るあやふやな距離感
ここ 2,3 年海外旅行をするときには、デジタルカメラやノートパソコンを持ち歩き、撮影した写真をパソコン の中に取り込んで、メールに添付して家族や友人に写真を送ったり、ブログや SNS で日記を書くときにその写真 をアップロードしたりするようになりました。これまでに海外旅行をしたときの経験を思い起こしてみると、旅 行先で写真を撮って見せる方法は過去 10 年間で劇的に変わってきました。フィルムを使って撮影していたときは、 撮影済みのフィルムを家に持ち帰って現像所でフィルムの現像とプリントを頼み、出来上がった写真を整理して アルバムにまとめたり、周りの人に見せたり、一緒に旅行をした人にプリントを焼き増ししてあげていたりして いたものです。また、旅先からその土地の風景や建物が写った写真絵葉書を送る時に、「今、私は○○にいます。 これが届くころにはもう日本に帰っているかもしれませんが、、」というようなメッセージを書き添えたこともあ ります。つまり、旅行で移動する距離に比例するように、撮った写真を自分で見たり人に見せたりするまでの時 間や、送った絵葉書が相手の手元に届くまでの時間が長くかかっていたのであり、離れた場所に移動するという ことだけではなく、このような時間の隔たりを体験することも、旅行をすることの中に組み込まれていたように 思うのです。 ところがデジタルカメラやインターネットが定着した今となっては、写真を撮ったらすぐにモニタでどう写っ ているかをチェックすることができますし、「今、私は○○にいます。」というメッセージのメールにその写真を 添付して送信すると、相手がすぐにそのメールを受信して、限りなく「実況中継」に近い状態で旅の様子を伝え ることができるようになっています。たとえば日本から見たら地球の裏側にある国ブラジルで旅行している人が リオのカーニバルの最中に写真を撮り、その直後にメールに添付して送信すると、数秒後にはその写真を日本で 見ることができるのであり、ブログや写真共有サイトなどで写真が公開されると、世界中どこにいても、インタ ーネットにつながった端末さえあればその写真を見ることができるのです。 ごくあたりまえのことをさも大仰な言い方で説明しているように聞こえるかもしれませんが、デジタルカメラ とインターネットが普及する以前──それはつい 10 数年前のことなのですが──には、誰もがこれほど簡単に写 真を撮って、それを離れた場所にいる人にすぐに見せられるようになるとは、多くの人は想像もしていなかった のではないでしょうか。また以前のように、写真を見せる/見るという関係が、特定の人間関係の範囲内──家族 や友人・知人──に限定されるのではなく、不特定多数の人々、国や言語も異なるような全く見知らぬ人にまで 広げられ、公開した写真が全く予想外の人に見られてしまうことが当たり前の事態になったということも大きな
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変化と言えるでしょう。 ブログや写真共有サイトで公開されている無数の写真画像、とくに外国の日常生活の光景や、旅先で撮ったよ うなスナップ写真を眼にするとき、ふと我に返って不思議な気持ちに襲われることがあります。見ず知らずの人 が撮った、写っている場所や人も判らないような写真をなぜ私は見ているのだろうかと自問するような、心許な いような宙吊りの気分、と言ったらよいのでしょうか。ブログのように写真に説明の文章やキャプションが添え られている場合はまだしも、ほとんど何の説明も添えられていない写真がスライドになって延々と続いていくの を、写真を撮った人と写された人や場所の関係を知らないままで眺めていると、写真とそれを見ている自分自身 との関係が、距離や時間の感覚も含めて、あやふやでとらえがたいもののように感じられてきます。
ステレオ写真の時空
このようにインターネット上で膨大な数の写真を見ることに慣れきってしまうと、通信技術が発達する前の時 代に、 「遠く離れた場所の写真を見る」ということがどのようなものだったのかということを想像するのは難しい ことかもしれません。ここで、ひとつの事例として 100 年前の状況を取り上げてみたいと思います。 (図 1)は、20 世紀初頭にアメリカで制 作された広告です。地球の右側にあるアメ リカ大陸の北米の方から、巨大な男性が右 手に双眼鏡と横長のカードを組み合わせた ような道具を持って覗き込み、アフリカ大 陸のほうに腕を伸ばしてエジプトと書かれ たあたり触っています。
(図 1) アンダーウッド&アンダーウッド社
トラベル・システム広告
この絵に上下に添えられた謳い文句には、 「遠く離れた国のすぐ近くにいるためには、アンダーウッド社のステ レオグラフ・トラベル・システムが手近にありさえすればよいのです。 」と書いてあります。アンダーウッド&ア ンダーウッド社(Underwood & Underwood)とは、ステレオ写真(立体写真)を製造していたアメリカの会社 で、さまざまな国で撮られたステレオ写真をセットにして販売していました。 「トラベル・システム」とは、ステ レオ写真と、ステレオ・ビューア(ステレオ写真を見るための道具で、絵の中の男性が手に持っている双眼鏡の ようなもの)を組み合わせた商品でした。つまり、ステレオ・ビューアを使って嵌め込んだステレオ写真(絵の 中に描かれている横長のカード)を見ると、双眼鏡を覗き込むように、あたかもその場所が手近にあるような臨 場感を感じ取ることができる、というのがステレオ写真の魅力だったのです。
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ステレオ写真について少し補足して説明しておきましょう。ステレオ・ビューア(ステレオスコープ)は、1849 年にスコットランドのデイヴィッド・ブリュースター(彼は万華鏡の発明者としても知られています)という人 物が発明した装置です。二つのレンズ──人の両眼の視差の分だけレンズの間が離れています──がついたカメ ラで撮影したステレオ写真をこの装置を通してみると、2 枚の写真が重なって立体的な一つの像として見えるので す。ステレオ写真は、19 世紀半ばから 20 世紀初頭にかけて大流行しました。ステレオ・ビューアは一般家庭の 中にも普及して、当時の人々の娯楽として楽しまれていました。
(図2)岩国:錦川にかかる錦帯橋
ステレオ写真の特徴は、前景と後景の奥行きを強調するような構図で撮影されたものが多いということです。 たとえば、 「岩国:錦川にかかる錦帯橋」と題された写真(図2)では、錦帯橋を左側に、対岸と手前の岸が映し 込まれています。この写真をビューアで立体視すると、手前の岸の佇む人や橋の支柱の輪郭が背景からくっきり と立ち上がるように見えてきて、対岸と手前の岸の間の奥行きや、橋の下の水の流れまでもが感じられるのです。 ま右上の松葉のシルエットと、対岸にある家屋の集落を対比しながら見ると、画面の奥行きが感じられます。ま た、この写真にも典型的にあらわれているように、ステレオ写真には世界各地の名所・名跡、建築物を撮影した ものが多く、国やシリーズ毎にまとめられていて、写真の裏面には写っている情景に関する解説の文章が添えら れていました。当時の人々にとって、海外旅行をすることは極めて稀で困難なことでしたから、自分では実際に 足を運ぶことのできない遠い国の眺めを、ステレオ写真に写っているものを隈無く見つめて、その空間を想像し ながら時間をかけて味わっていたのでしょう。 ステレオ写真をじっくりと味わうような見方は、インターネットで膨大な数の写真をスライドのように流して みていくような見方とは対極的なものだと言えます。また 100 年前と比較するならば、一枚一枚の写真──そこ に実際には足を運ぶことのできないような遠く離れた場所が写っていたとしても──に対する関心は限りなく薄 まっているのかもしれません。しかし、写真をモニタの上に表示される画像としてだけではなく、ある特定の場 所にあって、手に取ってみることのできる「もの」 、すなわちプリントとして接して見る時、そこからまた別の見 方や、写真への関わり方を作り出すことができるのではないでしょうか。美術作家、池田朗子(1972-)の作品から 「もの」としての写真の見方とその可能性について考えてみたいと思います。
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写真と移動・移動する写真
池田朗子は、大学で彫刻を学び、その後インスタレーション作品の制作を手がける中で、1990 年代末から写真 や映像を作品の中に取り込んできました。池田の作品の中では、 「移動」が中心的な要素として位置づけられてい て、作品の素材となる写真や映像も、自らが旅行や移動をする中で撮影し、そこにさまざまな操作やしかけをほ どこしています。その手法の一つが「写真立版古(立版古:和紙に刷られた錦絵を切り抜いて立体的に組み立て る江戸時代のペーパークラフト) 」で、写真に写し取られた人やものの輪郭を地面に接している部分だけ残して切 り抜き、切り抜いた部分を直角に折り曲げて、写真から立ち上がるようにする、というものです。 (図3) 「their site/your sight」 写真作品 2000 年
(図 3)は、彼女がベルリンで旅行をしたときに撮影したスナップ写真の中に写っていた 4 人の人物──おそら く彼女と同様の観光客──を立ち上げて、ロンドン(当時彼女が留学していた大学のスタジオ)で撮影したもの です。左側の方から光が差し込んでいて、写真の中から立ち上がった人物たちは写真の表面に影を落とし、また 写真の表面が鏡面のように、人物の姿を写しています。三次元の空間を二次元に転換した写真が、切り抜かれる ことによって再び三次元へと転換され、三次元化された写真がさらに撮影されることによって二次元に転換され ていて、写真とそれを見る時空間が入れ子の状態になっていくような効果が作り出されているのです。サービス 版のプリントをクローズアップで撮影しているので、この作品を見ていると、自分が一瞬巨人になったかのよう な、奇妙なスケール感覚を味わうことにもなります。 作品の中には、移動中に撮られた写真が使われているだけではなく、移動手段にかかわるものがモチーフとし て使われているものもあります。たとえば 2003 年に制作されたシリーズ作品〈妄想ドライブ/a drive with him〉 は、彼女の友達が旅先のタイから送ってきたポストカード(図 4)が素材になっています。ポストカードの中に写っ ているトゥクトゥクと呼ばれるタイの三輪タクシーの中の一台を切り抜き、そのポストカードを持ち歩き、さま ざまな場所に置いて、一台のトゥクトゥクを立ち上がらせて撮影しています (図 5) 。つまり、タイの路上で撮ら れた写真が絵葉書になり、その絵葉書を買った友人から池田のもとに送り届けられ、その写真がさらに日本にい る彼女と共に旅をするというふうに、写真が移動する流れの中で作品が作り出されていったのです。その移動の
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過程や、絵葉書が置かれた場所との関係について想像を巡らせながら見ることで、見る人それぞれが「妄想ドラ イブ」を作り出していくことになるのです。写真に写っているものの一部を切り抜いて立てるという、ほんの小 さな操作が、写真やその写真が置かれている場所の見方に大きな作用をもたらしているといえるでしょう。
(図 4) タイの絵葉書
トゥクトゥク
(図 5) 「妄想ドライブ」2003 年
写真を見る場所・「わたし」のいる場所
(図 3)で用いられたスナップ写真を切り抜いて立てる方法は、その後さまざまな場所で制作されているインス タレーション作品〈their site/your sight〉に展開していきます。 「インスタレーション」とは、設置や展示を意味 する言葉で、さまざまなものを空間に配置することによって、配置されたものだけではなく、空間全体を一つの 作品として仕立て上げるような作品のことで、空間やそれを見る人との関係が、作品の中で重要な位置を占めて います。タイトルの〈their site/your sight〉は、 「彼等がいる場所/あなたの視界」という意味ですが、site(場所) と sight(視界)は、どちらも「サイト」と発音されますから、タイトルを聞くと、どちらが「場所」でどちらが 「視界」なのか判らないような、その違いをわざとはっきりとさせないようにしているような感じもします。 一連のインスタレーション作品の中には、スナップ写真を用いたもののほかに、雑誌を用いたものもあります が、ここでは、2005 年にデンマークの ET4U(En Tangsøgade 4 Udstilling)という芸術家が運営するスペースで 制作・展示された作品を紹介しておきましょう。彼女は、展示スペースの床の上に設置された平台の上に、日本 で撮影した 800 枚近くのスナップ写真──中に写っている人物やものを切って立てた写真もあれば、手を加えて いない写真もあります──を
間なく並べて貼り付けていきました(図 6)。出来上がった作品は、スナップ写真
でできた巨大な絨毯のような広がりをもった平面になり、近づいて見てみると、その表面から人物やもの、家な どが立ち上がっています。(図 7)別個に撮影された写真が隣り合わせに並べられることによって、写真と写真の 間につながりが作り出されて、写真の中から立ち上げられたものや人を通して、架空の空間が立ち上がるような
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効果が生み出されています。一つ一つの写真の中に捉えられた日常生活の光景は、日本で生活している人の眼か ら見れば見慣れたものかもしれませんが、デンマークで生活する人達にとっては、もの珍しく映るのでしょう。 作品を見る人の中には、視点や姿勢を低くしたり、変えたりしながら作品の
りを巡っているような人もいます。
(図 8)作品を鑑賞する人の中には、立ち上がる人やものを見て、ステレオ写真を見た時に感じる驚きに近い感覚 を味わっていたのかもしれません。
(図 6)
(図 7) (図 8)
their site/your sight インスタレーション (ET4U デンマーク) (図 6)展示作業風景 (図 7)作品の一部 (図 8)作品を見る人たち
身近なスナップ写真を素材にした彼女の写真作品やインスタレーション作品は、写真をさまざまな場所に「設 置」することによって、その空間やそれを見る人に作用し、写真に何が写っているのかということだけではなく、 ものを見るときの視点や、スケールを体感する時の基準など、見る側の在処や姿勢を意識化させるものだと言え るでしょう。 〈their site/your sight〉というタイトルの中で、時にはあなた(you)と呼ばれ、時には彼等(they)と呼
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ばれているのは、別々の異なる存在というよりも、 「わたし」という同一の存在を別々の方法で名指して呼ぶよう な視点のこととして捉えることもできます。つまり、ある場所にいること、何かを見ていること、そのことが何 によって決められているのか、という問いかけのようなものかもしれません。 インターネット上では、あらゆるデータがそうであるように、ある写真の画像が存在する「場所」とは、URL として指し示されていて、その URL にアクセスすれば、どこにいても同じ写真の画像を見ることができる(すな わち、同じ情報、データを手に入れることができる)というふうに捉えられています。確かにその通りではある のですが、見るということは見る側が作り出していくような、それぞれに異なる経験なのです。どこにいても同 じ写真は同じように見える、というふうに一元的に捉えるのではなく、それが置かれる場所や見る人によって、 異なった見方が作り出されるということ、そのことを知ることにこそ写真の見方を深める可能性があるような気 がします。
関連リンク 池田朗子
http://ikedaakiko.net/
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